高橋 恵一 9
―――
「いや、だからさ。なんで来るわけ?」
車の中で山城に電話を掛けたら、一応営業はしているが開店休業状態だから来るなと言われた。そう言われても電話を切った直後に店に着いたので、何食わぬ顔で足を踏み入れたら煙たがられたというわけだ。
開店休業、というのはこのことか。客は一人もいないし、いつもより店内が暗いと思ったらガラス張りのキーパーは電気が消えていて、鉢植えはともかく切り花が随分減っている。山城は木製のスツールに腰かけて花の剪定をしていた。
「何か用?」
山城は目線が花にあるまま聞いた。
「用という用はないけど、店がどうなったのか気になって」
「見ての通りだよ」
やめる、と言ったあの日から、まだ心変わりはしていないらしい。
「あの……作ってもらったアレンジメント、実家の母が喜んでたよ。ありがとう」
「あー……うん」
『母』の話はまずかったかもしれない。
「……紫のカーネーションってあるんだな。あと薔薇と菊? なのかな」
「ムーンダストって言うんだ。青の色素を作る遺伝子を組み込ませて作られてんの。普通のカーネーションより長持ちするし、品があるでしょ。あ、ちなみに一緒に入れたのは菊じゃないぜ。ダリアだよ。まあキク科だけどさ」
花の茎を小気味いい音を立てながら切り落とし、白やピンクの薔薇を集めて山城は小さなブーケを作った。即席で作ったわりにはそのままプレゼントにできそうな可愛らしいブーケだ。
「長持ちしない花はこうやってアレンジして売るんだよね。だから花屋でブーケにして売ってるものは買わないほうがいいよ。寿命が短いから」
「そのブーケは売るのか?」
「売らない」
「じゃあ、それは俺が買うよ」
山城は眉間を寄せて睨んでくる。
「なんだか俺は同情されてるのかな。用もないのに店に来て、花の名前も知らないのに褒めたりして、欲しくもないのに買うとかさ」
確かに回りくどい。同情かと聞かれて否定もできない。ただ、
「店を辞めるのは勿体ないんじゃないか」
つまるところはそれが言いたかったのだ。
「俺が辞めても恵一さんにはなんの問題もないでしょ?」
「きみの花屋がなくなるのが寂しいという話だ」
「俺にいい顔してなんの得があるの」
言っている意味が分からず、眉を顰める。
「俺の店は恵一さんにとってどうでもいいはずだろ。花だって特別好きなわけでもないし、ちょっとアレンジメントを依頼したくらいだ。俺の店がなくなって寂しいと思うほどの思い入れなんかないくせに。それとも木下さんを紹介した手前格好がつかないから辞められたら困るって話? それなら木下さんの依頼だけはちゃんとするよ。それが済んだら辞める」
「木下のことがなくても辞めて欲しくない」
「どうやって信じろって言うんだよ。アンタ自分で言ってたじゃないか、偽善者だって。本気で俺のために言ってくれてるわけじゃないだろ。『こういう時は人として説得しないと』っていう正義感なんだ」
捻くれているが、山城とのこれまでの関係や経緯を考えれば、そう思われても仕方のないことだ。実際、自分でも俺は偽善者だと自覚がある。基本的に俺はいつも人の機嫌を損ねないように、どうすれば悪い印象を与えずに済むかを前提に行動してきた。確かに山城が店を辞めようがどうしようが俺にはなんの影響もない。思い入れもない。だが、このまま山城が花から離れていくのは本当に嫌だと思っている。それはどうすれば伝わるのだろう。しかし山城もさすがに思うところがあったのか、急に素直になった。
「……分かってるよ。ただ拗ねてるだけだ。店は本気で辞めるつもりだったけど、恵一さんに勿体ないって止められたら気持ちが揺らぐ。その程度の覚悟だ。でも今は無理なんだ、どうしても。花の手入れをしてるとあの日の母親のことばかり思い出す。もともと母親の店だし、俺が花屋をやってるのはそもそも母親に戻ってきてもらいたかったからで、それがもう叶わなくなったから突然目標というか、意義を見出せなくなっちゃって、やる気が出ないんだ」
それでもきっと彼は毎日花に水をやり、太陽に当て、育てている。本当に店を辞めたいなら何もかもしたくないはずだ。
俺は花の手入れの仕方は分からない。だから視界に入ったほうきとちりとりを持って来て、おもむろに掃除を始めた。
「なに、やってんの」
「俺が手伝いたいだけだから」
「そういうの、ありがた迷惑っていうんだ」
「きみが俺の行動を偽善と取るか善意と取るかは自由だし、感謝されたいとか思ってない。俺もなんできみの花屋の行方がこんなに気になるのか分からないけど、はっきりしてるのは用もないのに店に来たのも、手伝いたいと思うのも、俺がそうしたいだけだから。……ああ、ちょろちょろされて迷惑だから消えろと言うならそうする」
「……そこまで言ってない」
「なら、邪魔にならない程度に続けることにする」
以前、美紀が「本当の優しさは誰かのために自然とこうしたいと思えることだ」と言っていた。じゃあ、今俺が取っている行動は優しさなのかと聞かれたら違う気がする。「優しさ」と言うにはあまりに独りよがりで勝手だからだ。山城が花屋を続けたとして、今後俺が定期的に花を買いに来ることはたぶんない。誰かに花を贈る機会があればひいきにするかもしれないが。でも花屋は辞めて欲しくないのだ。花屋を辞めたら、彼はどこかに消えそうな気がするから。
ひと通り床を掃くだけで店内が明るくなった。額に滲んだ汗を拭うと山城は小さな声で「ありがとう」と呟いた。彼の長所はどんな時でも素直なところだと思う。これ以上ここにいても話は進まないので帰ることにするが、
「明日も来てもいいかな」
訊ねると「好きにすれば」と返ってきた。店はどうやら開けてくれるようだった。
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「いや、だからさ。なんで来るわけ?」
車の中で山城に電話を掛けたら、一応営業はしているが開店休業状態だから来るなと言われた。そう言われても電話を切った直後に店に着いたので、何食わぬ顔で足を踏み入れたら煙たがられたというわけだ。
開店休業、というのはこのことか。客は一人もいないし、いつもより店内が暗いと思ったらガラス張りのキーパーは電気が消えていて、鉢植えはともかく切り花が随分減っている。山城は木製のスツールに腰かけて花の剪定をしていた。
「何か用?」
山城は目線が花にあるまま聞いた。
「用という用はないけど、店がどうなったのか気になって」
「見ての通りだよ」
やめる、と言ったあの日から、まだ心変わりはしていないらしい。
「あの……作ってもらったアレンジメント、実家の母が喜んでたよ。ありがとう」
「あー……うん」
『母』の話はまずかったかもしれない。
「……紫のカーネーションってあるんだな。あと薔薇と菊? なのかな」
「ムーンダストって言うんだ。青の色素を作る遺伝子を組み込ませて作られてんの。普通のカーネーションより長持ちするし、品があるでしょ。あ、ちなみに一緒に入れたのは菊じゃないぜ。ダリアだよ。まあキク科だけどさ」
花の茎を小気味いい音を立てながら切り落とし、白やピンクの薔薇を集めて山城は小さなブーケを作った。即席で作ったわりにはそのままプレゼントにできそうな可愛らしいブーケだ。
「長持ちしない花はこうやってアレンジして売るんだよね。だから花屋でブーケにして売ってるものは買わないほうがいいよ。寿命が短いから」
「そのブーケは売るのか?」
「売らない」
「じゃあ、それは俺が買うよ」
山城は眉間を寄せて睨んでくる。
「なんだか俺は同情されてるのかな。用もないのに店に来て、花の名前も知らないのに褒めたりして、欲しくもないのに買うとかさ」
確かに回りくどい。同情かと聞かれて否定もできない。ただ、
「店を辞めるのは勿体ないんじゃないか」
つまるところはそれが言いたかったのだ。
「俺が辞めても恵一さんにはなんの問題もないでしょ?」
「きみの花屋がなくなるのが寂しいという話だ」
「俺にいい顔してなんの得があるの」
言っている意味が分からず、眉を顰める。
「俺の店は恵一さんにとってどうでもいいはずだろ。花だって特別好きなわけでもないし、ちょっとアレンジメントを依頼したくらいだ。俺の店がなくなって寂しいと思うほどの思い入れなんかないくせに。それとも木下さんを紹介した手前格好がつかないから辞められたら困るって話? それなら木下さんの依頼だけはちゃんとするよ。それが済んだら辞める」
「木下のことがなくても辞めて欲しくない」
「どうやって信じろって言うんだよ。アンタ自分で言ってたじゃないか、偽善者だって。本気で俺のために言ってくれてるわけじゃないだろ。『こういう時は人として説得しないと』っていう正義感なんだ」
捻くれているが、山城とのこれまでの関係や経緯を考えれば、そう思われても仕方のないことだ。実際、自分でも俺は偽善者だと自覚がある。基本的に俺はいつも人の機嫌を損ねないように、どうすれば悪い印象を与えずに済むかを前提に行動してきた。確かに山城が店を辞めようがどうしようが俺にはなんの影響もない。思い入れもない。だが、このまま山城が花から離れていくのは本当に嫌だと思っている。それはどうすれば伝わるのだろう。しかし山城もさすがに思うところがあったのか、急に素直になった。
「……分かってるよ。ただ拗ねてるだけだ。店は本気で辞めるつもりだったけど、恵一さんに勿体ないって止められたら気持ちが揺らぐ。その程度の覚悟だ。でも今は無理なんだ、どうしても。花の手入れをしてるとあの日の母親のことばかり思い出す。もともと母親の店だし、俺が花屋をやってるのはそもそも母親に戻ってきてもらいたかったからで、それがもう叶わなくなったから突然目標というか、意義を見出せなくなっちゃって、やる気が出ないんだ」
それでもきっと彼は毎日花に水をやり、太陽に当て、育てている。本当に店を辞めたいなら何もかもしたくないはずだ。
俺は花の手入れの仕方は分からない。だから視界に入ったほうきとちりとりを持って来て、おもむろに掃除を始めた。
「なに、やってんの」
「俺が手伝いたいだけだから」
「そういうの、ありがた迷惑っていうんだ」
「きみが俺の行動を偽善と取るか善意と取るかは自由だし、感謝されたいとか思ってない。俺もなんできみの花屋の行方がこんなに気になるのか分からないけど、はっきりしてるのは用もないのに店に来たのも、手伝いたいと思うのも、俺がそうしたいだけだから。……ああ、ちょろちょろされて迷惑だから消えろと言うならそうする」
「……そこまで言ってない」
「なら、邪魔にならない程度に続けることにする」
以前、美紀が「本当の優しさは誰かのために自然とこうしたいと思えることだ」と言っていた。じゃあ、今俺が取っている行動は優しさなのかと聞かれたら違う気がする。「優しさ」と言うにはあまりに独りよがりで勝手だからだ。山城が花屋を続けたとして、今後俺が定期的に花を買いに来ることはたぶんない。誰かに花を贈る機会があればひいきにするかもしれないが。でも花屋は辞めて欲しくないのだ。花屋を辞めたら、彼はどこかに消えそうな気がするから。
ひと通り床を掃くだけで店内が明るくなった。額に滲んだ汗を拭うと山城は小さな声で「ありがとう」と呟いた。彼の長所はどんな時でも素直なところだと思う。これ以上ここにいても話は進まないので帰ることにするが、
「明日も来てもいいかな」
訊ねると「好きにすれば」と返ってきた。店はどうやら開けてくれるようだった。
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