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番外編3

 ***

 ついボーッとして手を止めてしまったところ、背後から「留衣ィ!」と怒号が飛んできた。

「ボサッとすな! せいろ並べんかい!」

「すみません」

 海から揚げたばかりのカタクチイワシを、一気にパイプで吸い上げて加工場まで運ぶ。運ばれたイワシは新鮮なままボイルされ、せいろに並べると時間をかけて乾燥させる。そうするとしっかり味のついた栄養たっぷりの「いりこ」ができるのだ。俺の地元の島は、この「いりこ」の生産量が日本一かつ日本一美味いと評価されている。島民のほとんどは漁に関わる仕事をしている。俺の父親も、生粋の漁師だった。
 やけに熱い湯気が加工場を包む。まだまだ魚は運ばれてくるし、漁の時期が終わるまであと二ヵ月はある。―—あと二ヵ月、こんな湯気の中で魚を選別しなくちゃいけないのか。
そして今年の漁が終わっても、来年、再来年と続いていく。
 こうやって人生を終えるのは、嫌だなぁ。

 ―——

 加工場での仕事を終えて家に着いたら、門の前で同級生の麻耶がいた。麻耶は高校からの友達だ。美大に通っている頃はまったく音沙汰がなかったけれど、俺が島に帰ってきたことを誰かから聞いたらしく、それから頻繁に連絡がくるようになった。

「留衣―。また既読無視したでしょ」

 麻耶は高校を卒業してから県外の短大に通い、保育士の資格を取ってUターンした。今は島の小さな保育園で働いている。しょっちゅう連絡が来るのは、この島で年の近い知り合いが俺しかいないからだろう。

「仕事中は、確認はできても返信まではできないから」

「スタンプのひとつくらい送ってくれてもいいじゃん。ね、一緒にご飯食べない?」

「でも、もう船の最終行っちゃったよ。この島、飲み屋なんてないし」

「わたしが作ったの。食べに来てよ」

 あいだを空けて「作り過ぎちゃったの」と付け加えた。正直早く横になって休みたかったけれど、いじらしく思ってしまって、つい誘いを受けた。

「じゃ、行こ」

「あ、ちょっと待って」

 郵便箱を開けると、一通の手紙が入っていた。暗がりの中で封を切ってみるが、内容を確認するとすぐにぐしゃぐしゃにしてポケットに入れた。

「捨てていいの?」

「うん」

「……結果?」

「………うん。また駄目だった」

 大学を辞めて島に戻ってから、専門学校へ通った。大学では日本画コースだったけれど、専門学校ではイラストコースだった。今までとは違った新鮮さがあって楽しかったけれど、そこでもやっぱり自分の良さを見出せなかった。卒業してからも希望していた会社には就けず、結局今は加工場の仕事をしながら絵のコンテストがあれば応募する、というなんとも心許ない日々を過ごしている。専門学校へは自分の貯金で行ったとはいえ、いつまで経っても鳴かず飛ばずの俺に、母親は心底呆れている。

 麻耶の家は俺の家から数百メートルほど歩いたところにある、古い賃貸の一軒家。麻耶の両親は本土に住んでいるので、島では一人で暮らしている。一人暮らしで一軒家は広すぎるけれど、アパートなんてものはこの島に存在しない。一人暮らしをするためには間借りをするか、誰かが住み倒して出て行ったあとの古い家を借りるしかないのだ。
 世の中は新しい時代に入ったというのに、一体何十年前から時が止まっているのだろうと思う。ガラガラと引き戸を開けて、古びた板敷の廊下を進み、和室に通された。建物が古くても部屋の内装は綺麗だと感じるのは、さすが女の子のセンスだろう。観葉植物とか、ポストカードを入れた写真立てとか、ぬいぐるみ、ハーバリウム。どこか既視感を抱くのは、たぶん一度だけ行った福島さんの家の断片と被るからだ。少しだけ気分が沈んだ。

 麻耶が用意してくれたのは金平ごぼうに鶏のから揚げ、味噌汁。作り過ぎたと言うわりにはちょうどいい分量で、最初から俺を誘うつもりで作ったのだろうなと窺えた。

「美味しい? 金平は初めて作ったんだけど」

「美味しいよ」

「元気出た?」

 それには苦笑いした。なるべく表に出すまいとしたけれど、落選通知に落ち込んでいることは気付かれていたらしい。

「うん、元気出た。ありがとう」

「審査員のさー、見る目がなかったんだよ」

 カリッと軽快な音をたてて沢庵を噛む麻耶。あっけらかんとした言い方に少しだけ気が軽くなった。

「それはないと思うけど。単純に何かが足りないんだよ」

「何かって? わたし、いつも思うんだけど、こういうのって何をもって入賞、落選って決めてるの? 芸術の良さなんて個人によって違うじゃん。ピカソが好きな人もいれば嫌いな人もいる。審査員の好みでしょ、こんなの」

 それを言ってしまったら、コンテストに出すのが馬鹿げていると遠回しに言われているようだ。

「審査員の好みと留衣の感性が一致するといいね」

「……そうだね」

 落選しても何が駄目だったのか、何が良かったのか、そんな批評は一切くれない。だから何を克服して何を伸ばせばいいのか分からない。
 一度そんなことを考えたら、先の見えない未来に思考も味覚も鈍くなる。せっかく麻耶が作ってくれた料理は、最後の方はよく味が分からなかった。

 食事を終えて紅茶を飲み、「明日も早いから」と言って早々に退散しようとしたら、どこか納得いかない顔つきで見つめられた。

「まだ十時よ」

「もう十時だよ。俺は朝が早いし、麻耶も仕事だろ?」

「そうだけど」

「ご馳走様」

「もしかして、他に彼女とかいたりする?」

 他ってなんだ、と思ったけど、あえて聞かなかった。

「いないけど」

「あのね、わたしもなんとも思ってない男の子を部屋に上げたりしない。留衣がこっちに戻ってきたって聞いた時、嬉しかったんだ。会えるんだと思って」

「俺も嬉しかったよ。帰ってきた時、ほとんどの友達が東京行っちゃってて、知り合いがあんまりいなかったから、連絡してくれてよかったと思ってる」

「……なんか、そういう嬉しい、じゃないんだけどな……」

 期待外れといった顔つきだ。わざとそういう返しをしたのだけど。麻耶は今度こそ直球で投げて来た。

「わたしと付き合ってくれない?」

 予想していた展開だけど、いざ現実になると何も言葉が出てこなかった。不自然な沈黙が流れる。麻耶は気心が知れているし、明るいし、気も利く。顔も可愛いと思う。どうしてもと言うなら付き合える。でも自分から進んで付き合いたいと思えなかった。そんな迷いが出ていたのだろう。「あからさまに困らないでよ」と言われた。

「留衣にその気がないのは分かるよ。でもわたしは好きなの」

「ありがとう。ごめん、今は考えさせてよ」

「じゃあ、また性懲りもなくご飯に誘うからね! 次こそ既読無視しないでよね!」

 麻耶は気まずい空気を作ることなく、あくまで明るく振る舞った。おかげで罪悪感はないけれど、こういう関係がまだ続くのかと思うと少し憂うつでもある。

 女の子は嫌いじゃない。初恋は小学生の頃で、初めて付き合ったのは中学生の頃。どっちも女の子だった。高校では誰とも付き合っていない、絵を描くことに必死だったから、恋愛なんてどうでもよかったんだ。大学でも自分のことに必死で、誰かを好きだと思う気持ちなんてすっかり忘れていた。

 一日中誰かのことを考えて、あの人は今、何をしているんだろう。何を食べているんだろう。こういうものが好きなのかと想像したり、触れ合って身悶えたり、ああ、好きだなってしみじみ想うことを教えてくれたのは福島さんだ。あんなに愛しいと思ったことはない。もしかしたら俺は今まで本当の恋をしたことがなくて、福島さんが真の初恋だったかもしれない。そのくらい好きだった。
 福島さんは俺にとって救世主、理想の父親、気の合う友人、恋人。
 好きだと言われてあんなに幸せに感じたことがあっただろうか。
 そして今後、福島さん以外の人とそういう幸せを感じることができるのだろうか。
 麻耶と、そういう関係になれるんだろうか。
 
 麻耶の家を出て、外灯のない道なのにほんのり明るいことに気付く。空を見あげて明るさの正体に気付いた。大きな満月だった。

「福島さんも、見てるかなァ」

 そんなことを考えても仕方がないのに。

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