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カルマの旋律5-4

 ***

 神崎の部屋は3LDKで、ちょうどひと部屋余っていたので、そこに秀一を住まわせることになった。秀一の部屋にはベッドと折り畳み式のローテーブルという、最低限の家具しかない。クローゼットにはまだ何もないが、アパートからじょじょに移すよう言ってある。
 初めは反抗していた秀一だったが、彼も当分生きていくには神崎に従ったほうが賢明だと考えたのだろう。細かい指示にも文句は言わなくなった。じゃあ、彼がおとなしく身の回りの世話をしているのかと言えばそうでもない。ひとりで暮らしている期間が長かったので、ある程度の家事はできるはずなのに料理はわざと不味くするし、洗濯物を干す時もハンガーに引っ掛けるだけだ。だからいつもシャツは皺になる。掃除は埃が溜まるまでしない。神崎はその度に秀一にきつく当たった。不味い料理はひと口も手を付けずに床に捨て、皺だらけの服は納得がいくまでクリーニングさせた。掃除はまめに埃をチェックして、少しでも汚れていたら最初からやり直させる。勿論、床に捨てた料理を片付けるのも秀一だ。反抗すれば「元の顔に戻さない」というのが決まり文句だった。

 頑固でいちいち小癪な秀一には度々腹を立てるが、憎らしい相手を自分の監視下に置けるのは気味が良かった。奴隷のように扱き使い、仲の悪い兄弟のように罵り合い、時には畜生か何かのように扱うこともあった。

「もう歯も全部治療したんだから、なんでも食えるだろう。このくそ不味い肉を食ってみろ。お前が作ったんだろう」

 跪かせ、髪を引っ張りながら口に肉を押し込む。秀一は咳込みながら吐き出した。

「自分でも食えないものを人に出すな」

「てめーなんか、手術ができなけりゃとっくに毒盛って殺してるよ」

「お前に殺されるほど間抜けじゃない」

 そして夜は毎晩のように抱き尽くした。自分でも不思議だと思う。秀一の生意気な態度と眼光は殺したいほど憎たらしいのに、体に直に触れると彼はとてつもなく色っぽい。嫌がる姿が尚更燃えた。記憶の中にあるハルカも、抱いたらこんな風に取り乱したりするのだろうかと考えると、もう本物を抱いている気分になった。憎い男をねじ伏せる快感と愛する男を腕に抱ける喜びを同時に味わえる状況を、神崎は楽しんでいた。

「それって虚しくねぇのか」

 と、志摩は独り言のように言う。一緒に秀一の手術をした日から、志摩は頻繁に神崎を訪れるようになった。口ではいつも突き放した言い方をしても志摩は案外、情に厚い男だ。彼なりに心配しているからこうして顔を見に来るのだろうが、それが秀一の予後についてか神崎についてかは不明だ。志摩は看護師がいなくなったスタッフルームで我が物顔でインスタントコーヒーを淹れた。かき混ぜたスプーンから滴り落ちたコーヒーの雫を神崎は素早く拭き取った。

「煙草とコーヒーばっかり飲んで、歯医者のくせに歯がステインで真っ黒になりますよ」

「医者の不養生ってやつか?」

 笑うばかりで反省の色など微塵もない。

「いくら顔は栄田でも、中身は佐久間なんだろ? ヤッたあとに虚しくならねぇのかよ」

「なりませんね」

「普通、どんなに嫌いな相手でも一緒にいるうちにいつか情が湧くはずなんだ。今は佐久間と栄田を別物として見れても、『栄田ハルカの顔をした佐久間秀一』に情が湧いた時に慌てて元の顔に戻しても遅いんだぜ。見た目と中身のギャップにしんどくなるだけだ」

「元の顔に戻す気なんてありませんから大丈夫です」

「正気かよ。一生、あいつを閉じ込めるのか」

 神崎はけだるそうに足組みをする。

「いつも思うんです。同窓会で栄田に声を掛けたのが俺のほうが早ければ、俺に振り向いてくれていれば、俺は栄田を幸せにすることができたはずだ。軽々しい気持ちで栄田に近付いた佐久間がどうしても許せないんです。あいつを懲らしめるには力づくで罪の意識を背負わせるのがいい。いつも栄田の姿を見ていたら嫌でも忘れられないでしょう。だから整形してやったんです」

「……」

「それにね、なかなか興奮するんですよ。上から見る彼はどこから見ても栄田そのもので、自分の腕が恐ろしくなるほどです。……本当に美しい。あの綺麗な顔を俺の腕の中で乱れさせてみたかった。それが叶って俺は今、けっこう満足してます」

「そこには何も生まれねぇのか」

「何が生まれるんです」

「……愛情とか」

「ありえない」

 志摩は「もういいわ」と言って席を立った。

「今のお前には何を言っても無駄っぽいからよ。まあ、ひと言だけ言わせてもらうと、佐久間の顔は戻してやったほうがいいぜ。お前のやったことは犯罪だ」

 ―――

 家に戻ると、秀一はソファで泥のように眠っていた。頬を叩いたり足蹴にしてみたが、熟睡しているのか目を開けない。神崎は溜息をついてソファの前に腰を下ろした。間近で寝顔を観察する。落ちた体重は戻りつつあるようだが、それでもまだ細い。鎖骨がくっきりと浮き出ている。そういえば秀一は神崎と一緒に食事をしない。いつも不味い料理を作って、さんざん悪あがきしたあとで結局最後にまともなものを出すが、自分のぶんは用意しない。おそらく神崎が仕事に出ているあいだに適当に摂っているのだろう。
 あまりに静かに寝ているので、まさか死んでいるんじゃないかと思い、鼻の前に手を当てた。微かに息が当たる。そのまま下唇を指でなぞり、首筋に沿った。

 ――お前のやったことは犯罪だ。――

 言われるまでもなく、その自覚はある。恨みだけで秀一の顔を別人に変え、閉じ込めて押さえつけて社会的に殺した。人権の剥奪、死者への冒涜。けれども今の神崎にはこうするしかなかった。ただ、佐久間秀一が憎い。
 秀一に情が湧くことなど決してないと確信しているが、万が一そんなことになったら、その時は殺してしまおうか。神崎は人形のような綺麗な寝顔を見ながら、そう考えた。

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