BREAK OUT-LOW 3-2
自宅に着いて部屋のドアを開けるなり、ドタドタと騒がしい足音を立てながら祥平が現れた。そして開口一番に突っかかってくるのである。
「ちょっと! なんなんだよ、このシャツ!」
そう言って祥平は自身が着ているTシャツの裾を引っ張った。まぬけな猫のイラストが大きくプリントされたTシャツだ。恭一はそれを見るなり声を出して笑った。
「似合ってるじゃねーか、それ牛田が買ってきたやつだろ? いいセンスしてるわ」
「牛田さんが!?」
恭一の背後にいる牛田は「若いもんの好みが分からなかったんで」と恐縮している。
「おい祥平、なんで俺には『あんた』なのに、牛田には『牛田さん』なんだよ。解せねぇな」
「牛田さんのほうが強そうだから」
「牛田、今度はもっとクソダサいTシャツ買ってこい」
一万円札を牛田に放り投げると、牛田がそれを両手でキャッチして「了解です」と引き下がる。
「せめて無地にしてくれよ、牛田サーン!」
「自分は真鍋さんの指示に従うのみ」
がっくりと項垂れる祥平を、恭一はまた鼻で笑った。部屋の中へ入っていくと、祥平がブツブツ文句を垂れながら付いてくる。
「牛田さんが選んだのかよ、この服。ってか、俺の服が全部ないんだけど、どこ行ったんだよ」
「きったねぇからゴミかと思って捨てたわ」
「人のもん勝手に捨てんな!」
「うるせぇ、野村組のチンピラに捕まらねぇように匿ってやってるうえに、新品の服まで揃えてやったんだぜ。むしろ感謝しろ」
祥平の復讐に協力する、と思わず約束してしまった日、祥平は恭一のマンションに越した。というより、祥平の許可なくアパートを引き払って拉致してきたのである。チンピラといえども本気を出せばどんな手を使ってでも探し出すような奴らだ。知らぬ間にさらわれて面倒なことになるくらいなら、目の届く範囲に置いておいたほうがいいと考えたのだった。
「こんな広い部屋落ち着かない」
一人暮らしのわりにやたら広いリビング。一体何人座るのかと言いたくなるほど大きなダイニングテーブル。重厚な真っ黒な革のソファ。料理はしないくせに高性能なキッチン。いかにも富裕層の人間が住む部屋だ。大きな家具以外には観葉植物が一鉢あるだけで、無駄な小物は一切ない。ヤクザ者の潔さを表しているようだった。
「住んでみりゃ居心地いいぜ」
恭一は祥平の肩に手を添え、ダイニングテーブルの上座に座らせた。部屋全体を見渡せる、恭一の特等席である。
「ここで仕事してたらよ、すげーエラもんになった気分になれるだろ」
「……どうでもいい」
「そんなこと言わずに、進捗を聞こうか」
傍にある祥平のパソコンを立ち上げる。パッと画面に現れたのは、いかがわしいアダルトサイトである。恭一の弟分が経営しているDVD屋のホームページだ。
「けっこうシャレてきたな」
「いかにも素人が間に合わせで作ったようなホームページだったからな。コンテンツ見やすくして、検索バーも付けといた」
「なんだ、この画像」
ホームページの下部に、上半身が裸の女優の画像がある。祥平にタップしてみろと言われて胸のあたりをタップすると、豊満なバストが揺れる仕組みになっている。下らなくも妙にツボにはまる遊び心に、恭一はまた大笑いした。
「くっだらねぇ~~~面白ぇ~~~~」
「単純な奴だったら、これでだいぶ釣れるだろ」
「お前にホームぺージのリニューアル頼んで正解だったな」
振込手数料分の仕事をさせるという言葉通り、恭一は祥平にいくつか仕事を任せている。まずは組員が経営する会社のホームページのリニューアル、そしてセキュリティ対策である。コンピューターに疎い素人が何十年も前に作ったホームページだったので、使い勝手が悪いせいか閲覧数はあっても売上が伸びずにいたのだ。
「サブスクにはないようなレアもんがけっこうあるから、オンラインの環境を整えたら少しは売上マシになると思う」
「レアもんって分かるのか」
「……危険度高いってことだよ」
恭一はテーブルに腰掛け、祥平の作ったホームページをチェックする。ジャンルごとに細かく振り分けられ、検索しやすいように整理されている。あからさまに犯罪性のあるものは分かりにくくする気遣いまでされていた。
「どうよ、好みのAVとかあるか? 祥平クンはどんな娘がイイのかなァ」
からかう恭一に、祥平は冷ややかな目で「興味ない」とあしらった。
「興味ねえこたねぇだろ。こんだけ裸のねーちゃん見てんだから、プログラム書きながら何回か抜いたろ」
「むしろ無修正ばっかで生々しくて胸やけした。しばらく女の裸は見たくない」
「なら今度はゲイビ見てみるか? そっち専門の店もあんだよ。意外と抜けるかもしれねぇぜ」
「あんたはゲイビで抜くのか?」
「俺は大きいオッパイが好きだけどな。でも、そうだな」
恭一は祥平の顎を掴み、顔を近付けた。間近でジロジロと端正なその造りを観察する。奥二重の鋭い目、筋の通った鼻、小さい口。シャープな輪郭。
「お前みたいなキレイな奴なら抜けるかもな」
「体に付いてるモンはあんたと同じだけど?」
「試してみるか」
祥平は別に煽っているわけではないだろう。だが、どこまでも冷静に返されると意地になって、どうにか焦らせてやりたいという悪戯心が働いた。恭一は祥平の細い首に噛みつき、左手をTシャツの中へ滑り込ませた。想像以上に滑らかな感触だ。いけるかもしれない、と本気で思ってしまった。だが、祥平は変わらず氷のような表情でうんともすんとも鳴かない。それが面白くなくて恭一は体を離した。
「イヤンバカンとか言えよ。つまんねぇな」
「なんだよ、勃たねーんじゃん。俺の勝ちだな」
ようやくニヤ、と笑った。
むしろ祥平がそれなりの反応を示せば、おそらくある程度興奮しただろう。あまりに無反応なので萎えただけだ。
「お前、自分への扱いが雑じゃないか?」
「だって、こんな何もない自分を大事にして何になるんだよ」
僅かに視線を落として拗ねたように言う。どこか寂しげに見えたのは、太陽が雲に隠れて窓から差し込む光が途絶えたせいだろうか。
「家族はいない、親戚からも疎ましがられて、学校でもいじめられて、心を許せる人間なんかいなかった。唯一兄貴が残してくれたパソコンでプログラミングを覚えて、俺はいつも機械相手に数字と英字で喋ってた」
「それでもずっと独りってこたぁないだろ? 仕事は?」
「独りだったよ。色んなとこ転々として、新聞配達とかコンビニとかで年齢誤魔化してバイトして、中学卒業する時に親戚には黙って姿を消した」
「新聞配達とコンビニのバイトでそんなに貯まったか?」
すると今度は悪戯っぽく笑う。
「ダークウェブでマルウェアを売ったのが、けっこう金がよかったんだ。アホな詐欺師に依頼されて」
「なんだよ、お前もワルだな」
「でもダークウェブにいるような奴に完璧なプログラムは売らない。わざとバグを入れて失敗するように仕掛けてんだ。今頃俺の作ったマルウェアで詐欺やった奴は、追跡されて捕まってるだろうよ。いくら金が必要でも、クソみたいな奴らが有利になるようなことはしない」
そういえば祥平が約束の一千万を持って来た時、「自分が納得する方法を選んだ」と言っていたのを恭一は思い出した。
「俺のネットバンクをハッキングしたのもその理由か?」
「うん。金を集める方法はいくらでもあったんだ。でもなんの関係もない企業や一般人の金は盗みたくなかった。俺が金を盗むことで倒産する会社や、人生が変わる人間だっているかもしれない。その辛さは知ってるつもり。だからヤクザのあんたの金を狙った」
恭一は祥平の手口に意表を突かれたのが面白かったから笑って許せたが、おそらく別の人間であれば憤慨しているだろう。それこそ命がなかったかもしれない。それを考えなかったのだろうか。――いや、考えて、その方法を取ったのだ。
「家族も友達も、碌な教養もないうえに犯罪スレスレのところで生きるしかなかった。心の支えは兄貴を見つけることと親の仇を討つことだけ。それさえ果たせばあとはどうでもいい。そう思ったら物欲も性欲も湧かなくなった」
だからいつ崩れてもおかしくないようなアパートに住み、必要最低限の生活を送っていたのだろう。道を踏み外してまで、死にそうな目に遭ってまで家族の仇を捜している。ここまできたら危険を顧みず殺したいと思うのは自然なことなのかもしれなかった。
「そういえば、お前の親の会社って、なんていう会社だ?」
「言ってなかったっけ? あまや興産だよ」
恭一はその名を聞いて、固まった。
「……なんだって?」
「だから、あまや興産。不動産デベロッパー」
――天網恢恢疎にして漏らさず。昔どこかで覚えた、そんな言葉が今、頭をよぎった。
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「ちょっと! なんなんだよ、このシャツ!」
そう言って祥平は自身が着ているTシャツの裾を引っ張った。まぬけな猫のイラストが大きくプリントされたTシャツだ。恭一はそれを見るなり声を出して笑った。
「似合ってるじゃねーか、それ牛田が買ってきたやつだろ? いいセンスしてるわ」
「牛田さんが!?」
恭一の背後にいる牛田は「若いもんの好みが分からなかったんで」と恐縮している。
「おい祥平、なんで俺には『あんた』なのに、牛田には『牛田さん』なんだよ。解せねぇな」
「牛田さんのほうが強そうだから」
「牛田、今度はもっとクソダサいTシャツ買ってこい」
一万円札を牛田に放り投げると、牛田がそれを両手でキャッチして「了解です」と引き下がる。
「せめて無地にしてくれよ、牛田サーン!」
「自分は真鍋さんの指示に従うのみ」
がっくりと項垂れる祥平を、恭一はまた鼻で笑った。部屋の中へ入っていくと、祥平がブツブツ文句を垂れながら付いてくる。
「牛田さんが選んだのかよ、この服。ってか、俺の服が全部ないんだけど、どこ行ったんだよ」
「きったねぇからゴミかと思って捨てたわ」
「人のもん勝手に捨てんな!」
「うるせぇ、野村組のチンピラに捕まらねぇように匿ってやってるうえに、新品の服まで揃えてやったんだぜ。むしろ感謝しろ」
祥平の復讐に協力する、と思わず約束してしまった日、祥平は恭一のマンションに越した。というより、祥平の許可なくアパートを引き払って拉致してきたのである。チンピラといえども本気を出せばどんな手を使ってでも探し出すような奴らだ。知らぬ間にさらわれて面倒なことになるくらいなら、目の届く範囲に置いておいたほうがいいと考えたのだった。
「こんな広い部屋落ち着かない」
一人暮らしのわりにやたら広いリビング。一体何人座るのかと言いたくなるほど大きなダイニングテーブル。重厚な真っ黒な革のソファ。料理はしないくせに高性能なキッチン。いかにも富裕層の人間が住む部屋だ。大きな家具以外には観葉植物が一鉢あるだけで、無駄な小物は一切ない。ヤクザ者の潔さを表しているようだった。
「住んでみりゃ居心地いいぜ」
恭一は祥平の肩に手を添え、ダイニングテーブルの上座に座らせた。部屋全体を見渡せる、恭一の特等席である。
「ここで仕事してたらよ、すげーエラもんになった気分になれるだろ」
「……どうでもいい」
「そんなこと言わずに、進捗を聞こうか」
傍にある祥平のパソコンを立ち上げる。パッと画面に現れたのは、いかがわしいアダルトサイトである。恭一の弟分が経営しているDVD屋のホームページだ。
「けっこうシャレてきたな」
「いかにも素人が間に合わせで作ったようなホームページだったからな。コンテンツ見やすくして、検索バーも付けといた」
「なんだ、この画像」
ホームページの下部に、上半身が裸の女優の画像がある。祥平にタップしてみろと言われて胸のあたりをタップすると、豊満なバストが揺れる仕組みになっている。下らなくも妙にツボにはまる遊び心に、恭一はまた大笑いした。
「くっだらねぇ~~~面白ぇ~~~~」
「単純な奴だったら、これでだいぶ釣れるだろ」
「お前にホームぺージのリニューアル頼んで正解だったな」
振込手数料分の仕事をさせるという言葉通り、恭一は祥平にいくつか仕事を任せている。まずは組員が経営する会社のホームページのリニューアル、そしてセキュリティ対策である。コンピューターに疎い素人が何十年も前に作ったホームページだったので、使い勝手が悪いせいか閲覧数はあっても売上が伸びずにいたのだ。
「サブスクにはないようなレアもんがけっこうあるから、オンラインの環境を整えたら少しは売上マシになると思う」
「レアもんって分かるのか」
「……危険度高いってことだよ」
恭一はテーブルに腰掛け、祥平の作ったホームページをチェックする。ジャンルごとに細かく振り分けられ、検索しやすいように整理されている。あからさまに犯罪性のあるものは分かりにくくする気遣いまでされていた。
「どうよ、好みのAVとかあるか? 祥平クンはどんな娘がイイのかなァ」
からかう恭一に、祥平は冷ややかな目で「興味ない」とあしらった。
「興味ねえこたねぇだろ。こんだけ裸のねーちゃん見てんだから、プログラム書きながら何回か抜いたろ」
「むしろ無修正ばっかで生々しくて胸やけした。しばらく女の裸は見たくない」
「なら今度はゲイビ見てみるか? そっち専門の店もあんだよ。意外と抜けるかもしれねぇぜ」
「あんたはゲイビで抜くのか?」
「俺は大きいオッパイが好きだけどな。でも、そうだな」
恭一は祥平の顎を掴み、顔を近付けた。間近でジロジロと端正なその造りを観察する。奥二重の鋭い目、筋の通った鼻、小さい口。シャープな輪郭。
「お前みたいなキレイな奴なら抜けるかもな」
「体に付いてるモンはあんたと同じだけど?」
「試してみるか」
祥平は別に煽っているわけではないだろう。だが、どこまでも冷静に返されると意地になって、どうにか焦らせてやりたいという悪戯心が働いた。恭一は祥平の細い首に噛みつき、左手をTシャツの中へ滑り込ませた。想像以上に滑らかな感触だ。いけるかもしれない、と本気で思ってしまった。だが、祥平は変わらず氷のような表情でうんともすんとも鳴かない。それが面白くなくて恭一は体を離した。
「イヤンバカンとか言えよ。つまんねぇな」
「なんだよ、勃たねーんじゃん。俺の勝ちだな」
ようやくニヤ、と笑った。
むしろ祥平がそれなりの反応を示せば、おそらくある程度興奮しただろう。あまりに無反応なので萎えただけだ。
「お前、自分への扱いが雑じゃないか?」
「だって、こんな何もない自分を大事にして何になるんだよ」
僅かに視線を落として拗ねたように言う。どこか寂しげに見えたのは、太陽が雲に隠れて窓から差し込む光が途絶えたせいだろうか。
「家族はいない、親戚からも疎ましがられて、学校でもいじめられて、心を許せる人間なんかいなかった。唯一兄貴が残してくれたパソコンでプログラミングを覚えて、俺はいつも機械相手に数字と英字で喋ってた」
「それでもずっと独りってこたぁないだろ? 仕事は?」
「独りだったよ。色んなとこ転々として、新聞配達とかコンビニとかで年齢誤魔化してバイトして、中学卒業する時に親戚には黙って姿を消した」
「新聞配達とコンビニのバイトでそんなに貯まったか?」
すると今度は悪戯っぽく笑う。
「ダークウェブでマルウェアを売ったのが、けっこう金がよかったんだ。アホな詐欺師に依頼されて」
「なんだよ、お前もワルだな」
「でもダークウェブにいるような奴に完璧なプログラムは売らない。わざとバグを入れて失敗するように仕掛けてんだ。今頃俺の作ったマルウェアで詐欺やった奴は、追跡されて捕まってるだろうよ。いくら金が必要でも、クソみたいな奴らが有利になるようなことはしない」
そういえば祥平が約束の一千万を持って来た時、「自分が納得する方法を選んだ」と言っていたのを恭一は思い出した。
「俺のネットバンクをハッキングしたのもその理由か?」
「うん。金を集める方法はいくらでもあったんだ。でもなんの関係もない企業や一般人の金は盗みたくなかった。俺が金を盗むことで倒産する会社や、人生が変わる人間だっているかもしれない。その辛さは知ってるつもり。だからヤクザのあんたの金を狙った」
恭一は祥平の手口に意表を突かれたのが面白かったから笑って許せたが、おそらく別の人間であれば憤慨しているだろう。それこそ命がなかったかもしれない。それを考えなかったのだろうか。――いや、考えて、その方法を取ったのだ。
「家族も友達も、碌な教養もないうえに犯罪スレスレのところで生きるしかなかった。心の支えは兄貴を見つけることと親の仇を討つことだけ。それさえ果たせばあとはどうでもいい。そう思ったら物欲も性欲も湧かなくなった」
だからいつ崩れてもおかしくないようなアパートに住み、必要最低限の生活を送っていたのだろう。道を踏み外してまで、死にそうな目に遭ってまで家族の仇を捜している。ここまできたら危険を顧みず殺したいと思うのは自然なことなのかもしれなかった。
「そういえば、お前の親の会社って、なんていう会社だ?」
「言ってなかったっけ? あまや興産だよ」
恭一はその名を聞いて、固まった。
「……なんだって?」
「だから、あまや興産。不動産デベロッパー」
――天網恢恢疎にして漏らさず。昔どこかで覚えた、そんな言葉が今、頭をよぎった。
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