カルマの旋律6-3
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根拠のない希望が絶たれた気がして、八方塞がりになった秀一はとうとう友人である川村に打ち明けることにした。川村とは以前、アパートに訪ねてきてくれたのをインターホン越しに追い返してから連絡をしていない。今更会ってくれないかもしれないと不安もあったが、川村はひと言も責めずに秀一の誘いに応じてくれた。
川村の仕事が終わった午後八時頃に、個室のある居酒屋で待ち合わせた。約束の時間よりニ十分ほど遅れて到着した川村を、秀一はいつも通りのマフラーとキャップで迎えた。
「秀、久しぶりー……、どしたの、店の中でまでマフラーして。寒い?」
「いや、……あとで話す」
いつになく暗い秀一を川村は訝しんだが、すぐに事情を聞きだそうとはしなかった。秀一の様子を気に掛けながらもまずは近況報告から入り、仕事の愚痴と少しの自慢話、そして惚気話に繋がる。川村は来年の春に結婚すると言った。秀一は口では「おめでとう、良かったな」とお決まりの言葉を述べながら、心の中では羨ましくて仕方がなかった。昔は川村のように良くも悪くもない地銀に勤めて、一途に腐れ縁の彼女と付き合うような平凡な人生なんてつまらない、と鼻で笑ったものだ。けれども今ではそんな平凡が眩しい。
ひと通り話し終えた川村が「ところで術後はどう?」と切り返して来た。秀一は無言でキャップとマフラーを取る。ほろ酔いの川村の顔が固まるのが分かった。
「え……誰……」
本気で言っているようだった。想像していた秀一の顔とまったく違う顔を見せられて、軽くパニックらしい。
「この顔、見覚えがない?」
「……俺の記憶が正しければ、さ、栄田……」
そしてことの経緯を話し始めた。同窓会でハルカと再会して、それから付き合うようになったこと。自分はハルカとは遊びのつもりだったこと。神崎との再会も諍いも、ハルカが死んだのは自分のせいかもしれないということ。
「まさか自殺するなんて思ってなかった。遺書もないし、証拠もないけど、タイミング的にはハルカの自殺は俺が原因だ。現場にいたのは神崎だった。あいつはハルカを好きだったんだ。だからたいした気持ちもないままハルカと付き合って自殺させた俺を恨んでる」
「それで運悪くバイク事故に遭ったのを機に、復讐されたってこと?」
秀一は頷いた。
「……こんな顔だから、外に出られなくて仕事も辞めるはめになった。マフラーと帽子がないと外出できない。……神崎は俺がそうなるのを分かっててこんな顔にした」
「え……と、今は、どうしてんの? 仕事、探してるとか」
「……神崎の家で、いいように使われてる」
川村は絶句して、暫らく沈黙が流れた。店員がビールを持って来たタイミングで秀一は再びマフラーを巻いた。川村の答えは想像もしないものだった。
「まず、ごめん。実はお前と栄田が付き合ってたのは知ってた」
秀一は目を大きく開いて驚いた。
「栄田ってホテルとか病院のイベントとかで時々ピアノ弾いてるって言ってただろ。俺のじいさんが今、癌で入院してるんだけど、お見舞いに行った時にちょうど病棟でイベントやってて。栄田がピアノ弾きに来てて、声掛けたんだ。偶然だなって。それから少し話してたら栄田のスマホに電話が掛かって来た。『誰? 彼女?』って冷やかしたら、『そんなところ』って返ってきた。栄田はその彼女が近くまで来るからって先に帰ったんだけど、遅れて病院出たら、栄田と秀が一緒に歩いていくの見た」
秀一はそんなことがあっただろうか、と考えた。第三者ですら覚えていることを当事者の秀一は覚えていない。本当にハルカとはたいした付き合いじゃなかったのだなと再確認した瞬間だった。
「そりゃ、『ん!?』って思ったよ。まさかなって。秀は無類の女好きだし」
「……無類って」
「でも変ではないかなとは思った。今時珍しい話でもないし。でも秀から栄田とのことは聞かされなかったから触れないほうがいいのかと思って知らない振りしてた」
「そう、か」
「……悪い、正直な話、男同士で付き合うのはなんとも思わないよ。でも秀が好きでもないのに栄田に手を出したっていうのが事実なら、それで栄田が自殺したのが本当なら、……顔の件は自業自得かなって気もする」
そうだよな、と秀一は受け止めた。けれども、納得と同じくらいショックでもあった。友人なら無償で親身になってくれると期待していたから、正当な意見を言われて完全にひとりきりになったようだった。秀一はマフラーに顔を埋めて耐えていた。何か声を出そうとすれば泣いてしまうかもしれない。年甲斐もなく涙は落としたくない。
「だからって神崎のやったことは許されないとも思うけど」
「……」
「辛いな」
――辛い。辛いけど、辛いと言ったら本物の卑怯者になりそうで頷けない。しかし川村が言った「辛い」の意味は、不自由な生活のことでも顔のことでもなかった。
「よりによって神崎にねぇ……。これもある意味めぐり合わせなのかな。だって秀一さ、」
高校の頃、神崎のこと好きだったよな?
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根拠のない希望が絶たれた気がして、八方塞がりになった秀一はとうとう友人である川村に打ち明けることにした。川村とは以前、アパートに訪ねてきてくれたのをインターホン越しに追い返してから連絡をしていない。今更会ってくれないかもしれないと不安もあったが、川村はひと言も責めずに秀一の誘いに応じてくれた。
川村の仕事が終わった午後八時頃に、個室のある居酒屋で待ち合わせた。約束の時間よりニ十分ほど遅れて到着した川村を、秀一はいつも通りのマフラーとキャップで迎えた。
「秀、久しぶりー……、どしたの、店の中でまでマフラーして。寒い?」
「いや、……あとで話す」
いつになく暗い秀一を川村は訝しんだが、すぐに事情を聞きだそうとはしなかった。秀一の様子を気に掛けながらもまずは近況報告から入り、仕事の愚痴と少しの自慢話、そして惚気話に繋がる。川村は来年の春に結婚すると言った。秀一は口では「おめでとう、良かったな」とお決まりの言葉を述べながら、心の中では羨ましくて仕方がなかった。昔は川村のように良くも悪くもない地銀に勤めて、一途に腐れ縁の彼女と付き合うような平凡な人生なんてつまらない、と鼻で笑ったものだ。けれども今ではそんな平凡が眩しい。
ひと通り話し終えた川村が「ところで術後はどう?」と切り返して来た。秀一は無言でキャップとマフラーを取る。ほろ酔いの川村の顔が固まるのが分かった。
「え……誰……」
本気で言っているようだった。想像していた秀一の顔とまったく違う顔を見せられて、軽くパニックらしい。
「この顔、見覚えがない?」
「……俺の記憶が正しければ、さ、栄田……」
そしてことの経緯を話し始めた。同窓会でハルカと再会して、それから付き合うようになったこと。自分はハルカとは遊びのつもりだったこと。神崎との再会も諍いも、ハルカが死んだのは自分のせいかもしれないということ。
「まさか自殺するなんて思ってなかった。遺書もないし、証拠もないけど、タイミング的にはハルカの自殺は俺が原因だ。現場にいたのは神崎だった。あいつはハルカを好きだったんだ。だからたいした気持ちもないままハルカと付き合って自殺させた俺を恨んでる」
「それで運悪くバイク事故に遭ったのを機に、復讐されたってこと?」
秀一は頷いた。
「……こんな顔だから、外に出られなくて仕事も辞めるはめになった。マフラーと帽子がないと外出できない。……神崎は俺がそうなるのを分かっててこんな顔にした」
「え……と、今は、どうしてんの? 仕事、探してるとか」
「……神崎の家で、いいように使われてる」
川村は絶句して、暫らく沈黙が流れた。店員がビールを持って来たタイミングで秀一は再びマフラーを巻いた。川村の答えは想像もしないものだった。
「まず、ごめん。実はお前と栄田が付き合ってたのは知ってた」
秀一は目を大きく開いて驚いた。
「栄田ってホテルとか病院のイベントとかで時々ピアノ弾いてるって言ってただろ。俺のじいさんが今、癌で入院してるんだけど、お見舞いに行った時にちょうど病棟でイベントやってて。栄田がピアノ弾きに来てて、声掛けたんだ。偶然だなって。それから少し話してたら栄田のスマホに電話が掛かって来た。『誰? 彼女?』って冷やかしたら、『そんなところ』って返ってきた。栄田はその彼女が近くまで来るからって先に帰ったんだけど、遅れて病院出たら、栄田と秀が一緒に歩いていくの見た」
秀一はそんなことがあっただろうか、と考えた。第三者ですら覚えていることを当事者の秀一は覚えていない。本当にハルカとはたいした付き合いじゃなかったのだなと再確認した瞬間だった。
「そりゃ、『ん!?』って思ったよ。まさかなって。秀は無類の女好きだし」
「……無類って」
「でも変ではないかなとは思った。今時珍しい話でもないし。でも秀から栄田とのことは聞かされなかったから触れないほうがいいのかと思って知らない振りしてた」
「そう、か」
「……悪い、正直な話、男同士で付き合うのはなんとも思わないよ。でも秀が好きでもないのに栄田に手を出したっていうのが事実なら、それで栄田が自殺したのが本当なら、……顔の件は自業自得かなって気もする」
そうだよな、と秀一は受け止めた。けれども、納得と同じくらいショックでもあった。友人なら無償で親身になってくれると期待していたから、正当な意見を言われて完全にひとりきりになったようだった。秀一はマフラーに顔を埋めて耐えていた。何か声を出そうとすれば泣いてしまうかもしれない。年甲斐もなく涙は落としたくない。
「だからって神崎のやったことは許されないとも思うけど」
「……」
「辛いな」
――辛い。辛いけど、辛いと言ったら本物の卑怯者になりそうで頷けない。しかし川村が言った「辛い」の意味は、不自由な生活のことでも顔のことでもなかった。
「よりによって神崎にねぇ……。これもある意味めぐり合わせなのかな。だって秀一さ、」
高校の頃、神崎のこと好きだったよな?
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