罠4
***
翌日、出勤したらさっそく取調室に呼ばれた。念のためとはいえ、まさか自分が聴取される側になるとは思わなかった。ひとりで待っていると、現れたのは菅野だけだった。昨日の今日でこの上なく気まずい。そして動揺しているのは、やっぱり俺だけ。菅野は普段通りの横柄な態度で俺の前に座り、足を組んだ。暫く見つめられる。視線が痛い。とても目を合わせられなくてずっと机を見ていた。
「いくつになったんだ」
「え?」
「誕生日だったんだろ」
「……二十九です」
「若ぇな」
「……菅野さんはおいくつでしたっけ」
「三十五だ」
確か警部になったのは二年前だから、三十三で警部になったのか。やっぱり仕事もできればアタマも良いんだろう。
「この歳になったら誕生日が来ても嬉しいもんじゃねぇわな」
「はあ。祝ってくれるような人間もいないんで」
「祝ってやろうか。プレゼントは調書の山だ」
「けっこうです」
菅野は俯き加減でクク、と笑った。あまり見ない光景なので思わず見入ってしまった。というより、こんな穏やかになんでもない会話をするのが珍しい。もしかしたら菅野なりに気を遣ってくれているのかもしれなかった。どんな風の吹き回しか知らないが、気まずさはどこかへ消えた。俺が落ち着いたのを察したのか、菅野は本題に入った。
「お前の友達、遺書の筆跡も本人のものらしい。別に今更聴取なんかしなくてもいいと俺は思うんだけどな。まぁ、一応だ。答えたくなければ答えなくていい」
「……」
「仲は良かったのか」
「中学からの……友人です」
なんで菅野が急にそんな風に、俺に気遣うのか不思議で仕方ない。てっきりオラオラ言われるもんだと思っていた。思いがけない物腰の柔らかさにあっさり絆されて、俺は聞かれてもないのに祐之介とのことを、ほとんどすべてを、打ち明けた。
出会いも、お互いの性格も、付き合いも、祐之介の悩みに気付いてやれなかったことも、俺があいつをどう思っていたのか、あいつが俺をどう思っていたのか、全部話した。
菅野はただ黙って、時々足を組み替えたり鼻をかいたりしながら、そして合間合間に相槌を打ち、聞いてくれた。
何故だか急に泣きそうになった。というか、泣いた。祐之介の死を悲しんでというより、いつも粗野で乱暴な菅野が俺の話を聞いているということに感動したからだ。ケースバイケース。被疑者によってその時その時でやり方を変えているというのは知っていたけれど、これもそのひとつかな、とか考えた。
「惜しい奴を亡くしたな」
「……最後に祐之介に会った日、抱いてくれって言われたんです。だけど、そんな長い付き合いの友人にすら、俺は自分の性的指向を打ち明けられずにいたんです。その時が打ち明けるチャンスだったのかもしれない。あいつだって、勇気を振り絞って言ったはずだ。でも俺は、拒みました。……男を抱く趣味はないからって」
「……まあ、間違ってはないな」
ばつの悪さについ噴き出してしまう。
「すごく冷たい言い方だったと思う。あいつも目に涙をいっぱい溜めて、それでも無理やり笑ってごめんねって。……もしかしたら、あの時あいつを抱いてたら、あいつは死ななかったかもしれない。そればっかり考えちゃうんです」
「……」
「菅野さん、俺はあの時、……抱いてやれば良かったんでしょうか」
菅野は俺を見つめ、少しばかりの沈黙のあと、言った。
「お前の取った言動が正しいか正しくないかは分からんが、そいつが自殺したのはお前のせいじゃない。それこそ突き放す言い方になるけど、考えても仕方のないことなんだ。もしお前が望み通りに抱いたとしても、そいつは結局死んだと思うぜ。それはそれでお前はまた後悔するはずだ。お前にできるのは悔やむことじゃなくて、そいつにしてやれなかったことを、どこかでしてやることなんじゃねぇのか」
腕時計に目をやった菅野は「戻るぞ」と、切り上げた。
「後半は聞かなかったことにしてやる」
菅野は席を立ったが、俺はまだ腰が重く、立ち上がれなかった。いったん背を向けた菅野が振り返り、俺に何かを放り投げた。キャッチしたそれは、新品のスマートフォンだった。
「てめぇ、電話ぶっ壊したら連絡取れねぇだろうが。緊急の事件が入ったらどうするんだ」
「あ……はい。すみません。あっ、お金」
「いらん。その代わり今度ぶっ壊したらタダじゃおかねぇからな。今すぐ電話会社行って、手続きしてこい」
そう言って去った菅野は、いつものぶっきら棒で粗野な男だった。遠回しに刑事を辞めるなということだろうか。真新しいスマートフォンを起動させる。まだ何のデータも入っていない。改めて島村から渡された以前のデータが入ったカードを持って、電話会社へのこのこ足を運んだ。
いつかまた目を瞑れば祐之介の顔を容易に思い出せる日が来るはずだ。その時が来たら墓前で色々話をしよう。そんなことを考えながら、今だけ泣く自分を許してやろうと思う。
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翌日、出勤したらさっそく取調室に呼ばれた。念のためとはいえ、まさか自分が聴取される側になるとは思わなかった。ひとりで待っていると、現れたのは菅野だけだった。昨日の今日でこの上なく気まずい。そして動揺しているのは、やっぱり俺だけ。菅野は普段通りの横柄な態度で俺の前に座り、足を組んだ。暫く見つめられる。視線が痛い。とても目を合わせられなくてずっと机を見ていた。
「いくつになったんだ」
「え?」
「誕生日だったんだろ」
「……二十九です」
「若ぇな」
「……菅野さんはおいくつでしたっけ」
「三十五だ」
確か警部になったのは二年前だから、三十三で警部になったのか。やっぱり仕事もできればアタマも良いんだろう。
「この歳になったら誕生日が来ても嬉しいもんじゃねぇわな」
「はあ。祝ってくれるような人間もいないんで」
「祝ってやろうか。プレゼントは調書の山だ」
「けっこうです」
菅野は俯き加減でクク、と笑った。あまり見ない光景なので思わず見入ってしまった。というより、こんな穏やかになんでもない会話をするのが珍しい。もしかしたら菅野なりに気を遣ってくれているのかもしれなかった。どんな風の吹き回しか知らないが、気まずさはどこかへ消えた。俺が落ち着いたのを察したのか、菅野は本題に入った。
「お前の友達、遺書の筆跡も本人のものらしい。別に今更聴取なんかしなくてもいいと俺は思うんだけどな。まぁ、一応だ。答えたくなければ答えなくていい」
「……」
「仲は良かったのか」
「中学からの……友人です」
なんで菅野が急にそんな風に、俺に気遣うのか不思議で仕方ない。てっきりオラオラ言われるもんだと思っていた。思いがけない物腰の柔らかさにあっさり絆されて、俺は聞かれてもないのに祐之介とのことを、ほとんどすべてを、打ち明けた。
出会いも、お互いの性格も、付き合いも、祐之介の悩みに気付いてやれなかったことも、俺があいつをどう思っていたのか、あいつが俺をどう思っていたのか、全部話した。
菅野はただ黙って、時々足を組み替えたり鼻をかいたりしながら、そして合間合間に相槌を打ち、聞いてくれた。
何故だか急に泣きそうになった。というか、泣いた。祐之介の死を悲しんでというより、いつも粗野で乱暴な菅野が俺の話を聞いているということに感動したからだ。ケースバイケース。被疑者によってその時その時でやり方を変えているというのは知っていたけれど、これもそのひとつかな、とか考えた。
「惜しい奴を亡くしたな」
「……最後に祐之介に会った日、抱いてくれって言われたんです。だけど、そんな長い付き合いの友人にすら、俺は自分の性的指向を打ち明けられずにいたんです。その時が打ち明けるチャンスだったのかもしれない。あいつだって、勇気を振り絞って言ったはずだ。でも俺は、拒みました。……男を抱く趣味はないからって」
「……まあ、間違ってはないな」
ばつの悪さについ噴き出してしまう。
「すごく冷たい言い方だったと思う。あいつも目に涙をいっぱい溜めて、それでも無理やり笑ってごめんねって。……もしかしたら、あの時あいつを抱いてたら、あいつは死ななかったかもしれない。そればっかり考えちゃうんです」
「……」
「菅野さん、俺はあの時、……抱いてやれば良かったんでしょうか」
菅野は俺を見つめ、少しばかりの沈黙のあと、言った。
「お前の取った言動が正しいか正しくないかは分からんが、そいつが自殺したのはお前のせいじゃない。それこそ突き放す言い方になるけど、考えても仕方のないことなんだ。もしお前が望み通りに抱いたとしても、そいつは結局死んだと思うぜ。それはそれでお前はまた後悔するはずだ。お前にできるのは悔やむことじゃなくて、そいつにしてやれなかったことを、どこかでしてやることなんじゃねぇのか」
腕時計に目をやった菅野は「戻るぞ」と、切り上げた。
「後半は聞かなかったことにしてやる」
菅野は席を立ったが、俺はまだ腰が重く、立ち上がれなかった。いったん背を向けた菅野が振り返り、俺に何かを放り投げた。キャッチしたそれは、新品のスマートフォンだった。
「てめぇ、電話ぶっ壊したら連絡取れねぇだろうが。緊急の事件が入ったらどうするんだ」
「あ……はい。すみません。あっ、お金」
「いらん。その代わり今度ぶっ壊したらタダじゃおかねぇからな。今すぐ電話会社行って、手続きしてこい」
そう言って去った菅野は、いつものぶっきら棒で粗野な男だった。遠回しに刑事を辞めるなということだろうか。真新しいスマートフォンを起動させる。まだ何のデータも入っていない。改めて島村から渡された以前のデータが入ったカードを持って、電話会社へのこのこ足を運んだ。
いつかまた目を瞑れば祐之介の顔を容易に思い出せる日が来るはずだ。その時が来たら墓前で色々話をしよう。そんなことを考えながら、今だけ泣く自分を許してやろうと思う。
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