第二部 1-1
「渡辺、これ十五番に運んできて」
「はい」
カウンターにドン、と置かれた焼き鳥の盛り合わせを指定されたテーブルへ運ぶ。焼きたての鶏は甘辛い醤油の香ばしい匂いがして空腹を刺激する。まかないを食べそびれたのでテカテカと脂で光るその美味そうな焼き鳥を貪りたい衝動に駆られた。
「お待たせしました、焼き鳥の盛り合わせです」
「あれー、盛り合わせなんて頼んだっけ」
「そういえば頼んだけど、すっかり忘れてたわ。もうお腹いっぱい~」
焼き鳥を注文したのは俺と変わらないくらいの若い男女。テーブルには食い散らかした皿やペーパーナプキンが散らばっている。
「ま、いいや。頑張って食おうぜ」
俺は空になった皿をサッサと集めてキッチンへ下がった。料理を注文するならちょっとは考えて注文しろ。こちとら空腹で死にそうなのに何が「頑張って食おう」だよ。俺が食いたいわ。なんてイライラしながらマスクの下で溜息をついた。
「渡辺くん、もう上がりだよね。お疲れ様」
「お先に失礼します」
バンダナとエプロンを外して早々に帰り支度をする。更衣室に入ると服に炭の匂いが染み付いているのがよく分かる。
早く何かを食べたくて近くのファミレスの前まで来たが、思い止まった。給料日前だ。ここはもう少し我慢してまっすぐ家に帰って自炊することにする。ポケットの中でスマートフォンが震えた。親父からのメッセージだった。
『明日は検査をするから来なくていい。結果はまた連絡する』
了解、とだけ打って、スマートフォンをポケットに入れた。
高校を卒業して一年半が経った。大学入試直前に進路変更をした俺は、あれから必死で就職先を探したけれど結局見つからなかった。何もしないわけにもいかないのでとりあえず時給の良かった焼き鳥屋でバイトを始め、傍らで正社員で働けるところを探すことにした。そしてそのまま気付けば一年が過ぎてしまった。意外とバイトに時間を取られてなかなか本腰で就職活動ができない、というのもあるけれど、なんの資格も持たないまま卒業したのでそんな俺を雇ってくれるところなんてほとんどない。理沙には目的もなく大学に行きたくないから、なんて格好つけておいて情けない話だ。ただ、今バイトをしている焼き鳥屋が正社員にならないかと声を掛けてくれていて、最近はそれでもいいかなと思い始めている。
それともいっそバイトも辞めて何か資格を取って就職先を探そうか。今ある貯金なら暫くは……と考えて、イヤイヤと首を振る。親父が先月から入院している。親父は胃潰瘍を患ったあと定期的に健診に行っていたが、それにも関わらず半年前に癌が見つかった。先延ばしになっていた手術の日取りもようやく決まったところだ。保険の手当が出るとは言え、これからの費用を考えたらバイトを辞めるわけにはいかない。
病気の親父を傍で見てやれる、という点では俺の選択は間違っていなかっただろう。だけど結局当てもなく、地に足がつかない状態でその日その日を過ごしている。焦りばかりが先だって、これで良かったのだろうかと最近では自問してばかりなのだった。
***
「ただいまー、昇―っ」
七月の終わり、大学が夏休みに入ったところで理沙が帰省した。
「あ、おかえり。なんだよ、家に着く前に連絡くらいしろよ」
「したわよ。昇が見てないだけでしょ。はー、あっつー。バス停から歩いたから汗だくよ。ねぇ、免許取らないの? 昇が運転できたら送迎お願いできるのに」
「取りたいけど、そんな時間がねーんだわ。親父が退院したら取るつもり」
冷たい麦茶を出したら理沙はあっという間に飲み干してしまった。そしてショートパンツから伸びた足をどすっとローテーブルに乗せる。我が妹ながらスタイルは良いが、行儀の悪さは相変わらずだ。
「お前なぁ、汚い足をテーブルに載せんな」
「失礼ね、ちゃんと制汗シートで拭いたわよ!」
「そういう問題じゃねぇ」
昔はこういう小競り合いでいちいち腹を立てていたが、今ではこんなやりとりにホッとする。普段離れているから寛大になっているのもあるけど、素を出せる相手がいるというのは本当にありがたいことだと、少し大人になってから身に沁みた。
「で、お父さんの具合どう? わたしがお父さんに聞いても、大丈夫しか言わないんだよね」
「二週間後に手術する。腫瘍自体は大きくないんだけどな……。場所がちょっと悪くて。まあ、でも大丈夫だよ。こないだの検査でもたいして進行してなかったし。理沙が帰って来たら見舞いに行くって言ってある」
「行く行く!」
見舞いに行ったらその帰りに夕食を食べに行きたいと言うので、夕方五時頃に病院に着くように家を出た。病院まではバスに乗っていく。真夏は午後四時を過ぎてもまだまだ暑い。照り付ける日射しの中バス停まで歩いたあと、混雑して湿った車内でニ十分ほど揺られる。こういう時、確かに車があればなぁと思う。……今の俺にはできないことばかりだ。
病室に着いて理沙がカーテンを開けると、テレビを見ていた親父はパア、と笑顔を見せた。
「お父さん、どう?」
「わざわざ来てくれたのか、悪いな」
「なかなか帰れなくてごめんね。ちゃんと薬は飲んでるの?」
「心配ない。それより理沙はどうなんだ。ちゃんと勉強してるか」
「あったりまえじゃない」
俺が見舞いに来た時も親父はいつも笑顔だが、今日は特別よく笑う。やっぱり普段会えないぶん、嬉しいのだろう。理沙のあっけらかんとした明るい性格の影響もあるかもしれない。再会を喜び合う二人の姿に安心しながら、ベッドの横にある紙袋を手に取った。
「親父、今日の洗濯物これだけ? 欲しいものがあるなら買ってくるけど」
「ああ、それだけだ。……なら悪いけど三人分の飲み物を買ってきてくれないか」
「おっけー」
財布から千円札を出そうとする親父を止めた。
「いいって。俺が買ってくるから」
親父はいつもこうして金を渡そうとしてくる。そりゃ正直言って出してくれるのは有難い。でもいくら親とはいえ病人にそこまで気を遣わせたくない。しつこく押し付けられるまえにさっさと病室を出た。
売店でドリンクを買ったら少し中庭を気晴らしに散歩しよう。理沙も親父と久しぶりに会えて色々話をしたいだろうし、暫く二人きりにさせてやることにする。
中庭に出るとムッとした空気が纏わりつく。夕方になると蝉の鳴き声が少し収まった。まだ熱のこもったベンチに腰を下ろして、空を仰いで目を瞑る。木陰に吹く生温い風に、いつぶりかに休息した気がした。
→
「はい」
カウンターにドン、と置かれた焼き鳥の盛り合わせを指定されたテーブルへ運ぶ。焼きたての鶏は甘辛い醤油の香ばしい匂いがして空腹を刺激する。まかないを食べそびれたのでテカテカと脂で光るその美味そうな焼き鳥を貪りたい衝動に駆られた。
「お待たせしました、焼き鳥の盛り合わせです」
「あれー、盛り合わせなんて頼んだっけ」
「そういえば頼んだけど、すっかり忘れてたわ。もうお腹いっぱい~」
焼き鳥を注文したのは俺と変わらないくらいの若い男女。テーブルには食い散らかした皿やペーパーナプキンが散らばっている。
「ま、いいや。頑張って食おうぜ」
俺は空になった皿をサッサと集めてキッチンへ下がった。料理を注文するならちょっとは考えて注文しろ。こちとら空腹で死にそうなのに何が「頑張って食おう」だよ。俺が食いたいわ。なんてイライラしながらマスクの下で溜息をついた。
「渡辺くん、もう上がりだよね。お疲れ様」
「お先に失礼します」
バンダナとエプロンを外して早々に帰り支度をする。更衣室に入ると服に炭の匂いが染み付いているのがよく分かる。
早く何かを食べたくて近くのファミレスの前まで来たが、思い止まった。給料日前だ。ここはもう少し我慢してまっすぐ家に帰って自炊することにする。ポケットの中でスマートフォンが震えた。親父からのメッセージだった。
『明日は検査をするから来なくていい。結果はまた連絡する』
了解、とだけ打って、スマートフォンをポケットに入れた。
高校を卒業して一年半が経った。大学入試直前に進路変更をした俺は、あれから必死で就職先を探したけれど結局見つからなかった。何もしないわけにもいかないのでとりあえず時給の良かった焼き鳥屋でバイトを始め、傍らで正社員で働けるところを探すことにした。そしてそのまま気付けば一年が過ぎてしまった。意外とバイトに時間を取られてなかなか本腰で就職活動ができない、というのもあるけれど、なんの資格も持たないまま卒業したのでそんな俺を雇ってくれるところなんてほとんどない。理沙には目的もなく大学に行きたくないから、なんて格好つけておいて情けない話だ。ただ、今バイトをしている焼き鳥屋が正社員にならないかと声を掛けてくれていて、最近はそれでもいいかなと思い始めている。
それともいっそバイトも辞めて何か資格を取って就職先を探そうか。今ある貯金なら暫くは……と考えて、イヤイヤと首を振る。親父が先月から入院している。親父は胃潰瘍を患ったあと定期的に健診に行っていたが、それにも関わらず半年前に癌が見つかった。先延ばしになっていた手術の日取りもようやく決まったところだ。保険の手当が出るとは言え、これからの費用を考えたらバイトを辞めるわけにはいかない。
病気の親父を傍で見てやれる、という点では俺の選択は間違っていなかっただろう。だけど結局当てもなく、地に足がつかない状態でその日その日を過ごしている。焦りばかりが先だって、これで良かったのだろうかと最近では自問してばかりなのだった。
***
「ただいまー、昇―っ」
七月の終わり、大学が夏休みに入ったところで理沙が帰省した。
「あ、おかえり。なんだよ、家に着く前に連絡くらいしろよ」
「したわよ。昇が見てないだけでしょ。はー、あっつー。バス停から歩いたから汗だくよ。ねぇ、免許取らないの? 昇が運転できたら送迎お願いできるのに」
「取りたいけど、そんな時間がねーんだわ。親父が退院したら取るつもり」
冷たい麦茶を出したら理沙はあっという間に飲み干してしまった。そしてショートパンツから伸びた足をどすっとローテーブルに乗せる。我が妹ながらスタイルは良いが、行儀の悪さは相変わらずだ。
「お前なぁ、汚い足をテーブルに載せんな」
「失礼ね、ちゃんと制汗シートで拭いたわよ!」
「そういう問題じゃねぇ」
昔はこういう小競り合いでいちいち腹を立てていたが、今ではこんなやりとりにホッとする。普段離れているから寛大になっているのもあるけど、素を出せる相手がいるというのは本当にありがたいことだと、少し大人になってから身に沁みた。
「で、お父さんの具合どう? わたしがお父さんに聞いても、大丈夫しか言わないんだよね」
「二週間後に手術する。腫瘍自体は大きくないんだけどな……。場所がちょっと悪くて。まあ、でも大丈夫だよ。こないだの検査でもたいして進行してなかったし。理沙が帰って来たら見舞いに行くって言ってある」
「行く行く!」
見舞いに行ったらその帰りに夕食を食べに行きたいと言うので、夕方五時頃に病院に着くように家を出た。病院まではバスに乗っていく。真夏は午後四時を過ぎてもまだまだ暑い。照り付ける日射しの中バス停まで歩いたあと、混雑して湿った車内でニ十分ほど揺られる。こういう時、確かに車があればなぁと思う。……今の俺にはできないことばかりだ。
病室に着いて理沙がカーテンを開けると、テレビを見ていた親父はパア、と笑顔を見せた。
「お父さん、どう?」
「わざわざ来てくれたのか、悪いな」
「なかなか帰れなくてごめんね。ちゃんと薬は飲んでるの?」
「心配ない。それより理沙はどうなんだ。ちゃんと勉強してるか」
「あったりまえじゃない」
俺が見舞いに来た時も親父はいつも笑顔だが、今日は特別よく笑う。やっぱり普段会えないぶん、嬉しいのだろう。理沙のあっけらかんとした明るい性格の影響もあるかもしれない。再会を喜び合う二人の姿に安心しながら、ベッドの横にある紙袋を手に取った。
「親父、今日の洗濯物これだけ? 欲しいものがあるなら買ってくるけど」
「ああ、それだけだ。……なら悪いけど三人分の飲み物を買ってきてくれないか」
「おっけー」
財布から千円札を出そうとする親父を止めた。
「いいって。俺が買ってくるから」
親父はいつもこうして金を渡そうとしてくる。そりゃ正直言って出してくれるのは有難い。でもいくら親とはいえ病人にそこまで気を遣わせたくない。しつこく押し付けられるまえにさっさと病室を出た。
売店でドリンクを買ったら少し中庭を気晴らしに散歩しよう。理沙も親父と久しぶりに会えて色々話をしたいだろうし、暫く二人きりにさせてやることにする。
中庭に出るとムッとした空気が纏わりつく。夕方になると蝉の鳴き声が少し収まった。まだ熱のこもったベンチに腰を下ろして、空を仰いで目を瞑る。木陰に吹く生温い風に、いつぶりかに休息した気がした。
→
スポンサーサイト
- Posted in: ★お前は幼なじみで、親友で
- Comment: 0Trackback: -