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剛 4

 足と腕を組んで仏頂面でそっぽを向いているまひるに、俺はプライドも恥も捨てて土下座している。クラス全員が教室の隅に寄ってそんな俺たちを好奇の目で見ていた。

「許して下さい。この通りです」

「あっち行け」

「ほんま俺が悪かったです。だってあまりにもまひるが可愛いもんで、なんかこうムラムラと、」

「っだ――!! こんなとこで馬鹿正直に言わんでええんじゃ!」

 男子が「何したんやー!」と冷やかし、女子はキャーと悲鳴を上げながらニタニタしている。まひるは窓の外に顔を向けたまま、静かに続けた。

「俺はな、『アレ』が嫌やったんやない。俺が真剣に話しようとしよる時に、碌に話も聞かんで強行したんが気に食わんのや。それに、やめてくれって言うたのに、やめてくれんかった。あんなん、屋上でおった連中となんちゃ変わらん」

 まひるも大概、赤裸々に喋っていると思うのだけど、それに気付かないほど怒っているのだろう。俺は土下座をしたまま、すべてのことに「はい」と答えながら聞いた。

「どうしたら許してくれますか」

「……頭冷やしたいけん、暫くそっとしといて」

 これ以上すがりついても逆効果だろう。俺は「分かりました」と呟いて、最後にもう一度「ごめんな」と謝ってから、教室を出て行った。
 
 ***

 いつもまひると一緒に歩く帰り道。今日はひとり肩を落として畦道を歩いた。昨夜、夜中のうちに降った大雨のせいか、脇にはまだ水たまりが所々に見られる。真横に広がる田んぼは水面がキラキラと輝いていた。
 自宅に着くと、家には上がらずに真っ先に田んぼへ向かった。しゃがみ込んで田んぼの中を覗くと、大量のカブトエビが気持ち良さそうに泳いでいる。カブトエビは雑草を食べてくれる。今年もしっかり除草してくれよと投げ掛けた。

「おぅ、剛!」

 キキッと自転車のブレーキ音が響き、背後から俺を呼んだのは、同じクラスの増田だった。教室での出来事を一部始終知っている増田は下衆な笑みを浮かべながら近寄ってくる。からかうつもりなのがすぐに分かる。

「なんなん~、瀬川となんや痴話喧嘩しとったな」

「俺は今、自己嫌悪中や。からかうんなら余所行ってくれ」

「すまんすまん。純粋に慰めに来たんやで。しかし、お前らも隠さんとイチャコラしてくれるな。すっかり名物やで」

「え、そうなん?」

「ほんだって、剛は瀬川が転校してきた時から瀬川のあとばっかり付いてってさ、金魚のフンみたいに」

 金魚のフン……。昔はまひるのほうが金魚のフンだったのになぁ。

「瀬川は瀬川で、剛としか親しーせんしな。まあ、それでもだいぶ馴染んできたみたいやけど。ほんで、さっきの喧嘩や。どうなん、ほんまに付き合ってんの?」

「たぶん。俺は好きやけど」

 増田は自分で聞いておきながら驚いた顔をした。

「なんで瀬川なん? 確かに可愛いけど、男やん。ほんで、なんで喧嘩したん?」

「幼馴染なんや。なんでって聞かれても、もうずっと小っさい頃から好きやったけん。喧嘩は……俺が悪いねん」

「だけん、そこを聞きたいのよ」

「増田はさぁ……好きな子とか彼女とおったらイチャイチャしたいと思わん?」

 増田は「好きな子も彼女もおらんけどな」と前置きをしたあと、

「そら年頃ですもん。イチャイチャしたり手ぇ繋いだりチューしたりしたいわな。つーか、はよヤリたいわな」

 そこまでは思わなかったが、まひるからすればあの時の俺は今の増田のようにサルに見えたのかもしれない。そう考えるとますます後悔した。

「なんかさぁ、ちょっとチューしてみたら、めっちゃ気持ちよーてから。ほんで、まひるがまた色っぽい顔するんやんか。しかも肌スベスベやしさぁ……」

「ちょぉ待てぃ、剛と瀬川がチューしたんか?」

「うん。やわかった」

「ほんでスベスベって、どこ触ったん……」

「腹とか胸とか」

「む……、でも胸ないやろ?」

「ないけど、そんなん関係ない。なんかな、新米触っとる気分やったわ。サラサラで柔らかーて、あーずっと触っときたい、みたいな」

「ごめん、ちょっとそれ分からんけど」

 そして増田は「うーん……剛と瀬川が……いや瀬川が女やと思ったらいけるか」なんてブツブツと言っている。

「そしたら止まらんくなって」

「まさか……ヤッ……」

「……ってはないけど、やめてって言われたん聞こえとったけど、めっちゃ興奮しとってから、色々、」

「………手コキ」

 頷いたら、増田は頭を抱えて水たまりがあるにも関わらず道端に倒れ込んだ。

「剛……お前、正直すぎやろ……」

「あっ!! こんなん話したってバレたら、また怒られる! 絶対言うなよ!?」

「衝撃的すぎて、よー言わんわ」

「どやったら許してくれるかなぁ」

「瀬川もさぁ、たぶんビックリしただけちゃうかな。そのうちそんな怒るようなことちゃうって気付くやろ。大体さー、俺ら年頃の健康な男子高校生が、好きな子とおってムラムラせんほうがおかしいやろ。剛の反応はマトモやと思うで」

「そうかいな」

「俺はむしろ安心したわ。お前も男やったんやな。昔っから部活もせんと田んぼと畑におって、けっこう女子から告られとったのに全部断っとったやろ。こいつ、そういうのに興味ないんかなって思いよったけん」

 増田とは中学から同じで、それなりに仲が良い。増田はとうもろこし農家なので、農家の長男としての宿命を分かり合える相手だ。ちなみに田植えの日にとうもろこしを差し入れしてくれたのは増田だ。どこか通じるものがあるからなのか、親友とまではいかなくても、ちょっとした悩みを相談し合う仲だった。だからこそ話せたのだけど。

「そいや、こないだのとうもろこし、どやった? 今年不作やねん」

「そやな。実ィついてないとこあったけど、美味かったで」

「どうなん、米は」

「夏に雨が降ってくれたらええんやけどな」

「そらどこもそうやわ~。農家も楽ちゃうよなぁ」
 
 ***

 まひると口も利けないまま期末テストの試験期間に入り、そのまま終業式の日を迎えてしまった。せめて休み中の予定を聞きたくて下校時にまひるの姿を探したが、ホームルームが終わってからすぐに帰ってしまったのか、挨拶もできずじまいだった。暫く会えなくなるというのにこの素っ気なさ。まだ怒っているのかもしれない。
 帰宅したら、俺を出迎えたのは二年前に大阪に嫁いだ姉貴だった。姉弟は体型も似るのか、姉貴も俺と同じように標準より背が高くてぽっちゃり気味だ。とりわけ美人でもないのに結婚できたのは、持ち前の明るさのおかげだと思う。

「おかえりー、ほんで、ただいまー」

「姉ちゃん、どしたん」

「里帰りや。見て、このお腹」

 ぽっこりと膨れた下腹をポン、と叩いてみせた。

「たこ焼き食いすぎて太ったんか?」

「ちゃうわ! 妊娠や、ニ・ン・シ・ン!」

「うそん。姉ちゃんが母親になるん? 想像できんな」

「しばっきゃげるで」

「嘘です。おめでとうございます。いつ産まれるん?」

「十月」

「稲刈りの季節やなぁーええなぁー。大きなったら田んぼ手伝うてもらお」

「嫌やわ。ウチの子田舎に染めんといて」

 居間に入るとエアコンの涼しさに生き返った。身ごもっためでたい姉貴を歓迎してか、父親以外の家族全員が居間に集合している。縁側でじいちゃんが団扇を仰ぎ、母親がすいかを並べ、姉貴は仏鈴を鳴らして仏壇のばあちゃんに妊娠の報告をした。

「ねえ、剛。そういや、まひるくんが帰ってきたんやって? 東京行っとったんやろ? どうなん、男前になっとる?」

 男前というか、

「可愛いで」

「昔っから可愛かったもんな。垢ぬけとんやろ? やっぱ都会ええよなぁ。わたしも子どもには都会出させてやりたいなぁ」

「大阪でええやん」

「ここよりは栄えとるけど、やっぱ東京憧れるわぁ」

 そこで、じいちゃんが口を挟んだ。

「田舎のほうが、やぎろしのうて住みよいで。都会の人間が田舎に移住するん増えとんやろ」

「そのかわり田舎に絶望して都会に戻る人間もおるということをお忘れなく。剛はどうすんの。勿論、県外の大学行くんやろ?」

「俺は出んで。S大行って地元の会社か地方公務員になって田んぼ継ぐし」

「何言うてんの。あんたが社会出る頃にはこんなとこたいした仕事ないで。土地ばっかりあってもしゃあないんやし、売るか貸すかしたらええのに」

「買い手も借り手もおらんわな」

 すると、またじいちゃんが声を上げた。

「ほっとけ! 田んぼは売らんぞ! 恩知らずなことぬかすなアホが!」

「わたしは可愛い弟のためを思って言うてんの!」

 スイカを頬張りながら、母親が「まあまあ」とどうでも良さそうに宥めた。

「まひるくんはどうすんの?」

 その質問には俺も反応が遅れた。そういえば、引っ越してきたばっかりの時は「東京に戻りたい」と言っていた。しかも「消滅可能性都市にいても仕方ない」と姉貴と同じようなことを言っていた気がする。ただ、それは俺と付き合う前の話であって、今はどう考えているのか知らない。

「どうすんやろ」

「仲ええのに聞いてないん? まあ、まず出るわな」

「え、県外行くと思う?」

「二度と帰ってこんやろ。一回都会出たら田舎に帰ろうなんか思わんわ」

「それはイカン! 俺はまひるを嫁にしたいのに!」

 その場が一瞬で静まり返った。

「嫁」「嫁?」「嫁か?」と順番に問われる。それぞれに思うことは色々あるのだろうが、もともと俺が変わり者で突飛なことを言い出すのは今に始まったことじゃない。一同は「そういうことか」と一瞬で悟り、また何を言っても無駄だということを知っているので、そのことに関しては触れられなかった。理解のある家族で実に助かる。ただ唯一じいちゃんだけが、ある不安を投げ掛けた。

「……ほんなら、剛の次は誰が継ぐんや……?」

それには、姉貴がバッサリと言い捨てた。

「ええ機会なんちゃうの。剛の子どもまで田んぼ継がせるなんか無理やわ。剛で終わらせたらえんやのに。それに剛はまだ高校生なんやけん、家のことなんか考えんでええの」

 そしてシャクッとスイカに噛り付いて「あまっ」と満足そうに微笑んだ。

「なあ、お母さんはどう思う?」

 これまで何も発さなかった母親に視線が集中し、母親はまったく的外れな意見を述べた。

「ま、どこの馬の骨か分からん気立ての悪い女の子に婿養子にくれって言われるんなら、まひるくんみたいな可愛いイケメンのほうがええかもな」


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