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番外編2

「留衣―、カラオケ行かないの?」

 大学の帰りにクラスメイトに遊びに行かないかと誘われた。仲の良いグループで行くならまだしも、コンパみたいな誰が来るか分からないような集まりは苦手だ。俺は用事があるからとすぐに断った。
 断ったところで時間を持て余した。バイトもないし、今のところ急ぎの課題もない。遊びに行くのも面倒だけど、まっすぐ家に帰る気にもなれない。どうせやることなんて食べるか寝るか、絵を描くしかないのだ。宛てもなく駅前広場をうろついた。
 清々しい秋晴れの午後。空のずっと高いところで鱗雲が浮かんでいる。昔はよく空を見上げては何もない空想キャンバスに指で絵を描いたものだ。目には見えなくても頭の中にはちゃんと描かれている。実際に形にしたくなったらすぐさま紙とペンを持った。
 今は指を動かそうとも思わない。
 真っ青な空に浮かぶものが何もない。描きたくないけど、描かなきゃいけないのが辛い。

 ふ、と空から視線を落としたら、コーヒーショップのテラス席が視界に飛び込んできた。サラリーマンがいる。少しだけ口角をあげてコーヒーを飲んでいる姿は、ありふれているようでどこか惹かれるものがあった。

 歳は……三十代かな。いかにも模範的な社会人、といったまとまった髪、眼鏡。コーヒーを飲む以外に何かするわけでもなく、遠くをボーッと眺めていたり、俯いてみたり。パリッと着こなしたスーツ姿は隙がなさそうなのに、隙だらけ。きっと一生懸命仕事をして、その帰りか休憩かにひとりきりのコーヒータイムを楽しんでいるのだろう。一瞬見かけただけの、どこにでもいそうな普通のサラリーマンなのに、そんな想像までしてしまう。哀愁があってどことなく品があって、優しそうな人。
 それが、俺が初めて福島さんを見た時の印象だった。

 福島さんはいつも駅前のコーヒーショップにいた。時間は大体、夕方の四時から五時のあいだ。店内で飲むこともあるようだけど、天気が良い日はテラス席を選ぶようだった。たまたま視界に入っただけのサラリーマンがどうしてこんなに気になるのか分からない。たぶん、よく見かけるからだろう。有名人でもなんでもないひとりの人間を、「ああいう人にも悩みや喜びがあって、きっとあの人の今の楽しみはコーヒーなんだろう」と、そんな些細な想像をするのが楽しかった。いつかこっちの存在にも気付かないかな、と俺は毎日のように駅前広間に足を運ぶようになった。ついでに路上で絵でも描いていれば暇つぶしになって、練習にもなって、気分転換にもなる。
あとになって、福島さんには「誰かひとりにでも俺の絵が届いてくれたら」と言ったけど、本当は福島さんただひとりに気付いて欲しかっただけかもしれない。

 ――あの、絵を……描いていただけるんでしょうか――
 
 実際に声を掛けられた時は驚いた。まさか本当に気付いてもらえると思わなかったのだ。本当ならちゃんと帽子を取って顔を見せるのが礼儀なのだろうけど、動揺と恥ずかしさのあまり帽子を取ることができなかった。影から見える福島さんは、スタイルが良くて、遠くから見るよりずっと優しそうで素敵な人だった。

「僕じゃなくて、写真でお願いしたいのだけど」

「かまいませんよ、写真はありますか?」

 写真の中の家族は金閣寺の前で幸せそうに笑っている。仲が良さそうで羨ましいと思った。なにより、こんな見ず知らずの他人に写真を預けるなんて無防備な人だ。よっぽど人が好いんだろう。

「……いい写真ですね」

「実はまだ仕事中で、これから職場に戻らないといけないんですけど、あとでまた来てもいいですか」

「では明日、来られますか? いつも大体四時から六時くらいまでここで絵を描いてるんです。明日には仕上がってます」

「分かりました、明日の四時から六時のあいだで来ます。よろしくお願いします」

 今までも何度か「描いてください」と言われることはあったけど、大抵は冷やかしが多かった。「時間があるから」とか「タダなら描いて」とか。それでも興味を持ってもらえるならと思って引き受けた。真っ向から「お願いします」と言ってきたのは福島さんだけだ。だからいつもより気合いを入れて描いた。久しぶりに絵を描くことに熱中できたし、描き終わった時には「楽しかった」と思えた。福島さんが声を掛けてくれなければ、取り戻せなかったであろう達成感だ。しかも約束の時間にちゃんと来てくれて、俺の描いた絵を喜んでくれた。心から「ありがとう」と言ってくれる。

「僕ね、仕事で外回りに出る時はいつも駅前を通るから、少し前からきみがここで絵を描いているのを知ってたんです。だけど、今度隣町の支店に変わるんで、ここにはもう来られなくなるんです。いつか描いていただけたらなと思っていたから、それが叶って本当に嬉しい」

 そんな言葉に感動して、溢れそうになる涙を我慢した。

「きみ、いくつなの?」

「十九です」

「大学生か。あ、もしかしてS美大?」

「まあ……はい、そうです」

「どうりで。個性的な子だなと思ってたんだ」

「そんなこと初めて言われました……」

「……それじゃあ、お仕事頑張って下さい。ありがとうございました」

「あ、ありがとう! 本当に! 大事にする!」

 福島さんはそれからもメールをくれたり、美術館に会いに来てくれたりもした。SNSには必ず反応をくれるし、「素敵ですね」とか「頑張って下さい」とか、俺が欲しかった言葉ばかりをくれる。自分よりずっと年下のガキみたいな男にも、福島さんは決して偉そうにしたり説教じみたことを言ったりしない。与えてくれるのはいつだって優しさと安心感だった。

 ――嬉しい!
   こんな俺にも応援してくれる人がいるんだ!
   俺の絵を好きだって言ってくれる人がいる
   この人が喜んでくれるなら、まだ絵を描ける
   この人のために描きたい!

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