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飯島 敬吾 3

 梓には言わなかったが。
 夢乃が受診した3日後、彼女は再診に訪れていた。
 ただの経過観察なのでたいした処置はしていない。
 診察はものの数分で終わった。
 この日は全体的に患者も少なく、昼休憩の直前だったので夢乃の診察が終わった頃には待合室には誰もいなかった。
 そんな余裕もあって、僕は夢乃に問いかけた。

「今日はひとりで来たの? ……お母さんは?」

「そこのスーパーで買い物してる」

「じゃあ、このあとスーパーに向かうの? 道路渡る時は気を付けてね」

「先生、やっさしー」

 隣で聞いていた看護婦が噴き出したのが聞こえた。 
 僕は「ありがとう」と笑って返した。

「いつも行ってる病院、待ち時間がかからないのはいいんだけど、先生が怖いんだよね。今度風邪引いたら、こっちの病院に来ようかな」

「行きつけの病院があるなら、その先生が夢乃ちゃんの体調のこと詳しいのかもしれないよ」

「そうかなぁ。いつも薬出して終わりって感じだけど」

「まあ、お母さんとも相談して決めればいいよ」

 「うん!」と微笑んだ時の表情が、思わず錯覚するほど梓と似ていた。
 こんなに似ているのに、あれだけ好きだったのに、本当に兄のことを覚えていないのだろうか。
 切なさを覚えたその時、

「先生、この病院って大人も来るの?」

「大人? みんなのお母さんとか? お願いされたら診察するよ」

「そうじゃなくて。普通に大人。親じゃなくて」

「……来ないかなぁ。ここは子どもの病院だからね」

「ふーん……。じゃあ、あの人誰かのお父さんかなぁ」

 独り言のように言ったのだが、「あの人」が梓のことだと瞬間で察して、すぐさま反応した。

「あの人って?」

「このあいだ来た時、すっごく綺麗なお兄さんがいたの。なんか、わたしのこと見てた気がして、目が合っちゃって。それだけ」

「そ、そう……。それだけ?」

「うん。でも、絵本の王子様みたいにかっこよかったから、覚えてるの」

 夢乃は薄手のパーカを羽織り、「ありがとうございました」とお辞儀した。
 丁度、僕も昼休憩なので一緒に診察室を出て、夢乃の後姿を見送った。
 夢乃が医院を出た直後に黒い軽自動車が停まった。
 久々に見る人物が車から現れる。
 優香だ。
 パーマをかけていた長い髪はばっさりと切ってショートカットになっていた。
 相変わらず身なりに気を抜いていないし、か細い体型はそのままだが、やはり歳月を感じる。
 こちらに気付いた優香は一瞬驚いたようだが、大きな動揺を見せることなく微笑して、頭を下げた。
 僕も頭を下げる。顔を上げた時には車は走り出していた。
 夢乃は梓を覚えていない。
 だが、確かに印象には残っている。

「かっこよかったから」とか「目が合ったから」というのもあるだろうが、自覚のない記憶が無意識に印象付けた、と考えてもおかしくはない。
 ただ、仮に「君のお兄さんです」と梓と会わせたとしても思い出さないだろうし、信じないだろう。
 何よりその展開を一番望まないのは優香のはずだ。
 梓に変な期待は持たせたくないし、優香と夢乃の落ち着いている二人の生活をかき乱すわけにもいかない。
 やはりこれは梓には言わずに僕の心に秘めておくのがいいだろう。

***

 週末になって、僕は梓が仕事から帰る時間を見計らって彼の部屋へ向かった。
 インターホンを鳴らすと数秒後に梓が戸を開けた。

「おかえり」

「ただいま……って、なんかおかしくない? 敬吾さんが『おかえり』っていうの」

「だって、仕事から帰ったのは梓なんだから」

「なんか飲む?」

「じゃあ、ノンアル」

 冷蔵庫からノンアルコールビールを取り出して僕に差し出す。

僕はビールを受け取らずに梓の手首を引き、そのまま抱き入れた。

「……ちょっと……、俺、今、汗くさいよ……」

「肉の匂いもする」

「風呂入ってくるから、離してよ」

「もうちょっと」

 腕に、また力が入る。
 抱き締めたままベッドに倒し、僕は梓に覆い被さったまま話し出した。

「梓と再会してから、成長した姿を見て嬉しい反面、寂しい気持ちもあったんだよね」

「……」

「梓の一番大事な時に俺は傍にいれなくて、知らないあいだに大人になってて、置いていかれたような、自分だけ時間が止まったままみたいな。だから、また気付いたらどっか行っちゃうんじゃないかって」

「それはない……」

「でもさ、夢乃の成長した姿を見て、その時にやっと、時間が流れたのは梓だけじゃないんだなって今更ながら気付いたというか」
そして「昨日、白髪を見つけてショックだった」と付け足したら、声を上げて笑われた。

「確実に敬吾さんも時間が流れてるね」

「そうなんだよ。でも流れてしまったものは仕方がないから、これから一緒に色んなものを見ていけたらいいかって思った」

「……そう思う」

「で、その前に約束なんだけど」

 梓はゆっくり首を回し、怪訝な顔で僕を見る。

「時々テーブルにある置き手紙、あれ止めてくれない?」

「だって、起こしたら悪いかなと思って」

「置き手紙は心臓に悪い。ぎくっとするから、どうにかしてでも叩き起こして直接、口で伝えて欲しい」

 梓は思うところがあったのか、済まなそうな表情で「分かった」と言う。

「それなら、俺も」

「えっ、何?」

「あれ嫌なんだよね。医者の不養生ってやつ。体調悪い時は本当に無理しないで欲しい。適当な薬で誤魔化さないで、ちょっとでもおかしいと思ったら病院に行けよ。そろそろ人間ドックにでも行けば」

「え……、そんな歳……?」

「いや、だから、それくらい心配だってことを忘れないでよ」

「気を付けます」

「今は?」

「もう元気だよ」

「……ところで、そろそろどいてくれない? 重いんだけど」

 僕は梓の腰をしっかり抱いたまま、態勢を変えた。
 体を密着させて隣同士、寝転がる。
 温かい。梓の体温にすっかり安心して、うとうとと睡魔に襲われた。
 梓は僕の頬をつねったり、ペチペチと叩きながら言う。

「寝るなら、風呂に入れよ。一度寝たら中々起きないんだから」

「この、まどろむのが気持ちよくて……」

「いや、分かるけどさ、また風邪引くって。……ちょっと、コラ」

 もはや梓の小言が子守歌にしか聞こえない。

「あ―……、幸せだなぁ……」

 そして僕は梓の手を握ったまま、夢の中へといざなわれていった。

end

☆いつもラブラブです。☆
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