第二部 1-2
一時間ほど病室で談話したあと、また来るからと約束して帰路に着いた。帰りはバスではなく最寄りの駅から電車に乗って街に向かう。理沙はちゃっかり店をリサーチしていて、最近出来た沖縄料理の居酒屋に行きたいと言った。居酒屋で働いていながら自分は居酒屋で食事をしたことはない。メニューや店内の様子を見ては、バイト先の焼き鳥屋と無意識に比べてしまうのだった。
「まだ十九だからお酒飲めないのが残念だけど、ここのご飯美味しいって聞いたからさ」
健全にジュースで乾杯する。理沙の飲みっぷりが酒飲みのオヤジのようで、コイツは酒豪になるな、なんて考えた。
「そういえばさー。さっき病院でドリンク買いに行ってた時、戻ってくるの遅かったじゃん?」
こういう鋭さも相変わらずだ。
「たぶん昇なりにわたしとお父さんに気を遣ってくれたんだと思うんだけど、もしかしてさ……戻りたくなかったのかなって」
「……はあ?」
「お父さんが言ってた。ほぼ毎日バイトがあるのにしょっちゅう病院に来て、洗濯やら日用品の買い足しやら色々してくれて本当に助かってるけど、無理してるんじゃないかって」
「だって、俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」
「それよ」
割り箸でピッと差される。勢いでドレッシングの雫が飛んできた。
「昇がやりたくてやってるんならいいのよ。でも、我慢してたり無理してやってるようなら、お父さんも不本意なのよ。それから、さっきみたいに日用品やドリンク買いに行く時だっていつもお金を受け取らないのも心苦しいみたいよ。昇は迷惑かけたくないと思ってるのかもしれないけど、それはお父さんも一緒なの。もちろんわたしもよ。だからお父さんが病気だからって遠慮しないで、お父さんに甘える時は甘えていいんじゃないの」
理沙の言葉はいつも耳が痛い。確かにあの時、俺は二人に気を利かせたつもりで本当は自分が一人になりたかったんだ。
親父のために、自分の意思で選んで、自分がやりたくてやっているのは前提だ。でも、最近ではそれが苦になりかけているのも事実だ。バイトで疲れていても着替えを取りにいかないといけないとか、親父が一人で退屈かもしれないから顔を見せてやらないと、とか。毎日バイトと家との往復だから話のネタになるようなこともなくて、会話も続かなくなってきた。ことあるごとに金を渡してこようとするのは、正社員で働いているわけでもなく勉学に励んでいるわけでもない俺を憐れんでいるからかもしれないと勘ぐってしまい、素直に甘えられないのだ。――卑屈、っていうのだろう。なんの取柄もない、学校にも行っていない。仕事はバイトで正社員じゃない。えらそうなことを言って進学を辞めたくせに、物事が何もかも順調にいかなくて焦っている。楽しそうに大学に通う奴らと話していると、羨ましさと劣等感を抱いてしまうから、今では連絡を取らないようにしている。こんな自分を誰にも知られたくない。家族の親父や理沙にすらも、言いたくない。
俺はテーブルの下でギュッと拳を握った。
「……別に無理とかしてねぇから! どうせバイト以外は時間あるからさ、俺は」
「フーン……。なら、いいけど」
疑いの眼差しを向けながら理沙はジンジャーエールを飲み干した。俺は誤魔化すように運ばれてきたばかりの海ぶどうと豚の角煮を頬張る。
「そういえば高校の友達とは連絡取ってるの?」
「あんま取ってない。仲良かった奴はたまーにラインするけど」
「大ちゃんは……?」
久しぶりに聞くその名前に箸の動きが止まった。
大智とも高校を卒業してから連絡を取っていない。今、どこで何をしているのかも知らない。俺と大智が幼馴染でずっと仲が良かったことは周りの奴らも知っていたから、三年のある時を境に話さなくなった俺たちを他の友達もおかしいと思っていたのだろう。俺に大智の話をしてくる奴はいなくなり、卒業してからもあいつの情報は一つも入って来ないのだった。理沙も今まで大智の話題を口にしなかったのに、今更大智の名前を出すなんて何かあったのかと訝しんだ。
「それがさ、こっちに帰る前に大ちゃんからラインが来たのよ。元気? って。すっごく久々でさ。『元気だよ、大ちゃんは?』って返したら『そっか』だけ返ってきて、それでおしまい」
「え、それだけ?」
「うん。でもさ、わたしの『大ちゃんは?』って質問に何も答えがないから、もしかして何か悩み事でもあるのかなって思って。昇には連絡ない?」
「ないな」
別にわざとではないが、冷たい言い方になってしまった。理沙はムッとした顔で、
「まぁーだ怒ってるの!? 昔のこと!」
と、ついに話題にしたのである。
「別に怒ってはないけどっ……、今更どうすればいいんだよ」
「連絡は取りたいと思ってるの?」
大智のことを今まで忘れたことはない。あれだけ仲が良かったのだ。大智のしたことには腹は立ったけど、いつかは元に戻りたいと思っていた。でも意地を張って大智を冷たく突き放した手前、今更俺から連絡を取るなんてムシが良くないか。
「どっちでもいいよ、もう」
また考えていることを素直に言えない。理沙も呆れたように鼻で息をつき、それから大智の話はしなくなった。
「昇は明日もバイト? 何時から?」
「夕方から。四時半には出る」
「無理しないでよね。昇まで倒れたら今度はわたしが大学辞めなきゃいけないんだから!」
歯を見せてニッと笑う理沙に気分が軽くなる。友達と随分距離ができて心置ける仲間がいないだけに、理沙の存在は俺にとって大きい。それはいつかちゃんと口で伝えてやれたらとは思っている。
***
バイト先では俺が一番下っ端なので、みんなより早めに行って準備を済ませておくのが常だ。それが決まり事なわけでもないし強要されたわけでもない。自分の気持ちの問題だ。バイトとはいえ仕事は仕事。今日も頑張りますか、と更衣室に入って鞄を置いた時、店長に呼ばれた。
「ごめん、ちょっといいかな」
「はい」
店長は周りに人がいないかキョロキョロと確認して、更衣室のドアを閉めた。なんだか畏まった話のようで緊張が走る。
「えーと。渡辺さ、バイトどんな感じ?」
「どんな感じ、とは」
「悩み事だったり嫌なことあったりしない?」
「ないです」
「だよね~~~~」
店長は額に手を当てた。まるで何もないとまずいようだ。
「や、渡辺がすごくバイト頑張ってるの知ってるんだよ。物覚え早いし、客への対応もバッチリだし、真面目だし。他の奴らもすごいって言ってるし、俺もお前にはずっといてもらいたい。だから正社員にならないかって勧めたんだけど」
「……ありがとうございます」
「ただ……俺の意思だけではどうにもならなくてさ……」
煮え切らない態度の店長にだんだんイライラしてきて、俺は結論を急かした。すると店長は勢いよく深く頭を下げた。
「――ごめん! 申し訳ないけど、今月いっぱいでバイト辞めてもらってもいいかな……」
―――
どうしてこれから仕事って時に、そんな話をするかな。おかげで今日は全然やる気が出なかった。でも、だからと言っていい加減にはできないから空元気で乗り切るしかなかった。仕事中はずっと親父のことや次のバイト先や就活のことで頭がいっぱいだった。
本当に申し訳ない。
実は会社の業績が悪くて、今店舗を縮小してるんだ。この店も、なくなるかもしれない。
俺もなんとか頑張ろうと思ったけど、もう人手を減らすしか方法がなくて……。
店長はまだ三十になったばかりの男性だ。もうすぐ結婚すると言っていた。これから色々責任を負わなければならない中で悩んだに違いない。店長はいい人だ。そんな店長に切実に言われたら、辞めたくなくても了承するしかなかった。
また死に物狂いで仕事を探さなきゃ。今度は時間がかかってもバイトじゃなくて正社員で働けるところを探そうか。でも不景気の今、雇ってくれるところなんかあるのか。そもそも俺はなんの仕事がしたいんだ。
ぐるぐると考えながら夜道を歩いていたら、いつの間にかバス停を通り過ぎていた。家に帰ったら理沙がいる。理沙にも今日のことを話さないと。でも話したくない。だから家に帰りたくない。俺はバス停に戻らず、そのまま街へ向かうことにした。
十時を過ぎると飲み屋以外の店はほとんど閉まっている。どこにも行くところがなくてアーケードをひたすら歩いた。ふと懐かしい店の前で足を止めた。高校生の頃よく行っていたドーナツ屋だ。店はまだ開いている。夜カフェができるなんて初めて知った。
久しぶりに寄りたいけれど、そろそろ閉店のようだ。せめてテイクアウトしようか。店の前の看板に書かれてあるメニュー表を眺める。知らないあいだに新しい味が何種類か追加されている。新作を試すのもいいけど、やはりオーソドックスなものが食べたい。店のドアに手をかけようとした時、先に中からドアが開かれた。
「すみませ……」
出て来たのは俺より図体のでかい男。思わず見上げてその顔を確認した瞬間、体が固まった。向こうも、俺を見て驚いているようだった。
「……昇?」
「だ、大智」
今、一番会いたくなくて、今までずっと会いたかった奴――。
→
「まだ十九だからお酒飲めないのが残念だけど、ここのご飯美味しいって聞いたからさ」
健全にジュースで乾杯する。理沙の飲みっぷりが酒飲みのオヤジのようで、コイツは酒豪になるな、なんて考えた。
「そういえばさー。さっき病院でドリンク買いに行ってた時、戻ってくるの遅かったじゃん?」
こういう鋭さも相変わらずだ。
「たぶん昇なりにわたしとお父さんに気を遣ってくれたんだと思うんだけど、もしかしてさ……戻りたくなかったのかなって」
「……はあ?」
「お父さんが言ってた。ほぼ毎日バイトがあるのにしょっちゅう病院に来て、洗濯やら日用品の買い足しやら色々してくれて本当に助かってるけど、無理してるんじゃないかって」
「だって、俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」
「それよ」
割り箸でピッと差される。勢いでドレッシングの雫が飛んできた。
「昇がやりたくてやってるんならいいのよ。でも、我慢してたり無理してやってるようなら、お父さんも不本意なのよ。それから、さっきみたいに日用品やドリンク買いに行く時だっていつもお金を受け取らないのも心苦しいみたいよ。昇は迷惑かけたくないと思ってるのかもしれないけど、それはお父さんも一緒なの。もちろんわたしもよ。だからお父さんが病気だからって遠慮しないで、お父さんに甘える時は甘えていいんじゃないの」
理沙の言葉はいつも耳が痛い。確かにあの時、俺は二人に気を利かせたつもりで本当は自分が一人になりたかったんだ。
親父のために、自分の意思で選んで、自分がやりたくてやっているのは前提だ。でも、最近ではそれが苦になりかけているのも事実だ。バイトで疲れていても着替えを取りにいかないといけないとか、親父が一人で退屈かもしれないから顔を見せてやらないと、とか。毎日バイトと家との往復だから話のネタになるようなこともなくて、会話も続かなくなってきた。ことあるごとに金を渡してこようとするのは、正社員で働いているわけでもなく勉学に励んでいるわけでもない俺を憐れんでいるからかもしれないと勘ぐってしまい、素直に甘えられないのだ。――卑屈、っていうのだろう。なんの取柄もない、学校にも行っていない。仕事はバイトで正社員じゃない。えらそうなことを言って進学を辞めたくせに、物事が何もかも順調にいかなくて焦っている。楽しそうに大学に通う奴らと話していると、羨ましさと劣等感を抱いてしまうから、今では連絡を取らないようにしている。こんな自分を誰にも知られたくない。家族の親父や理沙にすらも、言いたくない。
俺はテーブルの下でギュッと拳を握った。
「……別に無理とかしてねぇから! どうせバイト以外は時間あるからさ、俺は」
「フーン……。なら、いいけど」
疑いの眼差しを向けながら理沙はジンジャーエールを飲み干した。俺は誤魔化すように運ばれてきたばかりの海ぶどうと豚の角煮を頬張る。
「そういえば高校の友達とは連絡取ってるの?」
「あんま取ってない。仲良かった奴はたまーにラインするけど」
「大ちゃんは……?」
久しぶりに聞くその名前に箸の動きが止まった。
大智とも高校を卒業してから連絡を取っていない。今、どこで何をしているのかも知らない。俺と大智が幼馴染でずっと仲が良かったことは周りの奴らも知っていたから、三年のある時を境に話さなくなった俺たちを他の友達もおかしいと思っていたのだろう。俺に大智の話をしてくる奴はいなくなり、卒業してからもあいつの情報は一つも入って来ないのだった。理沙も今まで大智の話題を口にしなかったのに、今更大智の名前を出すなんて何かあったのかと訝しんだ。
「それがさ、こっちに帰る前に大ちゃんからラインが来たのよ。元気? って。すっごく久々でさ。『元気だよ、大ちゃんは?』って返したら『そっか』だけ返ってきて、それでおしまい」
「え、それだけ?」
「うん。でもさ、わたしの『大ちゃんは?』って質問に何も答えがないから、もしかして何か悩み事でもあるのかなって思って。昇には連絡ない?」
「ないな」
別にわざとではないが、冷たい言い方になってしまった。理沙はムッとした顔で、
「まぁーだ怒ってるの!? 昔のこと!」
と、ついに話題にしたのである。
「別に怒ってはないけどっ……、今更どうすればいいんだよ」
「連絡は取りたいと思ってるの?」
大智のことを今まで忘れたことはない。あれだけ仲が良かったのだ。大智のしたことには腹は立ったけど、いつかは元に戻りたいと思っていた。でも意地を張って大智を冷たく突き放した手前、今更俺から連絡を取るなんてムシが良くないか。
「どっちでもいいよ、もう」
また考えていることを素直に言えない。理沙も呆れたように鼻で息をつき、それから大智の話はしなくなった。
「昇は明日もバイト? 何時から?」
「夕方から。四時半には出る」
「無理しないでよね。昇まで倒れたら今度はわたしが大学辞めなきゃいけないんだから!」
歯を見せてニッと笑う理沙に気分が軽くなる。友達と随分距離ができて心置ける仲間がいないだけに、理沙の存在は俺にとって大きい。それはいつかちゃんと口で伝えてやれたらとは思っている。
***
バイト先では俺が一番下っ端なので、みんなより早めに行って準備を済ませておくのが常だ。それが決まり事なわけでもないし強要されたわけでもない。自分の気持ちの問題だ。バイトとはいえ仕事は仕事。今日も頑張りますか、と更衣室に入って鞄を置いた時、店長に呼ばれた。
「ごめん、ちょっといいかな」
「はい」
店長は周りに人がいないかキョロキョロと確認して、更衣室のドアを閉めた。なんだか畏まった話のようで緊張が走る。
「えーと。渡辺さ、バイトどんな感じ?」
「どんな感じ、とは」
「悩み事だったり嫌なことあったりしない?」
「ないです」
「だよね~~~~」
店長は額に手を当てた。まるで何もないとまずいようだ。
「や、渡辺がすごくバイト頑張ってるの知ってるんだよ。物覚え早いし、客への対応もバッチリだし、真面目だし。他の奴らもすごいって言ってるし、俺もお前にはずっといてもらいたい。だから正社員にならないかって勧めたんだけど」
「……ありがとうございます」
「ただ……俺の意思だけではどうにもならなくてさ……」
煮え切らない態度の店長にだんだんイライラしてきて、俺は結論を急かした。すると店長は勢いよく深く頭を下げた。
「――ごめん! 申し訳ないけど、今月いっぱいでバイト辞めてもらってもいいかな……」
―――
どうしてこれから仕事って時に、そんな話をするかな。おかげで今日は全然やる気が出なかった。でも、だからと言っていい加減にはできないから空元気で乗り切るしかなかった。仕事中はずっと親父のことや次のバイト先や就活のことで頭がいっぱいだった。
本当に申し訳ない。
実は会社の業績が悪くて、今店舗を縮小してるんだ。この店も、なくなるかもしれない。
俺もなんとか頑張ろうと思ったけど、もう人手を減らすしか方法がなくて……。
店長はまだ三十になったばかりの男性だ。もうすぐ結婚すると言っていた。これから色々責任を負わなければならない中で悩んだに違いない。店長はいい人だ。そんな店長に切実に言われたら、辞めたくなくても了承するしかなかった。
また死に物狂いで仕事を探さなきゃ。今度は時間がかかってもバイトじゃなくて正社員で働けるところを探そうか。でも不景気の今、雇ってくれるところなんかあるのか。そもそも俺はなんの仕事がしたいんだ。
ぐるぐると考えながら夜道を歩いていたら、いつの間にかバス停を通り過ぎていた。家に帰ったら理沙がいる。理沙にも今日のことを話さないと。でも話したくない。だから家に帰りたくない。俺はバス停に戻らず、そのまま街へ向かうことにした。
十時を過ぎると飲み屋以外の店はほとんど閉まっている。どこにも行くところがなくてアーケードをひたすら歩いた。ふと懐かしい店の前で足を止めた。高校生の頃よく行っていたドーナツ屋だ。店はまだ開いている。夜カフェができるなんて初めて知った。
久しぶりに寄りたいけれど、そろそろ閉店のようだ。せめてテイクアウトしようか。店の前の看板に書かれてあるメニュー表を眺める。知らないあいだに新しい味が何種類か追加されている。新作を試すのもいいけど、やはりオーソドックスなものが食べたい。店のドアに手をかけようとした時、先に中からドアが開かれた。
「すみませ……」
出て来たのは俺より図体のでかい男。思わず見上げてその顔を確認した瞬間、体が固まった。向こうも、俺を見て驚いているようだった。
「……昇?」
「だ、大智」
今、一番会いたくなくて、今までずっと会いたかった奴――。
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