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剛 2

 俺は昔からよく「空気が読めない奴」と言われたものだ。地声がでかいので無声音で喋るとか、内緒話とかが苦手だった。そもそも内緒話しなきゃいけないような話を最初からするなと言ったら、「そういうとこや」と呆れられた。

 そういえば中学の時、同じクラスに寒川(さんがわ)という規模の大きなレタス農家の女の子がいて、寒川の友達に「農家同士でくっついたらええんちゃう」と冷やかされたことがあった。まったくもって意味不明だったので「レタスうちでも作りよるし、そんないらんわ」と言ったら、隣で話を聞いていた寒川が泣き出してしまった。のちに寒川の友達に、

「あの子はあんたが好きやねん! ほんま気ィ利かんな、トーヘンボク!」

 と、罵られた。俺は当時、別に寒川のことを好きなわけでも仲が良いわけでもなかったので、罵られても尚且つ、

「そんなん知らんがな」 

 と、一蹴したら、それから女子たちから目の敵にされてしまった。
 だけど、俺にとってはそんなことどうでもいいんだ。思ったことをすぐ口にするだけ、嘘を付けないだけ。確かに協調性に欠ける部分はあるかもしれないが、そんなに責められることなのだろうか、と俺は思う。

 ***

 六月中旬の田植えに向けて、ある日曜の朝から代掻きをするからと田んぼに駆り出された。田んぼに水を入れて土と水をかき混ぜて、田植えがしやすいように粘土質の土にするのだ。うちの田んぼは全部で九反あり、ヒノヒカリを五反、ハエヌキを四反で作っている。米は収穫が終わったら出荷するので決して手を抜いてはいけない。代掻きも田植えもほとんどがじいちゃんと親父が機械で行うのだが、今年からはヒノヒカリ一反を俺に任されることになった。小さい頃から田んぼ仕事を手伝ってきて、将来農家を継ぐことは確実なのだ。俺が農作業を好んでしていることもあり、じいちゃんと親父が元気なうちに米作りのノウハウを伝授しようという考えらしい。

 とはいえ、俺はまだ車の免許を持っていない。親父とじいちゃんがトラクターで作業をしている傍らで、俺は田起こしも代掻きも耕運機で地道に行う。九反すべてを耕運機でやるとなれば気が遠くなる作業だが、一反だけならなんとかなる。何より、清々しい青空の下でやる代掻きは最高に気持ちいい。土の中や水面を泳ぐ小さな虫を求めてやってくるたくさんの鳥たち。わざわざバードウォッチングなんか行かなくても、間近で野性の鳥を見ることができる。慌ただしく横切ったセキレイを目で追ったところ、その先にまひるを見つけた。ふわふわ揺れる茶髪がひときわ映える。

「まひるー!」

 叫ぶとまひるは振り返ったが、暫くこちらを見たあと、返事をせずに再び歩き出した。
 まひるは再会してからつれない。小学生の頃にいじめられていたことと、まひるを迎えに行くと言いながら現れなかった俺への憤りが、この地をまひるにとって嫌なものにさせたらしかった。
 俺は耕運機を傍らに寄せて、ざぶざぶと田んぼの中を駆け出した。追い掛けて背後から腕を掴もうとしたら、

「泥がつくだろ!」

 と、拒まれた。改めて軍手をした自分の手を見ると、確かに真っ黒だった。

「どこ行くん?」

「コンビニ」

 コンビニに行くだけなら、ハーフパンツにTシャツとサンダルで充分だろうに、まひるはボーダーのTシャツにわざわざ半袖のニットカーディガンを羽織っていて、黒のスキニーパンツがまひるの美脚を強調していた。

「たかがコンビニにシャレオツやなぁ」

「死語を平気で使うな」

「俺、今、代掻きしょんやけど」

「見れば分かる」

「昔、代掻きの時期になったら田んぼで一緒に泥遊びしたよなぁ。覚えとらん?」

「……覚えてない」

「一緒にせん? 泥遊び」

「今から!? 冗談じゃない。そんなかっこ悪いことしたくない」

「楽しいって」

「俺に構うなっ」

 背を向けたまひるに、田んぼの泥を掴んで投げつけた。案の定まひるは激怒したが、俺はヘラヘラしながらまひるの腕を引いて、無理やり田んぼの中に引き摺り込んだ。すぐに泥だらけになり、最悪とか最低とか言われたが、それでも構わず泥を投げつけると、そのうち開き直ったらしく、まひるはカーディガンを脱いで泥を掴んだ。そのまま泥の投げ合いになり、何が可笑しいのかゲラゲラ笑って、通りかかった犬の散歩をしている近所のおばちゃんに「あらあら」と呆れられた。子どもの頃に戻ったみたいに全身真っ黒になって、最後は駆け寄って来たまひるに押し倒されて直接顔面に泥を塗られた。「ざまあみろ」と笑ったまひるは、太陽の光よりも眩しい笑顔だった。
 息を切らせながら道端に寝転んで、空を仰ぐ。ずっと高いところでトンビが鳴きながら羽ばたいた。

「どうしてくれるんだよ、これじゃコンビニにも行けない」

「俺がちゃんとクリーニング出しとく。着替え貸すけん」

「……代掻きしなくていいの」

「あとはレーキで平らに慣らすだけや」

「ふーん」

「……すまんかったな」

「謝るくらいなら最初からするなよ」

「そやなくて、小学校んとき。会いに行けんで」

「……」

 俺は素直に、変な言い訳をすることなく謝った。
まひるは引っ越す前は明るくてみんなの人気者だったから、新しい学校でも上手くやっているだろうと決め付けていたこと。
 俺も連絡をしなかったけど、まひるからも連絡はなかったので、きっと楽しくやってるんだと思っていたこと。
 だけど、まひるを忘れたことは一度もなかったということ。
 まひるがいなくなって、寂しさを紛らわすために、田んぼや畑仕事に熱中した。

「そんなに田んぼするの好きなの?」

「好きやな。昔から好きやったけど、米作りのこと教えてもらうようになってから、なんかこう……食物連鎖に興味持ってん」

「食物連鎖!?」

「土の中の目に見えん微生物とか、ミミズとか、それを食べる鳥とか、田んぼに水張ったらアメンボやカブトエビがいっぱい出てくる。カメムシは稲を駄目にするけど、蜘蛛はそんな害虫を食べてくれる。田んぼの中でも弱肉強食なんや。それを間近で見られることに感動したん」

 それをまひると一緒に見たかったな、いつか一緒に米作りたいな、とか、そんなことを考えなら、俺は田んぼの世界に魅了された。我ながら変な子どもだった。

「電話してくれたら良かったのに」

「いじめられてる、なんて、かっこ悪くて言えるわけないだろ。母さんにだって言ってないんだ。……もう昔のことだからいい。だけど、やっぱりここは好きじゃない。嫌なこと思い出すから。でも、東京は楽しかったんだ」

「東京の友達と連絡とか取るん?」

「うん。早く東京戻って来いって言われるし、俺もそのつもりだ」

「また東京行ったら、戻ってこんの?」

「戻りたくない」

「地元、残ろうや。俺もずっとおるで」

「昔のこともだけど、そもそもこんなド田舎で何しろっていうんだよ。消滅可能性都市に指定されてるような街にいたって、仕事は減るわ人口減るわで絶望的じゃないか」

「俺と一緒に田んぼしよ」

「絶対嫌だ。ダサ」

「ダサない!!」

 がばっと飛び起きて、叫んでしまった。大声に驚いたのか、まひるは目を見開いた。そして泥がたくさんついた顔をちょっとずつ赤くして、目をうるうるさせる。しまった、と思った直後、まひるはまた感情を高ぶらせた。

「なんやお前、田んぼ田んぼって! 田んぼに夢中になって会いに来れんかったってどないやねん! 俺は田んぼ以下か! 俺と田んぼどっちが大事なんや!」

 ――どっち……!? まひると田んぼと……!? そんなん、

「どっちもや」

 まひるは怒りと落胆の入り混じった表情で歯を食いしばり、「もうええ!」と吐き残して走り去った。

 ――俺はなんか、間違えたんやろか?

 ***

 その夜、部屋で勉強していたら親父とお袋が喧嘩をする声が聞こえたので、心配というより煩わしいなと思いながら居間に向かった。

「あんた先週もゴルフ行ったんちゃうん!」

「ええやん、先週は仕事仲間と、来週は大学んときの友達とや」

「ろくなスコア取れんくせに!」

「関係ないやろが! 趣味や、趣味! パチンコよりマシや!」

「あたしゃ週末いっつもほったらかしにされとんで!」

「しゃあないやん! 平日仕事で休日田んぼしょんやけん!」

 親父の生活リズムは俺と同じで、朝起きたら畑に水をやったり、雑草を抜いたり、日中は会社で勤め、帰って来たらまた農作業をする。休日もじいちゃんと農作業だ。お袋は平日はパート勤めだが、農作業はやらない。「そういう条件で」嫁いだのだとしきりに言っている。「そういう条件」ってなんだろうと思うけど、興味もないので聞かない。

 俺からすれば親父はそれだけ必死になって働いているのだ。たまのゴルフくらい行かせてやれよ、とも思うが、お袋からすれば、休日は夫婦でどこかに遊びに行ったり出掛けたりしたいらしい。

 ――考えようによっちゃ仲のええ夫婦やな。

「一に仕事、ニに田んぼ、三、四も田んぼで五は野菜や。お父さんはわたしより田んぼが好きなんやな」

「なに、わけのわからんこと言うとんねん」

 ――俺と田んぼどっちが大事なんや! ――

 親父とお袋の諍いが多少治まった頃、まだむくれているお袋に訊ねてみた。

「おかんはなんで親父と結婚したん」

「お父さんが結婚してくれな死ぬ言うけん仕方なしや」

「………おかんは田んぼせんの?」

「なんでせないかんの。わたしはもともと農家に嫁ぐつもりなかったんや。米なんか大変なわりに儲からへんし。お父さんがどうしても言うけん、ほんならわたしは農作業しませんよっちゅー条件で結婚したんや」

 条件ってそういうことか。

「お父さんはな? ええ人やで? でもな、ちょっと素直すぎるんや。最初はお義母さん……ばあちゃんが嫁にも農作業させないかん言うたらしくてな。お父さんはそれをわたしに『お母さんがこな言うとるけん、してくれんか』って言いに来たんや。わたしは『農作業せないかんのやったら結婚できません』言うたらな、ウチは代々米農家やから絶対せんでええとは言い切れんとかなんとか。わしは幸子さんも大事やけど、田んぼもお母さんも大事やとかなんとか。いや、分かるで? でもな、そこは『僕は幸子さんが一番大切ですから、安心してください』て嘘でも言わないかんとこや」 

 ――なるほど!!

「ほんで、そのあとどうなったん?」

「わたしが『縁談がひとつ入っとるんです』言うたら、お父さんが慌てて『見合いせんといてくれ~幸子さんしかおらんのや~』て泣くけん、結婚してあげたんや」

「親父に田んぼもおかんも大事やけん、一緒に田んぼしよ、って言われたらどう?」

「だけん、嫌やっちゅーのに」

 ―—もしかして俺は『田んぼよりまひるが大事や』って言わないかんかったんか……!?

「なんなん、さっきから変なこと聞いて」

「参考になりました……」

 フラフラと自室へ戻る中、今まで「空気が読めない」と言われてきたのは、こういうところなのかもしれないと、ようやく自覚した。その後すぐに両親は再び口論を繰り広げていたが、俺の耳には届かなかった。

「幸子ォ! さっきから黙って聞いとりゃ嘘ばっか言うな!」

「あんたが気ィ利かんのは事実や!」


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