カルマの旋律5-1
週一の総合病院での勤務を終えて中庭に出たところで志摩に会った。滅多に人に会おうとしない彼が、珍しく自分から神崎を訪ねたのだ。ただの立ち話で終わるはずがないので、病院内にあるカフェテリアに誘った。
「本当にやっちまったな」
煙草を片手にコーヒーを飲みながら、志摩が言った。
「歯が抜ける度にちょくちょく予約入れてたのに、最近めっきり来なくなっちゃってよ。一昨日、すごい久々に来たんだよ。けっこう抜けてんのにほったらかしにしてた。理由は顔見て、分かったんだけどな」
「普通に現れました?」
「マフラー巻きまくって来たよ。かえって目立つだろうに」
ハーッと吐いた煙で視界が濁る。カフェテリアが狭いこともあって、志摩は点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
「『顔、綺麗になりました?』なんて聞くほど無粋じゃねぇからさ、なんにも言わなかったけど、あいつ必要以上に人目を気にしてたぜ。あれじゃあ、また当分来ねぇだろ。まあ治療費はお前に請求するからいいんだけどよ」
「その気になれば行くでしょう」
「正臣、お前が連れて来い。出歩けない容姿にしたのはお前なんだからな。今更こんなこと言うのもなんだけど俺はやりすぎだと思うぜ。例えそのナントカって奴が死んだのがあの小僧に傷付けられたからだとしても、別にあの小僧が死ねとそそのかしたわけでもないし、証拠もねぇ。訴えられても知らねぇぞ」
「あいつは口で強がってますが、内心では怯えてますよ。栄田の死は自分に責任があると感じている。訴えたところで、ことの経緯を話さなければならないので躊躇っている。ああいう強気な馬鹿は案外、気が小さいんです」
「責任を感じてるって分かってんなら、あそこまでするこたぁねぇだろ」
「責任を感じていることを認めないから腹が立つんです」
志摩は「やれやれ」と腕組みをして、背もたれに体を預けた。肥満体型に椅子がミシミシと泣いている。
「タチが悪すぎる子どもだな」
「どっちが」
「どっちもだよ」
翌日、神崎は無理やりに秀一を志摩のところへ連れて行った。移動は神崎の車だったが、秀一はそれでもマフラーを巻いてキャップを被っていた。
ハルカに重ねて強引に抱いた日、秀一は魂を抜かれたようにぐったりしていたが、神崎がシャワーを浴びているあいだに姿を消していた。それから一度も連絡を取らずに過ごし、今日は一週間ぶりに会った。また痩せたように思う。顔色も冴えない。
「みっともないマフラーを外せ」
「誰のせいでしたくもないマフラーをしてると思ってんだ」
「車の中までするな。せめてマスクにしろ。見てるこっちが暑苦しい」
「俺はこの顔が大嫌いだ。こんなの自分の顔だと認めない。お前に元の顔に戻させるまで、俺は顔を隠し続ける」
キャップの下から覗く大きな眼とミラーの中で視線が合った。左右対称の二重といい目の形といい、どう見ても栄田ハルカだが、神崎を睨み付ける眼光だけは健在で、相変わらず憎たらしい佐久間秀一だった。
志摩はあえて秀一の顔のことは言わなかった。傷が綺麗に治りましたね、と、ひと言だけ伝えたが、秀一は触れて欲しくなさそうに苦笑した。
「時間かかるけど、前回の続きをしたら今日でとりあえず治療は終わりです」
神崎は志摩の治療を終わるまで見ていた。事故直後の秀一の口の中はもともとあった虫歯に加え、衝撃で歯が折れたり欠けたりと、血と破片がいっぱいで惨い状態だった。それが志摩の手でおそらく事故前より綺麗に整えられていく。欠損した歯はすべてクラウン(差し歯)で補われていた。歯根に土台を作り、その上に人工の歯冠を被せている。骨に直接ボルトを入れるインプラントは顎に相当量の負担がかかるので却下したという。クラウンと言っても変色しやすいプラスチック製ではなく、本来の歯に近い色味で変色の心配のないセラミックを使用している。蓋を開けてみればほとんどが差し歯でも、見た目は健康な歯の持ち主と変わらない。口の中だけに限らずだが、あれだけ酷い状態だったのものがここまで生まれ変わるのだから、本当に医療は面白いと神崎はつくづく思うのだった。
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「本当にやっちまったな」
煙草を片手にコーヒーを飲みながら、志摩が言った。
「歯が抜ける度にちょくちょく予約入れてたのに、最近めっきり来なくなっちゃってよ。一昨日、すごい久々に来たんだよ。けっこう抜けてんのにほったらかしにしてた。理由は顔見て、分かったんだけどな」
「普通に現れました?」
「マフラー巻きまくって来たよ。かえって目立つだろうに」
ハーッと吐いた煙で視界が濁る。カフェテリアが狭いこともあって、志摩は点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
「『顔、綺麗になりました?』なんて聞くほど無粋じゃねぇからさ、なんにも言わなかったけど、あいつ必要以上に人目を気にしてたぜ。あれじゃあ、また当分来ねぇだろ。まあ治療費はお前に請求するからいいんだけどよ」
「その気になれば行くでしょう」
「正臣、お前が連れて来い。出歩けない容姿にしたのはお前なんだからな。今更こんなこと言うのもなんだけど俺はやりすぎだと思うぜ。例えそのナントカって奴が死んだのがあの小僧に傷付けられたからだとしても、別にあの小僧が死ねとそそのかしたわけでもないし、証拠もねぇ。訴えられても知らねぇぞ」
「あいつは口で強がってますが、内心では怯えてますよ。栄田の死は自分に責任があると感じている。訴えたところで、ことの経緯を話さなければならないので躊躇っている。ああいう強気な馬鹿は案外、気が小さいんです」
「責任を感じてるって分かってんなら、あそこまでするこたぁねぇだろ」
「責任を感じていることを認めないから腹が立つんです」
志摩は「やれやれ」と腕組みをして、背もたれに体を預けた。肥満体型に椅子がミシミシと泣いている。
「タチが悪すぎる子どもだな」
「どっちが」
「どっちもだよ」
翌日、神崎は無理やりに秀一を志摩のところへ連れて行った。移動は神崎の車だったが、秀一はそれでもマフラーを巻いてキャップを被っていた。
ハルカに重ねて強引に抱いた日、秀一は魂を抜かれたようにぐったりしていたが、神崎がシャワーを浴びているあいだに姿を消していた。それから一度も連絡を取らずに過ごし、今日は一週間ぶりに会った。また痩せたように思う。顔色も冴えない。
「みっともないマフラーを外せ」
「誰のせいでしたくもないマフラーをしてると思ってんだ」
「車の中までするな。せめてマスクにしろ。見てるこっちが暑苦しい」
「俺はこの顔が大嫌いだ。こんなの自分の顔だと認めない。お前に元の顔に戻させるまで、俺は顔を隠し続ける」
キャップの下から覗く大きな眼とミラーの中で視線が合った。左右対称の二重といい目の形といい、どう見ても栄田ハルカだが、神崎を睨み付ける眼光だけは健在で、相変わらず憎たらしい佐久間秀一だった。
志摩はあえて秀一の顔のことは言わなかった。傷が綺麗に治りましたね、と、ひと言だけ伝えたが、秀一は触れて欲しくなさそうに苦笑した。
「時間かかるけど、前回の続きをしたら今日でとりあえず治療は終わりです」
神崎は志摩の治療を終わるまで見ていた。事故直後の秀一の口の中はもともとあった虫歯に加え、衝撃で歯が折れたり欠けたりと、血と破片がいっぱいで惨い状態だった。それが志摩の手でおそらく事故前より綺麗に整えられていく。欠損した歯はすべてクラウン(差し歯)で補われていた。歯根に土台を作り、その上に人工の歯冠を被せている。骨に直接ボルトを入れるインプラントは顎に相当量の負担がかかるので却下したという。クラウンと言っても変色しやすいプラスチック製ではなく、本来の歯に近い色味で変色の心配のないセラミックを使用している。蓋を開けてみればほとんどが差し歯でも、見た目は健康な歯の持ち主と変わらない。口の中だけに限らずだが、あれだけ酷い状態だったのものがここまで生まれ変わるのだから、本当に医療は面白いと神崎はつくづく思うのだった。
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