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第二部 1-6

 ***

 仕事を紹介してくれた大智や室長の山木さんに迷惑をかけてはいけないという気負いから必死で勉強をした甲斐があって、研修は想像より順調に進んだ。教室で子どもに教えるだけなら正直そんなに難しくないだろう。けれどもメンターの桜井さんは、

「ずっとこの教室で仕事を続けるとは限らないだろ。いつか自分で独立したいとか、どこかの会社でプログラマとして仕事をしたいと思う日が来るかもしれないから、その時のため今のうちに頭に入れとくといいよ」

 と言って、色んなことを教えてくれた。プログラミングに至るまでの全体的な開発フロー、システム開発の種類。言語は何を開発するかで使い分けられている。文法だって違う。誰かに教えてもらうことの有難さを改めて知った。

「渡辺ってこっちに友達いるんだっけ」

 かつ丼を貪っていたら山木さんが唐突にそんなことを言った。昼休憩はいつも各自で外食か弁当で済ますが、その日は山木さんに誘われて教室の近くの定食屋に連れて行ってもらった。それまで仕事の話ばかりしていたので急にプライベートのことを聞かれて少し驚いた。口の中のとんかつを飲み込み切れないまま「はい」と答えた。

「俺の弟と同じ大学なんだよな」

「そういえば、そうですね。川島大智っていうんですけど、ご存知ですか?」

「いや。ってか、川島って名前も渡辺を紹介してもらった時に初めて聞いたんだ。どういう友達なの?」

「幼馴染です。小学校から高校までずっと一緒で」

「へー。そんな長い付き合いなんだ。すごいね」

 山木さんは淡泊な返事をしながら蕎麦を豪快にすすった。なんでそんなことを聞くのだろうと不思議に思ったのを察したのか、山木さんのほうから「いやね」と話し出した。

「弟から『大学のクラスメイトが、兄貴の教室を手伝える奴を紹介したいって言ってる』って教えてもらって、その時初めてその川島って子と話してさ。まあ、感じの良い好青年だったね。でも弟は彼のことをあんまりよく知らないみたいで」

「え? 友達じゃないんですか?」

「友達って間柄ではないらしい。俺が独立決めた時、弟が勝手に大学で『誰かいい人いたら紹介してくれー』なんて色んな人に言いまくってたみたいで。その話を聞きつけた川島くんが渡辺を推したってところなのかな。弟もまさか川島くんから声掛けられると思わなかったって」

「……じゃあ、ほんとに親しくないんですね」

 俺に仕事の話を持って来た時、大智は確かに「友達が」と言っていたし、軽い感じで持ち掛けてきたので俺は単にタイミングが良かったのだと思っていた。だけど、もしかしたら大智は俺のために必死で探してくれたんじゃないだろうか。いかにも運が良かったというような口ぶりで、俺が罪悪感を持たなくていいように振る舞ってくれたんじゃないだろうか。

――お節介なことしやがって。

「どっちかっていうと、その川島くんって大学で浮いてるみたいで」

「浮いてる?」

「うーん、弟が言ってたことだから俺は知らないけど、いつも壁を隔ててるというか近寄り難いというか……。だからさ、正直、そんな子の紹介ってどんな子が来るんだろうってちょっと心配だったんだ。でも偏見ってほんと良くないな。危うく貴重な人材を逃すところだった」

「貴重な人材?」

「渡辺を紹介してもらって良かったってこと。桜井が渡辺は物覚えがいいって褒めてたよ。俺も助かってるしね。これからも頼むよ」

 ようは俺を褒めたかっただけなのだろうか。山木さんや桜井さんにそう言ってもらえて嬉しいことなのに、俺はどこか上の空だった。大智のことを考えていたからだ。
 大学は楽しいって言っていたのに。あれもそれも、俺に気を遣わせないため、俺を心配させないためなのだとしたら……。
 あいつはもしかして、まだ俺のことが好きなのだろうか。


 大智に奢ってやると約束した日の夜、時間を過ぎても待ち合わせの場所になかなか大智が来なかった。店は十九時に予約してある。あと五分で十九時だ。電話もメッセージも繋がらない。入れ違いになるかもしれないが、痺れを切らせて大智のアパートに走って向かった。
 アパートの下から大智の部屋のベランダを見上げるとまだ灯りが点いていた。もしかして忘れてるんだろうかと若干の苛つきを覚えながら階段を駆け上がる。三階に近付いたところでアパート中に響き渡るような口論が聞こえた。まずい、と思わず陰に隠れる。ほとんど片方が一方的に怒鳴り散らしていたが、時折聞こえる反論の声が俺のよく知っている声で、まさかと思いながらこっそり覗き見ると大智の姿が見えた。部屋の前で言い争っていて、とても声を掛けられる雰囲気じゃない。

「なんで一言も相談なくサークル辞めたんだよ!」

「充希には前もって辞めるかもしれないって言ったと思うけど」

「でも本当に辞める前に言って欲しかった! 俺はお前がいるから入りたくもない野球サークルに入ったのに」

「俺はお前に一緒にサークルに入ってくれなんて頼んでない。嫌なら辞めればいいだろ」

「そういう問題じゃないんだよ。なんで大智が俺には何も話してくれないのか、それがムカつくんだっ」

 大智はハア、と深い溜息をついた。あんな面倒臭そうな顔を初めて見た。

「俺は自分がこうしたいと思ったら相談なんかせずに決めちゃうんだよね。充希もそれは分かってくれてると思ってた。……別にお前のことを信用してないわけじゃない」

「うそだ、俺のことなんかもう嫌いになったんだろ」

 友達同士の会話、にしては親密すぎる。どちらかというと痴話喧嘩、のような……。盗み聞きなんて良くないと頭では分かっていても足が動かなかった。目の前にいる大智が俺の知っている大智じゃなくて戸惑う。

「……俺は大智がいないともう大学に居場所がないのに」

 男は大智の胸をドン、と拳で叩いたあと、こちらに走って向かってくる。

「充希!」

 逃げる暇もなく、俺はその男と階段でぶつかった。明るい金髪で、泣いているせいか異様にキラキラした大きな眼でこちらを一瞥した。一瞬しか見えなかったが青かった。直後に追い掛けてきた大智と出くわした。大智は目を見開いてあからさまに動揺したが、一言「ごめん」と耳元で残して金髪の男を追った。階段に残された俺は何もできずに茫然と立ち尽くすだけだ。
 店の予約も約束も、もう頭から抜けていた。ただ今まで知らなかった大智の一面を垣間見て、戸惑いと驚きでいっぱいだった。そしてそれが少し落ち着いた頃、俺の頭に浮かんだのは、「俺のことが好きなんじゃなかったのかよ」ということだった。


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