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山城 天 3

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 花屋の朝は早い。七時から始まるセリに間に合うように市場に行って花を仕入れたあと、そのまま店に戻って開店準備をする。花の手入れをしながら店頭に並べると開店。店での接客、注文先へ花を届けたり、イベントに出ることだってある。
 今日はひいきにしてくれているアレンジメント教室に花を届けることになっている。約束の午前十時より少し前に着くように向かった。

「ハナシロさん、いつもありがとう。最近足腰が弱くって届けてもらってばかりで申し訳ないわね」

「とんでもない。カーネーションと薔薇とスイートピー、あと紫陽花ですね」

「ほんっと、ハナシロさんちのお花、質が良くって素敵」

 もうすぐ還暦を迎えるというアレンジメント講師の小畑さんは、目尻に皺を寄せて目をアーチ形に緩めた。花を見て喜ぶ女性はいくつになっても綺麗だと思う。店を開けているので、と早々に退散しようとしたところ、「天ちゃん」と呼び止められた。

「美紀さん!」

「ちょっと早めに来てみたら天ちゃんがいるから驚いたわ」

 美紀さんが店に来なくなってから数ヵ月間、何度かこの教室には花を届けたけれど美紀さんはいなかった。離婚をきっかけに教室を辞めたのだと思っていた。久しぶりに見る美紀さんは雰囲気がガラリと変わっていて、清楚系の服ばかり着ていたのが、胸元にボーダーが入ったカットソーとデニムパンツというカジュアルな格好をしていた。見ようによっては手抜き感溢れるが、そのリラックスさが彼女に似合っていた。

「美紀さん、元気にしてるの?」

「元気よ。引っ越しの準備で忙しくてアレンジメントは最近休んでたんだけど。今日は最後のレッスンのつもりで来たの。だから会えて良かった」

「引っ越すの?」

「地元の神奈川に帰ることにしたの。仕事も向こうで見つけるつもり」

 寂しいな、なんてことは言わなかった。言ったところでどうにかなる関係じゃない。

「天ちゃんは元気そうね」

「それが取柄だからね。あ、このあいだ恵一さんが店に来た」

「えっ?」

 しまった、と慌てて口元に手を当てた。どうして俺はこうも碌に考えずに動いてしまうのだろう。

「恵一が花を買いに?」

「……うん。会社の人のお宅に呼ばれたから手土産にって。食べ物は他の人が持ってくるからって」

「そういうところは気が回るのよね、あの人」

 いつも寂しそうにしていた彼女が、皮肉を交えながら声を出して笑っている。嫌な別れ方じゃなかったとはいえ離婚は辛かったはずだ。けれどもそうやって笑い飛ばせるくらいには吹っ切れたのだと窺えた。それと同時にホッとしている自分もいる。この二人が別れた原因が俺にもあるから、罪悪感はあったのだ。

「じゃあね、天ちゃん。もしまた恵一が店に来たらよろしく伝えてね」

 その後を深く探り合うこともなく、過去を掘り返すこともなく、美紀さんはレッスン室へ消えた。これで彼女が店に来ることも偶然会うこともないと思うと、やっぱり少し寂しい。




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