BREAK OUT-LOW 3-1
梅雨が明けて快晴が続き、今年も夏が来たかと思えばまた雨の日が続いた。じめじめと肌に纏わりつく湿気と生温い気温が気持ち悪い。夏に降る雨は嫌いだ。じっとり汗をかいているせいか、背中に張り付くワイシャツも不快である。早く体を冷やしたくて運転している牛田にエアコンの風量を上げろと指示した。
「真鍋さん、このあいだの中国人から依頼が来てますけど」
「また? あいつ怪しいんだよな。ちょっと保留にする」
「了解です」
少し沈黙して、牛田が様子を窺うように言った。
「……本当にいいんですか」
「中国人? 別にいいよ」
「それじゃなくて」
牛田は普段から感情の起伏がなく、表情のバリエーションも少ないので何を考えているか分からない男だ。だが、今はあきらかに何かを案じている顔である。
「青木を裏切るのかって?」
牛田は遠慮がちに頷く。
「祥平が言ってる親の仇ってのは青木のことだろうな。アイツも好き放題やってたからな。祥平みたいに恨んでる奴は腐るほどいるだろうよ」
俺も人のことは言えないけどな、と笑いながら付け足した。
「青木のことは正直、もう仲間とは思ってねーな。野村組長が殺された時から、俺の中で青木との縁は終わった。あいつがどこでどんなシノギしようと興味ないし、振り込めでパクられようが、どっかで殺されようが関係ない」
それは紛れもない本心だ。もう随分前から青木の愚かさには嫌気がさしている。暴力団に限らずだが、人間、誰に何を学ぶかでその後の生き方も考え方も変わる。恭一は最初に学ばせてもらったのが野村だったから、自力で稼ぐことを覚えた。だが、青木は無能な秋元に忠誠を誓ってしまったから、それに倣って無能になりつつある。己の力で金を得ることができず、昔ながらの暴力でしか成り上がることができない。今後、そんな彼らに忠義を尽くそうなどと微塵も思わなくなった。
「だからって昨日今日出会ったばっかの小僧のために組を捨てるって考えると、それもためらうけどな。青木や組長はともかく、弟分を巻き込むのは本意じゃない」
「自分と片山のことは気にせんで下さい」
「だいたい、素人のガキがヤクザを殺せるわけねぇんだよ。返り討ちに遭って終わり。無駄に死人が出るだけだ。あいつは俺との約束を果たしたから兄貴の行方くらいは探してやるけど、青木のことは諦めさせて早いうちに表に戻すつもりだ。心配するな」
特に何かを注視するわけでもなく、流れる景色を眺めていた。赤信号で停車した時、車の横を数人の若者が通り過ぎた。流行りの服を着てカラフルな傘を差して、無邪気に笑い合っている。すぐ傍の車の中には、いくつも罪を犯した人間が乗っているなんて考えもしないだろう。
「牛田の弟って何歳だっけ」
「先月、十九になりました」
「大学に入ったばっかだって言ってたよな。お前と同じ道には行かすなよ」
「弟は自分と違って優等生なんで」
優等生ってどんなんだ、と考える。
お勉強ができて、お行儀が良くて、悪いことは絶対にしない。だが、そんな優等生と言われる奴らが何かの拍子で転落した、なんて話はよくあることだ。人間、堕ちる時は簡単だ。這い上がるのはこんなにも大変なのに。
恭一は財布から取り出した十万を、背後から牛田のスーツの胸ポケットに押し込んだ。
「遅い入学祝だ。なんか買ってやれ」
「そんな、真鍋さん」
「青木の件、お前は手を引いていいからな」
「いえ、自分は真鍋さんに付いて行きます。ありがとうございます」
たった十万ぽっちでも、使い方次第で人の心を繋ぎ止めることができる。自分は根っからの悪だと思う。
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「真鍋さん、このあいだの中国人から依頼が来てますけど」
「また? あいつ怪しいんだよな。ちょっと保留にする」
「了解です」
少し沈黙して、牛田が様子を窺うように言った。
「……本当にいいんですか」
「中国人? 別にいいよ」
「それじゃなくて」
牛田は普段から感情の起伏がなく、表情のバリエーションも少ないので何を考えているか分からない男だ。だが、今はあきらかに何かを案じている顔である。
「青木を裏切るのかって?」
牛田は遠慮がちに頷く。
「祥平が言ってる親の仇ってのは青木のことだろうな。アイツも好き放題やってたからな。祥平みたいに恨んでる奴は腐るほどいるだろうよ」
俺も人のことは言えないけどな、と笑いながら付け足した。
「青木のことは正直、もう仲間とは思ってねーな。野村組長が殺された時から、俺の中で青木との縁は終わった。あいつがどこでどんなシノギしようと興味ないし、振り込めでパクられようが、どっかで殺されようが関係ない」
それは紛れもない本心だ。もう随分前から青木の愚かさには嫌気がさしている。暴力団に限らずだが、人間、誰に何を学ぶかでその後の生き方も考え方も変わる。恭一は最初に学ばせてもらったのが野村だったから、自力で稼ぐことを覚えた。だが、青木は無能な秋元に忠誠を誓ってしまったから、それに倣って無能になりつつある。己の力で金を得ることができず、昔ながらの暴力でしか成り上がることができない。今後、そんな彼らに忠義を尽くそうなどと微塵も思わなくなった。
「だからって昨日今日出会ったばっかの小僧のために組を捨てるって考えると、それもためらうけどな。青木や組長はともかく、弟分を巻き込むのは本意じゃない」
「自分と片山のことは気にせんで下さい」
「だいたい、素人のガキがヤクザを殺せるわけねぇんだよ。返り討ちに遭って終わり。無駄に死人が出るだけだ。あいつは俺との約束を果たしたから兄貴の行方くらいは探してやるけど、青木のことは諦めさせて早いうちに表に戻すつもりだ。心配するな」
特に何かを注視するわけでもなく、流れる景色を眺めていた。赤信号で停車した時、車の横を数人の若者が通り過ぎた。流行りの服を着てカラフルな傘を差して、無邪気に笑い合っている。すぐ傍の車の中には、いくつも罪を犯した人間が乗っているなんて考えもしないだろう。
「牛田の弟って何歳だっけ」
「先月、十九になりました」
「大学に入ったばっかだって言ってたよな。お前と同じ道には行かすなよ」
「弟は自分と違って優等生なんで」
優等生ってどんなんだ、と考える。
お勉強ができて、お行儀が良くて、悪いことは絶対にしない。だが、そんな優等生と言われる奴らが何かの拍子で転落した、なんて話はよくあることだ。人間、堕ちる時は簡単だ。這い上がるのはこんなにも大変なのに。
恭一は財布から取り出した十万を、背後から牛田のスーツの胸ポケットに押し込んだ。
「遅い入学祝だ。なんか買ってやれ」
「そんな、真鍋さん」
「青木の件、お前は手を引いていいからな」
「いえ、自分は真鍋さんに付いて行きます。ありがとうございます」
たった十万ぽっちでも、使い方次第で人の心を繋ぎ止めることができる。自分は根っからの悪だと思う。
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