BREAK OUT-LOW 1-3
―――
仕事を終えて松村の診療所に戻ってきたのは、予定より二時間ほど遅れた、午後五時頃だった。中国人から受け取った現金を海外口座に送金するために銀行へ行ったら、いつもの担当者が不在だったせいで時間がかかってしまったのだ。代わりに受け付けた新人行員の段取りの悪さが気に入らなかった。あと数分早く着いていれば間に合っていたのに。あれもそれも金髪の男がぶつかってきたせいだと、恭一はやや苛立っていた。
診療所に入ると、松村は待ちくたびれたと言わんばかりに恭一を迎えた。
「遅かったじゃな~い。例の彼、目が覚めてるわよ。ちょっと怪我があるけどたいしたことないわ」
「ご苦労だったな」
男がいるという診察台に直行する。カーテンを勢いよく開けると、男は不貞腐れた面持ちで胡坐をかいていた。
「誰だよ」
想像以上にハスキーな声を発した。そのわりにやたら小綺麗な顔がついている。頬にもシャツの襟から覗く細い首にも痣や傷が目立つが、肌理の細かい肌だ。なにより鋭い眼光を放つキリッと吊り上がった目が印象的である。ただ、いくらこちらの正体を知らないとはいえ小生意気な態度と口調は気に入らない。恭一は仁王立ちのまま男を見下ろした。
「今朝、車にぶつかったの覚えてるか?」
「……ああ」
「あれな、俺の車なんだよ。これからさあ仕事に行こうってところで、いきなりお前が飛び出してぶつかってきたんだ。気を失うほどの衝撃だったんだ。そりゃ車だって傷付いたわな」
男は眉間を寄せてきまりの悪そうに唇を噛んだ。目線を落としたのは都合が悪い証拠だ。
「だが、ぶつかった以上放っておくわけにいかない。だから取引相手との約束の時間が迫ってるにも関わらず、お前を助けるために知り合いの医者に無理言って看てもらったんだ」
「……」
そこで恭一は診察台を思い切り蹴った。ガアン、と音が響き、男は僅かにビクッと肩を跳ねさせた。後ろのほうで松村が「ここで暴れないでちょうだい!」と叫んでいる。恭一は男に顔を近付けてジロジロと舐めるようにガンつけた。
「それなのにお前は謝罪も感謝もせず、いきなり『誰だよ』だと? ふざけんなよ、あ?」
「……すみません、でした……」
「で?」
「……ありがとうございます」
恭一は今度はにこやかに微笑み、柔らかい口調で言う。
「そうそう、それでいいんだよ。今度から気を付けような?」
ポンポンと肩を叩く。力を入れたら砕けそうなほど華奢だった。恭一が笑顔を見せたことで男の顔からこわばりが消えた。近くにあった椅子に腰かけ、男と目線の高さを合わせた。
「――で、車の修理代と治療費なんだが」
「え」
「え、じゃねーだろうが。てめぇの治療費と俺の車の修理代だよ。まさか払わねぇとは言わねぇよな」
「おいくらですか」
「その前に、名前と年齢」
「は?」
「な・ま・え・と・ト・シ」
台詞に合わせて拳で壁をドンドンと叩くと、男はまた眉をひそめた。
「……雨宮祥平。二十三」
「ふん、本名らしいな」
男の免許証を見て名前と生年月日が一致していることを確認する。祥平は知らぬ間に免許証を抜き取られたことに気付いたらしく、拳を振り上げて恭一に飛びかかった。恭一は牛田ほどではないが日頃から鍛えているのでそれなりに体もでかければ力も強い。当然、負傷している祥平にやられるはずがなく、簡単にかわして床に倒した。後頭部を踏んづける。
「俺は心が広いから許してやるけど、俺以外の奴に同じことしたらお前、もう死んでるからな」
足の下から祥平が苦しげなかすれ声で訊ねた。
「あんた、ヤクザなのか」
恭一は更に踏み込み、床に顔を押し付ける。呻き声ひとつ上げないのはたいしたものだ。
「ヤクザって言葉はな、ヤクザ以外の人間が簡単に口にしていい言葉じゃねぇんだよ。覚えとけ」
「……野村組のこと、何か知ってるか」
祥平の口から出た言葉に、恭一は足を外す。後襟を引っ張って強引に診察台に戻した。
「なんだって?」
「げほ、野村組の中に、ACフィナンシャルって会社をやってる奴がいるはずだ。そいつのことを知りたい。もし知ってるなら教えて欲しい」
ACフィナンシャルとは、かつて青木が持っていた消費者金融会社だ。いわゆる闇金である。数名ほどの社員で構成されており、青木がおもに仕切っていた。ただ、今ではとっくに辞めている。
「そいつを知ってどうするんだ」
「仇を討ちたい。……俺の家族を殺した奴なんだ」
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仕事を終えて松村の診療所に戻ってきたのは、予定より二時間ほど遅れた、午後五時頃だった。中国人から受け取った現金を海外口座に送金するために銀行へ行ったら、いつもの担当者が不在だったせいで時間がかかってしまったのだ。代わりに受け付けた新人行員の段取りの悪さが気に入らなかった。あと数分早く着いていれば間に合っていたのに。あれもそれも金髪の男がぶつかってきたせいだと、恭一はやや苛立っていた。
診療所に入ると、松村は待ちくたびれたと言わんばかりに恭一を迎えた。
「遅かったじゃな~い。例の彼、目が覚めてるわよ。ちょっと怪我があるけどたいしたことないわ」
「ご苦労だったな」
男がいるという診察台に直行する。カーテンを勢いよく開けると、男は不貞腐れた面持ちで胡坐をかいていた。
「誰だよ」
想像以上にハスキーな声を発した。そのわりにやたら小綺麗な顔がついている。頬にもシャツの襟から覗く細い首にも痣や傷が目立つが、肌理の細かい肌だ。なにより鋭い眼光を放つキリッと吊り上がった目が印象的である。ただ、いくらこちらの正体を知らないとはいえ小生意気な態度と口調は気に入らない。恭一は仁王立ちのまま男を見下ろした。
「今朝、車にぶつかったの覚えてるか?」
「……ああ」
「あれな、俺の車なんだよ。これからさあ仕事に行こうってところで、いきなりお前が飛び出してぶつかってきたんだ。気を失うほどの衝撃だったんだ。そりゃ車だって傷付いたわな」
男は眉間を寄せてきまりの悪そうに唇を噛んだ。目線を落としたのは都合が悪い証拠だ。
「だが、ぶつかった以上放っておくわけにいかない。だから取引相手との約束の時間が迫ってるにも関わらず、お前を助けるために知り合いの医者に無理言って看てもらったんだ」
「……」
そこで恭一は診察台を思い切り蹴った。ガアン、と音が響き、男は僅かにビクッと肩を跳ねさせた。後ろのほうで松村が「ここで暴れないでちょうだい!」と叫んでいる。恭一は男に顔を近付けてジロジロと舐めるようにガンつけた。
「それなのにお前は謝罪も感謝もせず、いきなり『誰だよ』だと? ふざけんなよ、あ?」
「……すみません、でした……」
「で?」
「……ありがとうございます」
恭一は今度はにこやかに微笑み、柔らかい口調で言う。
「そうそう、それでいいんだよ。今度から気を付けような?」
ポンポンと肩を叩く。力を入れたら砕けそうなほど華奢だった。恭一が笑顔を見せたことで男の顔からこわばりが消えた。近くにあった椅子に腰かけ、男と目線の高さを合わせた。
「――で、車の修理代と治療費なんだが」
「え」
「え、じゃねーだろうが。てめぇの治療費と俺の車の修理代だよ。まさか払わねぇとは言わねぇよな」
「おいくらですか」
「その前に、名前と年齢」
「は?」
「な・ま・え・と・ト・シ」
台詞に合わせて拳で壁をドンドンと叩くと、男はまた眉をひそめた。
「……雨宮祥平。二十三」
「ふん、本名らしいな」
男の免許証を見て名前と生年月日が一致していることを確認する。祥平は知らぬ間に免許証を抜き取られたことに気付いたらしく、拳を振り上げて恭一に飛びかかった。恭一は牛田ほどではないが日頃から鍛えているのでそれなりに体もでかければ力も強い。当然、負傷している祥平にやられるはずがなく、簡単にかわして床に倒した。後頭部を踏んづける。
「俺は心が広いから許してやるけど、俺以外の奴に同じことしたらお前、もう死んでるからな」
足の下から祥平が苦しげなかすれ声で訊ねた。
「あんた、ヤクザなのか」
恭一は更に踏み込み、床に顔を押し付ける。呻き声ひとつ上げないのはたいしたものだ。
「ヤクザって言葉はな、ヤクザ以外の人間が簡単に口にしていい言葉じゃねぇんだよ。覚えとけ」
「……野村組のこと、何か知ってるか」
祥平の口から出た言葉に、恭一は足を外す。後襟を引っ張って強引に診察台に戻した。
「なんだって?」
「げほ、野村組の中に、ACフィナンシャルって会社をやってる奴がいるはずだ。そいつのことを知りたい。もし知ってるなら教えて欲しい」
ACフィナンシャルとは、かつて青木が持っていた消費者金融会社だ。いわゆる闇金である。数名ほどの社員で構成されており、青木がおもに仕切っていた。ただ、今ではとっくに辞めている。
「そいつを知ってどうするんだ」
「仇を討ちたい。……俺の家族を殺した奴なんだ」
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