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 どうしても勝てない奴がいる。
 今日こそは、今日こそはと勝負を挑み続けて、もう一年。
 差は縮まるどころか、どんどん開くばかり。

 ――あと少し、今日は……どうだ!?

 全力で泳ぎ切って水の中から顔を出した。

「26秒53、27秒57!」

 はあはあと激しく呼吸を乱している俺の隣で、麻生は涼しい表情で俺を見下ろしてニヤリと微笑した。

 ――今日も負けた。

 小さい頃から水泳が好きで、五歳から十四歳まで近所のスイミングスクールに通っていた。特別実績のあるスクールではなかったけれど、「好きこそものの上手なれ」と言うもので、教えられたことは着実に自分のものにして、進級試験に落ちたことは一度もなかったし、大会でもそれなりの成績を残してきた。

 学校の水泳の授業では、いつもみんなの模範。水泳大会なんて英雄扱いだった。高校受験を理由に一度離れてしまったが、高校に入学してから迷うことなく水泳部に入った。高校の水泳部でも英雄になれると思っていた。

 けれども、現実はそう簡単にはいかなかった。入部して驚いたのはまず、みんな体格が良過ぎることだった。先輩は勿論、同学年の奴ですら俺より逞しい肉体を持っている。背も高いし、全体的にスリムでありながらがっしりした奴が多い。中でも麻生和弘は高校生とは思えないほど精悍な体つきをしている。キュッと引き締まった腹や腰、いやらしくない程度に筋肉を全身に纏っている。しかも泳ぎが上手くて速い。

 初めて麻生の泳ぎを見た時、瞬時に「負けた」と思った。実際に競ってみても見事惨敗。一度でいいから勝ちたくて毎日勝負を挑んでいるけれど、いまだ勝ったことがない。

「もうあきらめろよ。お前は俺には絶対勝てないって」

 少し小馬鹿にして笑いながら言う麻生は、本当に憎たらしい奴だ。

***

「やー、でも実際、無理だと思うよ。在原だけじゃなくて、みんな勝てないんだもん。あいつには」

 夏休みの部活帰りは、学校の近くのコンビニでアイスを買うのが部員の決まり事になっている。今日はオーソドックスにガリガリくんをいただくことにする。

「顔良し、頭良し、スポーツ万能、高身長、こんな出来た人間がいるもんだよなぁ」

「……あの高い鼻をへし折りたい」

 コンビニの前のベンチで佐藤とアイスをかじっていると、自転車を押して歩いてくる麻生が前方に見えた。遅れてアイスを買いにきたらしい。すると、あとから走って来た女の子が麻生を呼び止めた。暫く二人は木陰で話をしていて、麻生がペコリと頭を下げると、女の子は俯いてトボトボと去っていった。
 一部始終を見ていた俺と佐藤は「告白だな」と決め付けて、その内容をあれやこれやと予想した。女運のない野郎どものやっかみだ。俺たちがアイスを食い終わった頃に到着した麻生は、あからさまに機嫌を損ねていた。

「お前ら、片付けほったらかしにしやがって。今日の鍵当番は誰だよ」

「いいじゃん、麻生は女にもモテて青春謳歌してんだから、後片付けくらいしてくれたっていいだろ」

「滅茶苦茶だな。さっきの見てたのかよ」

「だって目の前にいたんだもん。知らない子だったけど後輩とか?」

「一年って言ってたけど、俺も知らない。知らない奴に告られても断るしかないだろ」

「モテる奴は違うね。なんて断ったの?」

「好きな奴がいるから」

 麻生の答えに、その場が一瞬シンとした。沈黙を破ったのは、佐藤だった。

「麻生って好きな子いるの!? 誰、誰!?」

「テイのいい嘘に決まってるだろ」

「なーんだ」

 そのわりに迷いのない言い方だった。俺は本当に麻生には好きな奴がいるんじゃないかと思う。相手が誰か分かれば、麻生の弱みを握れるのに。そんなことを考えてしまった俺は、たぶん腹黒い。麻生と目が合った。麻生は俺が咥えているアイスの棒を抜くと、「おっ、当たりじゃん」と嬉しそうに呟いた。

「いや、それ俺のだから」

「食ったんだろ」

「もう一本食うんだよ」

「そんな薄っぺらい腹して、下すぜ。ただでさえヒョロッちいんだから」

「関係ないしね」

「鍵当番サボったくせに」

 麻生は不敵に笑うと、そのまま当たり棒を持って店内に姿を消した。

 ***

 翌日、いつも通りに部活に出たら佐藤が泣きべそをかきながら俺にすがりついてきた。何事かと訊ねたら、どうやら好きな子にフラれたらしかった。

「麻生が告られてんの見て羨ましくて、おれも頑張ってみたんだよ~。でも駄目だった」

 プールサイドでめそめそ泣いている姿が気の毒で、俺は随分長いあいだ佐藤を慰めてやった。慰めたと言っても話を聞いてやって「元気出せよ」とかお決まりの言葉を並べるだけだ。傷心だと月並みの言葉でも響くものがあるのか、やがて気持ちが落ち着いたらしい佐藤は、

「在原は優しいよな……。お前が女だったら良かったのに」

「フラれたからって変なこと言うなよ」

「在原!俺とつきあって!」

 もちろん冗談であるが、いきなり抱き付かれたのに驚いて、逃れようとした際、佐藤に水着をひっぱられて尻が半分出てしまった。

「わっ!何すんだよ!」

「ごめんごめん!わざとじゃないから!」

 仲のいい男同士だから笑って済ませられるのだ。近くに女子部員がいなくて良かった。
 思いがけないハプニングにすっかり元気を取り戻した単純な佐藤は、プールサイドに散らばる部員たちに向かって叫んだ。

「在原のケツめっちゃ白いんですけどー!」

 部活後はいつも通り、コンビニにアイスを買いに行った。今日は甘いものが食べたいのでイチゴ味のアイスクリームにする。金を払おうとしたところで財布を更衣室に忘れたことに気が付いた。

「財布忘れたから、取ってくるわ」

「貸すぜ」

「どうせあとで戻るから」

 急いで学校へ戻り、プールサイドを通って更衣室に向かった。駄菓子屋に麻生はいなかったので、まだ更衣室にいるのかもしれない。ドアノブに手を掛けた時、中から妙な息遣いが聞こえた。不審に思ってドアをそっと開ける。隙間から見えたのは更衣室の隅でまだ水着のまま座っている麻生だった。だが、ただ座っているだけじゃない。ずらした水着から現れた物騒なものを握って、必死に手を動かしている。

 ――何やってんだ、あいつ!?

 生々しく聞こえる水音、苦しそうで恍惚とした表情。
 目の当たりにした事態が衝撃的すぎて、暫くその姿に釘付けになってしまったが、ふいに我に返って俺は慌てて逃げた。駄菓子屋にも戻らずまっすぐ自宅に向かって走り、部屋に入るなり布団に潜り込んだ。

 ――なんであいつ、あんなとこであんなことしてんだ?
    なんだよ、あのうっとりした顔!
    あいつ、いつもヤるときあんな顔してんのかよ!
    つーか、俺もなんで野郎のシコッてる姿に興奮してんの?
    頭おかしいだろ!

「くそっ……麻生のばか……っ」

 勝手に暴走している自身を早く鎮めなければと、下着の中に手を入れた。自分でも驚くほど硬くなっている。

「ん……っ、く、」

 ――畜生……なんで……ちくしょう、チクショウ、……ちくしょ―――ッ!

 何がなんだか分からなくて脳みそがぼんやりしている中、手の平に載った白濁液を見て、俺は最低なことを考えた。

 ――……麻生の弱味を握ったかもしれない。





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