第二部 2-3
「渡辺先生!」
耳元で生徒に大きな声で呼ばれた。現実に頭が追いつかずに固まった。一瞬だけ意識がどこかに飛んでいた。
「ご、ごめん。もう一回言ってくれる?」
「ここ、次どうやって動かすの?」
生徒の進捗を真横で見ていながら何も頭に入っていなかった。幸い子どもには気付かれなかったが、傍で見ていた山木さんは違った。授業が終わってから、どうして仕事中にぼんやりしていたのかと注意を受けた。
「親父の看病がしんどくて疲れが溜まっている」なんて言ったところで、仕事には関係のないことだ。自分がしっかりしていなかっただけ。俺は親父のことは話さないことに決めた。
「……すみません、違うことに気を取られて……」
「事務作業中ならともかく、授業中に生徒を見ながら他事考えるなんて一番あり得ないぜ。次からは気を付けて」
「はい、すみませんでした」
山木さんが去った後に、背後からやってきた桜井さんが俺の背中をポンと叩いていく。笑いかけることも励ましの言葉もないけれど、桜井さんなりの慰めだろう。それでも俺は自分のふがいなさを責めずにはいられなかった。
仕事を終えてスマートフォンを見ると大智から着信が残っていた。折り返すと大智がすぐに応えた。
『仕事、終わった?』
電話越しの低い声が、なんだか懐かしく思える。
「……終わった」
『もし時間あったら、ウチ来ない?』
だけど早く帰って夕飯を作らないといけない。洗濯もしないといけない。プログラミングの勉強も。――もう、いいや。たまには投げ出しても許されるだろう。俺は「今から向かう」とだけ言って電話を切った。親父にはメッセージだけ入れておく。
ちょっとした飲み物と駄菓子を買ってインターホンを押したら、中からドタドタと足音が聞こえたあと大智がドアを開けた。山木さんにも親父にもいつも言われている「お疲れ」という言葉が妙に心に沁みるのは、大智が屈託ない顔で笑うから。
「なんか久しぶりだな」
「二週間ぶりくらいじゃね? ん、お前酎ハイ飲むだろ?」
「わざわざいいのに」
俺はまだ酒は飲めないのでおとなしくコーラである。あと一ヵ月も経てば誕生日がきて二十歳になる。そうすれば、
「昇の誕生日には一緒に酒、飲もう」
同じことを考えていることがこんなに嬉しい。こんな些細なことで癒されるなんて、俺は相当疲れているようだ。
「最近、忙しそうだからあえて声は掛けなかったんだけど、やっぱり心配でさ」
大智が飲み物を用意している間、相変わらず綺麗に片付いている部屋を見渡しながら、シーツまで整えられたベッドに腰を下ろした。あまりの色気のなさに悪戯をしたくなって、ふっくら膨らんだ枕を拳で潰してみる。何かが指に当たって枕を持ち上げると、コンドームの箱があった。慌てて枕を戻す。
「昇、聞いてるか?」
「えっ? ああ、ごめん、なんだっけ」
「親父さんの具合、どうなの?」
「えーと、電話でも言ったけど転移してて。俺は会社に報告して部署異動させてもらえって言ってるんだけど、親父はそれができないみたいで、仕事しながら通院して抗がん剤打ってる……感じ」
ずれた枕を横目で見ながら、俺がコンドームを見たことがバレないだろうかとヒヤヒヤした。いや、どうして俺がヒヤヒヤするんだ。「お前、なにこんなの隠してんだよ」と冷やかせば笑い話で済むじゃないか。けれども今更冷やかす気にもなれなくて、見ていないフリをする。ゆっくり滑るようにベッドから落ちて床に座った。
「昇も仕事あるのに大変じゃないのか」
「大変じゃないと言えば嘘になるけど、仕方ないし。……それに、お前がこうやって誘ってくれるだけで気が紛れるんだ。だから助かったよ」
こっちは素直に感謝しているというのに、どういうわけか大智のほうが辛そうな顔をしている。俺はそんな大智を「同情するなよ」と笑った。
「同情じゃない。ただ俺は何もしてやれないんだなって」
「だからさー、お前はたまに会ってくれるだけでいいんだ。俺だって身内のアレコレを友達に見せたくないし」
自分で言っておきながら「友達」という言葉に違和感を覚える。大智は幼馴染で親友だ。家族のようだけど家族ではない。だから「友達」で合っているはず。なのに、どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろう。俺のそんな心情などおかまいなく、大智は静かに追い打ちをかけた。
「昇は俺の幼馴染だし、親友だけど」
心臓が一瞬、痛む。
「お前が一人で溜め込む性格なのは充分知ってるから心配だ。だから我慢しないで俺になんかできることがあったら言って欲しい」
もともと俺は悩み事や愚痴を自分から話すタイプじゃない。話したいのを我慢しているのではなく、結局それを解決するのは自分自身だから、言ったところで変わらないと冷めた考えがあるからだ。けれども話せば気が楽になることも知っている。だから聞かれれば話す、といったスタンスだ。大智は俺のそういう面倒な部分も見抜いていて、俺が話しやすいようにわざわざこうして申し出てくれている。いつもなら「サンキュー」と軽く言っておくところだが、今日は駄目だ。優しい言葉をかけられると辛い。
――でも今日くらい、甘えてもいいんじゃないのか。
「……大智、俺、本当は、」
大きな着信音に遮られた。大智のスマートフォンが鳴っている。大智は無視しようとしたが、音が大きいのとあまりに長いので「出ろよ」と促した。申し訳なさそうな顔で、大智は電話を取る。ぶっきら棒な物言いから、相手は充希なのだと知る。大智の俺には見せないその素っ気なさが、二人の親しさを表しているようだった。
「だから、今日は無理なんだよ。……明日なら大丈夫だから」
コーラを飲みながら聞くつもりもない会話が耳に入る。充希が何を言っているかは分からないが、声のボリュームで文句を言っているのは確かだ。大智の受け答えからして、今日は俺がいるから会えない、という話なのだろう。いたたまれなくなってくる。
「――夜中でいいなら、行くから」
大智のその言葉で、急速に気持ちが冷えていった。
俺が帰って親父のことで頭を悩ませているあいだ、大智は充希と楽しく過ごすんだろうか。付き合ってるんだから、話をするだけじゃ済まないだろう。男同士でもやることはきっと男女と同じだ。手を繋いだりキスをしたり、それ以上のことだってするかもしれない。現実味はないけど想像するとやたら苛々する。
電話を切って俺に向き直った大智に、勢いのまま言ってやった。
「行けば?」
「え……」
「今すぐ行ってやれよ」
「なんでだよ、俺は今、昇と……」
「夜中に行くくらいなら、今から行けよ」
俺だってカップルの邪魔をしてまで居座るほど野暮じゃない。
「俺とはいつだって会えるし、友達より恋人のほうが大事だろ」
誰だってそうだ。いくら幼馴染でも、同じ趣向で同じような悩みを分け合っている恋人同士には勝てない。そう認めてしまうと苛々が止まらなくて、わざと煽るようなことばかり言ってしまった。
「俺の辛気臭い話聞くより、充希といるほうがいいだろ。俺も帰って家のことやらないといけないし」
「なんで急にそんなこと言うんだよ」
「だってお前はあいつが好きなんだろうが!」
そう叫んだ瞬間、俺は唐突に理解した。
大智がいつも部屋を綺麗にしているのは、充希といた痕跡を俺に見せないためだ。そして思いがけず俺はその痕跡を見つけてしまった。あの時咄嗟に冷やかせない程動揺したのは、そのコンドームを大智が充希とする時に使うのだと考えたくなかったから。嫌だったから。大智が誰かと抱き合っていると生々しく知らされるのが。好きな時に大智を呼びつけて無条件に甘えられる充希が羨ましい。本当は今日は俺が、大智に甘えるはずだったのに。
――まずい、これ、嫉妬だ。
きっと醜いであろう顔を見られたくなくて俯く。鞄を手に取って立ち上がろうとしたところを、肩を掴んで引き留められた。
「昇!」
かあっと耳まで熱くなった。そして大智と間近で視線がかち合った瞬間、抱き締められた。
「ごめん、昇。嫌な気分にさせて」
「は、はなせ」
その昔、大智に抱き締められたことを思い出す。でかくて力強くて、びくともしないのが怖かったのに、今は怖いとは思わない。そのことに自分が一番驚いている。
「俺は今日は昇といたいんだよ。……充希には断るから」
まるで子どもを宥めるみたいに。俺は大智の腹を思い切り殴って突き飛ばした。
「今日はってなんだよ、じゃあ明日は違うのか。断るからってなんでだよ。お前が行くって言ったんだからちゃんと行けよ!」
振り切って部屋を出ようとするのを捕らえられて、後ろから抱き付かれる。勢いで床に倒れ、切なげな声が「昇」と呼んだ。振り向いたのがいけなかった。大智の唇が俺の口を塞いだ。
「……っ、な……に……」
顔を背けても無理やりキスをしてくる。どうしてこうなったんだと混乱しながらも、気持ち良さすら感じてしまった。だが流されるわけにはいかない。一瞬、大智の力が弱まった隙に押しのけた。大智は壁に背中をついて項垂れる。
「お、お前、ふざけんなよ! なに、考えてんだよっ、ヤレりゃ誰でもいいのかよ!」
「ちがう、俺は……昇が好きなんだ……」
「はあ?」
「俺は本当は昇が好きなんだ。ずっと好きだ。充希じゃない、昇が好きだ」
思わぬ告白に俺は嬉しいという感情はなく、――腹が立った。
「意味分かんねーんだけど……。じゃあ、なんで充希と付き合ってんだよ……。どっちにしろお前が今やってることは不誠実極まりないよ。お前、本当に、」
これは駄目だ、言ったら駄目だ。だけど止まらない。
「最低だな」
言うなり俺は部屋を飛び出した。あの時と同じだ。いきなり想いをぶつけられて混乱するあまり拒絶した。二度とあんな風に傷つけまいと誓ったのに、また同じ言葉で傷付けてしまった。
結局俺たちは何一つ成長なんてしていない。上辺だけで仲良くできても、本音に近付くと傷付けることしかできない。一度狂った歯車は、どんなに直しても元には戻らないのだ。
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耳元で生徒に大きな声で呼ばれた。現実に頭が追いつかずに固まった。一瞬だけ意識がどこかに飛んでいた。
「ご、ごめん。もう一回言ってくれる?」
「ここ、次どうやって動かすの?」
生徒の進捗を真横で見ていながら何も頭に入っていなかった。幸い子どもには気付かれなかったが、傍で見ていた山木さんは違った。授業が終わってから、どうして仕事中にぼんやりしていたのかと注意を受けた。
「親父の看病がしんどくて疲れが溜まっている」なんて言ったところで、仕事には関係のないことだ。自分がしっかりしていなかっただけ。俺は親父のことは話さないことに決めた。
「……すみません、違うことに気を取られて……」
「事務作業中ならともかく、授業中に生徒を見ながら他事考えるなんて一番あり得ないぜ。次からは気を付けて」
「はい、すみませんでした」
山木さんが去った後に、背後からやってきた桜井さんが俺の背中をポンと叩いていく。笑いかけることも励ましの言葉もないけれど、桜井さんなりの慰めだろう。それでも俺は自分のふがいなさを責めずにはいられなかった。
仕事を終えてスマートフォンを見ると大智から着信が残っていた。折り返すと大智がすぐに応えた。
『仕事、終わった?』
電話越しの低い声が、なんだか懐かしく思える。
「……終わった」
『もし時間あったら、ウチ来ない?』
だけど早く帰って夕飯を作らないといけない。洗濯もしないといけない。プログラミングの勉強も。――もう、いいや。たまには投げ出しても許されるだろう。俺は「今から向かう」とだけ言って電話を切った。親父にはメッセージだけ入れておく。
ちょっとした飲み物と駄菓子を買ってインターホンを押したら、中からドタドタと足音が聞こえたあと大智がドアを開けた。山木さんにも親父にもいつも言われている「お疲れ」という言葉が妙に心に沁みるのは、大智が屈託ない顔で笑うから。
「なんか久しぶりだな」
「二週間ぶりくらいじゃね? ん、お前酎ハイ飲むだろ?」
「わざわざいいのに」
俺はまだ酒は飲めないのでおとなしくコーラである。あと一ヵ月も経てば誕生日がきて二十歳になる。そうすれば、
「昇の誕生日には一緒に酒、飲もう」
同じことを考えていることがこんなに嬉しい。こんな些細なことで癒されるなんて、俺は相当疲れているようだ。
「最近、忙しそうだからあえて声は掛けなかったんだけど、やっぱり心配でさ」
大智が飲み物を用意している間、相変わらず綺麗に片付いている部屋を見渡しながら、シーツまで整えられたベッドに腰を下ろした。あまりの色気のなさに悪戯をしたくなって、ふっくら膨らんだ枕を拳で潰してみる。何かが指に当たって枕を持ち上げると、コンドームの箱があった。慌てて枕を戻す。
「昇、聞いてるか?」
「えっ? ああ、ごめん、なんだっけ」
「親父さんの具合、どうなの?」
「えーと、電話でも言ったけど転移してて。俺は会社に報告して部署異動させてもらえって言ってるんだけど、親父はそれができないみたいで、仕事しながら通院して抗がん剤打ってる……感じ」
ずれた枕を横目で見ながら、俺がコンドームを見たことがバレないだろうかとヒヤヒヤした。いや、どうして俺がヒヤヒヤするんだ。「お前、なにこんなの隠してんだよ」と冷やかせば笑い話で済むじゃないか。けれども今更冷やかす気にもなれなくて、見ていないフリをする。ゆっくり滑るようにベッドから落ちて床に座った。
「昇も仕事あるのに大変じゃないのか」
「大変じゃないと言えば嘘になるけど、仕方ないし。……それに、お前がこうやって誘ってくれるだけで気が紛れるんだ。だから助かったよ」
こっちは素直に感謝しているというのに、どういうわけか大智のほうが辛そうな顔をしている。俺はそんな大智を「同情するなよ」と笑った。
「同情じゃない。ただ俺は何もしてやれないんだなって」
「だからさー、お前はたまに会ってくれるだけでいいんだ。俺だって身内のアレコレを友達に見せたくないし」
自分で言っておきながら「友達」という言葉に違和感を覚える。大智は幼馴染で親友だ。家族のようだけど家族ではない。だから「友達」で合っているはず。なのに、どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろう。俺のそんな心情などおかまいなく、大智は静かに追い打ちをかけた。
「昇は俺の幼馴染だし、親友だけど」
心臓が一瞬、痛む。
「お前が一人で溜め込む性格なのは充分知ってるから心配だ。だから我慢しないで俺になんかできることがあったら言って欲しい」
もともと俺は悩み事や愚痴を自分から話すタイプじゃない。話したいのを我慢しているのではなく、結局それを解決するのは自分自身だから、言ったところで変わらないと冷めた考えがあるからだ。けれども話せば気が楽になることも知っている。だから聞かれれば話す、といったスタンスだ。大智は俺のそういう面倒な部分も見抜いていて、俺が話しやすいようにわざわざこうして申し出てくれている。いつもなら「サンキュー」と軽く言っておくところだが、今日は駄目だ。優しい言葉をかけられると辛い。
――でも今日くらい、甘えてもいいんじゃないのか。
「……大智、俺、本当は、」
大きな着信音に遮られた。大智のスマートフォンが鳴っている。大智は無視しようとしたが、音が大きいのとあまりに長いので「出ろよ」と促した。申し訳なさそうな顔で、大智は電話を取る。ぶっきら棒な物言いから、相手は充希なのだと知る。大智の俺には見せないその素っ気なさが、二人の親しさを表しているようだった。
「だから、今日は無理なんだよ。……明日なら大丈夫だから」
コーラを飲みながら聞くつもりもない会話が耳に入る。充希が何を言っているかは分からないが、声のボリュームで文句を言っているのは確かだ。大智の受け答えからして、今日は俺がいるから会えない、という話なのだろう。いたたまれなくなってくる。
「――夜中でいいなら、行くから」
大智のその言葉で、急速に気持ちが冷えていった。
俺が帰って親父のことで頭を悩ませているあいだ、大智は充希と楽しく過ごすんだろうか。付き合ってるんだから、話をするだけじゃ済まないだろう。男同士でもやることはきっと男女と同じだ。手を繋いだりキスをしたり、それ以上のことだってするかもしれない。現実味はないけど想像するとやたら苛々する。
電話を切って俺に向き直った大智に、勢いのまま言ってやった。
「行けば?」
「え……」
「今すぐ行ってやれよ」
「なんでだよ、俺は今、昇と……」
「夜中に行くくらいなら、今から行けよ」
俺だってカップルの邪魔をしてまで居座るほど野暮じゃない。
「俺とはいつだって会えるし、友達より恋人のほうが大事だろ」
誰だってそうだ。いくら幼馴染でも、同じ趣向で同じような悩みを分け合っている恋人同士には勝てない。そう認めてしまうと苛々が止まらなくて、わざと煽るようなことばかり言ってしまった。
「俺の辛気臭い話聞くより、充希といるほうがいいだろ。俺も帰って家のことやらないといけないし」
「なんで急にそんなこと言うんだよ」
「だってお前はあいつが好きなんだろうが!」
そう叫んだ瞬間、俺は唐突に理解した。
大智がいつも部屋を綺麗にしているのは、充希といた痕跡を俺に見せないためだ。そして思いがけず俺はその痕跡を見つけてしまった。あの時咄嗟に冷やかせない程動揺したのは、そのコンドームを大智が充希とする時に使うのだと考えたくなかったから。嫌だったから。大智が誰かと抱き合っていると生々しく知らされるのが。好きな時に大智を呼びつけて無条件に甘えられる充希が羨ましい。本当は今日は俺が、大智に甘えるはずだったのに。
――まずい、これ、嫉妬だ。
きっと醜いであろう顔を見られたくなくて俯く。鞄を手に取って立ち上がろうとしたところを、肩を掴んで引き留められた。
「昇!」
かあっと耳まで熱くなった。そして大智と間近で視線がかち合った瞬間、抱き締められた。
「ごめん、昇。嫌な気分にさせて」
「は、はなせ」
その昔、大智に抱き締められたことを思い出す。でかくて力強くて、びくともしないのが怖かったのに、今は怖いとは思わない。そのことに自分が一番驚いている。
「俺は今日は昇といたいんだよ。……充希には断るから」
まるで子どもを宥めるみたいに。俺は大智の腹を思い切り殴って突き飛ばした。
「今日はってなんだよ、じゃあ明日は違うのか。断るからってなんでだよ。お前が行くって言ったんだからちゃんと行けよ!」
振り切って部屋を出ようとするのを捕らえられて、後ろから抱き付かれる。勢いで床に倒れ、切なげな声が「昇」と呼んだ。振り向いたのがいけなかった。大智の唇が俺の口を塞いだ。
「……っ、な……に……」
顔を背けても無理やりキスをしてくる。どうしてこうなったんだと混乱しながらも、気持ち良さすら感じてしまった。だが流されるわけにはいかない。一瞬、大智の力が弱まった隙に押しのけた。大智は壁に背中をついて項垂れる。
「お、お前、ふざけんなよ! なに、考えてんだよっ、ヤレりゃ誰でもいいのかよ!」
「ちがう、俺は……昇が好きなんだ……」
「はあ?」
「俺は本当は昇が好きなんだ。ずっと好きだ。充希じゃない、昇が好きだ」
思わぬ告白に俺は嬉しいという感情はなく、――腹が立った。
「意味分かんねーんだけど……。じゃあ、なんで充希と付き合ってんだよ……。どっちにしろお前が今やってることは不誠実極まりないよ。お前、本当に、」
これは駄目だ、言ったら駄目だ。だけど止まらない。
「最低だな」
言うなり俺は部屋を飛び出した。あの時と同じだ。いきなり想いをぶつけられて混乱するあまり拒絶した。二度とあんな風に傷つけまいと誓ったのに、また同じ言葉で傷付けてしまった。
結局俺たちは何一つ成長なんてしていない。上辺だけで仲良くできても、本音に近付くと傷付けることしかできない。一度狂った歯車は、どんなに直しても元には戻らないのだ。
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