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菅野の過去4

 ―――

「野田さん、お久しぶりです」

 バーのマスターが、グラスを拭きながら笑顔で迎えた。けれども冴えない表情をした俺を見て、その笑顔はすぐに消えた。

「顔色が悪いですよ。体調でも悪いんですか?」

「いや……考え事」

「そういえば、今日、商店街で殺人未遂があったとか。野田さんは行かれました?」

「ちょうど菅野さんと現場にいたから」

「二人で? そんな名コンビ見たかったです」

 マスターの冷やかしに返す言葉も出てこない。名コンビどころか、俺が菅野に殺されそうになったんだけど。
 この胸の奥にずっと纏わりついている重りのような違和感は、なんだ。
 苛立ちでもない、悲しみでもない。焦り、不安、――謎。
 俺は今日の菅野との出来事を伏せたまま、単刀直入に本題に入った。

「マスター、菅野さんのこと、なんでも知ってるって言ってたよね」

「はい」

「十五年前、菅野さんとマスターがハタチだった頃、何があったの」

 マスターはグラスを拭く手を止め、やや眉を寄せてこちらをまともに見た。なぜそんな話を出すのか、なぜ自分に聞くのか、そんな顔だ。

「教えて欲しい。簡単でいいから」

 黙り込んで再びグラスを拭き始めるマスターを、俺は一度も目を逸らすことなく見つめた。凝視しすぎて睨んでいるように見えたかもしれない。やがてマスターはフ、と噴き出した。

「これって、取り調べですか」

「違うけど」

「そんな眼で見られちゃ、話すしかないじゃないですか。さすが刑事さんですね」

 するとマスターはドアに向かい、閉店までまだ時間があるにも関わらず、プレートを「CLOSE」に変えた。簡単でいいとは言ったが、そこそこ詳しく話してくれる気があるのかもしれない。マスターは拭きかけのグラスには手をつけず、カウンター越しに俺と向かい合って座った。

「そっか、当時、野田さんはまだ中学生だから覚えてないかもしれませんね」

「……」

「僕も詳しくは知らないんですけど、十五年前、この辺りで殺人事件がありました」

 そして次の台詞で、何かが腑に落ちた。

「殺された人は、菅野さんの恋人でした」

 そういえば、アパートで一人暮らしをしている若い男性が、何者かに殺されたというニュースをテレビで見た記憶があった。この狭い街で凶悪事件なんかそうそう起きない。まったくないわけではないが、大抵はメディアに取り上げられるほどでもない、すぐに解決される事件ばかりだ。俺の記憶が正しければ、その事件の経緯は中々壮絶なものだったように思う。
 マスターは俺の記憶を補足するように話し始めた。そこからは完全にプライベートの世界に入ったのか、マスターは菅野のことを「康介」と呼んだ。



 僕は高校時代から康介の恋愛対象が同性であることを知っていました。僕らは男子校でしたから、男同士のカップルなんて珍しくありませんでしたし、康介以外にも、そういう主義の人は何人かいました。僕は基本ノーマルですけど、そういった環境にいると自然に同性に惹かれることもありました。だから、同性愛に偏見は持っていないつもりです。

――どうりで俺がゲイだと言っても驚かなかったはずだ。マスターは続けた。

 康介はあの通り我が道を行くタイプですから、自分が同性愛者であることを隠したりしませんでした。とはいえ、やはり人間のみんながみんな、それを受け入れるわけじゃない。同性愛を嫌悪したり偏見を持つ人は少なからずいる。それに康介はぶっきら棒で意地っ張りですからね。いつも気丈に見えても胸の内では傷付いたことも沢山あったと思います。

 そんな時に、大学に入って康介に恋人ができたんです。入学してまもなく意気投合して、想いが通じ合うのに時間はかからなかったそうですよ。僕と康介は大学は別ですけど、よく遊んでたんで、お互いの近況を知らせ合ってました。恋人ができたと報告してくれた時の彼は今まで見たこともないくらい本当に嬉しそうで、幸せそうで、

「ああ、その人のことが、大好きなんだなって思いました」
 
――俺はどういうわけか、その言葉に、胸が痛くなった。

 大学二回生の夏。康介が恋人と喧嘩したんです。確か恋人のほうが浮気したか何かで。その頃は半同棲みたいな形で、康介が恋人の家によく行き来していたんですが、喧嘩してから暫くは家には行かなかったんです。相当怒ってたみたい。恋人とは学科が同じなので大学でも顔を合わせますが、一切、口を聞かなかったとか。
 ただ、そうやってすれ違いの日々が続くと怒りも薄らいで、康介もそろそろ仲直りしたいと思ったんでしょうね。どうやってきっかけを作るか僕に電話で相談してきましたよ。あの時の康介は面白可愛かったなぁ。

「……想像つかないっすね」

「そのくらい、好きだったんだと思います」

 ですが、ある日、恋人が大学に来なくなったんです。はじめは風邪でも引いたのかと思ったらしいですが、一週間経っても現れず、電話にも出ない。心配した康介が、数週間ぶりに恋人の家を訪れたんです。
 康介が見たもの――、

 恋人の、無残な亡骸でした。

「一週間のあいだで、殺された……」

「ええ。学生のひとり暮らしですからね、第一発見者は、康介です。しかも夏でしたから、それはもうひどい状態だったそうですよ」

 夏は腐敗が進むのが早い。祐之介の時もそうだった。発見が遅れて、死んでから数日後に通報された時には顔も体も崩れていた。俺の場合、現場をいくつも経験した上でその姿を見たからショックを受けたといっても、嘔吐で済んだ。けれど、当時の菅野は違う。刑事でもなければ完全に出来た大人でもない。初めて見た死体が、殺されて放置されて人知れず腐ってしまった、恋人のものだったとしたら……

 俺なら、一生立ち直れないかもしれない。

「勿論、康介は容疑者のひとりとして警察から聴取を受けました。家に帰ってからも定期的に刑事が来て、気が休まる時がなかったそうです」

「……俺の記憶が確かなら、その犯人は、」

「逮捕される前に、山奥で自殺しました」

 ――そうだ。思い出した。その事件を。伯父が現場に行った。

 『若い男性に性的暴行を加えたあと絞殺し、犯人が首を吊って自殺した』というニュースは当時、好奇や遺憾や恐怖など色んな意味で、注目の的だった。「男性が男性に性的暴行を加えた」という内容に関しては怯えのような不快感を抱いたが、俺は伯父が世間で騒がれている事件現場に行ったということを単純に自慢していた気がする。
 伯父に事件の詳細を聞いてみたことがあるが、伯父は絶対に話さなかった。今考えれば当たり前だ。事件内容をいくら身内でも口外するなんて以ての外だからだ。けれども、俺は伯父が職場の人間と電話をしているところを、聞いてしまった。

 菅野の恋人を殺して、自殺した犯人の身分は、刑事だった。

「……僕は事件のことに関しては、詳細は知りません。僕から話せるのはこのくらいです。当時の康介は本当に精神的に参っていて、見る度やつれていきました。目は死んでるし、食べないし、話し掛けても上の空。長い年月をかけて、ようやく今の状態に、戻ってきたんです」

「……菅野さんは、特定の恋人は作らないと言っていたけど、」

「懲り懲りなんでしょう。大好きな人に裏切られて喧嘩して仲直りもできずに、恋人は見知らぬ男に殺されて、世間から好奇の目に晒される。それでもよく立ち直ったと思いますよ」

 立ち直った……のだろうか。立ち直れたのだろうか……。どうやって? そんな壮絶な過去から立ち直るには何かきっかけが必要だ。年月だけではなかなか解決できない。

 別の人との恋愛とか、家族の支えとか、目標だとか、――恨み、だとか。

「野田さんのことは、」

 マスターの言葉にハッとした。

「気に入ってますよ。康介」

「んなアホな」

「本当です。野田さんが新米の頃、『面白い奴がいる』って言ってましたよ」

「いじめがいがあるって意味でしょう」

「否定はしません。確かに生意気とかムカつくとか言ってましたけど」

「言ってたのかよ」

「根性と将来性はあるって」

「……」

「野田さん、僕はね、康介には幸せになってもらいたい。確かにとっつきにくくて、粗野で、誤解もされやすい。だけど本当はきっと、誰よりも純粋な人だ。誰か彼を幸せにしてやって欲しい。それが野田さんだったらいいなって、思ってるんです」

「……なんで、俺……」

「前も言ったでしょう。康介は野田さんにピッタリだって。康介は野田さんの話をする時、どこか嬉しそうです。その殺された恋人以来、おそらく誰とも恋愛していない。だけど、野田さんになら、康介も心を開くんじゃないかって可能性を感じてるんです」

 勝手に感じるな。俺には俺の都合ってもんがある。だけど、はっきり嫌だとは言えなかった。菅野のそんな話を聞いたあとで拒否なんかしたら人でなしもいいところだ。

 それに、ほんの一瞬、迷ってしまった。もし俺が本当に菅野の心を開くことができるのなら、試してみてもいいかもしれない。なんて――。いや、それはない。断固。

 本当に菅野が俺に少しでも好意を持っているのなら、あんな眼をして、首を絞めたりしない。まともに俺を見て、殺気を放ったりしないはずだ。

「マスター、以前、俺をホテルに向かわせたのは、菅野さんの指示なの?」

「……僕は自分で誘えって言ったんですけど、直接誘ったんじゃ絶対来ないからって」

「その本当の理由を知ってる?」

「僕の口からは言えません」

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