まひる 5
夏休みが終わる一週間前くらいのことだ。母親が思い出したように話を持ち掛けてきた。
「まひる、東京の専門に行きたいって言ってたわよね。今も変わらないの?」
「……うん、変わらないよ」
「こっちの学校じゃ駄目なの?」
「こっちはたいしたことないから」
父親からの養育費はあるだろうが、母親の稼ぎだけで学費や生活費を工面するのは負担がある。少しでもその心配のないように「バイトをする」と言ったら、
「それで試験に落ちて資格が取れなかったらどうするのよ。それより、千葉の伯母さんが住まわせてくれるって言うの。バイトなんてしなくていいから、二年間だけ伯母さんの家から通うっていうのはどう?」
「構わないけど」
「じゃあ、伯母さんに伝えておくわね。まひるからもちゃんとご挨拶するのよ」
母親はそう言って、ダイニングテーブルにいつもの食パンとサラダを並べた。
「お母さん、今日は帰りが遅いから。カレーを作ってあるの。夜に食べなさい。それじゃ、お仕事行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
途端に静かになったリビングダイニングで、少し焦げた食パンをかじった。もそもそしていて飲み込みづらい。味もしない。夏バテのせいなのか食欲もないので、サラダだけを食べてパンは残した。
あれから剛とは一度も会わず、家にこもって宿題をするか、テレビを見るか、たまに特急列車に乗って街まで買い物に行くくらいで、花火や祭りみたいな風物を楽しむこともなく夏を終えようとしている。時々散歩がてらにコンビニに行く。剛の家の前を通り、遠くからこっそり田んぼを覗くが、たまたまなのかそうでないのか、剛の姿を見かけることはなく、代わりに腰を曲げたおじいさんが青々とした稲の真ん中でいるのをたまに目にするだけだった。会おうと思えばいつでも会える距離にいるのに、ちょっとすれ違っただけでパッタリ途切れる。遠くにいても近くにいても、結局別れる時は別れるんだ。十七年越しの恋なんて、意外とあっけないもんだ。
***
新学期になって毎日顔を合わせるようになっても挨拶すら交わさない俺と剛の関係は、すぐにクラスの奴らに知られることとなった。「俺が浮気をして剛が怒って別れた」とか「剛が無理やり押し倒して俺が愛想を尽かした」とか、当たらずといえども遠からずな下世話な噂は、気まずいことこの上ない。大抵の人間はそっとしておいてくれるが、
「なんで池谷と別れたん?」
と、デリカシーのかけらもなく訊ねてきたのは、井上だ。しかも人の行き来の多い休み時間の廊下で。
「なんで言わないかんの?」
たいして仲良くもない奴に。
「ええやん、教えてよ。共学のガッコで男同士で付き合うとか珍しやん。どうなってそうなんてこうなったん」
どうも俺は頭に血が昇ると声を張り上げる習性がある。「うるさい、ほっとけ」と叫びそうになったところを、剛とわりと仲の良い増田が割り込んで止めてくれた。
「井上、ウザがられとるぞ。瀬川に嫌われたらこいつのファンが黙っとらんで、やめとけ」
井上は口元に微笑を残したまま舌打ちをして立ち去った。
「ありがとう」
「今の俺、めっちゃイケてない?」
「あ、うん、かっこよかったよ」
「ほんなら、なんで別れたん?」
「お前も聞くんかい。前言撤回や」
「いやぁ、俺は剛を心配してんのよ。見てみ、あいつ」
増田はちょうど正面の窓の向こうで机に伏せている剛を指した。
「休み時間、ずっとあんなんや。寝るか、ボーッとするか。弁当やって、いつも重箱みたいな弁当箱やのに、最近はずっと学食でうどんとカツ丼や。少なすぎる」
「いや、食べすぎやろ」
「毎日うどんとカツ丼、たまに天丼や。このままこの食生活が続いたら、あいつが若くして糖尿病になるんじゃないかと心配なんや。夏休みにとうもろこし差し入れしすぎたしな。米ばっか食うとるし、糖質摂りすぎや」
「………体は丈夫やし、大丈夫ちゃう?」
すると増田は「知らんの?」と声を大きくした。
「あいつ、こないだ熱中症で倒れてん」
「……え」
「畦んとこで倒れとったらしいで。あいつの姉ちゃんが見つけて救急車で運ばれたけん、すぐ治ったらしいけどな。スイカ持ってった時に聞いたん。見舞い行ってさ、ションボリしとったけん理由聞いたら、瀬川と別れたんが辛くて田んぼに熱中しとったら熱中症なったんやて。あ、シャレちゃうで」
「はあ」
「ヨリ戻せんの?」
「戻しても、続く自信がない」
「……ふーん。続けたろって根性はないわけやな」
そう言った増田の声は、低くて棘のある言い方だった。一番言われたくないことを言われてしまい、一瞬ムッとしたが、すぐに反省した。増田の言う通りだからだ。何も言えずに俯いていると、増田は小さく溜息をついて頭を掻いた。
「すまん。キツかったかもしれん。剛のことは心配やけど、瀬川にその気がないんやったら、俺もなんも言わんわ。そのうち剛にも他に好きな奴できるやろ。あいつのこと好きて言う女子もおるみたいやしな。物好きな子やで」
その台詞に傷付いている自分が嫌だ。
「来月、剛んち稲刈りやって。稲刈りの前に剛の田んぼ行ってみ。おもろいモンあるけん」
「おもろいモンて?」
「まあ、行ったら分かるわ」
増田があんなことを言うので興味もあって、ある日の放課後に剛の田んぼに寄ってみた。剛がいたらどうしようと緊張しながら行くと、剛どころかおじいさんもおらず、ガッカリしたような安心したような複雑な気になった。
知らないあいだに穂が出た稲は頭を垂れ下げていて、ふいにおじいさんが言ったあの言葉を思い出した。
『実るほど、頭を垂れる、稲穂かな』
来月には田んぼはもっと金色に染まり、一粒に何人もの神様が宿ると言われる米が一面を埋め尽くすんだろう。そう考えると若干ホラーのようにも思えるが、俺が当たり前のように米を食べているのは実は奇跡みたいなものなのだという気もする。
田んぼの中にかかしが立っている。明後日の方を向いて佇んでいるそのかかしの顔を覗いて、思わず吹き出してしまった。白い顔に、睫毛の生えたやたら大きな目とナルトのほっぺ。にっこりと口角を上げた可愛らしいかかしだった。まさかとは思うが、
「それ、まひるくんのつもりらしいで」
浮上した疑問に、背後から高めの通る声が答えた。大きく膨らんだお腹をさすっているその女の人は、剛のお姉さんだろう。あまり一緒に遊んだ記憶はないけれど、所々で餅つきやみかん狩りをした時に近くにいたなという覚えはあった。
「あたしもあのかかし見た時、えらい可愛いけん、笑ろたんや。でもこうやって見たら似とるな。まひるくん可愛いなったね」
男としては手放しで喜べない褒め言葉だ。
「お姉さんは妊娠されてるんですか?」
「もうじき産まれるんや~」
と、幸せそうに笑っている。
「稲刈り終わったらあのかかし部屋に飾るんちゃうやろかと思うんやけど」
「それは全力で止めて下さい」
「いっそ添い寝する勢いやで」
「怖いからやめさせて下さい」
「そんだけ、まひるくんが好きなんやと思うけど」
「……」
「あ、ごめんね。責めとらんので。むしろ高校生のカップルが進路バラバラで別れるのよくあるし、ぶっちゃけ普通やと思うねん。これもええ機会やしな。ただアイツはまひるくんの顔をかかしに描くほどまひるくんが好きなんやってのを、覚えといてやって」
俺も好きなんですけどね、と言おうとしてやめた。
お姉さんといい、増田といい、みんな剛の心配をしている。剛は変わった奴だけど、それだけあいつは周りに愛されているということだろう。
「まひるくん、いつもお米買ってんの?」
「え? はい、たぶん」
「ほんなら、稲刈りしたら新米分けてあげる。剛が作った米、食べてみ」
「いいんですか? 出荷するんじゃ」
「全部出荷するわけじゃないからね。稲刈りはいつも他の人に頼んでんのよ。精米したら持って行かすわね」
お姉さんは持って来てくれないんですか、と聞いたら、ちょうど予定日辺りだからと断られた。
それからも俺と剛はクラスで顔を合わせても挨拶もできないぎくしゃくした関係が続き、俺が一方的に畑や田んぼにいる剛を見つめるだけの日々だった。十月中旬の日曜日、買い物に行く途中でたまたま剛の田んぼに稲刈り機が入っているのを見た。ふさふさと育った黄金の稲の束が刈り取られる光景は感慨深くてどこか切ない。田植えしかしていない俺ですらそんな気分になるのだから、籾の選別からした剛はそれこそ感無量だろう。
そして俺の家にその米が届いたのは、稲刈りから二週間ほど経った日のことだった。
「まひる、朝ごはんよー」
母親のお決まりの起こし文句。布団を被らずに寝ていた俺は、起きるなりくしゃみをして身震いした。朝が冷える季節になってきた。そろそろ半袖で寝るには風邪をひきそうだ。支度を終えて食卓へ向かうと、珍しくパンじゃなく、ご飯と味噌汁があった。目玉焼きとサラダに変わりはない。
「……珍しいね、ご飯」
「ああ、それね。昨日の夜、剛くんが持って来てくれたのよ」
「昨日?」
「まひるがお風呂入ってる時にね。精米したてなんで良かったらって。せっかく来たのにお茶飲んで行ったらって勧めたんだけど、すぐ帰っちゃったのよ。それにしても剛くんって力持ちなのねぇ。重い米びつ抱えて持って来てくれたのよ」
「さすがに親父さんの軽トラかなんかで来たんじゃない?」
母親は「あ、そうね」と舌を出して笑った。よそわれたばかりの、白い湯気がもくもくと立つご飯の前に座った。ひと目見ただけでつやつやしているのが分かる。ひと粒ひと粒がキラキラ光っていて真っ白い。箸を入れると、ふわっと柔かかった。あつあつのご飯を口に入れて、俺は感動した。柔らかい、なめらか、甘い、――美味い。
ご飯って味があるんや。
海苔とか漬物とかなくても食べられるんや。
こんなに食欲が出るもんなんや。
いつもは箸をつけようとも思わない目玉焼きをかじり、二、三回噛んだらご飯をふた口、最後に勢いで味噌汁で一気に飲み込む、ご飯とおかずのコラボレーション。この三角食べが成立するのは和食だけだ。
ご飯が美味い、もっと食べたい。
――お米に栄養があるんですか。――
――そや。炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミンB1、B2、B6、カルシウム、鉄分、マグネシウム、亜鉛、食物繊維、それから糖質や。――
美味いのは、栄養だけじゃない。新米だからとか、精米したてだからとか、それだけじゃない。お米のひと粒ひと粒に、愛がある。これを食べたら、剛がどれだけ田んぼが好きで、どれだけ大事に育てて、剛がどれだけ優しい人間なのかが分かる。
剛に会いたい……。
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「まひる、東京の専門に行きたいって言ってたわよね。今も変わらないの?」
「……うん、変わらないよ」
「こっちの学校じゃ駄目なの?」
「こっちはたいしたことないから」
父親からの養育費はあるだろうが、母親の稼ぎだけで学費や生活費を工面するのは負担がある。少しでもその心配のないように「バイトをする」と言ったら、
「それで試験に落ちて資格が取れなかったらどうするのよ。それより、千葉の伯母さんが住まわせてくれるって言うの。バイトなんてしなくていいから、二年間だけ伯母さんの家から通うっていうのはどう?」
「構わないけど」
「じゃあ、伯母さんに伝えておくわね。まひるからもちゃんとご挨拶するのよ」
母親はそう言って、ダイニングテーブルにいつもの食パンとサラダを並べた。
「お母さん、今日は帰りが遅いから。カレーを作ってあるの。夜に食べなさい。それじゃ、お仕事行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
途端に静かになったリビングダイニングで、少し焦げた食パンをかじった。もそもそしていて飲み込みづらい。味もしない。夏バテのせいなのか食欲もないので、サラダだけを食べてパンは残した。
あれから剛とは一度も会わず、家にこもって宿題をするか、テレビを見るか、たまに特急列車に乗って街まで買い物に行くくらいで、花火や祭りみたいな風物を楽しむこともなく夏を終えようとしている。時々散歩がてらにコンビニに行く。剛の家の前を通り、遠くからこっそり田んぼを覗くが、たまたまなのかそうでないのか、剛の姿を見かけることはなく、代わりに腰を曲げたおじいさんが青々とした稲の真ん中でいるのをたまに目にするだけだった。会おうと思えばいつでも会える距離にいるのに、ちょっとすれ違っただけでパッタリ途切れる。遠くにいても近くにいても、結局別れる時は別れるんだ。十七年越しの恋なんて、意外とあっけないもんだ。
***
新学期になって毎日顔を合わせるようになっても挨拶すら交わさない俺と剛の関係は、すぐにクラスの奴らに知られることとなった。「俺が浮気をして剛が怒って別れた」とか「剛が無理やり押し倒して俺が愛想を尽かした」とか、当たらずといえども遠からずな下世話な噂は、気まずいことこの上ない。大抵の人間はそっとしておいてくれるが、
「なんで池谷と別れたん?」
と、デリカシーのかけらもなく訊ねてきたのは、井上だ。しかも人の行き来の多い休み時間の廊下で。
「なんで言わないかんの?」
たいして仲良くもない奴に。
「ええやん、教えてよ。共学のガッコで男同士で付き合うとか珍しやん。どうなってそうなんてこうなったん」
どうも俺は頭に血が昇ると声を張り上げる習性がある。「うるさい、ほっとけ」と叫びそうになったところを、剛とわりと仲の良い増田が割り込んで止めてくれた。
「井上、ウザがられとるぞ。瀬川に嫌われたらこいつのファンが黙っとらんで、やめとけ」
井上は口元に微笑を残したまま舌打ちをして立ち去った。
「ありがとう」
「今の俺、めっちゃイケてない?」
「あ、うん、かっこよかったよ」
「ほんなら、なんで別れたん?」
「お前も聞くんかい。前言撤回や」
「いやぁ、俺は剛を心配してんのよ。見てみ、あいつ」
増田はちょうど正面の窓の向こうで机に伏せている剛を指した。
「休み時間、ずっとあんなんや。寝るか、ボーッとするか。弁当やって、いつも重箱みたいな弁当箱やのに、最近はずっと学食でうどんとカツ丼や。少なすぎる」
「いや、食べすぎやろ」
「毎日うどんとカツ丼、たまに天丼や。このままこの食生活が続いたら、あいつが若くして糖尿病になるんじゃないかと心配なんや。夏休みにとうもろこし差し入れしすぎたしな。米ばっか食うとるし、糖質摂りすぎや」
「………体は丈夫やし、大丈夫ちゃう?」
すると増田は「知らんの?」と声を大きくした。
「あいつ、こないだ熱中症で倒れてん」
「……え」
「畦んとこで倒れとったらしいで。あいつの姉ちゃんが見つけて救急車で運ばれたけん、すぐ治ったらしいけどな。スイカ持ってった時に聞いたん。見舞い行ってさ、ションボリしとったけん理由聞いたら、瀬川と別れたんが辛くて田んぼに熱中しとったら熱中症なったんやて。あ、シャレちゃうで」
「はあ」
「ヨリ戻せんの?」
「戻しても、続く自信がない」
「……ふーん。続けたろって根性はないわけやな」
そう言った増田の声は、低くて棘のある言い方だった。一番言われたくないことを言われてしまい、一瞬ムッとしたが、すぐに反省した。増田の言う通りだからだ。何も言えずに俯いていると、増田は小さく溜息をついて頭を掻いた。
「すまん。キツかったかもしれん。剛のことは心配やけど、瀬川にその気がないんやったら、俺もなんも言わんわ。そのうち剛にも他に好きな奴できるやろ。あいつのこと好きて言う女子もおるみたいやしな。物好きな子やで」
その台詞に傷付いている自分が嫌だ。
「来月、剛んち稲刈りやって。稲刈りの前に剛の田んぼ行ってみ。おもろいモンあるけん」
「おもろいモンて?」
「まあ、行ったら分かるわ」
増田があんなことを言うので興味もあって、ある日の放課後に剛の田んぼに寄ってみた。剛がいたらどうしようと緊張しながら行くと、剛どころかおじいさんもおらず、ガッカリしたような安心したような複雑な気になった。
知らないあいだに穂が出た稲は頭を垂れ下げていて、ふいにおじいさんが言ったあの言葉を思い出した。
『実るほど、頭を垂れる、稲穂かな』
来月には田んぼはもっと金色に染まり、一粒に何人もの神様が宿ると言われる米が一面を埋め尽くすんだろう。そう考えると若干ホラーのようにも思えるが、俺が当たり前のように米を食べているのは実は奇跡みたいなものなのだという気もする。
田んぼの中にかかしが立っている。明後日の方を向いて佇んでいるそのかかしの顔を覗いて、思わず吹き出してしまった。白い顔に、睫毛の生えたやたら大きな目とナルトのほっぺ。にっこりと口角を上げた可愛らしいかかしだった。まさかとは思うが、
「それ、まひるくんのつもりらしいで」
浮上した疑問に、背後から高めの通る声が答えた。大きく膨らんだお腹をさすっているその女の人は、剛のお姉さんだろう。あまり一緒に遊んだ記憶はないけれど、所々で餅つきやみかん狩りをした時に近くにいたなという覚えはあった。
「あたしもあのかかし見た時、えらい可愛いけん、笑ろたんや。でもこうやって見たら似とるな。まひるくん可愛いなったね」
男としては手放しで喜べない褒め言葉だ。
「お姉さんは妊娠されてるんですか?」
「もうじき産まれるんや~」
と、幸せそうに笑っている。
「稲刈り終わったらあのかかし部屋に飾るんちゃうやろかと思うんやけど」
「それは全力で止めて下さい」
「いっそ添い寝する勢いやで」
「怖いからやめさせて下さい」
「そんだけ、まひるくんが好きなんやと思うけど」
「……」
「あ、ごめんね。責めとらんので。むしろ高校生のカップルが進路バラバラで別れるのよくあるし、ぶっちゃけ普通やと思うねん。これもええ機会やしな。ただアイツはまひるくんの顔をかかしに描くほどまひるくんが好きなんやってのを、覚えといてやって」
俺も好きなんですけどね、と言おうとしてやめた。
お姉さんといい、増田といい、みんな剛の心配をしている。剛は変わった奴だけど、それだけあいつは周りに愛されているということだろう。
「まひるくん、いつもお米買ってんの?」
「え? はい、たぶん」
「ほんなら、稲刈りしたら新米分けてあげる。剛が作った米、食べてみ」
「いいんですか? 出荷するんじゃ」
「全部出荷するわけじゃないからね。稲刈りはいつも他の人に頼んでんのよ。精米したら持って行かすわね」
お姉さんは持って来てくれないんですか、と聞いたら、ちょうど予定日辺りだからと断られた。
それからも俺と剛はクラスで顔を合わせても挨拶もできないぎくしゃくした関係が続き、俺が一方的に畑や田んぼにいる剛を見つめるだけの日々だった。十月中旬の日曜日、買い物に行く途中でたまたま剛の田んぼに稲刈り機が入っているのを見た。ふさふさと育った黄金の稲の束が刈り取られる光景は感慨深くてどこか切ない。田植えしかしていない俺ですらそんな気分になるのだから、籾の選別からした剛はそれこそ感無量だろう。
そして俺の家にその米が届いたのは、稲刈りから二週間ほど経った日のことだった。
「まひる、朝ごはんよー」
母親のお決まりの起こし文句。布団を被らずに寝ていた俺は、起きるなりくしゃみをして身震いした。朝が冷える季節になってきた。そろそろ半袖で寝るには風邪をひきそうだ。支度を終えて食卓へ向かうと、珍しくパンじゃなく、ご飯と味噌汁があった。目玉焼きとサラダに変わりはない。
「……珍しいね、ご飯」
「ああ、それね。昨日の夜、剛くんが持って来てくれたのよ」
「昨日?」
「まひるがお風呂入ってる時にね。精米したてなんで良かったらって。せっかく来たのにお茶飲んで行ったらって勧めたんだけど、すぐ帰っちゃったのよ。それにしても剛くんって力持ちなのねぇ。重い米びつ抱えて持って来てくれたのよ」
「さすがに親父さんの軽トラかなんかで来たんじゃない?」
母親は「あ、そうね」と舌を出して笑った。よそわれたばかりの、白い湯気がもくもくと立つご飯の前に座った。ひと目見ただけでつやつやしているのが分かる。ひと粒ひと粒がキラキラ光っていて真っ白い。箸を入れると、ふわっと柔かかった。あつあつのご飯を口に入れて、俺は感動した。柔らかい、なめらか、甘い、――美味い。
ご飯って味があるんや。
海苔とか漬物とかなくても食べられるんや。
こんなに食欲が出るもんなんや。
いつもは箸をつけようとも思わない目玉焼きをかじり、二、三回噛んだらご飯をふた口、最後に勢いで味噌汁で一気に飲み込む、ご飯とおかずのコラボレーション。この三角食べが成立するのは和食だけだ。
ご飯が美味い、もっと食べたい。
――お米に栄養があるんですか。――
――そや。炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミンB1、B2、B6、カルシウム、鉄分、マグネシウム、亜鉛、食物繊維、それから糖質や。――
美味いのは、栄養だけじゃない。新米だからとか、精米したてだからとか、それだけじゃない。お米のひと粒ひと粒に、愛がある。これを食べたら、剛がどれだけ田んぼが好きで、どれだけ大事に育てて、剛がどれだけ優しい人間なのかが分かる。
剛に会いたい……。
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