まひる 4
夏休みに入ってすぐ、東京の友達のサトシが遊びに来た。終業式の日の放課後、『駅に着いた』とメッセージがあった。まさかそんなに早く来ると思わなかったので、ホームルームが終わってすぐにバスで駅に向かった。結局、剛と話せなかったなと後悔はあったけれど、俺はこの時、まだ剛に甘えてたんだと思う。剛なら気長に待っててくれると気楽に構えていたのだ。
***
「まひる! 久しぶり!」
改札からサトシが大きく手を振った。大きなブランドのボストンバッグを肩に下げ、Tシャツもデニムもおろし立てなのが分かる。赤系のブラウンに染まった髪の毛がやたら目立った。
「不良が来た」
「休みのあいだだけだよ。まひるだって不良じゃん」
「俺は地毛なの」
「うわー、制服だー。こっちの学校は学ランなの? ブレザーじゃないまひるって新鮮。可愛い、可愛い」
小さい子どもをあやすように頭を撫でられた。
もう昼時なのに何も食っていないというサトシを近場のうどん屋に連れて行った。全国チェーンの店ではなく、地元にしかない汚いセルフサービスの店だ。嫌がるかなという心配もあったけれど、むしろそのローカルさが気に入ったらしく、サトシは美味い美味いと喜んだ。食後は駅のレンタサイクルで自転車を借りて、とりあえず思い付く観光名所を回った。なんで自転車なのかと聞かれてバスを一本待っていたら日が暮れると言ったら、サトシは馬鹿にしたように笑った。山道を立ち漕ぎして汗だくで辿り着いた銭形砂絵を一望できる展望広場。見れば金持ちになれるんだよと教えたら、そんな迷信だけは真に受けて、瀬戸内海を背景に浜に描かれた寛永通宝に向かって必死に拝んでいた。
山を下りるとすぐ傍に海がある。泳ぎたいと駄々をこねられ最初は躊躇したが、どうせ明日から休みだし、制服もクリーニングに出せばいいだろうと思い、有明浜まで走った。
「ここら辺は土地が開発されてないから、絶滅危惧種の植物がいっぱいあるんだ。ハマヒルガオとか、ネコノシタって知ってる? 葉っぱの表面が猫の舌みたいにザラザラしてるからなんだって」
だけどサトシは植物にはまったく関心がないようで、右から左に受け流した。ちょうど引き潮で潮干狩りをしている家族連れに紛れて、服のまま浅瀬の海に突進する……サトシを見守った。十八歳の高校生男子が青空の下、広い海の中で無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、もしかしたら田舎も悪くないのかもと思った。
ホテルに泊まるというサトシを、勿体ないからウチに泊まれと誘うと二つ返事で付いてきた。入浴と母親が簡単に用意した夕飯を済ませて部屋に案内すると、サトシは我が物顔でベッドに身を投げて寛ぎだした。
「すげー疲れたけど、すげー楽しかったー。ド田舎でビックリしたー」
「なんにもないだろ」
「でも、好き好き。こんなとこでスローライフ送りたい。んで、野菜とか作って自給自足したい」
都会の人間が抱く夢だよなぁ、なんて考えながら、剛の姿を思い浮かべると何故だかちょっとだけ切なくなった。
「ね、まひる、彼女できた?」
「彼女……じゃ、ない」
「その言い方って、かなり良い関係ってこと? どんな子、どんな子?」
どんな……。
「え、と……米農家の人で」
「あ? あ、ああ……で?」
「いつもニコニコしてて優しくて、料理上手で」
「うんうん、最高」
「デカくて、ごつくて、がさつで、ズボラで」
「う、うん?」
「ちょっと前まで五右衛門みたいな頭してたダサい奴だったんだけど、」
「……五右衛門みたいな女の子がいるのか……すげぇな、田舎」
「こないだ俺が散髪してやったら、すごいかっこよくて」
「あ、ボーイッシュ?」
「っていうか、ボーイ」
「男かよ!!」
と、言ってベッドから転げ落ちた。
「何、お前、男と付き合ってんの? 本気? ホモだったわけ?」
「自分が本当にそうなのかどうか分かんないけど、小さい頃からずっと好きだったんだよ……」
そのわりに覇気のない俺を、サトシは親身になって話を聞いてくれた。
剛がどんな奴で、どんな付き合いをしてきたのか、小学生の頃にいじめに遭ってたことや、剛と再会して、どんなことがあったのか。お互い好きだと分かり合ってから、すごく嬉しい反面、また離れることになると思うと寂しくてしょうがないことや、詳細は言わなかったけど、今はちょっと気まずい雰囲気だ、とか。
サトシは最初は戸惑っていたけれど、からかったり馬鹿にすることもなく、真剣に相談に乗ってくれた。東京の高校でも一番仲の良かった友達だ。気心が知れた相手だからこそ話せたのだ。そして話して良かったと思ううちに涙が出てきて、俺はサトシに泣きついた。
「ああぁあー! どうしようー! 俺が意地っ張りなばっかりに、ゴンを傷つけてしもたんやー!」
「な、なんかいきなり田舎弁になったけど……。とにかく、お前はそのゴンって奴と仲直りして、自分が高校卒業したら東京の専門に行きたいことを話して、分かってもらいたいんだな?」
「そう……」
「簡単じゃん。素直に『つまらない意地張ってごめんね』つって、自分がどうしたいか話せばいいんじゃないの」
「だからそのさぁ……素直にっていうのが……」
「えー、俺だったら、『サトシくん大好き、チューして』とか彼女に言われたら許しちゃうかなぁ。『喧嘩のあとはキス』っていうじゃん」
そんなの気持ち悪くて虫唾が走る。絶対言わないと思うが、剛なら喜ぶんだろうなぁ、と、嬉しそうに笑う顔だけは容易に想像できた。
***
サトシはそれから三日間滞在して、海に行ったり川に行ったり、年甲斐もなくカブトムシを採りに行ったりして、思いっきり田舎を満喫した。駅まで見送りに行き、「元気で」と向き合うと真っ黒に日焼けしたのが改めて分かる。
「カレシと仲直りできるといいな」
「うん、ありがとう」
「つっても、電車くるまでまだニ十分もあるんですけど。しかも自動改札じゃないってどういうことー」
「電車くるまで一緒にいるから」
売店で飲み物を買って改札前のベンチで待っている時だった。
「まひる」
聞き慣れた声がして顔を上げると、体に馴染んだTシャツに、土で汚れたチノパンの裾を長靴に押し込み、いつもの大きな麦わら帽子を被った剛が立っていた。
「………駅でその格好……」
「竹林の帰りで、親父に頼まれて切符買いに来たん」
サトシは俺と剛を交互に見ながら、耳元で「誰?」と訊ねた。
「あ、この人が……ゴン」
「うわぁ! 本当にすごい貫禄! 高校生とは思えないっすね! 俺、大森って言います!」
と、サトシは立ち上がって剛に握手を求めた。彼なりの精一杯の褒め言葉のつもりだろう。 剛は不審そうにしながらも握手に応え、「池谷です」と挨拶をする。あまりの簡素さに若干拍子抜けしてしまった。しかもいつもニコニコと愛想の良い剛が、他人に対してこんなに素っ気ないのは初めて見たので、俺はそれにも驚いた。
「ほな、俺帰るけん。またな」
「え!? ゴン……」
あっさりと去る剛を、サトシが「追い掛けろ」と背中を押してくれ、一緒に待ってやれなかったことを詫びて剛を追い掛けた。
「ゴン! 待って」
自転車にまたがったところで俺を見据えた剛は少し怒っているようで、普段あまり見ない表情にうろたえた。剛は低めの声で「今の誰?」と訊ねた。
「東京の友達……。終業式の日から遊びに来てて」
「フーン……。俺には全然連絡もくれんのにな」
「ちゃうんよ。ゴンにも連絡しょうしょう思っとったんやで。でもその……あれからテストとかあったしさぁ、なんかタイミングが……なくて」
「俺はまひるがずっと怒っとんかと思って、ちょっとヘコんどったで」
「だってさぁ……」
たぶんここで『つまらない意地張ってごめん』って言えばいいんだろうけど、素直になれない俺は口をつぐんでしまった。
「それより、ゴンに話したいことが」
「それよりって、そんな簡単に流して済ませられるんか」
いつになく険があるのが怖くて、俯いたまま目をキョロキョロ泳がせた。上手く伝えられないもどかしさと恐怖で脳みそが混乱してきて、しまいにはなんで剛は怒ってるんだろうとこっちが苛々してきた。
――もとはと言えば、剛が人の話聞かんのが悪いんやんか。
……というのは、無意識のうちに口にしてしまったらしく、剛はますます顔をしかめた。
「俺、高校卒業したら東京に戻るけん。それずっと言おうと思っとって、」
「こっち帰ってこんの?」
「帰らんと思う」
「そんなにここが嫌なんか」
「え!? あ、いや、違う……」
「まひるのしたいようにすればええと思う」
「な、なんか誤解しとらん?」
「やっぱただの友達でおろか」
「と、ともだち?」
剛はペダルに足を引っ掻けて走り出そうとするので、慌てて腕を掴んで引き止めた。
「ま、待てよ、最後まで聞いて。……なぁ、ゴン」
「もうゴンて呼ぶな」
俺の手を振り切って走り去った剛は、目付きも声も冷たかった。
友達って、もう付き合わんってこと?
幼馴染もいかんってこと?
「なんでなん……人の話聞けよアホー……」
⇒
***
「まひる! 久しぶり!」
改札からサトシが大きく手を振った。大きなブランドのボストンバッグを肩に下げ、Tシャツもデニムもおろし立てなのが分かる。赤系のブラウンに染まった髪の毛がやたら目立った。
「不良が来た」
「休みのあいだだけだよ。まひるだって不良じゃん」
「俺は地毛なの」
「うわー、制服だー。こっちの学校は学ランなの? ブレザーじゃないまひるって新鮮。可愛い、可愛い」
小さい子どもをあやすように頭を撫でられた。
もう昼時なのに何も食っていないというサトシを近場のうどん屋に連れて行った。全国チェーンの店ではなく、地元にしかない汚いセルフサービスの店だ。嫌がるかなという心配もあったけれど、むしろそのローカルさが気に入ったらしく、サトシは美味い美味いと喜んだ。食後は駅のレンタサイクルで自転車を借りて、とりあえず思い付く観光名所を回った。なんで自転車なのかと聞かれてバスを一本待っていたら日が暮れると言ったら、サトシは馬鹿にしたように笑った。山道を立ち漕ぎして汗だくで辿り着いた銭形砂絵を一望できる展望広場。見れば金持ちになれるんだよと教えたら、そんな迷信だけは真に受けて、瀬戸内海を背景に浜に描かれた寛永通宝に向かって必死に拝んでいた。
山を下りるとすぐ傍に海がある。泳ぎたいと駄々をこねられ最初は躊躇したが、どうせ明日から休みだし、制服もクリーニングに出せばいいだろうと思い、有明浜まで走った。
「ここら辺は土地が開発されてないから、絶滅危惧種の植物がいっぱいあるんだ。ハマヒルガオとか、ネコノシタって知ってる? 葉っぱの表面が猫の舌みたいにザラザラしてるからなんだって」
だけどサトシは植物にはまったく関心がないようで、右から左に受け流した。ちょうど引き潮で潮干狩りをしている家族連れに紛れて、服のまま浅瀬の海に突進する……サトシを見守った。十八歳の高校生男子が青空の下、広い海の中で無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、もしかしたら田舎も悪くないのかもと思った。
ホテルに泊まるというサトシを、勿体ないからウチに泊まれと誘うと二つ返事で付いてきた。入浴と母親が簡単に用意した夕飯を済ませて部屋に案内すると、サトシは我が物顔でベッドに身を投げて寛ぎだした。
「すげー疲れたけど、すげー楽しかったー。ド田舎でビックリしたー」
「なんにもないだろ」
「でも、好き好き。こんなとこでスローライフ送りたい。んで、野菜とか作って自給自足したい」
都会の人間が抱く夢だよなぁ、なんて考えながら、剛の姿を思い浮かべると何故だかちょっとだけ切なくなった。
「ね、まひる、彼女できた?」
「彼女……じゃ、ない」
「その言い方って、かなり良い関係ってこと? どんな子、どんな子?」
どんな……。
「え、と……米農家の人で」
「あ? あ、ああ……で?」
「いつもニコニコしてて優しくて、料理上手で」
「うんうん、最高」
「デカくて、ごつくて、がさつで、ズボラで」
「う、うん?」
「ちょっと前まで五右衛門みたいな頭してたダサい奴だったんだけど、」
「……五右衛門みたいな女の子がいるのか……すげぇな、田舎」
「こないだ俺が散髪してやったら、すごいかっこよくて」
「あ、ボーイッシュ?」
「っていうか、ボーイ」
「男かよ!!」
と、言ってベッドから転げ落ちた。
「何、お前、男と付き合ってんの? 本気? ホモだったわけ?」
「自分が本当にそうなのかどうか分かんないけど、小さい頃からずっと好きだったんだよ……」
そのわりに覇気のない俺を、サトシは親身になって話を聞いてくれた。
剛がどんな奴で、どんな付き合いをしてきたのか、小学生の頃にいじめに遭ってたことや、剛と再会して、どんなことがあったのか。お互い好きだと分かり合ってから、すごく嬉しい反面、また離れることになると思うと寂しくてしょうがないことや、詳細は言わなかったけど、今はちょっと気まずい雰囲気だ、とか。
サトシは最初は戸惑っていたけれど、からかったり馬鹿にすることもなく、真剣に相談に乗ってくれた。東京の高校でも一番仲の良かった友達だ。気心が知れた相手だからこそ話せたのだ。そして話して良かったと思ううちに涙が出てきて、俺はサトシに泣きついた。
「ああぁあー! どうしようー! 俺が意地っ張りなばっかりに、ゴンを傷つけてしもたんやー!」
「な、なんかいきなり田舎弁になったけど……。とにかく、お前はそのゴンって奴と仲直りして、自分が高校卒業したら東京の専門に行きたいことを話して、分かってもらいたいんだな?」
「そう……」
「簡単じゃん。素直に『つまらない意地張ってごめんね』つって、自分がどうしたいか話せばいいんじゃないの」
「だからそのさぁ……素直にっていうのが……」
「えー、俺だったら、『サトシくん大好き、チューして』とか彼女に言われたら許しちゃうかなぁ。『喧嘩のあとはキス』っていうじゃん」
そんなの気持ち悪くて虫唾が走る。絶対言わないと思うが、剛なら喜ぶんだろうなぁ、と、嬉しそうに笑う顔だけは容易に想像できた。
***
サトシはそれから三日間滞在して、海に行ったり川に行ったり、年甲斐もなくカブトムシを採りに行ったりして、思いっきり田舎を満喫した。駅まで見送りに行き、「元気で」と向き合うと真っ黒に日焼けしたのが改めて分かる。
「カレシと仲直りできるといいな」
「うん、ありがとう」
「つっても、電車くるまでまだニ十分もあるんですけど。しかも自動改札じゃないってどういうことー」
「電車くるまで一緒にいるから」
売店で飲み物を買って改札前のベンチで待っている時だった。
「まひる」
聞き慣れた声がして顔を上げると、体に馴染んだTシャツに、土で汚れたチノパンの裾を長靴に押し込み、いつもの大きな麦わら帽子を被った剛が立っていた。
「………駅でその格好……」
「竹林の帰りで、親父に頼まれて切符買いに来たん」
サトシは俺と剛を交互に見ながら、耳元で「誰?」と訊ねた。
「あ、この人が……ゴン」
「うわぁ! 本当にすごい貫禄! 高校生とは思えないっすね! 俺、大森って言います!」
と、サトシは立ち上がって剛に握手を求めた。彼なりの精一杯の褒め言葉のつもりだろう。 剛は不審そうにしながらも握手に応え、「池谷です」と挨拶をする。あまりの簡素さに若干拍子抜けしてしまった。しかもいつもニコニコと愛想の良い剛が、他人に対してこんなに素っ気ないのは初めて見たので、俺はそれにも驚いた。
「ほな、俺帰るけん。またな」
「え!? ゴン……」
あっさりと去る剛を、サトシが「追い掛けろ」と背中を押してくれ、一緒に待ってやれなかったことを詫びて剛を追い掛けた。
「ゴン! 待って」
自転車にまたがったところで俺を見据えた剛は少し怒っているようで、普段あまり見ない表情にうろたえた。剛は低めの声で「今の誰?」と訊ねた。
「東京の友達……。終業式の日から遊びに来てて」
「フーン……。俺には全然連絡もくれんのにな」
「ちゃうんよ。ゴンにも連絡しょうしょう思っとったんやで。でもその……あれからテストとかあったしさぁ、なんかタイミングが……なくて」
「俺はまひるがずっと怒っとんかと思って、ちょっとヘコんどったで」
「だってさぁ……」
たぶんここで『つまらない意地張ってごめん』って言えばいいんだろうけど、素直になれない俺は口をつぐんでしまった。
「それより、ゴンに話したいことが」
「それよりって、そんな簡単に流して済ませられるんか」
いつになく険があるのが怖くて、俯いたまま目をキョロキョロ泳がせた。上手く伝えられないもどかしさと恐怖で脳みそが混乱してきて、しまいにはなんで剛は怒ってるんだろうとこっちが苛々してきた。
――もとはと言えば、剛が人の話聞かんのが悪いんやんか。
……というのは、無意識のうちに口にしてしまったらしく、剛はますます顔をしかめた。
「俺、高校卒業したら東京に戻るけん。それずっと言おうと思っとって、」
「こっち帰ってこんの?」
「帰らんと思う」
「そんなにここが嫌なんか」
「え!? あ、いや、違う……」
「まひるのしたいようにすればええと思う」
「な、なんか誤解しとらん?」
「やっぱただの友達でおろか」
「と、ともだち?」
剛はペダルに足を引っ掻けて走り出そうとするので、慌てて腕を掴んで引き止めた。
「ま、待てよ、最後まで聞いて。……なぁ、ゴン」
「もうゴンて呼ぶな」
俺の手を振り切って走り去った剛は、目付きも声も冷たかった。
友達って、もう付き合わんってこと?
幼馴染もいかんってこと?
「なんでなん……人の話聞けよアホー……」
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