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菅野の過去3

 ***

「野田、飯食いに行くぞ」

 珍しく菅野に昼食に誘われた。今まで一度も菅野と昼を食ったことはないし、誘ったことも誘われたこともなかったので内心訝しみながら付いて行った。誰よりもその光景に驚いているのは島村と大沢さんだ。

「最近、喧嘩しないなーと思ってたけど、一緒に飯食いに行くほど和解したんすね」

「いつの間に……。僕ですら菅野さんと飯なんか食ったことないのに、野田、やるなぁ」

「え……じゃあ二人も一緒に」

「俺はこいつに用があるんだよ。付いてくるな」

 バッサリと切られてしょんぼりしている二人を背に、少しばかりの罪悪感を覚えながら署を出た。署から少し離れた商店街に、菅野がよく行く蕎麦屋があるというので、そこへ向かう。大股ですたすた歩く菅野に付いて歩くのは結構疲れる。

「菅野さん、島村と大沢さんに声掛けなくて良かったんですか」

「下らん。飯ぐらい勝手に行けばいい。邪魔者はいないほうがいいだろ」

 すると突然振り返った菅野は、人目を憚らずキスをしてくる。

「……だからっ、誰かに見られたらどうするんですか!」

「お前は見られたら嫌か」

「いい噂になりますよっ!」

「俺は構わんがな」

「……どういう……ことですか」

 菅野の答えを聞くより先に、商店街のほうから悲鳴が上がった。直後、「誰か!」と助けを求める声が続いたので、俺と菅野は声のほうへ走った。商店街の時計屋の前で男性が血を流して倒れている。その先を走って逃げる被疑者と思われる男の姿があった。

「お前は被害者を見ろ!」

 菅野はそれだけ言い残し、男を追って全力で走り出した。あっという間に小さくなり、その足の速さに呆気に取られてしまったほどだ。被害者の男性は腹部を刺されていて出血がひどい。救急車を呼んで止血を試みていると、誰かが署に通報したのか大沢さんと島村が駆け付けた。

「野田、いたのか!」

「たまたま近くにいて悲鳴を聞いたんです。すみません、ここお願いしていいですか。菅野さんが被疑者を追ったんです」

「ああ、行け」

 二人が向かったほうへ走ると、数百メートル先に被疑者を確保したらしい菅野を見つけた。無駄に暴れている男の背中を膝で押さえつけている。

「菅野さん!」

「野田、手錠あるか」

 俺も手錠を持っていなかった。代わりになるものはないかとポケットを叩いて探したら、以前、通り魔に襲われた被害者の女性から返してもらったハンカチがそのまま入っていたので、それを渡した。菅野は素早く男の両手首を縛った。

「午後十二時四十二分です」

「くそっ、お前ら警察かよ! 離せ!」

「おめーが逃げるからだ」

「あいつが悪いんだよ! 俺をコケにしやがる!」

「コケにされたからって罪の重さは変わらんぞ」

 うつ伏せになっている男の首根っこを引っ張って立ち上がらせ、菅野は改めて男の姿を確認した。ニット帽を脱がすと、男の顔が明るみになる。黒い短髪で、濃いめの眉に猫目を持っている。おそらく二十代前半だろう。せっかく見た目はいいのに人生台無しにしたな、と呑気なことを考えている俺とは異なり、菅野は男の顔を見るなり血相を変えた。ビリッと伝わる殺気に悪寒がした。一番驚いているのは被疑者の男だ。目を見開いて冷や汗を流している。

「……な、なんだよ……、もう抵抗してないだろ……」

「菅野さん」

 菅野は何を血迷ったのか、無抵抗な被疑者の胸ぐらを掴むと、血管を浮き出るほど握り締めた拳を振り上げた。

「ギャアアア! なんだよぅ!!」

 ――まずい、殴る!

「落ち着いて下さい! 菅野さん!!」

 振り上げている菅野の腕を取って阻止した。すると男の胸から手を離した菅野は、キッとこちらを睨むと今度は俺の首を絞めた。

「――ッ!? ……ぐ、ぁ……か、かんの……」

 左手だけでこの強さ。利き手か両手なら、確実に骨をへし折られるだろう。俺は顔を真っ赤にして、必死に目を開けて視線で訴えた。

『や め て く れ』

 今にも俺を殺しそうな、血走った、ナイフのような、最近は見なくなったと思ったあの眼に、今は殺意さえ含まれている。

「……か、菅野さ……どう、し……て」

 ――なんで、そんな眼で、俺を見る?

 ***

 被害者の男性は一命を取り留めたらしく、殺人未遂として調べを進めている。ただ、突然理性を失った菅野に被疑者を任せるのは危険なので、取り調べは俺が担当することになった。それは菅野自身の判断である。

 菅野の殺気に怖気付いた被疑者はそれから一切反抗する様子を見せず、聴取にも素直に応じた。魂の抜けたような表情から、よほど恐ろしかったのだと窺える。なんとなく、この男が再び罪を犯すことはないだろうと思った。

 男を留置場へ入れて一段落したあと、菅野を探した。署に戻ってから姿を見ていない。署内をひと通り見て回り、最後に屋上へ行ってみたら、ベンチにうなだれて座っている菅野の後姿を見つけた。

「……菅野さん」

「……どうだった」

「自供しました。被害者の病院には島村と大沢さんが行ってくれてます」

「そうか」

 まだ火を点けて間もないだろう煙草を、菅野は灰皿に押し付けた。

「あの、……さっきの、は……なんだったんでしょうか……」

「悪かった」

「いえ、いいんですけど……」 

 菅野は額に手を添え、すっかり憔悴した様子で深い溜息をつく。理性を失った理由を本人だけは分かっているようだ。それだけに無理に問い詰めることができなかった。菅野はただ、念仏のように「悪かった」と繰り返した。

 十五年前、菅野に何かがあったはずだ。そしてその時に、伯父と菅野が出会ったのだろう。俺だけに向けられるあの眼と、理性を失ったことと、何がどう関係があるのか。

 十五年前、十五年前、……十五年前の事件……。


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