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高橋 恵一 12

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 なかなか終わらない会議の内容は、新システムの導入を検討するものだった。コンピューターは日々めざましく進化するので、時代に伴って会社のシステムもシステムを扱う人間もバージョンアップしなければならない。新システム導入は間違いなく決定なのだが、それにあたってのスケジュールや社員へのフォローを考えなければならないので、会社の人間たちは半数以上が乗り気ではなかった。俺もそのうちの一人だが、結局いつかはやらねばならないことだし、システムが変わらないことには本来の自分の業務も進まないので、やるならさっさと決定してもらいたいものだ。

 会議が終わった頃にはもう午後八時を過ぎていて、誰も彼もがげっそりと俯いていた。木下の大きな溜息を聞くと余計に疲れる。

「この時期に新システムってひどくないっすか。これ当分残業続きだし、下手すりゃ休日出勤すよね」

「まあな。システム変わったあとで真っ先に何が必要って経理処理だから。俺たちが誰よりも早く慣れなきゃいけないだろうし」

「あ―――あ。嫁さんが不機嫌になる」

 そういえば木下は秋に挙式をすると言っていた。今が準備で忙しい時だろう。

「式はいつだっけ」

「九月の終わりっす。あ、高橋さん、ありがとうございました。ハナシロさん紹介して下さって」

「ああ、……打ち合わせはもうしてるの?」

「俺は一度しか行ってないけど、こないだ嫁さんが行ったみたいす。俺は花のことはよく分かんないんで、全部嫁さんに任せてるんすけど」

「そうか。俺も花のことはよく知らないけど、ハナシロさんなら綺麗に作ってくれると思うよ」

 頭の中に浮かぶのは花を弄っている山城の姿。仕事が忙しくなったのもあって、ここしばらく会っていない。……いや、仕事が忙しかったからじゃない。山城に来るなと言われたからだ。あの時、山城に「会いに来ないでほしい」と言われて少しホッとした。あれだけお節介を焼いておきながら告白された途端にうろたえることしかできなかった。もしあのままハッキリとした返事を求められたり、気持ちに応えなくていいから今まで通り接してくれと言われていたら、逆に意識しすぎて疲弊していただろう。もっとも俺がそうなると分かっていて山城はああ言ったのだろうが。

 彼は俺の一体何を好きになったのだろう。俺の情けない姿は初めて会った時から知っているし、俺は彼を殴ったこともあるし、嫌な態度も幾度も取った。確かに彼が心細い時に傍にいたのは俺かもしれないが、特別たいしたことはしていない。

 俺はどうなのだろう。好きか嫌いか単純に選ぶとすれば、好きな方だ。でも感情の種類については考えたことがない。友情のようなものでもあり、兄弟のようなものでもあるが、恋愛、となると違う気がする。一緒にいてドキドキするとか、ましてやキスしたいだなんて考えたこともない。だから、やっぱり俺は彼の気持ちには応えられない。

 応えられないけど、このままもう会わないのだと思うとそれは嫌だなと思う。手が空いたらスマートフォンを開いて何かしら連絡が来ていないかと見てしまうし、一人でちゃんとやっているだろうかと要らぬ心配をしている。今は気まずさもあって会いにいけないだけで、そのうちまた気軽に店に顔を出したいなと思っている。友達でもない、家族でもない、恋人でもない。どんな関係と聞かれれば答えようがないけれど、そんなどこにも属さない関係が居心地よかった。それは勝手だろうか。俺は良くても山城は嫌がるだろうか。
 深夜に帰宅して、ワイシャツのままソファに倒れ込む。離婚して半年が過ぎた。もう一人で生活することも、だらしのない格好も不摂生な食生活にも慣れた。好きな時に寝て好きな時に食べて、金も自分の好きなタイミングで使える。こんな自由な暮らしに慣れたらもう再婚したいとは思わない。ただ、時折訪れるやりきれない夜は誰かが傍にいてくれたらと思う。……山城の作った食事は美味かった。豪華じゃないけど、素朴で温かい味だった。あれを食べながら酒を飲んで、下らないことを喋りながら無意味な時間を過ごせたら、どんなに楽しいだろう。
 もし、もしまた誰かと再婚でもして一緒に暮らすとしたら、言いたいことを言い合えて、お互いに素の自分をさらけ出せるような……そんな相手がいれば……。
 うとうとと眠りに誘われる中で、あてのない未来の夢を見る。その夢に出て来たのは、どういうわけか山城だった。

 まもなく仕事は寝食もままならないほど多忙を極めた。残業や休日出勤はもちろん、深夜二時を越えても帰れない日が続く。独身の俺はまだいいとして、新婚の木下や小さい子どもがいる同僚は家族との時間を持てないと毎日嘆いている。気の毒だと思う反面、毎晩決まった時間に家に電話を入れて「今日も遅くなります」と謝っている姿が微笑ましくもあった。自分を待っていてくれる人がいる、というのは羨ましいものだ(当の本人は深刻だろうが)。

 そんな中でも木下は無事に挙式をおこない、俺は会社の上司として呼ばれた。駅の近くにある人気の教会でのチャペル式。バージンロードを歩く花嫁よりも、持っているブーケに目を奪われた。山城が作ったものだ。純白のドレスに合わせた……おそらく百合のブーケ。それを引き立てるような淡いピンク色の薔薇。あの垂れ下がった形のブーケは確かキャスケードブーケというのだそうだ。以前、山城がブーケを作っていた時に教えてもらったことがある。大ぶりの百合は存在感を放ちながらも気品があって、それでいて花嫁のシンプルなドレスの邪魔をしない。すっきりしたスレンダーなドレスに合わせた、流れるようなブーケだった。披露宴会場の高砂とテーブルに飾られている花ももちろん山城がコーディネートしたものだろう。ブーケと同じ純白の百合とピンクの小さな薔薇をあしらっている。よほど花が好きな人間でなければ、これがどんな風にコーディネートされたかなんて興味もないはずだ。俺もこれまで何度か結婚式に出席したことがあるが、花やブーケなんて見向きもしなかった。ドレスの形や色、新婦の好みや式場の雰囲気とか、きっと細かく打ち合わせしたに違いない。花を触っている時の、少し口角を上げた穏やかな表情を容易に思い出せる。ブーケを持って幸せそうに笑う新婦の姿を彼にも見せてやりたい。

 いつの間にか始まったキャンドルサービス。新郎新婦が目の前のキャンドルに火を点けた時、――俺は突如気付いた。
 自分が、彼のことばかり考えていることに。

 ―――

 式が終わったその足で花屋へ行った。マツムシが鳴きだした夕方の頃だった。ちょうど山城が店の外をほうきで履いていて、暫くその姿を遠目で眺めていたら、こちらに気付いた山城がぎょっとした顔で二度見した。軽く手を挙げたら無視をされて、山城は足早に店内に消える。俺は後を追うようにして中に入っていった。山城は店のずっと奥のほうに引っ込んで、わざとらしく資材を整理している。

「無視はないんじゃないか」

 声を掛けると、山城はこちらに顔を向けないまま答えた。

「なんで来るんだよ」

「もうおおかた二ヵ月前の話だけど」

「……」

「きみの気持ちは変わってないのかな」

 山城がようやくこちらを向いたと思ったら、憮然とした顔で睨まれた。

「好きじゃないって言ったら、今まで通りにしようとか思ってんの? 好きだって言ったらまた来なくなる? 生憎、どうやら俺はまだアンタのことが好きみたいなので、つき纏われたくなかったらどうぞお帰り下さい」

「それを聞いて安心したって言ったらどうする」

 本当は自分でもまだ迷っている。はっきりとした気持ちがあるわけじゃないのに、思わせぶりなことをすれば傷付けるだけだというのも分かっている。けれどもこうして顔を合わせるとやっぱりこのまま縁が切れてしまうのは惜しいと思った。

「好きだと言われて驚いたし、とにかく戸惑ったよ。正直、今でもどういう風に接すればいいのかなって考えてる。……今まで同性を恋愛対象に見たことはなかったけど……でも嫌じゃなかった」

「俺だって男を好きになったのなんて初めてだよ」

「前にさ、きみが街で知らない男と歩いてた時、こんな簡単に同性に目を向けてみようって思える柔軟性がすごいなって思ったんだ。……でも、よく考えたら、もしかしたらきみは俺への気持ちを誤魔化すために、違う男を試してみたのかなって」

「……」

 すぐに言い返したり呆れる様子がなかったので、少しは図星だったようだ。

「そう思うと、なんか……いじらしいというか愛おしいというか、」

 山城は鼻で笑う。

「そんなんで愛おしいと思うだなんて、アンタも単純だな。じゃあキスしようか。ついでにセックスもしようよ」

「そういう話じゃなくてだな」

「じゃあどういう話? 俺に告白されて嫌じゃなかったけど、付き合う気はないから今まで通りにしましょうってわざわざ言いに来たわけ? そんなの御免だよ。俺の気持ちを受け入れられないならほっといてくれ」

「俺もたぶん、きみのことが好きなんだと思う」

 すぐ傍の小窓から夕陽が入り込み、山城の茶髪を照らした。陽に当たると金色に光るんだな、とそんなことを考えた。

「正確に言うと、好きか嫌いかと聞かれれば、好きだ、くらいのものなんだけど……。体の関係は……ごめん、分からない。まだそこまで考えられないというか。でもきみと会えなくなるのは寂しい。今日だって木下の結婚式なのにブーケやテーブルの花を見ながらきみのことを考えてた。きみがいないと、その……つまらないんだ」

 山城の耳が赤いのは夕陽が暑いからだろうか。俺には陽は当たっていないが、俺も耳が熱い。

「そういう理由で一緒にいるのは駄目なのかな。いきなり答えを出すんじゃなくて、これからゆっくり出していきたいんだけど」

「……駄目だよ。俺、即物的な付き合いしかしたことないんだもの」

「だから、俺とはゆっくり付き合っていけばいいだろ」

 意外と頑固なのか、山城はなかなか納得しない。陽が更に傾いて今度は影が差した。金色の髪が茶色に変わっていく。先に動いたのは俺のほうだった。山城の頬に手を添えると、山城は肩を震わせた。

「天」

 と、声に出して呼んだのは初めてだ。目を丸くして俺を見上げる山城にゆっくり顔を近付け、そして唇に触れた。
キスをするつもりはなかった。体が勝手に動いたのだ。
軽く触れるだけで唇を離すと、僅かに山城の顎が追い掛けてきたので、もう一度重ねた。今度はしっかり合わさっている。キスなんて行為はいつぶりだろう。直に感じる人の温かさが気持ち良くて、もっと合わせていたいとすら思った。やがて山城のほうが顔を背けた。

「言っとくけど、俺がしたいと思ったから、したんだからな」

 そう釘を刺したのは、あとで偽善だと言われたくないからだ。山城は俯いたまま「うん」とだけ返した。
 これでよかったのかどうか、まだ分からない。俯いてばかりの山城が何を考えているのかも。
 頭を引き寄せて腕の中に抱き入れてみる。想像していたよりもずっと柔らかい。


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