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山城 天 9

 暗い住宅街の中にポツンと一棟だけマンションが建っている。そこを恵一さんは十年前から借りているらしい。あまり詳しく聞かされなかったのは、美紀さんと暮らしていた部屋だからだろう。
 こじんまりした1LDKだけど、明るくて綺麗な部屋だった。ダイニングに垂れ下がっている北欧風の可愛らしいライトは、たぶん美紀さんの趣味だったんだろう。ただ、それ以外は適度に散らかっていて、仕事のファイルや新聞、タブレットなど色気のないものばかりが目立ち、いかにも男の独り暮らしといったリビングだ。テーブルの上にビニールに入ったままの総菜がある。

「もしかして夕飯まだだった?」

「ああ、仕事から帰ってきてすぐ寝ちゃってね。二時間くらい寝て起きて、ビールでも飲みながらつまみを……って思ってたら電話がかかってきたんだ」

「ごめん、疲れてたんだね」

「毎日こんな感じなんだ」

 恵一さんは笑っているけど、どこか寂しそうでもあった。
 寂しいだろうな。俺と違って家庭の温もりを知っていて、結婚して尽くされる幸せも経験しているから、それがなくなって独り過ごさなければならないのは、最初から何もない俺より寂しいと思う。まだ三十後半の働き盛り。体力も若さもある。俺だったら今後いい相手がいれば再婚を考える。恵一さんだって口にはしないけど願望はあるに違いない。

「何か作ろうか?」

 と、申し出てみると、意外にも喜んでくれた。やはりスーパーの総菜より誰かの手料理が恋しいのだ。
 冷蔵庫の中もなんとも寂しくて、かろうじてある卵とキャベツで苦し紛れのつまみを作った。冷凍されたミンチを見つけたので、それも使うことにする。三十分もあれば出来上がる簡単なおかずにも恵一さんは嬉しそうだ。

「オムレツ?」

「うん。カイヤッサイっていうタイ風オムレツなんだけど、ナンプラーがないから普通の味付けにした。あと塩昆布があったからキャベツと混ぜてチーズ載せてチンしたやつ。そんなのしか作れなかったけど」

 恵一さんが食べているのを隣で見ながら、時々部屋の中を見渡してみる。綺麗だけど、味気ない部屋。本棚に不自然な空間があるのは、そこに美紀さんのものを置いていたからだろうか。聞くつもりはなかったのに、つい聞いてしまった。

「再婚はしないの?」

 恵一さんの箸が一瞬止まる。「ないよ」と素っ気なく言った。

「木下くんから聞いたけど、再婚勧められるんでしょ? まだ若いしさ」

「お前は俺に再婚して欲しいのか」

「そうじゃないけど」

「なら、つまらない質問するなよ」

「ゴメン」

 して欲しくないけど、したくなったらしてもいいよ。と、喉まできていたのを言えなかった。好きな奴のまっとうな幸せを願えない俺は心の狭い人間だ。

「……そんな話になったから言うけど、来週の日曜に母がこっちに来るんだ。どうやら俺に見合いをさせたいみたいで、説得しにくるんだと思うけど」

 俺の「じゃあ」と恵一さんの「でも」が被った。

「俺は再婚する気はないって言うつもりだし、その時にきみを会わせたいと思うんだけど」

「は!?」

「日曜日は仕事だろうから、閉店ごろに店に寄ってもいいかな」

「どういうつもりで? まさか付き合ってるとか言うつもり?」

「そうだけど」

 至極真面目な顔で言うのでからかっているわけではなさそうだが、恵一さんがどこまで本気なのかやっぱり分からない。親に紹介するほど真剣な付き合いじゃないし、そこまで気持ちが固まってないはずだ。恵一さんの提案を賛成するわけにいかなかった。

「俺のことは気にしなくていいから。お母さんだっていきなり男と付き合ってるとか言われても困るに決まってるじゃないか」

「そうでもしないとしつこく持ち掛けて来るんだよ」

「見合い話を断る理由に俺を使うってこと」

 恵一さんは額に手を添えてハア、と溜息をついた。

「ごめん、語弊があったかもしれない。縁談を断るためだけに紹介したいんじゃない。木下から何を聞いたか知らないけど、他者から縁談の話を聞いてきみが嫌な気分になるとしたら俺が嫌だし、そういうとこで誤解が生まれるのも嫌だ。先のことは正直分からないけど、今の俺が付き合ってるのは紛れもなくきみだから、それはきちんと母親にも言っておきたいんだ」

「男でも」

「俺が付き合ってるのは『男』じゃなくて『山城天』っていう人間なんだけど」

「……」

「性別なんて重要じゃないだろ。自分でも言ってたじゃないか」

 以前、出会い系アプリで出会った男と歩いているところを恵一さんに見られた時、俺は今時『男同士で恋愛なんてありえないって言うのか?』 と恵一さんを嘲笑った。あの時の恵一さんはあからさまに戸惑っていた。俺といることで気にしなくなったかもしれないが、家族や周囲からも問題なく祝福されるとは限らない。嫌悪を示されることがなくても、好き勝手な噂や好奇心の標的にされる可能性はある。恵一さんがそれを考えないはずがない。
――なんてことを、今ここで言い争っても無駄だ。思うところは色々あるが、ここは恵一さんの気持ちを素直に受け取っておく。

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。でも俺も仕事があるし、時間があればでいいよ。お母さんへの紹介はもうちょっと待ってくれる? どうせ挨拶するならきちんとしたいし」

「……わかった」

 俺が完全に納得していないことをきっと気付いているだろう。互いに言いたいことはあるけれど、あえて触れないようにする。それがたぶん大人の付き合い方だ。

「恵一さんのお母さんってどんな人?」

「どこにでもいる普通のオバサンだよ。アイドルのファンクラブに入ってる」

「……それ、今日一番の衝撃なんだけど」

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