カルマの旋律6-4
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トップの成績で入試に合格した神崎は、入学式で新入生代表として堂々と檀上に上がっていた。長い手足とまっすぐ伸びた背筋。切れ長の頼もしい眼は確固たる自信に満ち溢れていた。誰もが振り返り、誰もが見上げるような、そんな独特なオーラを放っていたため、神崎は入学してすぐから注目の的だった。
女子を中心に神崎に近付きたがる人間は多かったが、神崎は見た目を裏切らず素っ気ない態度で周囲を遠ざけた。望みがないと悟るとあっさり退く人間は多かったが、周りに決して流されない揺るぎなさに憧れる奇特な人間もいた。秀一もそのひとりだった。
裕福でない家に、とても他人に紹介できないアル中の父親、自分もそれほど際立った長所がない。持ち前の明るさと口達者なところだけが長所らしい長所だった。そんな自分とは正反対に、育ちが良さそうな立ち振る舞いや知性がにじみ出る言動、スポーツをやらせても卒なくこなす、まさに非のうちどころがない神崎は秀一にとって憧れる存在だったのだ。いつも何を考えているのだろう。何に興味があるのだろう。どんな人間を好きになるのだろう。秀一は校内で神崎を見かける度に、そんなことを考えた。
高校三年の頃である。神崎と同じクラスになった。出席番号が近かったので席も近かったが、特に会話をする機会もなく、淡々と月日が流れた。神崎は相変わらずクールで、いつも自分の席で読書をしているだけ。何度か「なに読んでるんだ?」と訊ねたことはあるが、集中するあまり聞こえていないのか返事はなかった。
神崎はクラスメイトの顔と名前は一致しているのだろうか。自分が、佐久間秀一という男がクラスメイトで斜め隣りの席にいることを認識しているのだろうか。そんな純粋な疑問は次第に気を引きたいという願望に変わった。名前が目に入ればと勉強に力を入れて上位の成績に食い込んでみたり、体育の授業では派手なパフォーマンスで盛り上げてみたり、神崎が一度でもこちらを振り向かないかと悪ふざけもよくした。それでも神崎はただの一度も秀一には目を向けなかった。
ハルカが音楽室でピアノを弾くことを知ったのもその頃だ。大学受験を控えた冬、教室に居残って勉強していた秀一が職員室に鍵を返しにいった時にハルカとすれ違った。ハルカは神崎とはまた違った雰囲気で、人気もあったので存在は知っていた。
「先生、音楽室の鍵を返しに来ました」
「ご苦労さん。ここは音楽科がないから音大目指すには不利じゃないか?」
「ちゃんと専門の先生に習ってるし、ピアノはここでも弾けますから」
――ピアノ弾くんだ。
ただそれだけだった。道端を歩いていて「あ、猫だ」と思うのと同じレベルの感想だ。それから度々職員室でハルカを見かけることがあったが、わざわざ音楽室に行ってみたいとは思わなかった。
ある放課後、いつもならホームルームが終わると同時に姿を消す神崎が、珍しく教室で本を読んでいた。けれども、一時間もしないうちに神崎はどこかそわそわした様子で席を立った。鞄はまだ机の横に提げたままだ。なんの勘か、秀一はこっそり神崎のあとをつけた。行き先はやはり音楽室だった。物悲しくて綺麗な旋律が聴こえてくる。そして秀一はその音色より衝撃的なものを見た。ガラス越しにピアノを弾いているハルカを、愛しげに見つめている神崎だった。彼の眼にはハルカしか映っておらず、ハルカのピアノの音色しか聞こえていない。神崎はハルカが好きなのだと知ると、秀一はすぐにその場を去った。ショックに近かったことに自分でも驚く。ただの憧れじゃなかった。憧れの先にある恋だったのだと気付いた。
戸惑いを紛らわせようと、受験を控えているにも関わらず秀一はいろんな女の子と付き合うようになった。同級生、後輩。秀一の女癖の悪さはたちまち噂になった。教師から注意を受けることもあったが、成績を落としはしなかったので大目に見られていた部分もあり、それが余計に周囲の反感を買った。
移動教室で友人と談笑しながら廊下を歩いている時、神崎とすれ違った。相変わらず澄ました様子で、模範的な姿勢で凛としている。
――こんな無関心な顔して栄田を好きなのか……。
一度でいいから目を向けて欲しかった。そんな願望が態度に現れてか、神崎との距離が近くなった時にわざと声を大きくした。そして耳元で溜息混じりに言われたのである。
「……低俗」
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トップの成績で入試に合格した神崎は、入学式で新入生代表として堂々と檀上に上がっていた。長い手足とまっすぐ伸びた背筋。切れ長の頼もしい眼は確固たる自信に満ち溢れていた。誰もが振り返り、誰もが見上げるような、そんな独特なオーラを放っていたため、神崎は入学してすぐから注目の的だった。
女子を中心に神崎に近付きたがる人間は多かったが、神崎は見た目を裏切らず素っ気ない態度で周囲を遠ざけた。望みがないと悟るとあっさり退く人間は多かったが、周りに決して流されない揺るぎなさに憧れる奇特な人間もいた。秀一もそのひとりだった。
裕福でない家に、とても他人に紹介できないアル中の父親、自分もそれほど際立った長所がない。持ち前の明るさと口達者なところだけが長所らしい長所だった。そんな自分とは正反対に、育ちが良さそうな立ち振る舞いや知性がにじみ出る言動、スポーツをやらせても卒なくこなす、まさに非のうちどころがない神崎は秀一にとって憧れる存在だったのだ。いつも何を考えているのだろう。何に興味があるのだろう。どんな人間を好きになるのだろう。秀一は校内で神崎を見かける度に、そんなことを考えた。
高校三年の頃である。神崎と同じクラスになった。出席番号が近かったので席も近かったが、特に会話をする機会もなく、淡々と月日が流れた。神崎は相変わらずクールで、いつも自分の席で読書をしているだけ。何度か「なに読んでるんだ?」と訊ねたことはあるが、集中するあまり聞こえていないのか返事はなかった。
神崎はクラスメイトの顔と名前は一致しているのだろうか。自分が、佐久間秀一という男がクラスメイトで斜め隣りの席にいることを認識しているのだろうか。そんな純粋な疑問は次第に気を引きたいという願望に変わった。名前が目に入ればと勉強に力を入れて上位の成績に食い込んでみたり、体育の授業では派手なパフォーマンスで盛り上げてみたり、神崎が一度でもこちらを振り向かないかと悪ふざけもよくした。それでも神崎はただの一度も秀一には目を向けなかった。
ハルカが音楽室でピアノを弾くことを知ったのもその頃だ。大学受験を控えた冬、教室に居残って勉強していた秀一が職員室に鍵を返しにいった時にハルカとすれ違った。ハルカは神崎とはまた違った雰囲気で、人気もあったので存在は知っていた。
「先生、音楽室の鍵を返しに来ました」
「ご苦労さん。ここは音楽科がないから音大目指すには不利じゃないか?」
「ちゃんと専門の先生に習ってるし、ピアノはここでも弾けますから」
――ピアノ弾くんだ。
ただそれだけだった。道端を歩いていて「あ、猫だ」と思うのと同じレベルの感想だ。それから度々職員室でハルカを見かけることがあったが、わざわざ音楽室に行ってみたいとは思わなかった。
ある放課後、いつもならホームルームが終わると同時に姿を消す神崎が、珍しく教室で本を読んでいた。けれども、一時間もしないうちに神崎はどこかそわそわした様子で席を立った。鞄はまだ机の横に提げたままだ。なんの勘か、秀一はこっそり神崎のあとをつけた。行き先はやはり音楽室だった。物悲しくて綺麗な旋律が聴こえてくる。そして秀一はその音色より衝撃的なものを見た。ガラス越しにピアノを弾いているハルカを、愛しげに見つめている神崎だった。彼の眼にはハルカしか映っておらず、ハルカのピアノの音色しか聞こえていない。神崎はハルカが好きなのだと知ると、秀一はすぐにその場を去った。ショックに近かったことに自分でも驚く。ただの憧れじゃなかった。憧れの先にある恋だったのだと気付いた。
戸惑いを紛らわせようと、受験を控えているにも関わらず秀一はいろんな女の子と付き合うようになった。同級生、後輩。秀一の女癖の悪さはたちまち噂になった。教師から注意を受けることもあったが、成績を落としはしなかったので大目に見られていた部分もあり、それが余計に周囲の反感を買った。
移動教室で友人と談笑しながら廊下を歩いている時、神崎とすれ違った。相変わらず澄ました様子で、模範的な姿勢で凛としている。
――こんな無関心な顔して栄田を好きなのか……。
一度でいいから目を向けて欲しかった。そんな願望が態度に現れてか、神崎との距離が近くなった時にわざと声を大きくした。そして耳元で溜息混じりに言われたのである。
「……低俗」
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