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BREAK OUT-LOW 5-4

「――お前はこっちの世界にいないほうがいい。今からでも間に合うから、きちんと正業に就いて表社会で堂々と生きろ」

 祥平は不可解そうに首を傾げる。

「青木は自分の利益のためなら相手が誰でも容赦なく殺す。お前みたいな素人が殺せる人間じゃない」

「それでも諦めたくないって言ったよな」

「お前の兄貴がなんで刑務所に入ったか分からないのか。ただ身代わりになっただけじゃない。お前に危害を加えられたら困るから、身代わりになったんじゃねぇのか。それなのにお前が人を殺したら、兄貴に合わせる顔がないだろ」

 一瞬だけためらったようだが、それでも祥平の眼は揺るぎなかった。

「俺のせいで犠牲になったんなら、尚更許さない。何がなんでも殺す」

「だから、無理だっつってんだよ。青木を殺せたとしても必ず報復されるぞ」

「それでもいいんだよ!」

「ほんっとに分からねぇ奴だな!」

「分かんねぇよ! 協力してくれるって言ったじゃねぇか! なんで今更止めようとすんだよ! あんた、まだなんか隠してるんだろ!? 教えろよ!」

 恭一は目頭を押さえて俯いた。

「……お前の……兄貴が出所するまでのお前の生活と、出所したあとの生活が当分できるくらいの金は渡す。だからもうやめろ。復讐で人を殺しても解決しない」

いくら綺麗ごとを並べても、しょせんヤクザの自分の言葉など響かないはずだ。説得力がないのは自分でも承知している。

「昔の自分を見てるみたいなんだよ。頼れる人間がいなくてどんどん落ちぶれていくのが。こいつも俺みたいにそうやって裏社会に染まるのかと思うと一番荒んでた頃の自分を思い出す。一度こっちに来たら抜け出すのは難しいんだ」

「あんたは抜けたいの」

「そりゃな。でも俺はもう手遅れなんでね。お前は俺と違って賢い。その頭はこれから表社会で生かすべきだ」

「なんでそこまで言うんだよ」

「そのくらい充分仕事をしてくれたからだよ」

 金で解決しようとしている自分はクズだ。結局こういう形でしか罪滅ぼしができない。しばらく沈黙が漂い、やがて祥平が幾分穏やかな声で言った。

「――嫌だ」

 清々しいほどの柔らかい笑顔で拒否するのである。硬すぎる意志に感心するどころか、もはや呆れた。

「俺は何年もずっと親父を自殺に追い込んだ奴を探し出して殺すことだけを目標に生きてきた。それがなければ俺も自殺してた。兄貴だって俺と同じだよ。俺がやらなきゃ兄貴が仇を討とうとするはずだ」

「お前の兄貴は実際に人を殺したわけじゃねぇんだ。あと数年待って出所したら、二人で静かに暮らせばいいだろ」

「今でも青木って奴がどこかで誰かを騙してると考えたら穏やかには暮らせない」

「お前なァ!」

「うるせぇ! それ以上説教はやめろ!」

 体に触れようと伸ばした手を、思いきり払いのけられた。

「アンタだって! 組を抜けたいくせに、手遅れだとか難しいからとか言い訳してるだけじゃねぇか! 組織から抜けるのが大変なんじゃない、組織から抜ける勇気がないだけなんじゃないのか! コソコソ隠し事しやがって、約束も守れねぇ腰抜けが! そんな中途半端な奴にゴチャゴチャ言われたくねぇんだよ!」

 祥平は財布とスマートフォンを拾って部屋を飛び出した。恭一は引き留める気にもなれず、ずるずるとソファに雪崩れこんだ。完全に図星だった。
 本当のことを言えないのは祥平のためではない。結局憎まれたくないからなのだ。
組織社会に辟易しながらも逆らえずにいる自分と違って、危険を顧みず無謀な企てを本気で果たそうとする祥平への羨望。自分にはできないことをこいつならできるのはないかという期待。実際、暴力団幹部を相手にしても怯まず手玉に取り、あらゆる情報を抜き取る度胸と賢さは尊敬に値するし、そんな男を傍に置いておくことに優越感もあった。
 目的のために危ない橋を渡りながらも真の悪には染まるまいという意思を持つ祥平にとって、境遇や環境のせいにしてどんな悪事も働く自分を甘んじる恭一は、それだけで憎い存在だろう。それなのに祥平は恭一の傍にいることを受け入れ、恭一を悪人ではないとすら言う。家族が崩壊した原因が恭一であると知れば、青木以上に恨むだろう。そうなった時を想像するのはなかなか辛い。品もモラルもない連中に毒された中で、唯一恭一を認めた人間の信頼を裏切りたくない。――嫌われたくないのだ。

 ―――

 スマートフォンがひっきりなしに鳴っている。相手は言わずもがな秋元である。あえて無視をし続けていたらとうとう牛田経由で連絡が来た。

「真鍋さん、事務所のほうに中国人から電話があったそうです」

「めんどくせーなぁ……。待ち合わせ場所を決めてくれ」

「いいんですか?」

「急きょ金がいることになったしな」

 金を受け取る日時は今夜。某高速道路のサービスエリアで待ち合わせになっている。あまり長時間留守にしたくはないが仕方がない。片山に再度祥平の監視をするよう命じておく。

「祥平、俺は出掛けるけど……」

 ソファの隅でうずくまってキーボードを叩いている祥平に声を掛けたが、返事はない。聞こえていないのではなく、わざと無視をしているのだ。三日前に諍いになってから避けられている。暫く放っておこうと決めていた恭一だったが、なかばムキになってタイピングする祥平の手首を掴んだ。ようやく目が合った。

「人の話を聞け、コラ」

「……なんなんだよ、聞こえてるから喋れよ」

「俺と牛田はこれから出掛ける。二日ほど片山から離れるなよ」

「あっそ」

「おとなしく家でいろ、つっても信用できねぇから、お前に仕事を渡していく」

 祥平の膝の上に一枚の紙をひらりと落とす。

「先日お前に作ってもらったダミーサイトを使って、こいつの暗号資産のウォレットをハッキングして欲しい。必要そうな情報はそこに書いてある」

 恭一が落とした紙を渋面で眺めている。

「……スマホ? パソコンやタブレットはないのか?」

「持ってるのはスマホだけだ。アンドロイド。念のため下準備はしてあるが、デジタルに弱くて頻繁にいじってないから、なかなか釣れんかもしれん。送金先のアドレスはこれ。言うまでもないが、終わったらシュレッダーにかけとけよ。頼んだぞ」

 といって、今度はメモ用紙を渡した。
 スーツのジャケットを羽織って出口へ向かう途中、追い掛けるように皮肉が飛んできた。

「まっとうに生きろって言っときながら、あんたがそうさせないんだな」

 足を止めて引き返した恭一はテーブルをダァン! と拳で叩きつけた。驚いた祥平が立ち上がる。

「なんなんだよ!」

 すかさず恭一は祥平の腰を抱き寄せて無理やり唇を重ねた。もちろん祥平は必死で抵抗をするが、恭一は意地でも離さなかった。腰に回している腕に力を込めて動きを封じ、片方の手で背中を直に撫でた。

「ん、……ふ……っ」

 背中から下半身に滑らせ、デニムの上から尻を掴む。そしてあらかじめ持っていたものをポケットに押し込んだ。瞬間、下唇を思い切り噛まれた。

「このクズ!」

「そんな気分じゃない時に限って、場違いなことやりたくなるんだよ」

「死ね」

「そうだな、お前になら殺されてもいいかもな」

 唇に滲んだ血を舐めながら、今度こそ恭一は部屋を出た。
 
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