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高橋 恵一 3

 そういえば俺は昔から恋愛が下手だった。
 いいな、と思う子がいても自分からアプローチをするのが苦手でいつもチャンスを逃してばかりいた。たまに運良く仲良くなって恋人同士になっても、何故か「わたしのこと好きじゃないんでしょ」と言われてフラれることが多かった。俺は元来、不器用な男なのだ。
 だが、妻はこんな俺を理解してくれた。いつも笑って俺の話を聞いてくれて、さりげない気遣いができるところも一緒にいて癒された。
 付き合って結婚するまで七年、結婚してから九年。こんな俺を好きでいてくれるのはこの人しかいないと思っていたから、俺なりに頑張って愛情を示してきたつもりだ。男として、夫として、妻を大事にしてきたはずだ。

――そんな愛のない態度じゃ奥さんが余所の男に行くのも仕方ないと思うぜ。――

 なら、どうすればよかった? 何をすれば伝わった?
 家事を手伝ったり、妻のしたいことを尊重するだけでは足りなかったのか。記念日を忘れたこともプレゼントを欠かしたこともない。唯一心当たりがあるとすれば子どもがなかなか授かれないことだが、それについても妻はあまり重く受け止めていなかった。それとも実はそれが勘違いで、もっと治療に協力的になればよかったのだろうか。
 なんにせよ、どんなに下手な愛情表現でも妻なら分かってくれると信じていたが、結局は妻にも伝わっていなかったということだ。
山城は妻が寂しそうだったと言っていた。妻を寂しくさせたのが俺だったなら、妻が浮気をしたのも俺に原因がある。もしかしたら悪いのは俺、なのかもしれない。

 やはり山城に会うのはまだ早かった。ろくに事情を知らないのに山城に会ったせいで余計に混乱してしまった。考えがまとまらないまま帰宅した俺を、笑顔で迎える妻。よほど顔色が冴えないのか体調が悪いのかと心配されたが、俺は妻に目を合わせられないまま寝室へ逃げた。
浮気に気付いたこと、俺が山城と会ったことを早いうちに打ち明けなければとは思うのに、妻を問い詰める勇気がなかった。どういう結論を出したいのか、自分でもまだ分からないからだった。

 ***

 妻から友人と食事に行くから、夕飯は作り置きのビーフシチューを食べておいてくれとメッセージがあった。金曜日の夜のことだった。家に一人でいても特にすることがないので、いつも妻が不在の夜はあえて残業をするのだけど、この日は定時に仕事を終えてある場所へ寄った。山城の花屋である。
 花屋がどこにあるのかは事前に調べてある。妻の通うフラワーアレンジメント教室のホームページを検索して、仕入先リンクから店の名前と場所を突き止めた。
「フラワーショップHANASHIRO」。妻が山城の花を褒めた(らしい)理由が地図を見て分かった。卸売市場が近いから、質のいい花を早く仕入れることができるのだ。ネットでの口コミ評価もなかなかのようだった。

 街から少し離れた閑静な場所。バスを使えば確かに通える距離ではあるが、妻は山城に会うためにわざわざこんなところまで足繁く通っていたのかと思うとまた憂鬱な気分になった。
 すっかり日が暮れて闇に紛れそうな夜道の中で、ぼんやりと佇むプロヴァンス風の小さな花屋。客が一人出て行ったところで、俺は店内に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ、今日はもう閉店で……」

 パタパタと奥から出てきたのは山城天。白のトレーナーとデニムパンツに黒のエプロンをしていた。山城は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに小生意気な態度に変わる。けだるそうに傍にある植木の前でしゃがんだ。

「なんでいるの? 俺に何か用? それとも今更俺を殴りに来た?」

「お前はそんなに殴られたいのか」

「痛いのは嫌だけど、悪いことをしたとは思ってるんだよ、これでも」

 花を弄りながら言われてもまったく反省の色など見えない。

「……もう連絡は取ってないのか」

「美紀さんと? 取ってないよ。何度か向こうから連絡は来たけど、スルーしてる」

「ちゃんと別れると言え」

「じゃあ、アンタは美紀さんと話し合ったの? 俺の口から『旦那にバレたから会うのやめよう』って言ってもいい?」

 俺の意気地のなさを遠回しに指摘されているようだった。こいつと話しているとやっぱり調子が狂う。

「アンタと会ったあとも美紀さんからはメッセージやら着信履歴が残ってたから、まだ旦那にバレたこと知らないんだなって思って。なんで早く言わないの?」

 山城は慣れた手つきで花の選別をしていく。すると、ずっと俯いていた山城が突然顔を上げた。猫のような眼が俺を捉えた、かと思いきや、

「いらっしゃい!」

 視線の先は俺の背後にあり、山城は店に入って来た女性客に駆け寄った。俺より少し年上くらいの、綺麗な女性だった。山城はその女性客と何やら親しげに話し出したので、俺は近くにあった丸椅子に腰かけた。きゃっきゃと楽しげな二人の声を聞きながら店内を見回す。色とりどりの切り花や鉢植え、所せましと並ぶ多肉植物。俺は花に詳しくないので名前など分からないが、これだけ鮮やかな色に囲まれると確かに癒される気がする。ほのかに漂う甘い香り。

「来てくれてありがとう。またね」 

 山城がそう言うと、女性客は山城の首に腕を回して軽い抱擁をした。それに便乗するように山城も彼女の頬にキスをする。思わずここは外国か、と突っ込みたくなるほど自然な行為だったので、これが奴の常の姿なのだと知った。
 女性客が店を離れたのを見計らって言ってやった。

「誰にでもああなのか」

 俺の皮肉にもまったく動じず、山城はあっけらかんと言う。

「そうだよ」

「最低だな。軽々しく扱われる相手に身にもなれ」

「なんで? みんな理解した上で付き合ってくれてるのに」

 山城は店頭に出してある花たちを店内に取り込む。

「女の人ってさ、一番若くて綺麗な頃を花娘って言ったり、そこにいるだけで華があるとか、何かと花に例えられたりするじゃん。でも年を取るとほとんどの女の人が言うんだよ。『わたしなんてもう枯れてるから』」

「……」

「内心ではみんなそう思いたくないはずだよ。でもやっぱり老いは目にも見えるものだし、自分より綺麗な人を見れば落ち込みもする。俺はそうやって卑屈になっていく人を見るのが辛いんだ。だから俺はいつまでも『綺麗だよ』って言ってあげられる存在になりたい」

「それは特定の一人じゃ駄目なのか」

「一人だけを愛するなんて、たぶん俺には無理だから」

 いい加減な恋愛観のように聞こえるが、何か理由でもありそうな言い方だった。花を取り込み終えた山城は、ほうきとちりとりを持って来てサッサッと手際の良い音で床を掃き出す。

「俺は別に誰かに愛されたいとは思ってない。自分が好きだなと思う相手に愛を囁いてあげたいだけ。それで彼女たちが元気になってくれたら満足」

「美紀も知ってるのか。きみがそういうスタンスだと」

「もちろん。俺は元気がない時に栄養をあげられる肥料のようなものなんだよ」

 俺はテーブルに肘をついて頭を抱えた。

「きみと話していると頭がおかしくなりそうだ」

 もしかしたら山城は俺よりも妻のことを知っているのかもしれない。山城が強引に聞き出した可能性もあるが、少なくとも信用していなければベラベラと喋ったりしない。妻はどちらかと言えば口は堅い。そしてこんないい加減な男は本来眼中にないはずだ。それでも悩みを打ち明け、無視をされても連絡をし続ける妻は、相当この男に心酔しているのかもしれない。

「美紀がきみのことを本気で愛していると言ったら、きみは応える気があるのか」

 山城はその質問に不愉快そうに眉を歪ませた。

「アンタがそれを聞くの? アンタこそ美紀さんが俺を本気で好きだから離婚してくれと言ったらどうするつもりなんだよ。はい、わかりましたってあっさり引き下がるのか」

「……自分でもどうすべきか分からないから、きみの妻に対する気持ちを聞きたいんだよ」

「本当に呆れた。どうすべき、じゃなくて、どうしたいんだよ、アンタは。まさか自分から気持ちの離れた妻はいらないって言うんじゃないだろうな」

「違う。俺は妻の気持ちを尊重したいだけだ」

「美紀さんがやっぱりあなたが好きだから離婚したくないと言ったら許して、俺を好きだから離婚してと言ったら離婚する? じゃあ、本心では俺のことを好きだけど、生活に苦労しないから離婚はしたくない、なんて言われたらどうする?」

「……」

「あんたは美紀さんを愛してないんだな」

「……愛してるさ」

「だったらさっさと話し合って、もう一度やり直そうくらい言ってやれよ。怒ってでも泣いてでも引き留めろよ。別れたくないって。そんで『二度と妻に近付くな』って俺を殴るなりしろよ」

 それがきっと正解なんだろう。それが夫としてするべきことなんだろう。だが、俺はそんな風に感情的に動けない。
 いつもこいつの言葉で気付かされる。自分でも気付かないようにしていた本心を抉ってくる。俺はゆらりと立ち上がって出口へ向かった。

「言い返す言葉もないってか。情けないな。お前なんか浮気されて当然の男だよ」

 店を出ようとしたのを引き返して、俺は早足で山城に近付いた。そして胸ぐらを掴んで握り締めた拳を左頬に思いきり打ち込んでやった。山城は衝撃で背後の植木に倒れ込み、鉢がいくつか散らばった。

「殴られたかったんだろ」

 それが俺の捨て台詞だ。床に倒れたままの山城をよそに、俺は店を出て行った。
 自分が心底情けない。妻を愛していると言いながら妻の異変に気付かず、他の男に取られそうになっても困惑するばかりで、自分の気持ちをはっきりさせられない。挙句、すべての判断を妻に委ねようとしてそれを浮気相手に責められて。図星を突かれたのがムカついたから殴っただけだ。
 妻はきっと、俺のこんな冷淡で卑怯なところを、見抜いていたに違いない。




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