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罠2

 ―――

 目が覚めると、俺は自宅ではなく署の保護室にいた。塀と檻に囲まれた薄暗い小部屋である。一応、薄い布団の上に寝かされているらしい。ズキズキと痛む腹を擦りながら、上半身を起こした。

「トラ箱かよ……。酔っ払いじゃねんだから……」

 ちょうど島村が様子を見に来た。

「野田さん、目、覚めましたか」

「なんで俺、ここで寝てんの?」

「菅野さんの鉄拳まともに喰らったんだから、そりゃ気絶するでしょう」

「俺、警察官じゃなかったら絶対あいつのこと殺してる……」

「警察官で良かったですね。菅野さんも」

「……祐之介……今日の仏は?」

 島村はその質問をされるのを恐れていたかのように、途端に表情を曇らせた。

「自殺の可能性が高いです」

「遺書は?」

「テーブルの上にありました。今、筆跡鑑定出してますけど……」

「……内容は?」

「仕事で相当悩んでたみたいです。人間関係が上手くいかなくて、ストレスに堪え切れなかったようで……。抗不安薬も出てきました」

「え……鬱……?」

「軽いものと思われますが」

 なんで気付いてやれなかったんだろう。あいつのことだから、どうせ俺に心配かけまいとして、……いや、

 ――僕なんか、全然駄目だ。上司に叱られるとすぐ縮こまっちゃうし、自信が持てないし。せめて、みっちゃんみたいに期待されてたらな。――

 ――期待してない人には、なんにも言わない。放置だから。――

 祐之介は、言いたかったんじゃないのか。自分も悩んでる、苦しいんだと言いたかったんじゃないのか。なのに俺がいつも自分のことばかり話すから、言い出せなかったんじゃないのか。……違う。俺は、気付いていた。気付いていたのに、深く考えなかっただけだ。本当に辛いなら自分から話すはずだと自分本位な考えで決め付けていた。本当に辛いなら、祐之介なら、言えない。だって俺と性格が反対だから。
 なんでそんな初歩的なことに気付かなかったんだ。

「野田さん、メール見ましたか? スマホの」

「……え?」

「念のためですけど事情聴取されると思います」

「だろうな……」

「明日もゆっくり休んでください。菅野さんが、休ませてやれって。あの人も優しいところあるんですね」

 島村はそう言って、保護室を去った。枕元に置かれているスマートフォンを手に取る。普段は電話とアプリトークくらいしか使わないので、メールの存在なんて気にも留めない。数件の新着メールはほとんどが迷惑メールで、その中の一件だけ、「筒井祐之介」から届いていた。受信日時は、今日の正午。友人から電話が掛かってきた直後である。祐之介の死亡推定日は発見より五日前と聞いた。送信予約をしていたらしい。俺は震える親指で、そのメールを開いた。

『みっちゃん

このメールが届く頃、僕はこの世にいないかもしれない。気味悪がらせてごめんね。どうしてもこの日、みっちゃんに伝えたいことがあった。
みっちゃん、遺書にも書いたけれど、僕はもう生きていく気力がない。昔から僕は引っ込み思案で勇気がないけれど、ここまで弱くて情けない人間だと思わなかった。心底、自分に絶望しているよ。ずっと前から死のうと思ってた。だけど、なかなか死ねなかった。みっちゃんに会えなくなるのだけが辛かった。
僕はみっちゃんが好きだよ。強くて優しくて、ちょっと素直じゃないところも、みんな好きだ。だから僕は出会ってから十六年間、ずっとみっちゃんにくっついてきた。だけど、それじゃ駄目だと思った。自立しなきゃいけない。ひとりで立ち向かう勇気を持ちたかった。
そしてその結果、僕は、死を選ぶ。
情けないと罵って。みっちゃんに迷惑を掛けたことを恨んで。
ごめんね、死体の処理は大変なのに。
今までありがとう。さようなら。大好きです。
それから、誕生日おめでとう。直接言えなくてごめんなさい。

 祐之介』
                                    


 お前はひどい奴だな。

 俺には礼も言わせないのか。止めさせてくれなかったのか。
 謝らせてくれないのか。
 あの時、俺はどうすればよかったんだ。
 抱いてくれと言われた日、俺はお前を抱けばよかったのか。友情か愛情かの区別もないまま上辺だけで「俺も好きだ」と囁いていれば、お前は満足したのか。
 ……他にも方法はあったはず。どうして俺はあんな突き放した言い方をしたのだろう。祐之介のことだから、きっとものすごく勇気を振り絞って言ったに違いない。それを、一番傷付ける言葉で、踏み躙った。抱くことは出来なくても、抱き締めてやるくらいはできたんじゃないのか。親身になって話を聞いてやることだって。

「くそッ!!」

 スマートフォンを思い切り投げた。目の前の柵のあいだをすり抜け、遠くの壁にぶつかって、虚しく落下した。もう何も考えたくない。

「……刑事、辞めようかな……」

 ***

 翌日は朝から晩までベッドから一度も出なかった。いつもは午前十時頃にいったん起こしにくる母親も、祐之介の自死を伝えてから気を遣ってくれているのか、部屋に入ってこない。眠ったり目が覚めたりを繰り返し、浅い眠りの中で「全部嘘だよ、騙してごめんね」と言う祐之介に心底ホッとしながら一緒に笑い合い、それが夢だったことに気付くと、もう眠ることも嫌になって午後八時にようやくベッドから下りた。
 母親に「出掛けてくる」と残して、財布だけ持って家を出た。マツムシが鳴く暗い細道をふらふらと歩き、向かったところはいつものバーだ。
 マスターは、憔悴した俺をひと目見るなり何かを察し、いつものカウンター席に腰を下ろすと、おもむろにカクテルを置いた。ブラックベリーバジル・フィズは、祐之介が好んで飲んでいたものだ。

「……知ってたの?」

「風の便りで」

 どんな風だ、と訊ねるのも億劫だった。
 ひとりになりたくなくて来たのにひとりになりたくて、俺は話し掛ける暇も与えないほど浴びるように酒を飲んだ。グラスを空ける度に店内から客がひとり、ふたりと消えていき、時間の間隔が狂った頃、店に残ったのは俺だけだった。この時を見計らったかのように、マスターがようやく俺に声を掛けた。

「そんなに飲んで大丈夫ですか?」

「酔えないんだ」

「その辺で止めておきましょう。帰り道で倒れたりしたら大変ですよ」

「そしたら、またトラ箱行きだな」

「また?」

「こっちの話」

 いつも酔ってフラフラになった時は祐之介が腕を支えてくれたっけ、と考えると、突然涙が溢れた。

「……野田さん」

「マスター、裕はなんで死んじゃったんだろう」

 いい歳した男が、涙も鼻水も流して泣く姿はなんて惨めで滑稽なんだ。いっそ笑ってくれたらいいのに、マスターは優しく微笑を浮かべて相槌を打っている。

「野田さんは何も悪くない」

「だけど、どこかで責任を感じずにはいられないよ。友達失格だ」

「祐之介くんがそんな野田さんを見たら、天国で哀しみますよ」

「じゃあ死ぬなって話だよ」

「こればっかりは、本人の気持ちは本人にしか分かりませんからね。でも野田さんは悪くない。それだけは言えますよ」

「あいつ、ひとりで寂しくないのかな」

 俺は寂しいよ。

「これから誰と飲めばいいんだよ」

 一生ひとりで飲むなんて御免だ。

「マスター、俺、どうしたらいい?」

 そんなことを聞かれても、マスターは困るだけだ。せいぜい気を落とさずに、としか言いようがない。それでも誰かに、この寂しさと無念を紛らわす方法を教えて欲しかった。マスターは皿を丁寧に拭きながら考え込んだあと、無難な提案をした。

「恋人を作るとか」

「……無理、だって女に興味ないもん」

 驚くかと思ったが「そうなんですね」と、マスターはまるで戸惑いもしなかった。こういう仕事をしていたら色んな人間に出会うだろう。マスターにとっては珍しいことじゃないのかもしれない。けれど、こうもあっさり受け入れられると、今まで隠してきた努力はなんだったんだ拍子抜けする。

「同性の恋人でもいいじゃないですか」

「セフレはできたとしても特定の奴と付き合うなんて無理だよ。そもそも同性愛に将来性がない」
「今日び、珍しいことじゃありませんよ。ジェンダーレスなんて言葉ができたくらいですから。むしろ、そっちのほうが都合がいいです」

「なんの」

「いい人がいるんですけど、紹介しましょうか。野田さんに合うと思います」

 半信半疑でマスターを見つめた。本音の視えない男だ。いつもは優しく見える微笑も、突然腹黒いものに思えてきた。大体、親友を失くして落ち込んでいる人間に男を紹介するってどんな慰め方だ。おかげで涙は止まったけれど。……どうせ口だけだろう。「それじゃあ、また相手に聞いておきますね」とか言って流れるパターンだ。それなら適当に乗っておいてやるか、と俺はあしらうつもりで言った。

「本当にそんなのいるなら喜んで受けるよ」

 いないだろうけど、と続けようとしたら、

「じゃあ、ちょっと待ってて下さい」

「えっ?」

 マスターはいったん店の奥に引っ込んだ。暫くして話し声が微かに聞こえてきたので、電話をしているのだろう。まさか、その男に? 嘘だろ? 話が急すぎるだろ。そんなすぐに会う気分になれないし。
 ニ十分程経って戻ってきたマスターは、俺にメモ用紙を一枚差し出した。
『グランドホテル六〇一号室』と走り書きされている。

「そこに行って下さい。その人が部屋を取って待っててくれますから」

「い、今から!?」

「僕は即行動派なんです」

「あんたがそうでも!」

「その人も仕事が終わったところだと言ってたので丁度いいです。その人の仕事、不規則なんで。野田さんも明日は出勤でしょ? 今日しかチャンスはないです」

「……え、と、その人の名前は?」

「フロントで六〇一の連れだと伝えて下されば通してくれるはずです」

 ――大丈夫かよ。なんかあったら警察に通報してやる。いや、警察は俺か。しまった。警察手帳がない。スマホもぶっ壊した。何かあったら自業自得ということか。

 散々、逡巡した挙句にマスターにさっさと行けと背中を押されて、俺は戸惑いながら店を出た。足はホテルに向かっているが、いまだ決心が付かずにいる。辺りを見渡すと昼間に栄えるブティックやカフェは閉まっていて、代わりに飲み屋が並ぶ横丁が活気づいている。一体、今何時だ。スマートフォンを壊したことを後悔した。
 指定されたホテルは、賑やかな街中から一本道を外れたところにある。年月を感じさせるそのホテルは暗闇の中で不気味に建っていた。フロントで「六〇一の連れの者です」と伝えると、マスターの言う男は既に部屋で待っているらしく、すんなり通された。
 なんでこんな展開になってるんだろう。顔も名前も知らない男といきなりホテルで会うってなんだよ。部屋の前で暫く立ち尽くした。

 ――どうしようか、逃げようか。だけど逃げて、それからどうする。結局またひとりで落ち込むしかないのだ。とりあえず会ってみよう。いざとなったらブン殴って逃げればいい。

 腹をくくり、インターホンを押した。ものすごい速さで心臓が波打っている。数秒後、扉が開かれた。視線を落としていた俺の視界に最初に入ったのは、焦げ茶色のローファー。ゆっくり視線を上げるとやたらでかい男と目が合った。その瞬間、背筋が凍り付き、思考回路が完全に遮断された。

「――……か、菅野……さん」

 俺を待っていた男は、菅野康介だった。
 菅野は眉ひとつ動かさない。まるで俺が来ることを知っていたかのように、まっすぐこちらを見ている。菅野が咥えている煙草を口から外すと同時に金縛りが解けて、俺は後ずさりをした。そのまま走り去ろうとしたが、襟ぐりを掴まれて部屋の中に引き摺り込まれる。
 犯罪者に殺される直前の被害者の気持ちが分かってしまった。
 絶望。この世の終わり。
 
 ――嵌められた。

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