BREAK OUT-LOW 8-1
青木の葬儀が終わった頃、秋元から狂ったように着信履歴が残っていて「すぐに顔を出さないと問答無用で殺す」とメッセージが入っていた。ここまできて暗殺でもされたら馬鹿馬鹿しいので、恭一は「折り入って話があるので事務所へ行く、それまでおとなしくしていて欲しい」と願い出た。
『ふん、なんの話か知らんが、俺もそこまで鬼じゃない。お前、中国人から二億預かってるだろう。金の動きがないんで怪しまれてるぜ。昨日、ウチの事務所にカチコんで来やがった。いい迷惑なんだよ。さっさと殺されに来い』
そろそろ日が暮れようかという頃にようやくベッドから起き上がり、身支度を始めた。軽くシャワーを浴び、愛用のガバメントの装填を済ませ、気合いを入れるようにジャケットを羽織る。予備の銃弾もぬかりない。鏡の前で鼻歌を歌いながら髪型をチェックしていたら、祥平が珍妙な目で見ていた。
「……お出かけじゃねーんだから」
「いかなる時も身だしなみは大事だぜ」
「紳士っぽく見せるのは上手いよな」
「本物の悪党ってのは悪党に見えないんだよ」
スマートフォンをポケットに入れ、「さてと」と背筋を伸ばした。
「じゃ、行ってくるから、お前はぜぇったいに、部屋から出るなよ」
「ずっと待ってるってのも退屈だぜ」
「数時間の辛抱だろうが。俺のパスポートもお前が預かっといてくれ。どこ行きたいか考えとけよ。シンガポールとかタイとか」
恭一は揚々と先の話をするが、祥平の渋面は変わらない。
「こういうの、フラグが立つからあんまり言いたくないんだけど」
「フラグ? なんの」
「死ぬなよ」
死亡フラグかよ、と恭一は声を出して笑った。
「だから、俺はもう死んでるんだって。じゃ、いってくる」
最後まで明るく振る舞う恭一だが、重要なことほど一人で抱え込むことは知っている。恭一の足音が完全に遠のいたのを確認して、祥平はバックパックに荷物を詰め込んだ。
***
爪を切っている。ゆっくりとした手つきで丁寧に。一枚爪を切る度にやすりで角を削り、フッと粉を吹く。爪を磨く前にテメェのハゲ頭をどうにかしろと言いたい。
電話口では今にも食い掛かってきそうな勢いで怒っていたのに、恭一が事務所に着くと秋元は不気味なほど穏やかに迎えた。事務所には野村組の組員が勢ぞろいしていたが、秋元がそれらを抑えつけた。会議室で二人きりになり、どういうつもりなのかと固唾を飲んだところで秋元がいきなり爪を切りだしたのだ。恭一はその様子を黙って見ていた。
右手の爪を切り終わり、左手に取り掛かると秋元がおもむろに話し出した。
「……爪はちゃんと切っておかないと、傷付けちゃうからなぁ」
「はあ」
「爪の端っこの、この部分な? 無精して角が立ったままにしとくと、あとあと困るんだよ。ふとした時に引っ掻いたり、セーターの糸が引っかかったり、誰かを傷付けたりな? だからやすりでこうやって、丁寧に、まるーくしとくんだよ」
「……」
「あいつの体は特に綺麗だったからなぁ。爪を立てて傷付けたら勿体ねぇ」
誰のことだ、と顔をしかめたが、すぐに気付いた。青木のことを言っている。
――お前が今更俺の意思を聞いたところで! お前は何かをしてくれるのか!? 野村を慕っても野村はお前ばかり目をかけていた、俺の悔しさが分かるのか! 秋元に好き勝手掘られる惨めさも! ――
やはりあれは芝居ではなかった。青木のあんな風に取り乱した、苦悩に満ちた顔を見たのは初めてだった。あれは演技で出せる表情じゃない。
そういえば、青木は昔から時々ひどく顔色が悪いことがあった。風邪を引いているわけではないのに怠そうで、機嫌もすこぶる悪かった。今思えば、あれは秋元に犯されたあとだったのだろう。それを考えると、青木もまた組織での在り方に悩んでいたのかもしれない。好き好んで出世したかったわけじゃない。青木は恭一のような要領の良さを持ち合わせていなかったから、暴力と上司の言いなりになることで自分を保ってきたのかもしれない。青木のいない今、それはすべて想像でしかないのだが。
「……そんなに大事にされていたのに、金が集まらないと血まみれにしていましたよね」
わざと挑発してみると、秋元はかっかっか、と下品に笑った。
「あいつは俺に似て馬鹿だから、馬鹿すぎて腹が立つんだよ。ついつい手が出ちまう。でもそれ以上に可愛がってやってたぜ? 可愛さ余って憎さ百倍ってやつだよ。次は上手くやります、と泣きながら許しを請う姿は本当にたまらん。……そんなアイツがなぁ……まさか、殺されるなんてよォ……」
ごとん、と爪切りをテーブルに落とし、秋元は両手で顔を覆って泣き出した。ひくひくと肩を震わせて涙も洟も垂れ流しながら嗚咽する。恭一はそんな彼を冷ややかな目で見ていた。
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『ふん、なんの話か知らんが、俺もそこまで鬼じゃない。お前、中国人から二億預かってるだろう。金の動きがないんで怪しまれてるぜ。昨日、ウチの事務所にカチコんで来やがった。いい迷惑なんだよ。さっさと殺されに来い』
そろそろ日が暮れようかという頃にようやくベッドから起き上がり、身支度を始めた。軽くシャワーを浴び、愛用のガバメントの装填を済ませ、気合いを入れるようにジャケットを羽織る。予備の銃弾もぬかりない。鏡の前で鼻歌を歌いながら髪型をチェックしていたら、祥平が珍妙な目で見ていた。
「……お出かけじゃねーんだから」
「いかなる時も身だしなみは大事だぜ」
「紳士っぽく見せるのは上手いよな」
「本物の悪党ってのは悪党に見えないんだよ」
スマートフォンをポケットに入れ、「さてと」と背筋を伸ばした。
「じゃ、行ってくるから、お前はぜぇったいに、部屋から出るなよ」
「ずっと待ってるってのも退屈だぜ」
「数時間の辛抱だろうが。俺のパスポートもお前が預かっといてくれ。どこ行きたいか考えとけよ。シンガポールとかタイとか」
恭一は揚々と先の話をするが、祥平の渋面は変わらない。
「こういうの、フラグが立つからあんまり言いたくないんだけど」
「フラグ? なんの」
「死ぬなよ」
死亡フラグかよ、と恭一は声を出して笑った。
「だから、俺はもう死んでるんだって。じゃ、いってくる」
最後まで明るく振る舞う恭一だが、重要なことほど一人で抱え込むことは知っている。恭一の足音が完全に遠のいたのを確認して、祥平はバックパックに荷物を詰め込んだ。
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爪を切っている。ゆっくりとした手つきで丁寧に。一枚爪を切る度にやすりで角を削り、フッと粉を吹く。爪を磨く前にテメェのハゲ頭をどうにかしろと言いたい。
電話口では今にも食い掛かってきそうな勢いで怒っていたのに、恭一が事務所に着くと秋元は不気味なほど穏やかに迎えた。事務所には野村組の組員が勢ぞろいしていたが、秋元がそれらを抑えつけた。会議室で二人きりになり、どういうつもりなのかと固唾を飲んだところで秋元がいきなり爪を切りだしたのだ。恭一はその様子を黙って見ていた。
右手の爪を切り終わり、左手に取り掛かると秋元がおもむろに話し出した。
「……爪はちゃんと切っておかないと、傷付けちゃうからなぁ」
「はあ」
「爪の端っこの、この部分な? 無精して角が立ったままにしとくと、あとあと困るんだよ。ふとした時に引っ掻いたり、セーターの糸が引っかかったり、誰かを傷付けたりな? だからやすりでこうやって、丁寧に、まるーくしとくんだよ」
「……」
「あいつの体は特に綺麗だったからなぁ。爪を立てて傷付けたら勿体ねぇ」
誰のことだ、と顔をしかめたが、すぐに気付いた。青木のことを言っている。
――お前が今更俺の意思を聞いたところで! お前は何かをしてくれるのか!? 野村を慕っても野村はお前ばかり目をかけていた、俺の悔しさが分かるのか! 秋元に好き勝手掘られる惨めさも! ――
やはりあれは芝居ではなかった。青木のあんな風に取り乱した、苦悩に満ちた顔を見たのは初めてだった。あれは演技で出せる表情じゃない。
そういえば、青木は昔から時々ひどく顔色が悪いことがあった。風邪を引いているわけではないのに怠そうで、機嫌もすこぶる悪かった。今思えば、あれは秋元に犯されたあとだったのだろう。それを考えると、青木もまた組織での在り方に悩んでいたのかもしれない。好き好んで出世したかったわけじゃない。青木は恭一のような要領の良さを持ち合わせていなかったから、暴力と上司の言いなりになることで自分を保ってきたのかもしれない。青木のいない今、それはすべて想像でしかないのだが。
「……そんなに大事にされていたのに、金が集まらないと血まみれにしていましたよね」
わざと挑発してみると、秋元はかっかっか、と下品に笑った。
「あいつは俺に似て馬鹿だから、馬鹿すぎて腹が立つんだよ。ついつい手が出ちまう。でもそれ以上に可愛がってやってたぜ? 可愛さ余って憎さ百倍ってやつだよ。次は上手くやります、と泣きながら許しを請う姿は本当にたまらん。……そんなアイツがなぁ……まさか、殺されるなんてよォ……」
ごとん、と爪切りをテーブルに落とし、秋元は両手で顔を覆って泣き出した。ひくひくと肩を震わせて涙も洟も垂れ流しながら嗚咽する。恭一はそんな彼を冷ややかな目で見ていた。
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