槙田 慎二 2
***
「今日の世界史、視聴覚室だってよー!」
どこからか聞こえた知らせに、みんなざわざわと教室を出ていく。
トイレから戻ったばかりの俺はまだなんの準備もしていない。
一足遅れて教室を出ようとしたら、
「……あの、さ」
「え?」
「視聴覚室、分からないんだけど……付いて行っていいかな」
初めて平野に話し掛けられた。
というか、平野が話しかけた人間って俺が初めてじゃねーか? と、驚きで暫くかたまった。
「……ねぇ」
「あっ、ごめん、視聴覚室な!うん、一緒に行こうぜ」
平野はホッとしたように、それはそれは不器用に微笑した。
「学校慣れた? 部活はなんか入った?」
「あんまり……。部活もまだ入ってない」
相変わらず最低限の答え。
「……この学校って、最近できたの?」
「へっ? あ、そだな。歴史は新しいかな」
「設備が新しくてちょっと戸惑う……。前の高校は古かったから」
平野が喋ってる、と感動する俺。
今がチャンスと、ここぞとばかりに話し掛けた。
「香川ってどんなとこ? こっちきてからうどん食った? やっぱ全然違う?」
「田舎だよ。なんにもない。こっちきてからうどんは……食べたけど、チェーン入ったから大差ない」
「へー。でも一度本場の食べてみたいな。観光するならどこ?」
「え……金比羅とか……。槙田ってよく喋るね。……意外」
「意外? そう?」
「初めて話したから」
「うそ!そうだっけ!?」
言われてみればそうかもしれない。……いや、
「いやいや、話したよ。一番最初」
平野は眉間に皺をよせて考えている。
「よろしくって言ったらよろしくって言った」
「……話したっていうか……挨拶じゃん」
すると平野は今度はニコ、と微笑んだ。
なんなんですか、その笑顔。殺人的な可愛さでしょう。
本当にあなた男ですかと問いたい。
この笑顔をクラスの奴らが見たら、平野は再び囲まれる日々になるだろう。
「俺ね、バド部なの。バドミントン、どう?」
「中学の時してた」
「ほんと?! 前の高校では?」
「してない」
「じゃあ、一緒にやろうよ。バド部入れよ」
平野は躊躇っているようだったが、間を空けて「入ろうかな」と呟いた。
「今日、見学に来る? よかったらラケットと着替え貸すし。部室に予備のシューズもあるし」
「え、さっそく?」
「善は急げ、だぜ」
放課後は空けておけよ、と釘を刺すと、平野は戸惑いながら「分かった」と答えた。
ちょっと強引だったかなとも思うけど、平野はどこか嬉しそうにも見えたので、これでよかったのだと自分を納得させた。
平野はその日のうちに入部を決めた。
***
それから俺は平野とよく話すようになった。
おはよう
おはよう
英語の予習やった?
やったよ
俺、すっかり忘れててやってないんだけど、見せてもらってもいい?
合ってるかは分からないけど
昨日、練習キツかったけど、筋肉痛になってない?
動くと痛い。
厳しい部じゃないから、キツかったら休んでもいいぜ
大丈夫。
返ってくる答えはやっぱり最低限。
だけど、めげずに毎日毎日話し掛けるうちに、くだけた口調で返してくるようになった。
おっすー
おす
リーダーの訳、見せて
またかよ
ついでに古文も当たる日なんだけど
いさぎよく怒られたら
そう言うなよ、友達だろ?
「友達だろ?」と言うと、平野は耳をちょっと赤くして、ふてくされるように唇を噛みしめる。
イマドキ「友達」の単語で照れる男子高校生ってレアだろ。
胸がむちゃくちゃ痒いような、男のくせに腹が立つくらい可愛くて、俺はいつもその反応が見たいがために、ことあるごとに「友達だよな?」と平野をからかった。
平野は基本的に無口だし、特に自分のことは語らないので、俺は平野をこっそり観察することで情報を集めていた。
まず、ノートの取り方が綺麗。
英語だけでなく数学も古文も生物も、教科書にはまだ習っていない箇所に線が引いてある。
予習復習を怠らないらしい。立派。
箸の持ち方とか模範的。
毎日、お袋さんが作ってくれるという弁当はいつも健康的で凝ったおかずがいっぱい詰められている。
うちの冷食オンパレードの弁当とは大違いだ。
平野はそれを米粒ひとつ残さず完食する。
バドミントンはレシーブが上手い。
ネットと見せかけてハーフで落とすフェイントが多い。
どうやら、ちょっとひねくれ者のようだ。
あと、ひとつ謎なことがある。
それは「平野」と呼んでも一度では反応しないことだ。
授業中に当てられても、いったん間を置いて思い出したように「あ、はい」と返事をする。
まるで「平野」が自分の苗字と認識してないみたいだ。
そして平野がいつもすること……。
授業中、休み時間、放課後、ふいに窓の外をボーッと眺める。
以前、あまりにボンヤリしているので何度か呼び掛けたことがあるが、「平野」と呼んでも振り向かないので、からかい半分で「あずさ」と呼んだら、すごく驚いた顔で振り向いた。
こっちがビックリするくらいに。
そして名前を呼んだのが俺だと分かると、ちょっとガッカリしたようなホッとしたような顔で、「槙田か」と呟いた。失礼な。
空を見上げて、今にも泣きそうなくらい寂しそうな顔。
その理由だけはいくら観察しても分からなかった。
⇒
「今日の世界史、視聴覚室だってよー!」
どこからか聞こえた知らせに、みんなざわざわと教室を出ていく。
トイレから戻ったばかりの俺はまだなんの準備もしていない。
一足遅れて教室を出ようとしたら、
「……あの、さ」
「え?」
「視聴覚室、分からないんだけど……付いて行っていいかな」
初めて平野に話し掛けられた。
というか、平野が話しかけた人間って俺が初めてじゃねーか? と、驚きで暫くかたまった。
「……ねぇ」
「あっ、ごめん、視聴覚室な!うん、一緒に行こうぜ」
平野はホッとしたように、それはそれは不器用に微笑した。
「学校慣れた? 部活はなんか入った?」
「あんまり……。部活もまだ入ってない」
相変わらず最低限の答え。
「……この学校って、最近できたの?」
「へっ? あ、そだな。歴史は新しいかな」
「設備が新しくてちょっと戸惑う……。前の高校は古かったから」
平野が喋ってる、と感動する俺。
今がチャンスと、ここぞとばかりに話し掛けた。
「香川ってどんなとこ? こっちきてからうどん食った? やっぱ全然違う?」
「田舎だよ。なんにもない。こっちきてからうどんは……食べたけど、チェーン入ったから大差ない」
「へー。でも一度本場の食べてみたいな。観光するならどこ?」
「え……金比羅とか……。槙田ってよく喋るね。……意外」
「意外? そう?」
「初めて話したから」
「うそ!そうだっけ!?」
言われてみればそうかもしれない。……いや、
「いやいや、話したよ。一番最初」
平野は眉間に皺をよせて考えている。
「よろしくって言ったらよろしくって言った」
「……話したっていうか……挨拶じゃん」
すると平野は今度はニコ、と微笑んだ。
なんなんですか、その笑顔。殺人的な可愛さでしょう。
本当にあなた男ですかと問いたい。
この笑顔をクラスの奴らが見たら、平野は再び囲まれる日々になるだろう。
「俺ね、バド部なの。バドミントン、どう?」
「中学の時してた」
「ほんと?! 前の高校では?」
「してない」
「じゃあ、一緒にやろうよ。バド部入れよ」
平野は躊躇っているようだったが、間を空けて「入ろうかな」と呟いた。
「今日、見学に来る? よかったらラケットと着替え貸すし。部室に予備のシューズもあるし」
「え、さっそく?」
「善は急げ、だぜ」
放課後は空けておけよ、と釘を刺すと、平野は戸惑いながら「分かった」と答えた。
ちょっと強引だったかなとも思うけど、平野はどこか嬉しそうにも見えたので、これでよかったのだと自分を納得させた。
平野はその日のうちに入部を決めた。
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それから俺は平野とよく話すようになった。
おはよう
おはよう
英語の予習やった?
やったよ
俺、すっかり忘れててやってないんだけど、見せてもらってもいい?
合ってるかは分からないけど
昨日、練習キツかったけど、筋肉痛になってない?
動くと痛い。
厳しい部じゃないから、キツかったら休んでもいいぜ
大丈夫。
返ってくる答えはやっぱり最低限。
だけど、めげずに毎日毎日話し掛けるうちに、くだけた口調で返してくるようになった。
おっすー
おす
リーダーの訳、見せて
またかよ
ついでに古文も当たる日なんだけど
いさぎよく怒られたら
そう言うなよ、友達だろ?
「友達だろ?」と言うと、平野は耳をちょっと赤くして、ふてくされるように唇を噛みしめる。
イマドキ「友達」の単語で照れる男子高校生ってレアだろ。
胸がむちゃくちゃ痒いような、男のくせに腹が立つくらい可愛くて、俺はいつもその反応が見たいがために、ことあるごとに「友達だよな?」と平野をからかった。
平野は基本的に無口だし、特に自分のことは語らないので、俺は平野をこっそり観察することで情報を集めていた。
まず、ノートの取り方が綺麗。
英語だけでなく数学も古文も生物も、教科書にはまだ習っていない箇所に線が引いてある。
予習復習を怠らないらしい。立派。
箸の持ち方とか模範的。
毎日、お袋さんが作ってくれるという弁当はいつも健康的で凝ったおかずがいっぱい詰められている。
うちの冷食オンパレードの弁当とは大違いだ。
平野はそれを米粒ひとつ残さず完食する。
バドミントンはレシーブが上手い。
ネットと見せかけてハーフで落とすフェイントが多い。
どうやら、ちょっとひねくれ者のようだ。
あと、ひとつ謎なことがある。
それは「平野」と呼んでも一度では反応しないことだ。
授業中に当てられても、いったん間を置いて思い出したように「あ、はい」と返事をする。
まるで「平野」が自分の苗字と認識してないみたいだ。
そして平野がいつもすること……。
授業中、休み時間、放課後、ふいに窓の外をボーッと眺める。
以前、あまりにボンヤリしているので何度か呼び掛けたことがあるが、「平野」と呼んでも振り向かないので、からかい半分で「あずさ」と呼んだら、すごく驚いた顔で振り向いた。
こっちがビックリするくらいに。
そして名前を呼んだのが俺だと分かると、ちょっとガッカリしたようなホッとしたような顔で、「槙田か」と呟いた。失礼な。
空を見上げて、今にも泣きそうなくらい寂しそうな顔。
その理由だけはいくら観察しても分からなかった。
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