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究極の愛3

 ―――

 寝がえりを打って目を開けると、目の前にあったのは仏壇だった。キョロキョロと眼球だけで辺りを見渡し、ここが岡本晴斗の実家であると思い出すと俺はすぐさま飛び起きた。背中が汗で濡れている。

 ――そうか、門の前で待っていて熱を出したんだっけ。

 位牌の隣に飾られている岡本晴斗の遺影。いつのものか分からないが、少しはにかんだ、あどけない顔で笑っている。どこか親近感が湧くのは祐之介の遺影を思い出したからだ。祐之介と岡本晴斗はちょっと似ているかもしれない。

「目が覚めた?」

 岡本晴斗の母親が、薬と粥を載せた盆を持って入ってきた。

「昨日、ひどい熱だったのよ。あと少し声を掛けるのが遅かったら危なかったかもしれないわね」

 母親は俺の額に手を添え、「下がったみたいね」と微笑んだ。あれだけ拒絶していたのに、この変わりようには少々うろたえる。

「……話をするだけなら、してもいいかなって、主人と話したのよ」

「……すみません。突然訪ねてきて」

「どうしても聞きたいことがあるんでしょう? 晴斗のことで」

「はい。実は、」

「その前に、食事を摂って薬を飲みなさい。それから汗をかいているでしょう。お風呂を沸かしてあるから、入ってくるといいわ」

「そこまでお世話になるわけにはいきません」

 母親は「あら、」と含み笑いをした。

「この四日間、家の前で張り込まれて充分、迷惑したわよ。その詫びにわたしの言うことを聞きなさい」

 遠慮のない物言いと、第一印象からは想像できないほどの人当たりのいい笑顔。どこか自分の母親を見ているようだった。

「……あ、りがとう、ございます」

「あらやだ、なんで泣くのよ。わたしが苛めてるみたいじゃないのよ」

 入浴を済ませたところで、リビングに通された。ダイニングテーブルで父親が新聞を読んでいる。俺に気付いた父親は老眼鏡を外し、席を勧めた。

「まあ、座りなさい」

「失礼します」

 今日は確か木曜日のはずなのに、と心の中で抱いた疑問に父親が答えた。

「仕事は休んだんだ。四日も粘るほど話をしたいのなら、わたしもそれなりに応えないといけないからね」

「本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「……で、話とは何かな?」

 緑茶を運んできた母親が、父親の隣に腰を下ろした。

「実は、晴斗さんの……恋人だった人のことなんですが」

 二人は顔を見合わせて戸惑った。不快というより想定外の話題で驚いている、といった様子だ。

「晴斗さんの恋人が、男性だったことはご存知ですか」

「……それは、まあ、『彼』が第一発見者で立会人だったしね……」

「晴斗さんは、以前から恋愛対象は男性だったんでしょうか」

「何が言いたいんだね」

 さすがにストレートすぎたのか、不愉快そうに言われた。

「決して好奇心から訊ねているのではなくて、もし晴斗さんが同性愛者なら、そのことをご両親に打ち明けていたのか、恋人が男性であることを話していたのか、恋人のことについて何か話していなかったかを、お聞きしたいんです」

「……聞いて、どうするの?」

「……晴斗さんの恋人が、今でも晴斗さんを忘れられずに苦しんでいます」

「確か、彼の名前は菅野くんと言ったかね」

 名前を覚えていることに驚いた。

「今でもって、十五年も彼は晴斗を想っているということかい」

「そうです」

「……信じがたいがね」

「菅野さんは僕の知り合いでして、恋人を殺されて心に深い傷を負ったことを最近、知りました。菅野さんは晴斗さんをとても愛していたようで、彼ほど好きになった人間はいないと言っていました。それもあると思いますが、忘れられない一番の原因は、晴斗さんと喧嘩して仲直りもできないまま死別してしまったことが大きいと思うんです。……今となっては仲直りというのは無理ですが、例えば晴斗さんが菅野さんを同様に愛していたと確認できる証拠のようなものがあれば、少しは菅野さんも救われるんじゃないかと……思っ……て」

 緊張のせいか一気に喋ってしまい、咳込んだ。二人は沈黙したまま各自で物思いにふけっている。俺は続けた。

「……どんな小さなことでもいいんです。晴斗さんが菅野さん……恋人のことについて何か言っていなかったか、彼にまつわるものを遺していないか、何かひとつでもあれば教えていただけませんか」

 そこからどのくらい、時間が経っただろう。二人は何も声を発さず、俺は二人が口を開くのを待ち続けた。静かなリビングには時計の針が進む音が、微かに聞こえる。やがて親指と人差し指で顎を擦っていた父親が、静かに、申し訳なさそうに、言った。

「……結論から言うと、わたしたちは何も知らない」

「……」

「晴斗が殺された事件はね、犯人が自殺して犯行の目的も、経緯も碌に明かされないまま終わったんだ。犯人の家族は当時認知症の父親だけだったと聞いた。我々はね、悲しみも悔しさも憎しみもやり場がなかった。それは勿論、今でもだよ。本当は僕たちが知りたいくらいなんだ。何もかも」

 そして母親が続けて補足した。

「事件まで、晴斗が男性を好きなことも、男性とお付き合いしていることも、何も知らなかったのよ。もともと晴斗が同性を好きなのか、それともその時たまたまだったのか、それすらも知らないの。ただ分かったのは、晴斗は犯人に性的暴行を加えられたあと殺されたということ。そして犯人は、本来悪人を捕まえるべき刑事だということ。事件が終わると、警察の方は我関せずって態度で、まるで相手にしてくれなかった。だからね、」

 母親は頬に涙の筋を一本つけ、俺を見据えた。そして、

「警察は、嫌いなの」

 喉を震わせて、力強く、声を振り絞った。俺はそれに何も返せなかった。

「……遺留品を見せていただくことは可能でしょうか」

 父親が小さく「そういえば」と言いかけたのを、母親が意図的に遮った。

「ごめんなさいね、晴斗のものは、事件が終わってから全部燃やしてしまったの」

「………全部、ですか?」

「ええ、全部」

 俺の眼をしっかり捉えて離さない母親の視線、言いかけた言葉を飲み込んで決まりの悪そうに顎を擦る父親。……何か持ってるはずだ。が、今は無理やり聞き出そうとすれば再び怒らせてしまうかもしれない。休みはあと一日ある。俺はそこで一度引き下がることにした。

「……そうですか。ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「力になれなくて、ごめんなさい」

「本当に、それを聞くためだけに来たのかい?」

 目を丸くして訊ねる父親に、「はい」とはっきり答えた。

「今回お邪魔したのは個人的にお聞きしたかっただけなので、これを誰かに話したり報告することはありませんのでご安心下さい」

「菅野くんにも……?」

「……菅野さんには……彼にとっての朗報があれば知らせるつもりでしたが、特に何もないようなので、話しません」

「……菅野くんは今、どうしているの?」

「彼は、僕の上司です。……同じ刑事課の、警部です」

 二人は目も口も開いて無言で驚いていた。それはそうだろう。当時、菅野は岡本晴斗の家族と同様に警察から拘束されて嫌な思いをしたのだ。人間かと疑いたくなったとさえ言っていた。そんなあいつが刑事になったのだから、俺だって不思議なのだ。

「……そうか、彼は刑事に……なったのか……」

「……」

「どうしてだろうね……」

 岡本晴斗の父親は、茫然として「どうしてだろう」と呟いていた。
 昼食時になり、食事をしていかないかと誘われたが、辞退した。そのかわり明日京都を出るので、その前にもう一度だけ来てもいいかと願い出たら了承してくれた。

 リビングを出たところで、二階から下りてきたひとりの男性と出くわした。細身で色が白く、大きな目の下にはクマを拵えている。岡本晴斗の顔は遺影をちらりと見ただけだが、女性のような中性的な顔立ちが似ている。彼は俺をギロリと睨んだ。

「次男の勇斗だ。二十七になったんだがね、事件以来、家にこもりがちで、」

「親父、余計なこと言うな」

 俺より身長のある勇斗は俺の前に立つとジロジロと頭の先から足の先まで見下ろした。勇斗は最後に「ふん」と鼻で嘲笑し、洗面所のほうへ消えた。


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