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カルマの旋律4-2

 ***

「こんにちは、今日はいかがされましたか?」

「あの……。先月、こちらで入院していた佐久間と申します。再診を……お願いします」

 あれだけ拒んでおいて、のこのこ神崎を訪ねる自分を何度も諫めた。こうして神崎形成外科クリニックに足を踏み入れただけで胃が引きちぎられそうに悔しい。けれども、もう体が限界だった。一応、他の総合病院や形成外科医院も調べてはみたが、やはり神崎の医院が一番評価が高かった。変な意地を張っておかしな医師に更に悪化させられても困る。自分の今後の人生のために、もう神崎を頼るしかなかった。

「来たか」

 診察室に入るなり、神崎は蔑みの微笑で秀一を迎えた。

「本当に治るんだろうな」

「当たり前だ。皮膚以外にも、瞼や鼻もついでに綺麗にしてやる」

「ひとつ聞かせろ。お前は俺が憎いはずなのに、なんで俺の手術を無償でするんだ?」

 神崎は腕組みをして、小さく息をついた。

「俺はただ自分の理想の治療をしたいだけだ。ガタガタに崩れたものを完璧に再建する。それが俺の生きがいだ。佐久間の体でそれができるなら丁度いい。それからもうひとつ」

 秀一は息を飲む。

「今までお前がどんな生き方をしてきたか知らないが、どうせ高慢で傲慢に生きてきたんだろう。そんなお前が挫折してボロボロになって、俺を頼ってくる姿を見たかった」

「てめぇ最悪だな」

「なんとでも言え。あんまり生意気だとオペはしないぞ」

 神崎は秀一を侮蔑して優越感を得たいらしい。自分から訊ねたとはいえ、面と向かってはっきり口にされるとなお忌々しい。だが健康な体には代えられない。治療が終わるまで辛抱するだけならプライドを捨ててやろうと決めた。その代わり完治したところで感謝などすまい。

 手術に関しては同意書などの書類を提出すると、その翌日には入院が決まった。手順は簡単に聞かされたが、一刻も早く終わらせたい一心で適当に流した。日用品の買い足しなどで誰かを頼ることもあるだろうと、川村にだけは手術のことを伝えてある。

『そうか、なんかあったらすぐ行ってやるから、頑張れよ』

「退院したら元通りだからよ、また連絡する」

 そして手術当日、元の自分の姿を想像しながら、仰々しいライトの下で瞼を閉じた。

 ―――

 患部は広範囲だったこともあり、術後のケアまでしっかり診たいからと言われて一ヵ月ほど入院した。そのあいだはまた鏡を見ることを許されず、病室の鏡までわざわざ外されていたほどだ。シャワーは看護師が迎えに来て別室でシャンプーをされ、体はタオルで拭いてくれる。トイレは個室のものを使うように指示された。よほど術後の状態はひどい見た目なのかもしれないと思った。「失敗」「悪化」などというマイナスな言葉ばかりが浮かぶが、神崎があれだけ自信を持って手術に挑んだのだ。まさか彼がここにきてわざと失敗するような幼稚な真似をするとも考えられない。期待と不安でなかなか寝付けない日々を送り、一ヵ月後、ようやく鏡の前に立つことを許された。

「では、ガーゼ取りますね」

 病室には神崎はおらず、たったひとりの看護師に傷の治りを診てもらった。看護師はうんうんと頷き、時折見惚れているようにも見えた。反応からしてやはり手術は成功したようだ。「さすが神崎先生」と、看護師も思わず漏らしてしまうほどだ。

「鏡を見てもいいですよ。今日からお風呂も入ってかまいません。何かあったらナースコールで呼んで下さいね」

「ありがとうございました」

 看護師が部屋を出て行って、すぐに共用トイレに向かった。個室の洗面台にはまだ鏡がないからだ。緊張して胸が張り裂けそうだ。忙しくスリッパを履き替えて鏡の前に立った。そして自分の顔を見て、秀一は絶句したのである。

「――……な、なんだよ……コレ……」

 診療中であるのは承知しているが、そんなことはどうでもいい。どうせじきに閉院だ。秀一は抑えきれない怒りと混乱をぶつけに、神崎がいる場所へ走った。

「神崎いィィ!!!」

 診察室に飛び込んだ秀一は、顔中の筋肉という筋肉を引きつらせて鬼の形相で神崎に掴みかかった。

「お前ぇぇえ!! ぶっ殺してやる!!」

 拳を振り上げた秀一を、看護師が慌てて止めた。神崎は何食わぬ表情で荒れる秀一を見つめている。

「これが……これがお前の目的だったのかよ!! 死ね! 殺す!」

「そんな言葉を病院で言うものじゃない。せっかく綺麗にした顔が台無しだ」

 カッと血が昇った秀一は、看護師の手を振り切って拳を打ち付けた。神崎はデスクに手をつき、書類が床に散らばったが、ずれた眼鏡を直しただけで動じない。

「お前、どうして……なんで……なんで、なんであいつの顔にした!!?」

 ゆっくり姿勢を正した神崎は、手鏡を取り出して秀一の横顔を映した。ほう、と溜息を吐く。

「我ながら美しい出来栄えだ」

 そして鏡は正面から秀一の姿を捉えた。そこに映っているのは、佐久間秀一であって佐久間秀一ではない。栄田ハルカの顔をした、佐久間秀一だった。秀一はその鏡を思い切り払いのけた。

「100%綺麗に戻すって言っただろうが! なんであいつの……ハルカの顔にしたんだよ! 戻せ! 俺の本来の顔に戻せ!!」

「100%綺麗にする、とは言ったが、元に戻す、とは誰も言っていない」

「てめえぇぇぇ!!」

 再び振り上げた拳は、今度は神崎に取られた。手首を握る神崎の手の力が強く、ギリギリと骨が軋む。神崎は秀一の耳元で言う。

「俺は昔から栄田ハルカのような顔を作り上げてみたいと思っていた。彼ほど美しい人間はいない。そうだろう? 彼が美しいから、お前も栄田に目をつけたんだろう? 憎らしくて醜いお前の顔を、俺の手で理想的な顔に『治して』やったんだ。ここは感謝するべきところじゃないか?」

「……最悪だ……! 最悪だ最悪だ最悪だッ」

 そして神崎の顔色と声色が変わった。

「まさか本当に俺がタダでお前の治療をすると思ったのか、馬鹿め。お前が事故に遭っても死ななかったのは、俺がこの手で、お前に相応しい制裁を食らわすためだ。お前も栄田と同じだけの苦しみを、……それ以上の苦しみを味わうのが道理だろう」

 そして今度は肩を掴まれると、壁に強く叩きつけられた。神崎の拳が頬をかすめ、壁をドン、と突く。憎しみと怒りを込めた声で神崎は言い放った。

「お前もあいつの死を背負え」

 秀一は何も言い返せなかった。この絶望と悔しさはとても言葉に言い表せない。診察室を去る神崎の後姿を、唇を食いしばって見送るしかできなかったのである。
 
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