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第二部 1-3

 唐突な再会に頭が追いつかなくて、上手く逃げることも明るく声を掛けることも出来なかった。大智も同じなのか、向かい合ったまま静かに動揺する。そうこうしているうちにドーナツ屋の窓にはロールカーテンが下げられた。

「……買いに来たんじゃないのか」

 おもむろに言われて反応が遅れた。

「え、あ……でも閉まったみたいだし……。か、帰るわ」

 背を向けた瞬間、手首を掴まれた。

「話したいんだけど!」

「な、なにを」

「ずっとお前とちゃんと話したかった。少しでいいから時間をくれないか」

 いいよ、と軽く言えば済む話なのに、俺は顔を見られないままでいた。改まってなんの話をするつもりなのか。

「やっぱりまだ、怒ってる、よな」

 そう言われてつい「怒ってねーよ!」と怒鳴ってしまった。

「どんだけ俺が小さい男だと思ってんだよ! いつまでも怒ってるわけねぇだろうが!」

 大智は豆鉄砲を食らったような顔をして、手を離す。

「怒ってない……けど、どうしたらいいか分かんないだけだ」

「……よかった。……口聞いてくれた」

 そう言って腕で顔を隠しながら俯くので、泣いているのかと焦った。いくら夜とはいえ、街中でめそめそされたら俺が恥ずかしい。慌てて「泣くなよ」と慰めようとしたが、大智の顔を下から覗き込むと、大智は泣くどころか笑いを堪えていた。

「ごめん、だって怒ってねーって言いながら怒ってるから……昇らしくて」

「てめー、今度こそ縁切るぞ」

 わざわざ店に入るほどでもないので(というより、どこも開いていない)、帰り道を電車ではなく、ペットボトルを片手に家まで一緒に歩いた。けっこうな距離ではあるが、積もり積もった話をしながらなら丁度いい。とはいえ、あんな喧嘩別れをしたあと一年半も会っていなかったのだ。何から話せばいいのか、どういうテンションで話し掛ければいいのか分からず、沈黙を挟みながらのたどたどしい会話だった。
 大智は高校を卒業したあと、隣県の大学へ進んで一人暮らしをしているらしい。今は夏休みで帰省しているのだとか。学部は教育学部で、野球サークルに入っている。中学校か高校の教師になって野球部の顧問をするのが昔からの夢なのだと言った。

「でもさ、お前の大学なら実家からでも電車に乗れば充分通えるよな。一人暮らしさせてくれたんだな」

「母さんには自宅から通えって言われたんだけど……俺は家を出たかったから」

「なんで?」

「え……だって……一人暮らししてみたいじゃん……」

 大智が教育学部を目指していたことも教師になるという夢があることも、今まで知るチャンスはいくらでもあった。「一人暮らしをしてみたい」なんて小さい願望があることすらも知らなかった。俺はいつだって自分のことばっかりだったのだなと改めて気付かされた。

「それより昇は? 今、どうしてるの? ……親父さんは大丈夫なのか。高校生の頃、倒れたって人づてに聞いたけど」

「ああ、あの時は胃潰瘍でたいしたことなかったんだけど、やっぱり家に親父を一人にするとこれからまた倒れた時に誰も助けてやれないんじゃ心配だからさ。大学行くの辞めてこっちで仕事してた。仕事っつっても就職先がなかなか見つからなくてバイトだったんだけど。……でもそれも、なくなっちゃったんだけどな」

「えっ」

「焼き鳥屋でバイトしてて正社員になろうかって考えて時だよ。今、不景気だから辞めてくれって言われちゃって。それ、ついさっきの話なんだけど。もうすぐ親父が手術なんだよね。定期健診行ってたのに、半年前に癌が見つかっちゃってさ。保険が出るとはいえ休職中だし何かしら金がかかるから、早く次のバイトでも探さないといけないんだけど」

 あれほど誰にも話したくないと思っていたのに、一度洩らしたら自分でも驚くほどペラペラと喋っていた。本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。相手が大智であることも大きいだろう。家族ほど身近すぎず、その辺の同級生より気心が知れている。ただ同情だけはされたくないのであくまで笑いながら、自虐的に話した。

「俺はさー、大智と違って将来の夢なんてないから、目的もなく大学に行くのは気が進まなかった。理沙は管理栄養士になりたいって言うし。だから進学を止めて親父の傍にいることを選んだのは後悔してない。けど、結局自分のやりたいことも、自分にできることもなくて、仕事もなくてバイトすら続かなくて、俺ってなんのためにここにいて、何やってんだろうってガラにもなく思ったりして」

「大変だったんだな」

「いやー、全然。まあ仕事探すのが面倒だけど、あとはたいしたことしてないよ」

 そう。たいしたことじゃない。俺の焦りも悩みもたいしたことじゃないのだ。大智は笑いも憐みもしなかった。

「目的がなくて親の脛をかじって大学で遊んでる奴もたくさんいる中で、昇は自分の道を自分で決めたんだよな。お前は自分がそうしたかったからだろうけど、昇がそうしたから、理沙は大学に通えて親父さんは安心して入院していられるんだと思う。……俺にはできないよ」

 あからさまに「すごい」とか「偉い」とか言われるよりずっと恥ずかしい。でも大智が大真面目な顔をして言うので、きっとお世辞じゃないんだろう。心の中で「ありがとう」と思った。

「で、でもさ、大智はちゃんと教師になる夢があって大学に行ったじゃん」

「俺や理沙はたまたま決まってたかもしれないけど、みんながみんなそういう奴らじゃないよ。とりあえず受けたとか、推薦とか。そもそも授業出ない奴とかいるしな。そういうのこそ学費の無駄じゃん。だから昇は胸張っていいよ」

「……」

「それより俺は自分が情けないよ。ずっとお前と一緒にいたのに肝心な時に力になってやれなかったんだな。……俺のせいなんだけどさ」

 そして大智は避けていた話題に触れた。

「俺さ、昇のこと本当に好きだったんだ。だからその気持ちは否定したくなくて、あの時謝らなかった。でもやっぱり本当に好きならお前の幸せを応援してやるべきだったんだよな。それなのにあんな風に傷つけちゃって、お前にも大川さんにも悪いことした。……ごめん」

「ほんっと今更だけどな」

 だけど今更謝るほど、こいつもずっと思い詰めていたのだろう。

「いいよ。俺もごめん。……でも大智は俺より大川さんに謝ったほうが良かったんじゃね」

「大川さんには謝った。卒業式の時」

「え、そなの?」

「許してくれた。もう吹っ切れたから、大学で心置きなく恋愛するんだって」

「それはそれで傷付いたわ」

 ははっ、と声を出して笑う大智を久しぶりに見た。そういえば大学生になってから少し垢ぬけた気がする。いつもジャージか制服だった大智が、ネイビーのちょっとシャレたポロシャツを着ている。ずっと坊主だった髪は少し伸びて爽やかな短髪だ。背も……伸びたんだろうか。目線が高くなった気がする。それでも中身は優しくてカッコイイ、昔の大智だった。

さっきまでの俺は何もない自分に失望して、誰も彼もが羨ましかった。自分の選択は間違っていたのだろうかとも思った。だけど今はやっぱり俺はこれで良かったのだと心から思える。自信はないけれど確実に下を向いていた気持ちが前に向いた。大智が話を聞いてくれたから。大袈裟に人を褒めそやしたりしないからこそ、何気ない一言に救われる。
 街から自宅まで遠いと思っていたけど、あっという間に近所の公園までたどり着いた。

「歩こうと思えば歩けるもんだな」

「それな。あ、理沙が家にいると思うけど、寄ってく? あいつも会いたがってたし」

「もう深夜だから、今日はやめとく。今度改めて会いに行くよ」

 そう言ったあとで、機嫌を窺うような目で俺をチラ、と見た。

「なんだよ」

「……また会いに行ってもいい?」

「理沙に? いいよ」

「じゃなくて、昇にも。また連絡してもいい?」

 あの時、大智を傷付けたのは俺も同じだ。大智の気持ちに混乱していたとはいえ、冷たく突き放した。大智だって辛かったに違いない。俺はニッと歯を出して、今日一番の笑顔をしてやった。

「当たり前だろ」

 また昔みたいに戻れる、それが嬉しい。ただ、大智が今では俺のことをどう思っているのか、俺とどうなりたいのか、そして俺は大智をどう思っているのか、その本音についてはうやむやのままだ。



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