高橋 恵一10
翌日から俺はほぼ毎日、仕事帰りに花屋に寄るようになった。気分にムラがあるのか、店は開けたり閉めたりしている。客からすればそんな不安定な花屋など愛想が尽きそうなものだが、離れていくどころかみんな山城を心配していく(表向きは「体調不良」と言っているらしい)。わざわざケーキや果物を届けるためだけに訪れる人間もいた。山城も客の前では笑顔を絶やさない。そして彼の作るブーケはいつだって美しかった。
閉店後は店内の掃除を手伝った。ほうきで床を掃くだけだが、それでも山城は毎回「助かります」と礼を言う。次第に俺も他のことにも興味が湧いて、花の手入れの仕方を教えてもらった。新鮮な花は水を多めに、水に浸かっている茎は腐りやすいから、なるべく毎日茎を切ってやること。水切りをする時は切り口を斜めにして、水上げしても花に元気が戻らない場合は湯上げをする。
「ただ茎を切ればいいってもんじゃないよ。切れ味のいい鋏でスパッと切らないと導管が塞がって上手く水を吸えないからね」
ただ、すべての花が同じ方法で手入れをすればいいというわけではないらしい。
「薔薇やダリアは湯上げをすると生き返るけど、チューリップやヒヤシンスみたいな球根ものやカーネーションは湯上げをしても効果がないから、そういうのは別の方法で生き返らせてやらないと駄目なの」
色々とやり方を説明されたが、そんなに一気に教えられても覚えきれない。ひとつ質問すると十も二十も返ってくる。花を見るのが辛い、と言っていた彼だが、花のこととなると活き活きしているように見えるし、何より表情が柔らかい。やはり根底にあるものは花が好きだという想いなのだ。時々、剪定をしながら暗い表情をしていることもあるが、そう言う時はこちらから話し掛けて気を紛らわせてやる。するとホッとしたように微笑んだあと、いつもの小癪な口調で喋るのだ。
七月に入ったある日、上司から夏季休暇を取るように言われたので、土日と二日の休暇をくっつけて連休を作った。どうせたいした趣味もないし一人では何もすることがないので、その四日もやはり花屋へ足を運んだ。せっかくなので無理を承知で市場を見てみたいと言ったら「別にいいよ」とあっさり承諾してくれた。市場へは毎日行くわけではなく、セリが行われる月、水、金曜日のうちの二日間、市場で仕入れをするのだそうだ。
「最近はネットであらかじめ注文しといて、当日の朝に受け取ることが多いんだよね。セリは安く買えるけど、ケース買いしなきゃいけないんだ。だからどうしても欲しい花はネットで注文、ちょっと珍しい花は仲卸さんで買って、あとはセリで……って感じかな」
花の買い方にも色々あるらしい。それぞれにメリットとデメリットがあるから、それらを上手く使い分けて仕入れるには綿密な計画と経験が必要だろう。
市場、というと勝手に暗くて閉鎖的なイメージがあったが、仲卸と言われる花屋が並ぶ仲卸通りは賑やかで、楽しげに談笑する業者たちの姿をよく見かけた。そして多種類のカラフルな花が密集して売られている様は、花に詳しくない俺でも見ているだけで心が躍る。珍しい品種や満開に咲いているものには特に目を引かれた。だが、「自分が欲しい」「綺麗」という感覚では仕入れは務まらないらしく、山城はなんの花なら需要があるのか、自分の店の客の好みに合うものは何か、長持ちする新鮮な花はどれかを見極めながら冷静に仕入れていった。ややくすみがかったピンクの薔薇が綺麗に咲いていたのでそれはどうかと薦めてみたら、
「もう咲いている花は駄目だよ。咲くタイミングを見計らわないとね」
などとあしらわれた。ひと回りも年下でも、業界では足元にも及ばないのだった。
午前七時になるとセリが始まる。買参人席という階段状の長椅子に座って花をセリ落としていくのだ。
「大きい市場だとモニター見ながら機械でセリ落とすんだけど、ここの市場は小さいから昔ながらの手ゼリなんだ」
開始合図があると、セリ人が花束を掲げてドスの効いた声で叫びだす。何を叫んでいるのかまったく聞き取れないが、山城を含め、他の買参人たちは真剣な顔つきでサインを送る。そして落とされた花はコンベアに乗ってどこかへ運ばれていくのだ。当然、俺はその光景をただ見渡すのみ。山城がなんの花を落としたのかも把握できず、セリはスピーディに進んでいった。
「……なんの花を落としたの?」
「さっきは向日葵落とした」
活気があって、「可憐」とは程遠い、男臭ささえ感じる市場の風景は、普段オフィスに籠ってキーボードを叩くだけの世界とはまったく違って新鮮だった。
「活き活きしてるな」
「そりゃ市場だからね」
俺は山城の表情のことを言ったのだが、あえて訂正はしないでおいた。
「楽しそうだな」
「素人にはさせないよ」
セリが終わったら今度は花瓶やリボンなどの資材を調達しにいく。この時点で俺は既に疲れていたのだけど、業務はまだまだこれからだ。山城は軽トラック一台分の花を仕入れて店に戻った。
こうして実際に見てみると花屋の仕事というのはかなり過酷な肉体労働なのだと知る。市場で歩き回ったあとは仕入れた花の水上げ作業。開店時間になったら店頭に花を並べる。今は時期的に落ち着いていて平日の日中はあまり客は来ないが、お盆に向けて仏花のアレンジメントの注文が来ているらしい。
一緒にいて俺ができることはほとんどなく、店番を任されたとしても花束など作れないので結局猫の手よりも役に立たなかった。「なんでここにいるんだっけ」とふと我に返ることもあるが、彼が楽しそうに仕事をしているのを見るのは自分も何故だか嬉しくなった。山城がかつて「色んな女の子を喜ばせてあげたい」と言っていた気持ちが少しだけ分かった気がした。
月曜日の夜。店を閉めてから帰宅しようとしたら山城が言いにくそうに俺を呼び止めた。
「……いつも晩飯ってどうしてるの?」
「帰り道で総菜買って帰るか、どこかで食べて帰ってるけど」
「おかず作ってあるから持って帰ってよ」
それよりも山城が料理をすることに驚きだ。何年も一人で暮らしていればある程度の家事スキルはあって当然かとも思うが。
山城は自宅に戻って持ってくる、とエプロンを外したが、わざわざ持って来させるのも忍びないので一度は断った。とはいえ、もしかしたら山城は礼のつもりでそう言ってくれたのではないかと思うと断るのも悪い気がする。なので、
「じゃあ、一緒に食べていいかな。家で独りで食べるのは侘びしいんだ」
→
閉店後は店内の掃除を手伝った。ほうきで床を掃くだけだが、それでも山城は毎回「助かります」と礼を言う。次第に俺も他のことにも興味が湧いて、花の手入れの仕方を教えてもらった。新鮮な花は水を多めに、水に浸かっている茎は腐りやすいから、なるべく毎日茎を切ってやること。水切りをする時は切り口を斜めにして、水上げしても花に元気が戻らない場合は湯上げをする。
「ただ茎を切ればいいってもんじゃないよ。切れ味のいい鋏でスパッと切らないと導管が塞がって上手く水を吸えないからね」
ただ、すべての花が同じ方法で手入れをすればいいというわけではないらしい。
「薔薇やダリアは湯上げをすると生き返るけど、チューリップやヒヤシンスみたいな球根ものやカーネーションは湯上げをしても効果がないから、そういうのは別の方法で生き返らせてやらないと駄目なの」
色々とやり方を説明されたが、そんなに一気に教えられても覚えきれない。ひとつ質問すると十も二十も返ってくる。花を見るのが辛い、と言っていた彼だが、花のこととなると活き活きしているように見えるし、何より表情が柔らかい。やはり根底にあるものは花が好きだという想いなのだ。時々、剪定をしながら暗い表情をしていることもあるが、そう言う時はこちらから話し掛けて気を紛らわせてやる。するとホッとしたように微笑んだあと、いつもの小癪な口調で喋るのだ。
七月に入ったある日、上司から夏季休暇を取るように言われたので、土日と二日の休暇をくっつけて連休を作った。どうせたいした趣味もないし一人では何もすることがないので、その四日もやはり花屋へ足を運んだ。せっかくなので無理を承知で市場を見てみたいと言ったら「別にいいよ」とあっさり承諾してくれた。市場へは毎日行くわけではなく、セリが行われる月、水、金曜日のうちの二日間、市場で仕入れをするのだそうだ。
「最近はネットであらかじめ注文しといて、当日の朝に受け取ることが多いんだよね。セリは安く買えるけど、ケース買いしなきゃいけないんだ。だからどうしても欲しい花はネットで注文、ちょっと珍しい花は仲卸さんで買って、あとはセリで……って感じかな」
花の買い方にも色々あるらしい。それぞれにメリットとデメリットがあるから、それらを上手く使い分けて仕入れるには綿密な計画と経験が必要だろう。
市場、というと勝手に暗くて閉鎖的なイメージがあったが、仲卸と言われる花屋が並ぶ仲卸通りは賑やかで、楽しげに談笑する業者たちの姿をよく見かけた。そして多種類のカラフルな花が密集して売られている様は、花に詳しくない俺でも見ているだけで心が躍る。珍しい品種や満開に咲いているものには特に目を引かれた。だが、「自分が欲しい」「綺麗」という感覚では仕入れは務まらないらしく、山城はなんの花なら需要があるのか、自分の店の客の好みに合うものは何か、長持ちする新鮮な花はどれかを見極めながら冷静に仕入れていった。ややくすみがかったピンクの薔薇が綺麗に咲いていたのでそれはどうかと薦めてみたら、
「もう咲いている花は駄目だよ。咲くタイミングを見計らわないとね」
などとあしらわれた。ひと回りも年下でも、業界では足元にも及ばないのだった。
午前七時になるとセリが始まる。買参人席という階段状の長椅子に座って花をセリ落としていくのだ。
「大きい市場だとモニター見ながら機械でセリ落とすんだけど、ここの市場は小さいから昔ながらの手ゼリなんだ」
開始合図があると、セリ人が花束を掲げてドスの効いた声で叫びだす。何を叫んでいるのかまったく聞き取れないが、山城を含め、他の買参人たちは真剣な顔つきでサインを送る。そして落とされた花はコンベアに乗ってどこかへ運ばれていくのだ。当然、俺はその光景をただ見渡すのみ。山城がなんの花を落としたのかも把握できず、セリはスピーディに進んでいった。
「……なんの花を落としたの?」
「さっきは向日葵落とした」
活気があって、「可憐」とは程遠い、男臭ささえ感じる市場の風景は、普段オフィスに籠ってキーボードを叩くだけの世界とはまったく違って新鮮だった。
「活き活きしてるな」
「そりゃ市場だからね」
俺は山城の表情のことを言ったのだが、あえて訂正はしないでおいた。
「楽しそうだな」
「素人にはさせないよ」
セリが終わったら今度は花瓶やリボンなどの資材を調達しにいく。この時点で俺は既に疲れていたのだけど、業務はまだまだこれからだ。山城は軽トラック一台分の花を仕入れて店に戻った。
こうして実際に見てみると花屋の仕事というのはかなり過酷な肉体労働なのだと知る。市場で歩き回ったあとは仕入れた花の水上げ作業。開店時間になったら店頭に花を並べる。今は時期的に落ち着いていて平日の日中はあまり客は来ないが、お盆に向けて仏花のアレンジメントの注文が来ているらしい。
一緒にいて俺ができることはほとんどなく、店番を任されたとしても花束など作れないので結局猫の手よりも役に立たなかった。「なんでここにいるんだっけ」とふと我に返ることもあるが、彼が楽しそうに仕事をしているのを見るのは自分も何故だか嬉しくなった。山城がかつて「色んな女の子を喜ばせてあげたい」と言っていた気持ちが少しだけ分かった気がした。
月曜日の夜。店を閉めてから帰宅しようとしたら山城が言いにくそうに俺を呼び止めた。
「……いつも晩飯ってどうしてるの?」
「帰り道で総菜買って帰るか、どこかで食べて帰ってるけど」
「おかず作ってあるから持って帰ってよ」
それよりも山城が料理をすることに驚きだ。何年も一人で暮らしていればある程度の家事スキルはあって当然かとも思うが。
山城は自宅に戻って持ってくる、とエプロンを外したが、わざわざ持って来させるのも忍びないので一度は断った。とはいえ、もしかしたら山城は礼のつもりでそう言ってくれたのではないかと思うと断るのも悪い気がする。なので、
「じゃあ、一緒に食べていいかな。家で独りで食べるのは侘びしいんだ」
→
スポンサーサイト
- Posted in: ★パンドラとため息のブーケ
- Comment: 0Trackback: -