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まひる 6

 学校の帰り道、俺と剛はコンビニで買った肉まんを頬張った。季節は冬を迎えようとしている。肌に当たる風は冷たくなり、上着がないと外を出歩けない。冷えた体に温かい肉まんが有難い。ふいに横を見ると、大地が剥き出しになった田んぼが辺り一面広がっている。田植えから稲刈りまで大仕事を終えた田んぼたちはガランとして、雑草や藁が散らばっている光景は「あ~やれやれ」とでも言っているように見える。一年間の田んぼ仕事を終えた剛も、最近は受験勉強に集中しているらしい。

 あれから俺たちはいつも一緒にいる。朝は俺が剛の家まで迎えに行って一緒に登校、弁当は屋上か食堂で一緒に食べる。帰りはホームルームが終わったら大抵、剛がニコニコしながら「帰ろう」と誘ってくるのだ。一見、ただ仲の良い友達。でもやることはやってたりする……。人目を忍んでキスしたり、どっちかの部屋に行ったら、ちょっと恥ずかしいことをする。抵抗はないし、むしろしたいとは思うけれど、やっぱり痛いのは怖い。直前で怖気付いてしまうので、最後までしたことはない。剛も優しいので無理強いしない。だからいつも抜き合うだけ。正直俺はそれだけでも満足してたりするのだけど、剛はどうなんだろう。ちょっと謎。

「ほんで、さっきからゴンはなんで泣いとん」

「うっ、だって、明後日からおらん……」

「試験受けに行くだけやん」

「俺も付いていきたい……」

「ゴンは日曜、予備校のテストあるんやろ?」

「そうやけどナンパされたりせんか心配や」

「仮にも住んどったんやけん、大丈夫やって」

 剛は「そうか」と鼻をすすり、残り四分の一になった肉まんを口に放り込んだ。しんみりした空気を変えたくて別の話題を振った。

「コタローはまだ家におるん?」

「明後日、病院行ったら大阪帰るんやって。なっがい里帰りやったわ」

 剛のお姉さんは十月の終わりに男の子を産んだらしい。お姉さんは俺と同じでずっと田舎を出たかったらしく、地元の短大を卒業したあと大阪に出て、そこで知り合った人と結婚したのだとか。自分の子は田舎に染めたくないと言っていたのに、生まれてみたら「子ども時代は田舎でのんびり暮らすんもええかもな」なんて言っているらしい。結局、自分の生まれ育った故郷は嫌いになれないということだ。俺のように。

「こないだの里芋美味しかったで」

「どうやって食べたん?」

「煮っ転がし。うちの母親、凝った料理せんけん。でもさつまいもがなくならん」

「里芋の煮っ転がし美味いよなぁ」
 
 俺はちくわと厚揚げと一緒に焚くんやけど、青のり振っても美味いで。
 残ったら次の日にコロッケしてもええしな。
 さつまいもは精進揚げが多いけど、サラダもええで。
 カボチャとさつまいもを角切りにしてな、ちょっと茹でるん。
 クリームチーズとマヨネーズで和えたらええん。
 まあ、うちのさつまいもで一番美味い食べ方は焼き芋やな。
 半分に割ったら、蜜が出てきてめっちゃ甘いん。
 
 さっきまでメソメソしていたのが生き生きしだした。やっぱり根っからそういうのが好きなんだろう。いつか店を開きたいと言っていた。その店で楽しそうに働いている姿を想像したら、少しだけ寂しいような、でもやっぱり見てみたいなという気はする。
 だけど、剛が料理をしているあいだは誰が注文取ったりするんだろう。誰が料理を運ぶんだろう。

「―――あ」

「え? なに?」

「なんでもない」

「日曜、何時に出る?」

「朝の八時」

「ほんなら、駅行く前にウチ寄って」

「ええけど、朝早いで」

「ウチは全員、毎朝五時起きやけん、大丈夫」

 眼前に広がる開放的な田園風景。大きな建物はないので、数キロ先まで大体何があるか分かる。小さく剛の家が見えてきた。たかが受験旅行だけど、ここで別れたら少しのあいだ会えなくなると思うと、確かに寂しい。俺は普段ならしないけれど、さっきから当たりそうで当たらない距離にある剛の大きい手を握った。思ったより温かいのは、俺の手が冷えすぎているからかもしれない。剛は何も言わずに強く握り返してくれた。

 日曜の朝、俺は剛に言われた通り駅に向かう途中で剛の家に寄った。まだ午前七時半だ。なのに剛は畑の草むしりをしていたと言って、汚れた格好で現れた。

「ゴン、予備校行かないかんのちゃうん」

「行くけど、時間あるもん。ちょっと待って、渡すもんあるけん」

 いったん剛は家の中へ引っ込み、再び出て来るまで田んぼの前で待った。冷たい風を遮ってくれるものもない。寒さに肩をすくめた。暫くして戻って来た剛に渡されたのは、赤いバンダナに包まれた小さな弁当箱だった。

「新幹線で食べて」

「開けていい?」

 せっかく包んでくれているのを解くのは申し訳ないが、まさか弁当を持たせてくれると思わなかったので、一刻も早く中身を見たいと思った。蓋をぱかっと開けて、俺は一瞬固まった。

「大学いもやろ、金平ごぼうやろ、、ほうれん草とコーンのバター炒め、唐揚げは冷凍ちゃうで。ちゃんと昨日から仕込みして今朝揚げたんやで」

 ウインナーはタコ、卵焼きまでご丁寧にハート型で詰められている。ただ、肝心のご飯がないな、と思ったら、

「おにぎりはこっちな」

 と、爆弾握りを渡された。

「新米のヒノヒカリで握ったで。中身ないけど、むしろないほうがええやろ。ほんで寒いけん、あったかいお茶な」

 ステンレスのボトルが温かくて、冷えた手の平にじぃんと熱が広がった。

「あ、ありがとう」

 なんて出来た奴だ。思わず涙が滲んだ。

「帰って来たら髪の毛切ってな」

「そやな、また五右衛門みたいな頭になっとるもんな」

 剛は俺の手の上で広げている弁当箱を丁寧に包みなおして、紙袋に一式詰めて改めて手渡してくれた。

「まひるが東京行くんは寂しいけど、まひるがカリスマ美容師になるん応援しとるけんな。心配せんでも俺はまひる一筋やけん、心置きなく頑張ってこい」

 世の中にはさぁ、世界を股にかけるスーパーサラリーマンとか、医者とか、エライ奴はいっぱいおるんやろうけど、農業する人やっておらんと成り立たんと思うねん。
 政治家や芸能人が毎日食っとる米やって、誰かが汗水垂らして作りよるやん。
 まひるがせっせと誰かの髪切って、ああ、疲れたなァと思った時に食べる米が俺の作った米やったらええなって思うんや。
 縁の下の力持ち、的な。
 
「もし俺が挫けて途中で帰ってきても? なんもせんとボーッとしとっても、米くれる?」

「当たり前や。俺が毎日食わしたる。俺の専属美容師になってもええで」

 なんだか偉そうに言うのが可笑しくて、少しだけ噴き出した。

「そら、どうも。まあその心配はないと思うけどな。ほな、もう時間ないけん、行くな」

「ちょっと待った!」

 剛は被っていたキャップを取り、顔を隠しながら一瞬でキスをした。周囲を見渡したら誰もいなかったからいいものの、こんな隔てるものもないだだっ広い空間で、口元だけ隠してもなんら意味はないだろうに。ただ、剛は嬉しそうに笑っているので抗議する気が失せた。

 マフラーを巻き直し、カイロの入ったポケットに手を入れて、駅に向かって歩き出した。木枯らしが吹くたびにざわざわと草木が音を立てる。この肌寒い中をひとりで歩くのは心細い気もした。だから俺は考えた。カリスマと言われるほどの美容師になった自分の姿を。俺には夢がある。自分を変えてくれた美容師みたいに、俺も誰かを変えられる美容師になりたい。剛と離れることになってもやっぱりそれは譲れない。

 だけど少しだけ、ほんの少しだけ頭の片隅に置いておく。この何もない田舎で、きっとナチュラル感満載の店を開いてご飯を作っている剛の傍らで、注文を取ったり料理を運んだりする自分の姿。そして休みの日は一緒に田植えをしたり、水やりをしたり。そんなスローライフドリームを持っていてもいいかもしれない。

 ふと振り返ると、剛はまだ田んぼの中にいた。何やら鍬で土をつついている。遠くからでも大きく見えるその背中に向かって、俺は叫んだ。

「ゴンちゃーん!」

 いつぶりかの呼び方。剛は驚いたように振り返った。

「好っきゃで――!」

 そして広大な大地の中で、長くそびえる山々を背景に、あいつはキャップを大きく振った。


END


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