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BREAK OUT-LOW 8-3

「悪く思わんで下さい。組長に何かあったら本部長を殺せっていう命令だったんで」

「なるほど、どいつもこいつもブタの言いなりってか」

 互いに銃を持った状態で、一人で十数人を相手にするのはさすがに困難だ。詰みを覚悟した直後、いきなり事務所内の灯かりがすべて消えた。既に陽が落ちているせいもあって室内が暗闇に包まれる。組員たちは急な暗がりに視界を確保できずうろたえていたが、恭一は不測の事態にも対応できるように訓練されている。組員が怯んでいる隙に背後の窓ガラスを叩き割り、そこから飛び下りた。野村組の事務所は三階建てビルの二階にある。ビルの二階というとけっこうな高さがあるが、やむを得ない。空中へ飛び出した瞬間、遠くの空で花火が上がる音がした。そういえばいつか通ったコンビニの窓ガラスに花火大会のポスターが貼られてあったことを、このタイミングで思い出した。
 ビルが人通りの多い繁華街にあるにも関わらず、被害を出さずに着地することはできたが、後先かまわず脱出したせいで車を停めている場所とは正反対のところに出てしまった。どの方向に逃げるか脳内で地図を浮かべたところ、

「恭一!」

 目の前でバイクが止まった。胸元にブルドッグのワンポイントが付いた見たことがあるTシャツとデニムというラフな格好の男。

「祥平!?」

「乗れ!」

 どうして出てきたのか、という説教をする暇などない。迷わず祥平の後ろに飛び乗った。大通りに出て他の車と紛れてしまえばこちらのものだ。組員の追手もいないことを確認して、恭一はようやくひと息ついた。

「よく俺があそこから出てくるって分かったな」

「監視カメラ、ハッキングして見てた。ビルの電気落としたのも俺。配電盤いじった。バイクはその辺に乗り捨ててあったやつ」

「タイミングよく電気落ちてくれたから逃げられたわ」

「一人じゃなくてよかっただろ?」

 恭一は祥平のヘルメットを軽く小突いた。
 走行風を浴びながら、ビルとビルのあいだから夜空に上がる花火が見えた。河川敷から見上げたらさぞかし迫力があるだろうに、そんな悠長な時間すら持てないのが惜しい。

「このまま空港に行けるか?」

「いや、交通規制があって空港までの道が塞がれてる。警察も何か所か張ってる。郊外に出るしかなさそう」

「なら、郊外に出て山道を走れ。山を越えたところに港がある。いくつかモーターボートが停めてあったはずだ」

 けれども祥平の返事がない。サイドミラーをちらちらと見て背後を気にしている。

「……さっきから付いてくる車がいるんだけど」

 振り返ると古いシルバーのクラウンがあきらかに恭一を追ってきていた。つい最近見た車だ。恭一が数日前に会った中国人のものである。

「……受け取った金、トランクに積んだままだからな。盗まれたと思ってんだろうな」

「どうすんの?」

「逃げる」

 一気にスピードを上げて大通りを走り抜けた。街中から外れ、閑静で道幅の狭い住宅地に入り、わざと複雑な順路で走ったが車はしつこく追ってくる。やがて住宅街を抜けて都心から離れ、街灯すらろくにない暗闇の山道に入った。そこから更にスピードを上げる。港があるといっても、山を越えるには時間もかかるし距離もある。ガソリンが持つかどうかか不安なところだ。

「やべぇ!」

 と、恭一が叫んだ時、背後で銃撃音が聞こえてタイヤがパンクした。

「还钱!」

 スピードが出ているぶん、バランスを少しでも崩せば命がない。恭一は咄嗟に祥平を抱きかかえて脇の林に向かって飛び込んだ。受け身を取りながら転がり、大木にぶつかって止まる。草木がクッションになったおかげでたいした怪我はなかった。

「祥平、立てるか!?」

「なんとか……バイクは?」

「ガードレールに突っ込んだ。早く逃げるぞ」

「如果您不退还钱、杀了你!」

 車から下りた中国人二人組が恭一を探して林に入ってくるのが見えた。痩せ型のスキンヘッドの男と、反対に肥満体型の顎髭の男。共通しているのは目付きが悪いということだ。
 道もない、灯かりもない、いつ獣が出るか分からない茂みの中を闇雲に走り回った。バイクも早々に大破され、逃げながら山を越えるのは向こうが諦めない限り無理だろう。どこかで身を隠すか、相手が諦めるまで逃げ続けるか、と考えるうちに、恭一は何故か可笑しくなった。ついに頭がいかれたのかもしれないと自分でも心配になるほどだ。
今まで何十年も暴力団という組織にいて、今ほどリアルに危機を感じたことはなかった。恐怖や不安を通り越して、追い詰められれば追い詰められるほど、生きていると実感する。恭一が笑っていることに気付いた祥平が諫める。

「なんで笑ってんだよ! アホか!」

「そうかもな、でもなんか可笑しいんだよ!」

 方向も分からず突き進むうちに、やがて茂みを抜けて岬に出た。肌にベタベタと纏わりつくような潮風に煽られる。見渡すと上のほうで灯台の灯かりが見えた。港まではまだまだ遠い。岬の向こうは一面黒い海。こんな開けた場所では隠れるところもない。
 立ち止まってようやく体のあちこちが痛みだした。切り傷に擦り傷、打撲。肋骨が急にキリキリと痛むのはおそらく骨折している。
 あの中国人の二人組はまだ恭一を探しているはずだ。金のためなら地の果てでも追い掛けて来るような連中だ。早く逃げなければ見つかる。

 ――どこへ? どこへ逃げる。いつまで逃げる。もう充分逃げた。

 ここで殺されるならそれでもいい。だが、祥平を道連れにしてしまうことだけはどうにか避けたい。

「祥平、先に行って灯台で待ってろ。一緒に動くより分かれたほうがいいだろ」

「え……でも、あんたは……」

 祥平が心配そうに見上げる。二人で海外に、と願っていたが、その表情を見るとそれだけでもう満たされた気分になった。諦めた、というより、この瞬間で唐突に満足したのだ。
いつからか人生を諦めていた。カタギになって表社会で生きたいと願いながら、どうせ無理だと投げやりに過ごしてきた。だが、今になって何もかも捨てる覚悟ができた。諸悪の根源である自分が言うべきことではないが、一生償う相手が祥平でよかったと思う。

「祥平、今のうちに言っておきたいんだけどよ」

「なに」

「愛してるぜ」

「はァ!? こんな時になに言ってんだよ!」

「こんな時だからこそ言いたいんだよ。お前に出会わなけりゃ俺は今でも、死ぬまで組にいて腐った人生で終わってたと思う。目的がなんであれ、お前の必死に生きてる姿がさ……ずっと羨ましかったんだよな。……ありがとう。すまなかった」

「やめろ、今、そんなの聞きたくない」

「俺、本当は真鍋恭一って名前じゃねぇんだよ」

「……偽名?」

「ああ。若い頃に、組に入る前にな。誰も俺の本名を知らない。俺の本当の名前……は……」

 波と風の音に消されて発砲音が聞こえなかったのがいけなかった。恭一は最後まで言い切らずにその場に膝を崩した。祥平に寄りかかるように倒れる。

「え……え!? ……恭一!?」

背中に手を当てると手の平にべっとり血が付いた。撃たれたのだ。

「ちょ……おい、しっかりしろよ! 背中撃たれるとかダセェだろ!」

「……しょ……、あー……くそ。お祓い、行っときゃ、……よかった……」

「こんなとこでフラグ回収すんな! 俺、まだ何も言ってない! 恭……っ」

 脇腹に火傷を負った時のような熱を感じたあと、激痛が走った。瞬間的に撃たれたのだと分かった。体内が焼けるように痛いのに、急所を外れているせいで血を吐くばかりで死ねなかった。祥平は体勢を崩しながらもなんとか踏ん張り、恭一の体を引き摺って崖淵まで寄った。自分だけが助かるのは嫌だ。死んだ後に離れるのも嫌だ。死ぬなら恭一と一緒に藻屑になるほうがいい。
 祥平は何も見えない真っ黒な海に向かって、恭一とともに落下した。

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