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第二部 2-6

 がむしゃらに仕事と勉強に打ち込んだ。何かに集中している時は余計なことを考えなくて済むから。それでもふと、今の仕事があるのは大智が紹介してくれたからだということを思い出しては手が止まる。大智を振っておいて自分だけのうのうと大智の厚意に甘えたままでいいのかと。その度に辞めてしまおうかという衝動にかられることもあるけれど、このまま仕事を続けていくことが俺なりの誠意なのだと思い込むしかなかった。仕事、勉強、親父の看病。他事を考える余裕などないくらいに多忙なはずなのに、物事はなかなか上手くいかない。

「親父、いい加減会社に異動願い出せよ」

「これ以上迷惑かけられないんだ」

「抗がん剤打つ度フラフラされる方が、よっぽど迷惑だって気付けよ」

「副作用がきついのは翌日だけだ」

「だから……」

「お前は余計な口出しはしなくていいんだッ!」

 親父はいくら言っても頑なに言うことを聞かない。こっちは心配しているだけなのに、ここまで頑固だと投げ出したくなってくる。カッと頭にきた俺もつい声を荒げてしまった。

「ああそうかよ! じゃあ勝手にしろ!」

 せっかく一緒に夕飯を摂っていたのに、食事も途中のまま箸を置いた。おかずはまだ残っているが、これ以上親父といると苛々して当たってしまうので席を立った。荒々しく食器をキッチンに運び、洗いもせずリビングを出た。当てつけのようにドアを思い切り叩き閉めて。ドアの小窓から親父の背中を見る。痩せて小さくなった後姿がなんだか哀れで、だけど優しくする気にもなれなくて目を背けた。

『お父さんもさぁ、不安なんだと思うよ』

 苛々の勢いで理沙に電話して、愚痴を言ってしまった。今まであまり言わないようにしていたのに、誰かに聞いてもらわないとやり場がなかったのだ。

「それは分かるけど、それなら尚更会社に言えばいいのに」

『異動して収入が減ったら困るとか気にしてるのかな。昇がいるとはいえ、子どもに負担はかけたくないと思ってるんじゃない?』

「負担なんて今更だろ」

 言ってから気付いても遅い。そういうことを言いたいわけじゃないのに。てっきり責められると思ったが、理沙はそれには無言で、申し訳なさそうに「ごめん」と言った。

『わたしも近くにいてあげられたら良かったね』

「……や、違う。悪い。イライラして八つ当たりした。本心じゃないよ。本心じゃないけど、たぶん今、疲れてる」

『うん。昇がイライラするのも仕方ないよ。……わたしの想像だけどさ、お父さんはたぶん弱い者扱いされたくないんじゃないかな。思うように体が動かないのがもどかしいんだよ。しばらく見守るほうがいいかも』

「……うん」

『わたしもまた帰るよ。昇も体壊したりしないでよね』

 電話の向こうから理沙を呼ぶ女の子の声がした。友達と一緒だったらしく、邪魔したことを詫びて電話を切った。
 親父を負担と思ったことはない。自分で選んだことだし、親の看病をするのは当然のことだ。でも苛々していたとはいえ、思ってもいないことなんか言うだろうか。カッとした時に出た言葉が本音なんじゃないのか。それなら俺は親父を負担に思っているのだろうか。俺は振り払うように首を振り、机に向かってテキストを開いた。余計なことは考えたくない。

 親父が会社で倒れたと電話があったのは、翌日のことだ。ちょうど授業を終えて事務室に入ったところで、山木さんが慌てて教えてくれた。病院から教室に直接電話があったらしかった。山木さんは「お父さんの調子が悪かったなら早く相談してくれればよかったのに」と言ってはくれたが、俺は有難いというより「気を遣わせてしまうかもしれない」と、そのことばかり考えていた。
 すぐに病院に向かい、ナースステーションで病室の場所を尋ねようとしたら、親父の会社の人が俺を待っていた。

「渡辺次長の息子さんですね」

 およそ三十代と思われる若いサラリーマン。親父の直属の部下だと言った。

「会社で喀血して倒れたのですが、今は落ち着いたようで眠っていらっしゃいます。次長……お父様、ずっと抗がん剤治療されていたんですね。配慮が足らず申し訳ございません」

「いえ、こちらこそ父がご迷惑をおかけしてすみません……ありがとうございます」

「お父様に、会社のことは気にせずゆっくり休んで下さいとお伝えください」

 サラリーマンは頭を下げて去ろうとするので、思わず引き留めた。親父はまた余計なことをするなと怒るかもしれないけど、この際、俺が願い出るしかない。

「本来なら父からきちんとお話しなければならないことなんですが……父をもう少し仕事の負担が少ない部署へ異動させていただけませんか」

「えっ?」

「僕の家には母がおらず、父が今まで家事と仕事をほとんど担ってきました。よく会社から持ち帰った仕事を家でやっていて、ろくに休んでいる姿を見たことがありません。その習慣か、今もどんなに身体が辛くても休んでくれないんです。これまで何度も父に異動させてもらえと持ち掛けましたが、聞き入れてくれませんでした。結果、会社の方にご迷惑をおかけしたわけなんですが……。厚かましいのは重々承知です。ですが、どうか会社の方にこのことを伝えていただけませんか」

 サラリーマンは俺の急な頼み事に困った顔をしていたが、もう一度「お願いします」と深く頭を下げると「分かりました」と答えてくれた。

「僕はなんというか……権限がないのだけど、きみの頼みは会社に戻ったら上の人間に伝えておきます。とにかく今はお大事にして下さい」

 頼もしいのかそうじゃないのか、心許ない返事に少しガッカリしながら、そそくさと去るサラリーマンを見送った。


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