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菅野の過去1

 冷え込みがきつくなり、早朝に起きるのが辛くなってきた晩秋の頃。こんな時期の休日は朝から夕方まで布団の中で過ごすのが至福の時だが、今日は午前中に予定があるのでセットしておいたアラームより早く目が覚めた。
 地味めの服を選んで、あらかじめ用意しておいたものを持って車に乗り込む。道中、普段なら気にも留めない花屋の前で車を停めて、気持ち程度の仏花を買った。

 空気がひんやりとした爽やかな秋晴れ。清々しくもどこか寂しさを感じる中、俺が向かったのは祐之介の実家である。祐之介の葬儀は家族だけで簡素に行われたらしく、いまだ弔問できずにいたところ、改めて伺いたいと連絡を取ったら了承してくれた。電話口での祐之介の母は気丈に振る舞っていたが、どこか覇気のない声は誤魔化しようがなかったと思う。
 午前十時頃に到着して、呼び鈴を鳴らすと母親が現れた。記憶の中にぼんやりとあった祐之介の母は、あいつに似て色が白い小柄な美人だ。けれど、俺を出迎えた彼女は美人であることに変わりはないが、年齢の所為なのか、それともこの数ヵ月で受けた打撃の所為なのか、老いが目立った。

「ご無沙汰しております。お電話差し上げました、野田です」

「まあ……『みっちゃん』ね?」

 いきなりあだ名を呼ばれて苦笑しながら「はい」と頷いた。祐之介しか呼ばないあだ名を、あいつとそっくりな母親に呼ばれると胸の奥がむず痒くて切ない気持ちになった。

「わざわざ、ありがとうございます。さ、どうぞ入って」

 大理石調の洒落た玄関から右奥へ進み、リビングダイニングへ通された。祐之介の仏壇はそのリビングの隅にあった。よくある仰々しいものではなく、家具の一部のような小さな現代仏壇だ。仏壇の隣にあるローテーブルに持参した菓子折りを供え、あとは形式的に線香を上げて、手を合わせた。遺影は葉書サイズの写真立てに入れられていて、ひっそりと飾られている。写真はおそらく大学時代のものだろう。歯を見せて穏やかに笑っている。いつも見ていた笑顔のはずなのに、まったく別の人間のように思えた。

「お茶、どうぞ」

 母親に勧められてダイニングテーブルへ移動する。改めて向かい合うと緊張して顔を見られなかった。そのまま頭を下げて「この度はご愁傷様でした」と、お決まりの挨拶をする。

「お墓はまだなの。慌てて用意することはないってお坊さんが言って下さったから。綺麗なお花をありがとう」

「納骨されたら、また参ってもいいですか」

「勿論よ、ありがとう」

「……瑞樹くんのこと、祐之介からよく聞いていたんですよ」

 チラリと母親の顔を見ると、泣きそうな顔で微笑んでいた。

「……祐之介くんにはいつも助けられていました」

「あら、助けられていたのは、祐之介のほうでしょ? あなたが不良たちに絡まれている祐之介を助けて下さった時のことを、本当に嬉しそうに話していたの。それからもずっと仲良くして下さって、ありがとうございます」

「いえ、本当に、いつも助けてもらっていたのは、僕のほうなんです……」

 自分のことばっかりで、あいつの苦しみに気付いてやれなかったんです。
 それを口にできない俺は、ずるいだろうか。

「あの子の好きな人って、瑞樹くんよね?」

「えっ?」

 俺はそこでようやく顔を上げた。目が合うと優しく微笑みかけられた。

「ごめんなさいね、あの子のスマートフォン、見ちゃったの。瑞樹くん宛てのメールも」

 自死したあとに届いたメールのことだ。あれを事情を何も知らない人間が読んだらどう捉えるのだろう。前もって想いを知っている俺には愛の告白と思えるが、祐之介の指向を知らない人間には、すごく仲の良い親友への友情の証と思うかもしれない。母親なら尚更、息子がゲイだなんて考えてもみないだろうし、仮に気付いたとしても受け入れがたい事実のはずだ。だから、祐之介の母がさも当然のようにあっさりと、俺を「息子の好きな人」と断定していることが驚きだった。俺は答えようがなく、目を泳がせた。

「責めてるんじゃないのよ」

 その言葉に胸を撫で下ろす自分がいる。

「祐之介に好きな人がいるっていうのは、ずーっと前から知っていたのよ。本人の口からその名前をはっきり聞いたことはないんだけど。メールを見て、瑞樹くんのことだって、分かったの」

「……あの……驚きませんでしたか」

「何を?」

「僕は男だし……」

「あなたを好いていることには驚かなかったわ。男の人が好きって聞いた時は驚いたけど」

「……知ってたんですか?」

 それは思いもよらない打ち明け話だった。

「いつだったかしら。確か大学生になって暫く経った頃よ。あの子ってば年頃になっても浮いた話のひとつもないから、彼女はできたの? って、からかい半分で問い詰めたことがあったのよ。わたしがあんまりしつこいから、自棄もあったんでしょうね。『僕、恋愛対象は男の人なんだ』って言われて。勿論、はじめは信じなかったし、認めたくなかった。だけど、真剣に悩んでいることを聞いているうちに、わたしだけは偏見を持つのを止めようと思ったの」

 自分の親に、自分の悩みを打ち明けることがどんなに勇気のいることか、俺には分かる。バーのマスターみたいな顔見知り程度の関係のほうが、よっぽど言いやすい。それはあくまで他人事であって客観的に見てもらえるし、あまり重く受け止められないからだ。だけど親は違う。自分と同じように悩んで、重く受け止めて、時にはひどく拒否する。それを目の当たりにするのは、正直言って怖い。この歳になってもだ。

 祐之介の場合、きっかけが自棄だったとしても、昨日今日の思い付きで言えるような内容じゃない。きっとそれよりずっと前から打ち明けるかどうか悩んだはずだ。実際、口にするのもすごく勇気がいったことだろう。

「失礼を承知で聞いてもいいかしら」

「え……はい」

「あの子の気持ちを、瑞樹くんは知っていたのかしら?」

「……は、い。……でも、嫌悪を抱いたことは一度もありません」

「そう、良かった。あなたにとって祐之介は、友人のひとりだった……?」

「裕は……、僕の、親友です。たぶん、一生。彼のような友人は今後も現れないと思います。……すみません、僕は、」

「いいのよ。それを聞いただけで充分だわ。あの子もきっと喜んでる」

「……」

「あの子は、人を見る目はあったみたいね」

 寂し気な笑顔が罪悪感として心に深く刺さった。結局、俺はまた嘘をついた。
 いつか祐之介が、俺の強さを羨ましいと言った。
 強くなんかない。あいつのほうが、ずっと強い。俺はいつも本心から逃げてばかりいる。今の俺を祐之介が天国から見ているとしたら、きっとひどく幻滅しているに違いない。祐之介の真摯な想いを拒んでおきながら、嫌いなはずの上司とセックスをしては乱れまくっている。こんな嘘つきで、卑怯で、臆病な俺を、きっとあいつは許してくれない。

 目を閉じてみる。蘇る残像は、まだあの日のままだ。


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