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第二部 1-5

 親父の手術は無事に終わり、経過も良好とのことだった。腫瘍そのものは摘出できたが、術後も何かと検査やリハビリがあるので退院までは気を抜けない。もう暫く窮屈な入院生活は続く。とはいえ、とりあえずは一段落したと家族みんなが安堵した。

「昇はいつから研修が始まるんだ?」

 大智の紹介で仕事が見つかりそうだというのは、手術前に話してある。親父が口にしなくても俺のことを心配しているのはずっと分かっていた。だから頑張って勉強するよ、と珍しく意気込む俺を喜んでくれた。

「手術も無事に終わったから、明後日から。研修先が遠くて、昼間に見舞いに来られなくなるけど」

「いい、いい。父さんのことは気にするな。それよりお前が道中気を付けろよ」

「大智が住んでるアパートが近いんだ。だから大丈夫」

「親しい子がいてくれるのは心強いな。しっかりやりなさい」

 紹介してくれた『山木プログラミング教室』は、県境は越えるが電車一本で通える。室長の山木さんは、俺より六つ年上の男の人だ。まだ二十五という若さである。大学を卒業したあと有名IT企業にエンジニアとして就職したが、あまりの激務に楽しさを見出せなくなって、起業を決意したのだとか。右も左も分からない俺に気さくに接してくれて、「プログラミングは未経験です」と答えても嫌な顔一つせず、

「来てくれただけでもありがたいよ! 勉強すれば必ずできるから大丈夫!」

 と、歓迎してくれたのだった。何より、

「お父さんの具合はどう? 手術終わったの?」

 大智に話をもらったその日のうちに山木さんから連絡がきて、親父の手術があることを話すと研修のスケジュールに融通を利かせてくれた。その上こうして気にかけてくれる。社会人として当たり前の心配りなのかもしれないが、「この人のために頑張ろう」と思うには充分な人だった。
 研修は三ヵ月間。商工会議所での講習もあるが、大体はメンターが一人付いてマンツーマンで教えてくれる。メンターは山木さんではなく、山木さんの後輩の桜井さんという人だ。

「うちは小学校低学年コース、高学年コース、中学生コース、社会人コースがあって、低学年はScratch、高学年と中学生はScratchとC#、社会人はpython、Swift、JavaScript。渡辺くんは低学年コースを担当してもらうことになるだろうから、まずはScratchから勉強するよ」

「ScratchとかC#って言語のことですよね。違いが分からないんですが……」

「Scratchは子ども向けの教材だよ。自分で好きなゲームや作品を簡単に作れるんだ。コードを書くプログラムじゃなくて、ブロックを移動させるだけで簡単に命令が作れる。C#はWindows向けアプリの開発に使う言語だよ。Windows向けといってもMacやiPhoneのアプリも開発できるし、応用が利くんだ。まあ、その辺は後々教えるから」

 教材を見て本当に自分にできるのだろうかと不安はあるが、勉強は嫌いじゃないし、こんなに手厚い指導をしてくれる上に給料も出してくれるなんて願ったり叶ったりだ。得意なことが何もないと諦めていた俺にも、夢や目標といったものが持てるかもしれない。今なら卑屈な自分を捨てられる気がした。

 ***

 アプリのマップを頼りに大智が住むアパートを探す。仕事終わりに大智の家で飯を食うことになっている。近くまで来ているはずなのに辺りが暗いせいか地図の写真はあてにならずになかなか見つけられないでいた。大智に電話をしようかと思ったところで「昇!」と上から声がした。背後のアパートのベランダから、大智が顔を出していた。
 五階建てのアパートにはエレベーターはない。三階にある大智の部屋には階段で上がる。壁も階段も黒ずんだ古そうなアパート。いつも庭の手入れが行き届いた大智の実家を考えれば、なんだか大智には不似合いな気がした。

「お邪魔しまーす」

 部屋に足を踏み入れて、古い外観からは想像できないほど綺麗な部屋に驚く。内装が綺麗なのか、それとも大智が綺麗に使っているのか、壁は白くて汚れていないし、床にはごみ一つ落ちていない。ブラウンで統一された家具。本棚には教科書や参考書が整頓されていた。カーテンロールに干されてある洗濯物だけは生活感がある。

「なんで近くまで来てたのに分かんなかったんだよ」

「いや、だって外灯なさすぎじゃね? 道が真っ暗でさー」

「上から暫く見てたんだけど、一人でキョロキョロしてる昇が面白かったわ」

「さっさと声掛けろよ。そういうとこ変わんないよな」

 持って来た飲み物と駄菓子を渡すと、大智はさっそく台所に入ってお茶を入れる。そのあいだに床に座って部屋の中を見渡した。どこを見ても片付けられている。こいつ、こんなに几帳面だったっけと考えた。

「研修はどう? 二週間経つけど」

「あー面白いよ! コードとか最初は全然わかんなかったけど、やってるうちになんとなく分かってきた。午前中は研修で午後は教室の準備とか手伝ってる。楽しいよ」

「そうか。良かった」

 大智がまるで自分のことのように嬉しそうに笑うので、こっちのほうが恥ずかしくなる。楽しいのは大智のおかげだと礼と言わなくちゃいけないのに、つい話題を変えてしまった。

「大智は? 大学どうなの? 野球やってんだろ」

「まあまあ。でもサークルは辞めようと思って」

「なんで」

「まあ……色々あってさ」

 含みのある言い方が気になって深く聞いてもいいのかと迷った。だが、言わないということは言いたくないのかもしれない。そのうち「理沙がさ、」と大智のほうから話を変えた。

「この間、ラインきたよ。昇の就職喜んでた」

「あいつ、俺が報告した時は『やっとか』なんてエラそうに言ってたのに」

「素直じゃないよな、兄妹揃って」

 目の前で大智が麦茶の入ったグラスに手を伸ばした。筋の入った長くて硬そうな腕。

「でも俺はそんなお前ら兄妹と一緒にいるのが一番楽しいけどな」

「……」

「大学もそれなりに楽しいけど、やっぱり昇と理沙と一緒にいた時が一番楽しかった。俺にとっては家族よりも家族みたいっていうか。……だから、またこうして会えてるのが嬉しいんだ」

 大智は不器用なくせに自分の気持ちには素直だ。普段は何を考えているか分からないのに、時々ふいを突いて真面目な顔でこういうことを言うもんだから、俺はどうにもむず痒くなって嬉しいというより腹立たしくなるのだ。だけど、俺も少しくらい見習って素直にならなくちゃいけない。

「お、れも、たのしい」

 大智が驚いた顔をする。

「昔からお前といる時が一番居心地よかったかな。今も、仕事が楽しいのは大智が紹介してくれたから……お前のおかげだと思ってる。なんつーか、感謝、してる」

 ただ礼を言うだけで、こんなに緊張するものなのか。まるで告白でもしている気分だ。大川さんに告白した時のほうがよっぽど落ち着いていた気がする。大智はそんな俺を「明日って台風来るっけ」なんて茶化したのだけど。

「昇にそういうこと言われるなんてな。大人になりつつある昇にかんぱーい」

「なんかムカつくな。ってお前、酒?」

 今更ながらテーブルに缶酎ハイが並んでいることに気付く。

「だって俺はもうハタチだもん。昇はまだだな」

 大智の誕生日が九月であることを思い出した。そういえば高三の時、俺の誕生日に財布をプレゼントしてくれた。でも俺は大智の誕生日に何かをした記憶はない。おめでとう、くらいは言ったことはあるかもしれないが。

「なんか欲しいもんとかある?」

「え? なに急に」

「俺、大智の誕生日ってちゃんと祝ったことないよな。仕事紹介してくれたお礼も兼ねてなんかやるよ。何がいい?」

「いらねーよ。そんなつもりで紹介したんじゃない」

「だって、お前も昔俺に財布くれたじゃん」

 と言って、鞄の中から財布を出してみせた。随分傷んではいるが、今でも愛用しているのだ。大智はそれにもまた嬉しそうに微笑した。

「来週飯でも奢ってやるよ。仕事帰りで待ち合わせしてさ。俺が店探しとくから!」

 遠慮しているのか大智は頷かなかったが、嫌がっているわけではなさそうだった。なかば強引に約束を取り付けてようやく「そこまで言ってくれるなら」と受けてくれたのだった。恥ずかしげもなくプレゼントしたり歯が浮くような台詞も言えるくせに、自分がされる立場になると戸惑う。変な奴。

「昇」

「ん?」

「ありがとな」

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