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第一部 2-5

 模試が近いこともあって数日学校を休むと連絡を入れた。どうせたいした授業なんてないのだ。休んだところで影響はない。親父は反対しなかった。一方、勘のいい理沙は訝しんだ。なるべく態度に出さないように明るく振る舞ったのに、「何かあったの?」と鋭く聞かれた。

「昇、学校好きなのにそんな理由で休むなんて初めてじゃない? 高校受験の時だって一回も休んだことなかったのに」

「高校受験と大学受験は違うだろ。……大智にしばらく一緒に行けないって伝えといて」

 どうして自分で言わないのかと疑問に思っただろう。でもさすが双子と言うべきか、理沙は不服そうな表情をしながらも「分かった」と引き下がった。
本来なら学校にいる時間に家にいるというのは変な気分だ。通勤、通学時間を過ぎれば朝でも外は静かだし、ちょっとした風の音でもやたら気になる。問題を一問解いては空を飛びまわる雀なんかを窓越しにボーッと眺めた。机の上に置いているスマートフォンを手に取る。大智からはなんの連絡もない。
昼前になって小腹が空いたのでリビングへ下りたら、ちょうど玄関のドアがガチャリと開いた。何故か親父が帰ってきたのだ。

「えっ、どうしたの」

「ああ、今日は会社の健康診断があって早退したんだ」

「早退? もしかして具合悪いの?」

「いや、ただの健診だよ。最近仕事も落ち着いたし、今日はお前も家にいるっていうからたまにはな。……弁当買って来たけど、食うか?」

「ちょうど腹減ったとこ」

 誕生日に家族三人で揃ってピザを食べた時もなんだか気恥ずかしかったが、親父と二人となると尚更だった。というより、緊張もあったかもしれない。親父のことは好きだけど、思えばいつからか親父と他愛ない会話をすることがなくなった。母親が生きていた頃、親父は仕事ばかりで休日すら一緒に過ごした記憶がない。母親がいなくなってからは日々の生活に精一杯で必要最低限の会話しかしなかったんじゃないだろうか。ここにきて親父と落ち着いて一緒に飯を食べるなんて、一体何を話せばいいのかと戸惑っていた。親父が弁当の蓋を取って「美味そうだな」と微笑む。中身はのり弁だった。

「勉強ははかどってるか?」

「まあまあ……」

「お前は要領が良いから、あまり心配してない。お前の行きたいところに行くといい」

 そう言われても俺は特に行きたい大学も学部もないのだが。

「理沙とはなんか話してるの? 俺、あいつと進路の話したことないんだよね」

「理沙はなァ」

 と、親父が苦笑する。どうやらあまり成績は芳しくないようだ。

「管理栄養士になりたいらしい。ただちょっと受ける学部のレベルが高くてな。今のままじゃ厳しいと担任に言われた」

 理沙が管理栄養士、と聞いておかしい反面、納得もした。あいつは料理が好きだし、本人に向かっては言わないがけっこう美味いのだ。

「昇からも一度話してやってくれないか。父さんが話すよりお前と話したほうがやる気も出るだろう」

「分かった」

「お前たちも大学生になるのか。……母さんにも見せてやりたかったな」

 ふ、と親父が仏間に目を向ける。視線の先には仏壇があり、満面の笑みの若々しい母親の遺影の隣に湯呑があるのに気付いた。いつも湯呑なんて置かれてあったか。親父が置いているのだろうか。そういえば俺はもう長いこと線香を上げていないが、親父はいつ手を合わせているのだろう。母親が亡くなってもう六年。俺と理沙の知らないところで、親父は毎日仏壇にお茶を置いて、母親と語り合っているのかもしれない。仏間はいつも、微かに線香の匂いがする。

 その日は午後から親父がずっと家にいたので、夜も三人で揃って夕食を摂った。学校から早めに帰ってきた理沙がメインの生姜焼きを作ると言い出し、その付け合わせを親父が作った。俺は台所で並んで料理する二人の姿を見ながら、ソファで単語帳を開いていただけだ。理沙の生姜焼きも、親父の酢の物も美味かった。
 親父に頼まれたこともあって、夕食を終えたあとは理沙の部屋に行った。ノックもせず無遠慮にドアを開けた瞬間、ゴン! と何かにぶつかった。ドアの前に本やらメイクボックスやらを積み重ねていたらしい。

「お前、ちょっとは掃除しろよ」

「レディの部屋にいきなり入る男がどこにいんのよ。どしたの?」

 勉強していたのか机に問題集を広げていた。ベッドに腰掛ける。

「いやさ、勉強の進み具合どうなのかなって」

「え~? 今までそんな話しなかったのに、何よ」

「親父から聞いたんだけど、管理栄養士になりたいんだって?」

「まあね。でも最近、成績が伸び悩んでて。このあいだの模試もC判定だったの」

 はあ、とため息をついて頬杖をついた。いつもあっけらかんとしているが、理沙もそれなりに悩んでいるのかもしれない。やる気がないのではなく、成果が出ていないだけなのだ。余計な小言は言わないほうが良さそうだ。

「昇はどこ受けるんだっけ」

「W大……とか?」

「とかって何よ。とかって」

「正直、行きたい大学ってないんだよな。将来何になりたい、とかもないし」

「そんなもんじゃない? 理由があって進学する子のほうが少数だと思うよ。将来が分からないから進学してその先を探すんじゃない? わたしの周りはそういう子が多いけどな」

それを聞いて少し心が軽くなった気がした。目的がないのに学費を払って大学に行くことに気後れしていたから。理沙に発破をかけるつもりで来たのに、俺が励まされたんじゃ世話がない。

「この時期に伸び悩むのはよくあることらしいよ。だから今までどおり勉強してれば大丈夫だろ」

「それだけ言いに来たの? あ、お父さんに何か言われたんでしょ」

「そういうこと。んじゃ、俺も勉強しよ」

 立ち上がったら、今度は俺は引き留められた。

「ねえ、いつまで大ちゃんを避けるの?」

 その言葉で、理沙は俺と大智のあいだで何があったのか知っているのだと分かった。どうして知っているのか、というよりも大智があっさり理沙に話したということに驚いた。

「大ちゃんが冗談で言ったわけじゃないって分かってるでしょ?」

「だからって大川さんを傷付けていいわけじゃない」

 俺は再びベッドに座り込んで、頭を抱えた。本当はあまり思い出したくない。大川さんにフラれたことも、大智が大川さんに言ったことも、大智が俺にやったことも。ショックだったし怖かった。できれば全部なかったことにして元通りになりたい。でもそれができないと分かっているから避けるしかない。今はそれしか方法がないのだ。

「お前は驚かなかったのか」

「……ごめん、わたしは……全部、知ってたから」

「はっ!?」

「大ちゃんが昇を好きなこと。そしてわたしも応援しちゃってて」

「なんだよ、それ」

「大ちゃんとは、昇のことでよく相談に乗ってたのよ。ラインもしょっちゅうしてて」

 それで誕生日プレゼントを一緒に買いに行くことになったのか。

「昇の気持ちを考えないでわたしが勝手に大ちゃんの背中を押してたとこもあるから、ちょっと責任感じてるのよ」

「もしかして、俺が大川さんと登校したいって言った時に反対してたのも、大智のため?」

「うん、ごめん」

 これで疑問に思っていたことが全部解けた。けれども心のもやもやはどうしたって晴れない。

「昇が混乱するのも分かるよ。好きな女の子にフラれてショックだと思う」

「とっととフラれろとか言ったの誰だよ」

「今はいいのよ、その話は」

 理沙が俺の膝を蹴る。

「でもさ、大ちゃんは昇のことが好きなんだよ。本当に。それだけはなかったことにしないであげて」

「……」

「明日も休むの?」

「明日は休む。……でも、明後日は行くよ」

 理沙にそういう風に言われたら、行くしかないだろう。大智のことはまだ許せないけれど、いつかは許したいと思っている。俺だって三人で下らない話をしながら登校するあの時間をもう一度過ごしたいのだ。

「大智ってさ……、卒業したらどうするか知ってる?」

「さあ。でもたぶん進学はするんだと思うよ」

 あれだけ一緒にいながら、俺は大智が進学するのかどうかも知らない。あまりにどうでもいい話しかしてなかったんだな、と少し笑えた。

「俺ら、なんにも知らねーな」

「深い話はしてこなかったもんね」

たぶん、深いところを掘ったら何かが壊れると無意識に知っていたからなのだろう。

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