高橋 恵一 11
―――
こういうの傷の舐め合いって言うのかな、と山城が呟いた。
煮物や魚の南蛮漬けといった意外にも家庭的な料理をもてなされ、申し訳程度に点いているテレビのバラエティに茶々を入れたりしながら、どうでもいい話ばかりしていた。酒を飲んだせいもあるだろう。いい気分になって互いに隙を見せたところで、そんなことを言いだした。
「フラれた傷を癒すために、本来なら相容れない関係の俺たちがまさか酒を飲み交わすなんて、思いもしなかったよね」
あえて触れないようにしていた話題を出したのは、俺たちのあいだにあった蟠りが昇華されたからだろう。
「でもきみは別にフラれてはないだろう」
「フラれたんだよ、俺も。母親に」
山城はローテーブルに顎を載せた。
「母親のこと大好きだったんだけど、今思えば俺のこと見てて欲しくて必死だったんだろうなあ。いつも母親の味方でいて、お母さんきれいだねーって煽ててやれば母親は喜んで優しくしてくれると思ってたから。……あの、男にフラれた時のいつも俺を蔑むような眼を思い出せば疎ましがられてることくらい分かるはずなのに、気付きたくなかったんだよね」
「母親に好かれようと必死になるのは当たり前のことだよ」
「恵一さんには、俺は好きな人が笑ってくれればそれでいいみたいなエラそうなこと言ったけど、たぶん俺は女の人に母親を重ねてたんだと思う。その証拠にあの一件から女の人に対して何も感じなくなった」
言われてみれば、ここ最近一緒に過ごしていて山城が女性に対して必要以上に馴れ馴れしくしているのを見ていない。事情を知らない常連たちはこれまでのように気軽にスキンシップを求めるが、山城はニコニコとお世辞を言うだけで触れることもしなかった。それが単に母親に対する幻想から目が覚めただけなのか、女性そのものがトラウマになっているのかは不明だ。
「……それで男に目を向けてみようと思ったのか?」
街で見かけた時に一緒にいた男のことを思い出して、つい口に出してしまった。
「まあ、……うん。今まで考えたことなかったけど、同性だからっていう抵抗はないかなって思ったし……物は試しに……」
世代の違いか性格の違いか。俺はまるで新商品でも試すような気軽な考え方はできない。少し羨ましい気もした。山城は「恵一さんは?」と頭を上げ、グラスに残っているビールを口に含んだ。
「結婚する前はどんな人と付き合ったの? 地元は東京って言ってたけど、どんな家で育ったのか興味あるな」
「別に語るほどの恋愛はしてない。学生時代に同級生や後輩の女の子と無難な付き合いをしてたくらいだよ。家は……」
実家も至って普通の家庭だ。商社のサラリーマンだった父と、パン屋でパートをしていた母、三つ離れた弟がいて、弟は一昨年の春に結婚して一児の父になった。仲は良くも悪くもない家族だった。父は朝早くから仕事に出掛けて夜遅くに帰ってくるような仕事人間で、休日に遊んでもらったことはほとんどない。かと言ってまったく相手にされなかったのかと言われればそうではなく、進路や母親には言えない悩み事の相談は父が乗ってくれていたので信頼している。弟は幼い頃はよく喧嘩をしながらも一緒に遊んでいたが、思春期になるにつれてなんとなく距離ができていった。会えば普通に話はするけれど、用がなければ連絡は取らない。母はパートと家事に追われて、いつも何かしら怒っていた。今でこそ陽気な口調で度々電話が掛かってくるが、昔はつまらないことでイライラしている母が苦手だったものだ。
そういえば、母が怒っている原因のひとつは父だった。父は仕事に関しては申し分なかったが、家庭のことは母にほとんど任せきりだった。そんな父に母は度々文句を言っていて、よく父のいないところで「少しくらい家事育児してくれたらいいのに」と愚痴をこぼしていたのを見てきた。思えば、美紀との結婚生活はそんな家族関係が少なからず影響していたのではないだろうか。父のように真摯に仕事に取り組み、けれども母のように文句を言われたくないからどんなに疲れていても家事を手伝わなければと思っていた。もっと言えば、俺が自分の意思や願望とは裏腹に人に良く見られようとするのも、そういった環境が影響しているのかもしれない。
「ふぅん。でも、いい家族なんだね。そもそも父親のいる家庭ってのが想像できないけど」
「いい家族かどうかは分からないけど、嫌いじゃないよ。ただ、両親がどういう経緯で結婚に至ったのか未だに謎だな。お世辞にも愛し合っているように見えなかったから」
逆に愛し合う両親の姿が目に見えて分かるのも気持ち悪いけれど。
山城は再びテーブルに頭を預ける。眠たいのか瞼が半分閉じかけだ。
「俺の母親みたいにたくさん恋愛をしても相手に恵まれなかったり、恵一さんの両親みたいにずっと一緒にいる夫婦でも恋愛感情が希薄になったり、結局のところ愛だの恋だのに正解はないんだろうな」
「そうだな。俺も自分なりに思い描いてた結婚生活を心掛けたけど無理だった」
「でも、恵一さんはイイ男だよ」
そんなことを言われるとは思わず、嬉しいという気持ちより真っ先にその言葉を疑ってしまった。山城はテーブルに頭を伏せたまま言う。
「恵一さんのこと今まで偽善者だとか言って馬鹿にしてきたけど、アンタは偽善者じゃないよ。俺なんかのために何日もここまで付き合ってくれるんだから」
「どうかな。実際俺はせこい所があるから。こうやってきみに恩を着せて見返りを求めるかもしれないよ」
「それでも俺が恵一さんに助けられたのは事実だから、それで見返りを求められるなら俺はいくらでも返すよ」
「……」
「……俺も、もっと普通の家庭で、普通に育ちたかったな。そしたらもう少し、マシな人間になってたかもしれないのに……」
ずるずると床に倒れ込んだ山城はそのまま眠ろうとしている。寝るならベッドに行け、と体を揺すったが、動く気配はない。そのうちに明日は定休日だからまあいいかと諦めた。
ここ最近、ずっと彼の仕事ぶりを傍で見てきた。今日は早朝からずっと一緒だったのに、俺ができることなんてほとんどなかった。仕入れた花を運んだり、商品を並べたり、掃除をするくらいのものだ。会社での仕事も疲れるけれど、肉体労働はやっぱり違う。体力的にも精神的にも強くなければできない仕事だ。それをたった一人で続けてきた山城を心から尊敬した。尻軽やいい加減といったイメージは完全に払拭されている。じゃあ今の時点で俺は彼をどういう眼で見ているのか、それは自分でもよく分からなかった。
「きみもたいした男だよ。もっと自分に自信を持っていいと思う」
むろん、俺の言葉など既に夢の中の彼には届くはずもなかった。
スマートフォンのバイブ音で目が覚めた。あれからどうやら俺も寝てしまったらしく、テーブルに食器やビール缶などを散らかしたまま朝を迎えてしまった。山城はまだ丸くなって寝ている。電話の相手は母だった。俺は山城を起こさないように忍び足で部屋を出て、応答する。
『恵一、今、会社?』
「いや、有給で休みだけど。急ぎの用事?」
『あのね、佐藤さんって覚えてる? 昔、近所に住んでた可愛らしい女の子。小さい頃よく一緒に遊んだでしょ?』
「なんとなく。……急だな」
『昨日、たまたまスーパーで会ってね。すっかり綺麗な娘さんになってたわ。まだ独身なんですって。恵一のことをバツイチだと話したら、なんとなんと~~』
ものすごく嫌な予感がする焦らしだ。
『久しぶりに会いたいって言うものだから、OKしといたわ』
俺の盛大な溜息は母の耳にダイレクトに伝わったようだ。
「言っとくけど、俺は当分再婚は考えてないからな。わざわざ佐藤さんとやらに会うために帰省はしないよ」
『でもずっと独りではいられないでしょ?』
「今日が休みだったから良かったものの、仕事中にそんな電話かかってきてたらブチ切れてるよ。じゃあ」
母の返事を待たずに通話を切った。母にも悪気はないのだけど、悪気がないからこそデリカシーのない発言やお節介が鬱陶しい。苛立ちながら部屋に戻ると山城は起きていて、神妙な様子で立ち尽くしていた。
「あっ、ごめん、起こしたかな」
「いや、こっちこそすみません……一晩付き合ってもらって……」
「今日まで有給取ってるから大丈夫。きみも今日は定休日だろ? 俺は片付けたら帰るから、ゆっくり休んだらいいよ」
そう言って食い散らかした食器に手をつけようとしたところ、
「恵一さん、もう、来なくていいからね」
食器を運ぼうとした手を止め、山城に向き直った。
「恵一さんがずっと一緒にいてくれたおかげで、また店を頑張ろうって気になれたよ。恵一さんがいなかったら、俺はずっと拗ねたままだったと思う。だから本当にありがとう。……でも、してもらってばかりで心苦しいから、もう俺のことは気にかけてくれなくていい。アンタにはアンタの生活があるからさ」
「……もしかして迷惑だったかな」
山城はそれには否定したが、いきなり「もう来るな」と拒否されて少しショックを受けている自分がいた。とはいえ、来るなと言われてしつこく会いに来る理由もない。俺は無難に「また何かあったらいつでも言ってくれ」と返した。しかし、
「いや、もうどんなに困ってても恵一さんには頼らない」
「なんでだよ」
「……恵一さんのことが好きなんだ」
それはあまりにも予想外の告白だった。山城は続ける。
「恵一さんと一緒にいるの、俺は楽しいよ。歳の離れた友達みたいで。でも、だんだん離れがたくなるんだよ。嘘でも優しくされると嬉しいし、甘えたくなる」
「……俺にできることがあるなら……」
「違う。独り占めしたいんだ」
迷いのない言い方に言葉を詰まらせた。
「なんでかな、恵一さんのことばっかり考えちゃうんだよね。なんだかんだ店に来てくれるとやっぱり嬉しい。それって花を買いに来てくれるから嬉しいんじゃない。恵一さんに会えるから嬉しいんだ。それに恵一さんとこうやって会うようになってから、女の子に興味を持てなくなった」
「……お母さんの件があったからだろ?」
「それもあるけど、たぶん、もっと前から」
どのタイミングで山城が俺に惚れたのか、疑問だらけで俺はただただ混乱した。俺は恋愛対象は女性で、同性にそういう感情を抱いたことはないし、考えたこともない。見る限り山城もそうだったはずだ。だから突然好きだと言われてもどう受け止めたらいいのか。そして彼の感情の柔軟性にはただただ驚かされる。
「最初は勘違いだと思った。でも一緒にいるうちにまずいなって思った。恵一さんといるとドキドキするし、誰にも邪魔されたくないと思っちゃう」
「それは友情や家族愛のようなものではなく……?」
「友達や家族とはキスしたいとは思わないだろ」
あからさまに言われるとたじろいでしまう。山城はそんな俺を鼻で笑った。
「恵一さんは俺の気持ちに応えられないだろ? だからもう会いに来ないでほしい。俺が辛いから」
「……」
何も言えずにいると、山城は拒否されたと判断したようだった。
「……つーことで……、今度こそ、さようなら」
→
こういうの傷の舐め合いって言うのかな、と山城が呟いた。
煮物や魚の南蛮漬けといった意外にも家庭的な料理をもてなされ、申し訳程度に点いているテレビのバラエティに茶々を入れたりしながら、どうでもいい話ばかりしていた。酒を飲んだせいもあるだろう。いい気分になって互いに隙を見せたところで、そんなことを言いだした。
「フラれた傷を癒すために、本来なら相容れない関係の俺たちがまさか酒を飲み交わすなんて、思いもしなかったよね」
あえて触れないようにしていた話題を出したのは、俺たちのあいだにあった蟠りが昇華されたからだろう。
「でもきみは別にフラれてはないだろう」
「フラれたんだよ、俺も。母親に」
山城はローテーブルに顎を載せた。
「母親のこと大好きだったんだけど、今思えば俺のこと見てて欲しくて必死だったんだろうなあ。いつも母親の味方でいて、お母さんきれいだねーって煽ててやれば母親は喜んで優しくしてくれると思ってたから。……あの、男にフラれた時のいつも俺を蔑むような眼を思い出せば疎ましがられてることくらい分かるはずなのに、気付きたくなかったんだよね」
「母親に好かれようと必死になるのは当たり前のことだよ」
「恵一さんには、俺は好きな人が笑ってくれればそれでいいみたいなエラそうなこと言ったけど、たぶん俺は女の人に母親を重ねてたんだと思う。その証拠にあの一件から女の人に対して何も感じなくなった」
言われてみれば、ここ最近一緒に過ごしていて山城が女性に対して必要以上に馴れ馴れしくしているのを見ていない。事情を知らない常連たちはこれまでのように気軽にスキンシップを求めるが、山城はニコニコとお世辞を言うだけで触れることもしなかった。それが単に母親に対する幻想から目が覚めただけなのか、女性そのものがトラウマになっているのかは不明だ。
「……それで男に目を向けてみようと思ったのか?」
街で見かけた時に一緒にいた男のことを思い出して、つい口に出してしまった。
「まあ、……うん。今まで考えたことなかったけど、同性だからっていう抵抗はないかなって思ったし……物は試しに……」
世代の違いか性格の違いか。俺はまるで新商品でも試すような気軽な考え方はできない。少し羨ましい気もした。山城は「恵一さんは?」と頭を上げ、グラスに残っているビールを口に含んだ。
「結婚する前はどんな人と付き合ったの? 地元は東京って言ってたけど、どんな家で育ったのか興味あるな」
「別に語るほどの恋愛はしてない。学生時代に同級生や後輩の女の子と無難な付き合いをしてたくらいだよ。家は……」
実家も至って普通の家庭だ。商社のサラリーマンだった父と、パン屋でパートをしていた母、三つ離れた弟がいて、弟は一昨年の春に結婚して一児の父になった。仲は良くも悪くもない家族だった。父は朝早くから仕事に出掛けて夜遅くに帰ってくるような仕事人間で、休日に遊んでもらったことはほとんどない。かと言ってまったく相手にされなかったのかと言われればそうではなく、進路や母親には言えない悩み事の相談は父が乗ってくれていたので信頼している。弟は幼い頃はよく喧嘩をしながらも一緒に遊んでいたが、思春期になるにつれてなんとなく距離ができていった。会えば普通に話はするけれど、用がなければ連絡は取らない。母はパートと家事に追われて、いつも何かしら怒っていた。今でこそ陽気な口調で度々電話が掛かってくるが、昔はつまらないことでイライラしている母が苦手だったものだ。
そういえば、母が怒っている原因のひとつは父だった。父は仕事に関しては申し分なかったが、家庭のことは母にほとんど任せきりだった。そんな父に母は度々文句を言っていて、よく父のいないところで「少しくらい家事育児してくれたらいいのに」と愚痴をこぼしていたのを見てきた。思えば、美紀との結婚生活はそんな家族関係が少なからず影響していたのではないだろうか。父のように真摯に仕事に取り組み、けれども母のように文句を言われたくないからどんなに疲れていても家事を手伝わなければと思っていた。もっと言えば、俺が自分の意思や願望とは裏腹に人に良く見られようとするのも、そういった環境が影響しているのかもしれない。
「ふぅん。でも、いい家族なんだね。そもそも父親のいる家庭ってのが想像できないけど」
「いい家族かどうかは分からないけど、嫌いじゃないよ。ただ、両親がどういう経緯で結婚に至ったのか未だに謎だな。お世辞にも愛し合っているように見えなかったから」
逆に愛し合う両親の姿が目に見えて分かるのも気持ち悪いけれど。
山城は再びテーブルに頭を預ける。眠たいのか瞼が半分閉じかけだ。
「俺の母親みたいにたくさん恋愛をしても相手に恵まれなかったり、恵一さんの両親みたいにずっと一緒にいる夫婦でも恋愛感情が希薄になったり、結局のところ愛だの恋だのに正解はないんだろうな」
「そうだな。俺も自分なりに思い描いてた結婚生活を心掛けたけど無理だった」
「でも、恵一さんはイイ男だよ」
そんなことを言われるとは思わず、嬉しいという気持ちより真っ先にその言葉を疑ってしまった。山城はテーブルに頭を伏せたまま言う。
「恵一さんのこと今まで偽善者だとか言って馬鹿にしてきたけど、アンタは偽善者じゃないよ。俺なんかのために何日もここまで付き合ってくれるんだから」
「どうかな。実際俺はせこい所があるから。こうやってきみに恩を着せて見返りを求めるかもしれないよ」
「それでも俺が恵一さんに助けられたのは事実だから、それで見返りを求められるなら俺はいくらでも返すよ」
「……」
「……俺も、もっと普通の家庭で、普通に育ちたかったな。そしたらもう少し、マシな人間になってたかもしれないのに……」
ずるずると床に倒れ込んだ山城はそのまま眠ろうとしている。寝るならベッドに行け、と体を揺すったが、動く気配はない。そのうちに明日は定休日だからまあいいかと諦めた。
ここ最近、ずっと彼の仕事ぶりを傍で見てきた。今日は早朝からずっと一緒だったのに、俺ができることなんてほとんどなかった。仕入れた花を運んだり、商品を並べたり、掃除をするくらいのものだ。会社での仕事も疲れるけれど、肉体労働はやっぱり違う。体力的にも精神的にも強くなければできない仕事だ。それをたった一人で続けてきた山城を心から尊敬した。尻軽やいい加減といったイメージは完全に払拭されている。じゃあ今の時点で俺は彼をどういう眼で見ているのか、それは自分でもよく分からなかった。
「きみもたいした男だよ。もっと自分に自信を持っていいと思う」
むろん、俺の言葉など既に夢の中の彼には届くはずもなかった。
スマートフォンのバイブ音で目が覚めた。あれからどうやら俺も寝てしまったらしく、テーブルに食器やビール缶などを散らかしたまま朝を迎えてしまった。山城はまだ丸くなって寝ている。電話の相手は母だった。俺は山城を起こさないように忍び足で部屋を出て、応答する。
『恵一、今、会社?』
「いや、有給で休みだけど。急ぎの用事?」
『あのね、佐藤さんって覚えてる? 昔、近所に住んでた可愛らしい女の子。小さい頃よく一緒に遊んだでしょ?』
「なんとなく。……急だな」
『昨日、たまたまスーパーで会ってね。すっかり綺麗な娘さんになってたわ。まだ独身なんですって。恵一のことをバツイチだと話したら、なんとなんと~~』
ものすごく嫌な予感がする焦らしだ。
『久しぶりに会いたいって言うものだから、OKしといたわ』
俺の盛大な溜息は母の耳にダイレクトに伝わったようだ。
「言っとくけど、俺は当分再婚は考えてないからな。わざわざ佐藤さんとやらに会うために帰省はしないよ」
『でもずっと独りではいられないでしょ?』
「今日が休みだったから良かったものの、仕事中にそんな電話かかってきてたらブチ切れてるよ。じゃあ」
母の返事を待たずに通話を切った。母にも悪気はないのだけど、悪気がないからこそデリカシーのない発言やお節介が鬱陶しい。苛立ちながら部屋に戻ると山城は起きていて、神妙な様子で立ち尽くしていた。
「あっ、ごめん、起こしたかな」
「いや、こっちこそすみません……一晩付き合ってもらって……」
「今日まで有給取ってるから大丈夫。きみも今日は定休日だろ? 俺は片付けたら帰るから、ゆっくり休んだらいいよ」
そう言って食い散らかした食器に手をつけようとしたところ、
「恵一さん、もう、来なくていいからね」
食器を運ぼうとした手を止め、山城に向き直った。
「恵一さんがずっと一緒にいてくれたおかげで、また店を頑張ろうって気になれたよ。恵一さんがいなかったら、俺はずっと拗ねたままだったと思う。だから本当にありがとう。……でも、してもらってばかりで心苦しいから、もう俺のことは気にかけてくれなくていい。アンタにはアンタの生活があるからさ」
「……もしかして迷惑だったかな」
山城はそれには否定したが、いきなり「もう来るな」と拒否されて少しショックを受けている自分がいた。とはいえ、来るなと言われてしつこく会いに来る理由もない。俺は無難に「また何かあったらいつでも言ってくれ」と返した。しかし、
「いや、もうどんなに困ってても恵一さんには頼らない」
「なんでだよ」
「……恵一さんのことが好きなんだ」
それはあまりにも予想外の告白だった。山城は続ける。
「恵一さんと一緒にいるの、俺は楽しいよ。歳の離れた友達みたいで。でも、だんだん離れがたくなるんだよ。嘘でも優しくされると嬉しいし、甘えたくなる」
「……俺にできることがあるなら……」
「違う。独り占めしたいんだ」
迷いのない言い方に言葉を詰まらせた。
「なんでかな、恵一さんのことばっかり考えちゃうんだよね。なんだかんだ店に来てくれるとやっぱり嬉しい。それって花を買いに来てくれるから嬉しいんじゃない。恵一さんに会えるから嬉しいんだ。それに恵一さんとこうやって会うようになってから、女の子に興味を持てなくなった」
「……お母さんの件があったからだろ?」
「それもあるけど、たぶん、もっと前から」
どのタイミングで山城が俺に惚れたのか、疑問だらけで俺はただただ混乱した。俺は恋愛対象は女性で、同性にそういう感情を抱いたことはないし、考えたこともない。見る限り山城もそうだったはずだ。だから突然好きだと言われてもどう受け止めたらいいのか。そして彼の感情の柔軟性にはただただ驚かされる。
「最初は勘違いだと思った。でも一緒にいるうちにまずいなって思った。恵一さんといるとドキドキするし、誰にも邪魔されたくないと思っちゃう」
「それは友情や家族愛のようなものではなく……?」
「友達や家族とはキスしたいとは思わないだろ」
あからさまに言われるとたじろいでしまう。山城はそんな俺を鼻で笑った。
「恵一さんは俺の気持ちに応えられないだろ? だからもう会いに来ないでほしい。俺が辛いから」
「……」
何も言えずにいると、山城は拒否されたと判断したようだった。
「……つーことで……、今度こそ、さようなら」
→
スポンサーサイト
- Posted in: ★パンドラとため息のブーケ
- Comment: 0Trackback: -