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カルマの旋律6-1

 相変わらず秀一は外に出られない日々を過ごした。朝はゆっくり寝たいと思っても神崎に叩き起こされて朝食を作り、神崎が仕事に出ているあいだに掃除や洗濯を済ませておく。買い物には滅多に出ない。いつも食材や日用品など必要なものは神崎が買っている。それも自ら買い出しに行くのではなく、ネットでひと通り注文しているようだった。旬の野菜、果物、肉、魚、そして赤ワインはほぼ必ず入っていた。どれも質の良さそうなものばかりで、些細な買い物ですら経済力を見せつけられた。

 悪巧みをしたくなって、何か弱味を握れるものはないかと部屋中の引き出しやクローゼットを漁ったことがある。けれども頭が痛くなりそうな専門書や論文ばかりでたいした情報は得られず、面白くなかった。
 別に外に出るなと言われているわけではない。口止めされているわけでもない。ただ自分ではない自分の姿を、例え見知らぬ他人でも見られたくなかった。以前住んでいたアパートも引き払い、自分から誰かに連絡を取ることもやめた。どこで何をしているかも知られず、外との関わりもなく、窓から天気の移り変わりを眺めるだけ。死んだも同然だった。

 ―――

 休日の朝、神崎に味付けをしていない目玉焼きを出したら、塩を持ってこいと言われた。わざと七味唐辛子を持ってきてふんだんに掛けたら、案の定神崎はそれを秀一に投げつけた。いつものやりとりなので神崎も怒りはしないが、何度も子どもじみた嫌がらせをするのにはひたすら呆れていた。

「毎度毎度、余計な手間が掛かるのはお前なのによく飽きないな。ある意味感心するよ」

 立ち上がった神崎は秀一の頭を掴んで、床に落ちている目玉焼きに頬を押し付けた。

「ほら、お前が食ってみろ。早くそれを綺麗にしてまともな食事を作り直せ」

 反撃するだけの力もなく、結局秀一は汚れるだけ汚れて、同じことを繰り返すのだった。

「いつまで、その汚い服を着てるんだ」

 神崎が投げた目玉焼きが当たって、黄身で汚れたベージュのパンツ。多少擦っただけでは落ちないほど乾いている。汚れは目立つが着替える気にもならなかった。どうせ誰にも会わないのだからどんな格好をしていても一緒だ。それに、

「着替えがねーんだよ」

 これが一番の理由だ。体重が落ちてから以前着ていた服のサイズが合わなくなった。ベルトをしてもぶかぶかだし、カットソーやセーターですらゆとりがあって不格好になる。着るものがないと不便だと分かっていながら、以前のような生活はできないと思うと悔しくて、腹いせにほとんどの服を捨ててしまったのだ。

「自分で買いに行けばいいだろう」

「外に出るのが嫌なんだよ。何度も言わせんな」

 はあ、と息をついた神崎は、いったん自室に入ったかと思うとコートを羽織って戻って来た。片腕には秀一のダウンジャケットを抱えている。それを乱雑に渡された。

「着ろ」

「だから出たくないんだっての」

「みすぼらしい姿で目の前をうろつかれるのは嫌だからな。車を出してやる」

 しぶしぶ神崎のあとについて、よりによって人通りの多い街に出ることになった。外に出るのは何日ぶりだろうか。いつも適温の室内にいるので季節感と外気温の感覚が狂っていた。風に当たると突き刺さるような冷たい風が全身を叩き、たちまち吐く息が白くなった。そういえばもう十二月である。秀一はいつものマフラーとキャップを被り、顔を隠した。この時期ならマフラーも不自然ではない。


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