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山城 天 12

 店を出ると夜風が冷たかった。そろそろ店をクリスマス仕様にしないと、とか、ポインセチアを増やさないと、とかこんな時でも無意識に仕事のことを考えてしまう。
 家はどこ、と聞かれて、自宅を教えたくなかったので電車に乗るから駅に向かうと嘘をついた。男と別れたらタクシーを拾えばいい。

 道すがら、男は身の上話をしてくれた。彼は小学生の頃には自分が同性愛者だということに気付いていて、誰にも打ち明けられずに苦しい青春時代を過ごしたのだとか。恋愛が実ることはないだろうからそれに代わるものを、と中学から大学までバレーボールに打ち込んだらしい。どうりで体が大きいはずだ。

「会社では慎ましく過ごしてるけどね、それじゃストレス溜まるから夜はゲイバーやハッテン場に行って発散してるのさ」

「恋人はいないの?」

「いないね。体が寂しくなればハッテン場に行けばいいからあんまり欲しいとも思わないけど。テンテンの話聞いたら余計付き合うってめんどくさいなと思ったよ」

「そうだね。俺もこんなに面倒だと思わなかったよ」

「それならきみから別れようって言えばいいんじゃない?」

 シンプルで的確なアドバイスに、俺は思わず立ち止まって彼を見据えた。同時にポケットの中でスマートフォンが震えている。電話が掛かってきたようだが、暫くして止まった。

「駄目かもしれないんだろ? 面白くないんだろ? そんなのダラダラ付き合うだけ時間の無駄だろ? 振られるのを待つ必要はない。振ればいいだけだ」

「そうだけど……」

「いくら好きでも、付き合って楽しくなけりゃ信用もできないような奴は結局縁がないんだよ。それならさっさと別れて次を探せばいい」

 またポケットの中でスマートフォンが震えている。相手は確認しなくても分かる。なんでよりによってこのタイミングで掛かってくるのか。間が悪いところも縁がない証拠なのだろうか。俺のスマートフォンが鳴っていることに男は気付いているようで、ニタニタしながらポケットを指差した。

「それ、例の彼氏から? 出なくていいの?」

「あとで掛け直す」

「掛け直す頃には手遅れになってるかもな」 

 すると男はそこが人通りの多い駅前のロータリーであるにも関わらず、俺をいきなり抱き寄せた。そして耳元で低い声が言う。

「ずっと思ってたけど、あんたイイ匂いがするな。花みたいな甘い匂い」

 俺はこの人のことを何も知らないし、この人も俺のことを何も知らないし、別に知りたいとも知って欲しいとも思わないし、付き合ったり何度も会うような関係には絶対ならない。でもこのまま抵抗しなければ、そういう流れになるんだろう。
 思えば今まで俺も短絡的な恋愛ごっこしかしていなかったのだ。俺はそういう付き合いのほうが合っているのかもしれない。流されてもいいかな、と許しかけた時だった。

「失礼」

 聞き慣れた声が空気を読まずに割り込んできた。俺は男の胸に顔を埋めたまま動けなかった。言い訳のしようがないこの状況でとても目など合わせられない。何も知らない男が笑いだす。

「わーお、すごい野暮。普通この状況で声掛ける?」

「知ってる顔がいるなとずっと見てた。無視をしようにもできない状況になったんで、声を掛けさせてもらったよ」

 そして力強く腕を引かれ、恵一さんは言った。

「僕のなんで、連れて帰ります」

 この人の正体に気付いたか、男はハッと目を丸くして何も言い返さなかった。男に別れの挨拶をする暇も与えられずに恵一さんに引っ張られる。もう二度と会うことがないにしても、せめて礼くらいは言わなければ悪い気がして最後に振り返った。男は含み笑いをしたまま佇んでいた。

 俺の腕を握っている恵一さんの手はあきらかに怒っていた。長袖を着ているのに爪が刺さる。引きずられるようにして連れて行かれるが、どこに向かっているのか分からない。なんせ何も言わないからだ。地下駐車場に降りてようやく車に乗るのだと分かった。

「どこか行ってたの?」

 呑気にそんな質問をしてもまともに返ってくるわけがない。低い声で「お前が行けと言ったんだろう」と恵一さんは言った。土曜日の深夜、駅、質のいい紺のジャケット……。

「お見合いどうだった?」

 車の前まで来て、振り払うようにしてようやく手を離された。「ふざけるな!」と怒鳴った恵一さんの声は、地下駐車場に響き渡った。

「お前は本当にいい加減な人間だな。好きだと言っておきながら、いざ付き合ったら『付き合ってるかどうか怪しい』とか、俺には見合いをしろだの再婚を考えろだの、それで自分はどこの馬の骨だか分からない男と遊んで」

「……」

「お前が何を考えてるのかさっぱり分からない」

「……俺は……恵一さんにとって一番いい道に行って欲しいだけだ……」

「俺はお前といるのが一番いいと思ったから、付き合うと決めたんだ。一体俺にどうして欲しいんだよ。それとも俺に何か悪いところがあるのか」

 恵一さんは何も悪くない。俺の気持ちを受け入れてくれた日から、この人はいつも優しかった。健全すぎる付き合いに物足りなさを感じることはあったけど、それは大事にしてくれているからだというのも分かっている。分かっているけれど、

「たまに考えるんだよ。俺が好きだとか言わなければ、恵一さんは俺のことなんか気に掛けることもなく普通に再婚しただろうなって。俺がよく考えずに告白とかしたから、回り道させちゃったんだ。アンタは自分に好意を寄せてくれる人を無碍にできないから、俺を好きだと思い込もうとしてるんだよね」

 恵一さんは眉を顰めた。

「……だから、恵一さんは同情で付き合ってくれてるだけで、俺を好きなわけじゃないんじゃないかな。恵一さんが俺のために身動きができないんなら、俺が背中を押すしかないだろ」

 すると恵一さんは額に手を添えて俯いた。

「お前までそれを言うのか」

 一瞬、泣いているのかと思うほど弱々しい声だった。
 俺はいつも気付くのが遅い。恵一さんが美紀さんと離婚したのは二人のあいだに確固とした愛がなかったからだが、ずっと大事にしてきた人に「愛がない」などと言われてプライドも心も傷付かないわけがない。しかも誰も癒してくれる人はおらず、一人でその傷を庇ってきた。俺は今、その傷を深く抉ってしまったのだ。

 ごめん、と言いかけてとどまった。何を謝る? 俺だって恵一さんの本心が分からずに不安だったのは事実だ。ここで誤魔化しても同じことの繰り返し、かと言って本音を言い合えば喧嘩とすれ違いばかり。
――相性が悪い、としか言いようがなかった。

「……乗って。家まで送る」

「え……」

「もういい、分かった。……分かったから」

 それはつまり「終わりにする」ということだ。後悔半分、安心半分で、俺は助手席に乗り込んだ。



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