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第二部 2-5

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 大智が俺のことを恋愛の意味で好きなのだと知った時、嫌ではなかった。
大川さんを傷付けたことへの怒りが頭の大半を占めていたから、冷静に判断できなかったんだと思う。もしあんな形で知るのではなくて、大智の口から直接告白されていたら、俺だって大智にひどい言葉を言わずに済んだかもしれない。今まで、何度もそんなことを考えた。

――いや、どちらにしろ傷付けたか。 

 もし、あのまま俺と大川さんが付き合っていたら、大智は俺の惚気話を延々と聞かされて見せつけられて、それはそれで辛い思いをしたはず。俺に好きだと言う機会すら持てなかったかもしれない。どっちになっても結局俺は大智を傷付けるしかなかったのだ。
 そのくせ自分が同じことをされたらあからさまに嫉妬して拗ねた。大智と充希が付き合っているのだと思い知る度に、自分のことを棚に上げて勝手に傷付いた。本当に俺は自分勝手でガキだ。
 俺は大智が充希と付き合っているのが、嫌なんだ。口では「応援している」なんて言っても心の中は真っ黒で、「俺のことを好きだと言ったくせに」と本当は思っていた。

 俺は大智のことが好きなんだろうか。こんなに醜い感情が好きだということなのか。恋愛ってもっと楽しくてわくわくするものじゃないのか。少なくとも、大川さんに対してはそうだった。それとも、そもそもそれが間違いなのか。分からない。俺が大智を好きだとして、その先自分がどうしたいのかも。キスは嫌じゃなかった。嫌じゃなかったけど自分からしたいとは思わない。セックスなんてもっと想像できない。じゃあ、やっぱり俺のこの嫉妬は恋愛感情というより単に仲の良い友人を取られて悔しいとか、そういう幼稚な感情なのか。

――とにかく、あの時のように後味の悪い別れ方は嫌だ。

 大智の気持ちに応えるにしても応えられないにしても、傷付けたことについては謝るべきだと理沙に背中を押されたこともあり、俺は仕事帰りに大智のアパートに寄ることにした。

 暗がりの中でアパートの窓から漏れる光を見上げた。この時間は大抵、大学の課題をやっていると前に聞いたことがある。勉強の邪魔にならないくらいに、謝ったらすぐに退散しよう。そう決めて深呼吸をしてから階段を上った。変に緊張していて、心臓がドクドクと波打っている。部屋の前に辿り着いてインターホンを押し、大智が出てくるまでの数秒間、頭の中で何を言うか繰り返し唱えていた。だが、勢いよく開いたドアの先にいたのは大智ではなかった。思いがけない人物と出くわして頭の中が空っぽになった。

「何か御用ですか」

 いかにも異国風な中性的な男が流暢な日本語でそう言った。人形みたいな碧い眼。充希だった。

「あ、あの……大智は……」

「彼なら今、風呂に入ってますけど。用があるなら伝えます」

「なら、日を改めます。お邪魔しました」

 関わりたくなくて早くその場から逃げたかったのに、背を向けたところで不運にも呼び止められてしまった。

「もしかして、昇ってきみのこと?」

 否定する理由もない。俺は遠慮がちに頷いた。

「少し話があるんだけど、いい?」

「え? 俺に?」

 充希はそっとドアを閉めて、アパートの外で、と俺をいざなった。階段を下りて郵便ポストの前で向かい合う。ほぼほぼ初対面なのに名前を知られていることも怖いし、改まって話があると言われると余計に怖い。充希は警戒するような眼差しで俺をじっと見ていたが、俺は目を合わせるのも嫌でキョロキョロと視線だけを泳がせていた。

「意外と普通なんだね」

 と、おもむろに充希が口を開いた。

「普通、とは」

「よく大智の話にはきみが出てくるんだけど、幼馴染で仲が良いんだってね。いつも褒めるんだよね、きみのこと。家族思いでしっかり者でいい奴だって。もっとカッコいいの想像してたけど、フツメンすぎて拍子抜け」

「……」

「しょっちゅう大智の家に遊びに来るらしいね」

「まあ、そりゃ……友達、ですから」

「いつ電話掛けても『昇がいるから、昇が来てるから、明日は昇が来るから』。昇、昇、昇って、どんだけ好きなんだよ」

 後半は大智への愚痴のようだが、口の端を歪めてそう吐き捨てる表情から嫉妬が見て取れて、ああ、俺は今のこいつと同じ顔をしてたんだろうなと猛省した。

「あ、あのさ、誤解がないように言っとくけど、俺と大智は本当に友達として遊んでただけだから。でもそれで充希、くんが嫌な気持ちになってたんなら謝るよ。ごめん」

 すると今度は充希の表情がパアッと明るくなった。いまいち心情を掴めなくて戸惑う。

「じゃあ、きみは大智のことが好きってわけではないんだね?」

「え、あ、」

「大智はどう見てもきみのことが好きなのは分かるよ。もしきみも大智のことが好きなら俺はいずれ捨てられる」

「捨てるなんて……」

「でもきみが大智を友達以上に見ていないんなら良かった」

 はっきり答えられない自分が情けなかった。好きじゃないのかと聞かれたら勿論「好き」だが、それが友情なのか恋愛なのかいまだ分からないし、今は友達以上に見られなくても今後友達以上を望むかもしれない。

「もう知ってると思うけど、俺と大智は一応付き合ってるんだ。大智が俺のことを好きじゃなくても俺は大智を好きだから離れるわけにいかない。そこにきみが出て来たら、もう俺の居場所がなくなってしまう」

「そんなことは」

「あるんだよ。きみには分からないだろうけど」

 以前、大智に線引きされたことを思い出した。俺は確かに彼らの気持ちを百パーセント理解することはできないかもしれない。でも先にそうやって壁を作られたら理解できることもできなくなる。それが悔しかった。大智と充希にはその壁がないのだ。そんな何気ない言葉の節々で、大智と充希の繋がりを見せつけられているような気分だった。

「俺にどうして欲しいの?」

「大智に会うのをやめて欲しい。できればずっと、がいいけど、それだと友達同士なのに気の毒だから、彼が俺のことをちゃんと好きになるまででいいよ。今日はなんの話をしに来たのか分からないけど、もう来ないでほしい。俺と大智の仲を邪魔しないでほしい」

 どうして大智が充希と似ていると言ったのか、今、分かった。大智も充希も、手に入れたいもののためなら攻撃的になることを躊躇わないのだ。

 ――あいつの傍にいるのは俺じゃないと駄目なんだ。
 九年間、ずっとそうしてきた。これからも俺はあいつの傍から離れない。
 だから大川さん、あいつからの告白、断って欲しい。
 ……邪魔なんだよね。きみのことが。すごく。――

 俺は誰かを手に入れるために、そこまでできるだろうか。下手をすれば何も手に入らないかもしれないのに、それでも一人に執着できるだろうか。……迷っている時点できっと駄目だ。俺にはこいつらのような覚悟も執念もない。

「……分かった。もう来ないよ」

「話が分かる人でよかった! よろしく頼むよ。それじゃあ」

 充希は最後に安心した顔で笑い、階段を駆け上がっていった。天真爛漫に嬉しそうにしやがって。なんて、僻んでいる自分は無様にも程がある。詰め寄られて怖気付いたのは自分なのに。ぐっと奥歯を食いしばって、真っ暗な夜空を見上げた。
 これでよかったのだと思おう。むしろ充希が出てきてくれたおかげで大智と気まずい話をしなくて済んだし、俺のこのわけの分からない感情も、もう考えなくて済む。簡単に引き下がれる、その程度のものなんだ。

 充希に釘を刺されてから数日後、大智から土日に実家に帰るから会えないかとメッセージが来た。あの夜のことを謝るつもりなのだろう。でも俺にとってはもうどうでもいいことだった。用事があるから無理だ、とあえて素っ気なく返したら直後に電話がかかってきた。無視をしてもいいけれど、それだと結局また何もかもうやむやになってしまう。電話に出るだけだから、と心の中で充希に言い訳をして応えた。

『土日じゃなくてもいいんだけど、空いてる日はないか?』

「当分無理かな。親父のことも仕事もあるし」

『……本当は直接会って言いたかったんだけど、この前はごめん。嫌われても仕方のないことだと思う』

「いいよ、もう。俺もあの時ヤな態度取ったし。お互い様ってことで忘れよーぜ」

 これ以上話を続けたくなかった。仲直りしたら避ける理由がなくなって充希との約束を破ってしまうことになる。別に充希に義理立てするつもりはない。俺が簡単に約束を破る人間になりたくないだけ。少し間があったあと、大智が低い声で言った。

『昇には悪いことしたと思ってる。でも俺は忘れるなんてできない』

「……お前とはずっといい友達でいたいんだ」

『俺は昇が好きなんだ。それだけは忘れないでほしい』

 大川さんに再会した時、俺はそれまで大事にしてきた高校時代の淡い恋心を大川さんに砕かれた気がして、内心傷付いた。綺麗な想い出まで「勘違いだった」と言われたようで、じゃあそれまで俺が大事にしてきたものってなんだったのだと虚しくなった。たとえ叶わなかった想いだとしても気持ちを否定されることの悲しさは知っているつもりだ。

「大智の……気持ちは、分かった。でもごめん。俺はお前の気持ちには応えられない。友達以上には見られない」

 今度こそ伝えた。誤解もすれ違いもなく。胸の奥がやたら痛いのは気のせいだ。

「それでさ、俺ら、やっぱりもう会わないほうがいいんじゃないかな。やっぱ気持ちの整理がつくまでは……」

『……いつまで?』

「知らねーよ、そんなの。お前の気持ちは忘れないよ。でも俺への気持ちは忘れた方がいい。お前には……充希がいるだろ」

『これからも変わらないのか』

「――うん」

『そうか』

 それを最後に、通話が切れた。「じゃあな」くらい言えよ。人のことを搔き乱すだけ搔き乱しておいて、ちゃんと挨拶もしないまま電話を切るとか、自分勝手かよ。思わず鼻で笑った。これでもう無駄に悩む必要がなくなってせいせいした。こんなに開放的な気分なのだ。やっぱり俺は大智のことを好きなわけじゃなかった。
ちょっと涙が出るのは、後悔しているからじゃない。長年の付き合いの幼馴染ともう遊べなくなるからだ。



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