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BREAK OUT-LOW 2-1

 秋元に仕事の進捗の報告を終えて事務所を出たところで、青木と出くわした。
 細身でブリオーニのスーツを着こなす姿は、会計士や弁護士などを名乗ってもおかしくなさそうな紳士的な出で立ちだ。だが今、目の前にいる彼は片目がガーゼで覆われており、額に巻かれた包帯が痛々しい。隠しきれていない傷や痣も見られた。せっかくのスレンダーなイケメンが台無しである。ただ、足取りはしっかりしているので思ったより軽傷だったようだ。恭一はわざとらしく明るく声を掛けた。

「これはこれは若頭どの。組長に用事ですか。あ、集金は無事に済んだんですかね」

「テメェ相変わらず気に障る野郎だな。どぐされが」

 舌打ちをしながらの暴言。一瞬で紳士の皮が剥げてしまった。

「これでも心配してるんだぜ、同期として」

 恭一と青木は同い年で同じ時期に組に入った。昔は親しくしていたが、恭一に出世を追い越されてから急に青木が対抗心を剥き出すようになったのだ。先を越されたのがよほど悔しかったらしく、何かにつけ当たりがキツくなった。金稼ぎに見境がなくなったのも、その頃からだった。

「思ってもないことを言うな。はっきりいい気味だと言え」

「まあ、心配してるってのは嘘だけどな。いい気味だとは思ってねぇよ。ダセェなとは思うけど」

 ギロ、と上目で睨まれる。

「調子に乗れるのも今のうちだ。市場が暴落したらお前なんかたちまち用済みだぞ」

「そうなんだよ。昨日もビットコインが下落してオヤジにさんざん嫌味言われたところ。ただ、俺の収入は投資だけじゃないんでね。ご心配どうもありがとう」

「お前と喋ると脳みそが腐る」

 青木はわざと恭一に肩をぶつけて通り過ぎた。

「おい青木、パクられるならもっとマシなやり方選べよ」

 すると、いったん通りすぎた青木が引き返してきて恭一の胸ぐらを掴んだ。間近で血走った目と視線が絡む。青木とは身長差がほとんどないぶん、やたら近くに感じる。

「自分のほうが上だと勘違いするなよ。『若頭』は俺なんだからな」

 そう言ってつかつかとローファーを鳴らしながら、青木は去った。

 恭一はふと、若衆だった頃を思い出した。青木と交代でやった事務所の電話当番。膝をついて兄貴分の煙草に何度も火をつけた。組長から時々もらう雀の涙ほどの小遣いで青木と安いラーメンを食べに行ってはいつかは俺たちも、と悪餓鬼ながらに夢を語った。あの頃は青木のことを気心が知れる仲間だと思っていた。だが今は違う。青木は恭一のことを毛嫌いしているし、若頭の座を脅かす目の上のタンコブにしか思っていないだろう。恭一もまた、青木を救いようのない馬鹿だと思っている。かつてはいくら対抗心を燃やされようが嫌われようが、いつかは純粋な仲間に戻れると期待していたが、それを諦めたのは十年前のことだ。

 当時の野村組の組長は、組名の通り野村という男だった。恭一を暴力団の世界に招き入れた男である。恭一はいち若衆に過ぎなかったが、野村には気に入られていたこともあって組長付きであった。恭一は仕事を覚えるのが早かったし、適度に気が利くところが評価されていたのだろう。不動産業を営んでいた野村はよく恭一を現場に連れ回し、恭一もまた野村の傍で知識を身につけていった。秋元は若頭、青木は若頭補佐だったが、恭一のほうが後を継ぐのではと囁かれるほどの待遇だった。
そして野村がついに恭一を本部長に任命した時、青木の態度がガラリと変わったのだ。それまでは自分の方が上だという優越感もあってかそれなりに親しくしていたのが、急に恭一を邪険にし始めた。立場が逆転したのが悔しくてたまらなかったのだろう。野村に気に入られていることへの嫉妬もあったかもしれない。

 恭一は出世に興味はなかった。組の事務を回すために本部長の役職を与えられたが、今後組長代理だの後継ぎだのと言われたら断ろうと考えていたくらいだ。だから青木にそこまで嫉妬される理由も分からず、いつかまた親しくなれるだろうと楽観的に受け止めていた。だが、そんな淡い期待はすぐに砕かれることになる。

 その頃の青木は祥平が言っていた「ACフィナンシャル」という違法の消費者金融をやっていて、おもに中小企業を中心に金を貸していた。ある時、青木は風俗店を営むある男に金を貸した。闇金に借りた金を返すために金を借りたい、とのことだった。だが、当然返せるはずもなく、男は返済期限日に行方をくらました。青木は男が経営する風俗店に取り立てに向かったが、そこは敵対する永野組の縄張りであった。シマを荒らしにきたのかと噛みつく永野組と、抗争寸前まで話がこじれたのである。
あいだに入った野村のおかげで事態は治まりかけたが、直後に野村が暗殺された。それを火種に、青木を筆頭に抗争が起こったのだった。

青木は見かけによらず武闘派だ。報復という大義名分を掲げて暴力でねじ伏せ、相応の見返りを手に入れた。ただ、のちに牛田から入って来た情報では、野村が殺されたのは永野組ではなく、青木の仕業らしかった。抗争が起きるように青木が自ら仕向けたことだった。

 表向きは抗争ほど無駄なことはないという認識だが、結局のところは暴力がものを言う世界である。もともと違法の上で成り立っているのだから、ただの話し合いで終わるわけがないのだ。そうは分かっていても己の出世のために茶番を繰り広げた青木には心底軽蔑したし、何より恭一は野村を慕っていたので許すことができなかった。恭一が今の世界に居続けることに疑問を抱くきっかけになった事件だった。
 その後、秋元は組長に、青木は若頭に就任したが、そんな地位に一体なんの意味があるのか恭一にはまるで分からない。上に行けば行くほど締め付けはきつくなるし、納める会費の額が大きくなるだけだ。組織幹部の肩書きが欲しいのか、それとも別の何かを求めているのか。

 ――でも、俺も似たようなもんだな。

 そうやって嫌悪を持ちながらもヤクザという身分を捨てられず、本部長の座に居座ったままだ。やっていることは変わらない。収入のほとんどは同業相手に稼いできた黒い金。いくら資金洗浄をしたところで汚れは取れない。
もしカタギになったら、と想像したことは何度もある。いっそ警察に捕まれば区切りがつくかもしれない。でも娑婆に出たら何をすればいいのか分からない。人生の半分以上を裏社会で過ごし、カタギとして生きたことなどほとんどないからだ。だからいつまで経っても改められることなく、この歳まで来てしまった。かつて青木と語り合った自分の夢がなんだったのか、とうに忘れた。
 ついでに牛田がずっと後ろにいたことも忘れていた。

「牛田、アイツどうなった?」

「アイツ、ですか」

「ほら、ショウキチ? ヘイキチ?」

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