fc2ブログ

ARTICLE PAGE

カルマの旋律4-1

 ある程度体力と気力が回復した秀一は、退院した翌日から仕事に復帰した。顔の傷は当然目立つままだが、会社の人間は事故にあったことを知っているので配慮はしてくれるだろうと、変に隠したりしなかった。出社してすぐから、すれ違う度に振り向かれ、眉をひそめる者もいれば深刻げに声を掛けてくる者もいる。直属の上司は「大変だったな」と気遣ってくれるが、視線はあからさまに傷にあり、物珍しさと気味悪さで引いているのが分かった。一時期いい距離まで近づいた彼女とも挨拶すら交わさない。エレベーターで一緒になった時も一瞬怯えたような表情をしたあと、顔を背けられた。人目のあるロビーで怒鳴ったことを引き摺っているのもあるだろう。それでも一度は関係を持った仲なのだから、ひと声かけてくれてもいいだろうに、と少し幻滅した。周囲からの好奇の視線は確かに痛いが、それは復帰前から覚悟していたことだ。月日が経って傷が治れば、こんな視線を受けずに済む。神崎に強気な態度をとった手前、ここで挫けるわけにいかなかった。

「もー栄田に続いてお前まで死んじゃうかと思って怖かったよ」

 友人の川村が自宅のアパートに見舞いに来てくれた。酒とつまみのジャーキーを渡されたが、生憎まだ硬いものが食えないからと有難く辞退した。

「ごめん、ちょっとびっくりした」

「はっきり言ってくれたほうがいい。気持ち悪いだろ」

「確かに息飲んじゃうけど、最初だけだよ。でも治るんだろ?」

「痕は残るらしいけどな。それより食べたいものが食えねぇのが辛いわ。毎日おかゆとか、煮物もめっちゃ柔らかくしてるもん」

「お前、なにげに料理できて良かったな。いつまで食べられないの?」

「歯が治るまで………あ、」

 口の中に突然現れた異物を、烏龍茶を飲み込んでからティッシュに吐き出した。歯が抜けたのである。

「こんな感じでちょっとした刺激で抜けちゃうんだよ。あー明日歯医者行かなきゃ」

 川村はじっと秀一の顔を見つめている。

「やっぱ秀はすごいな。仕事しながら治療して、家事も自分で全部こなさなきゃいけなくて。それなのにお前、暗い雰囲気出さないからさ」

 秀一はそれには黙っていた。川村は秀一を健気な人間のように言うが、事故に遭ったのはただの不注意で、しかも元を辿れば自分がハルカを追い詰めたことが原因だ。ハルカの死が自分のせいであるとは認めたくないが、何かしら関係があることは否めない。自分だって本当は泣きごとを言ってしまいたい。けれども、それができる立場ではないという自覚はある。だから強がって前向きでいるしかないのだ。と言いつつも、ハルカとの関係を隠して、あくまで「友人を亡くしたうえ事故にあった可哀想な人」というイメージを崩せない卑怯さもあるが。

「俺、辛抱強いとこが長所なんだ。別に落ち込んでないしな」

 だが、そんな強がりは一ヶ月も続かなかった。
 
―――

「申し訳ないね。こないだ別の人から勧められた商品に決めちゃったんだ」

「えっ…! 前にお会いした時は僕と……」

「あのあと、すぐ事故に遭ったんだってね。会社も暫く休んでたんでしょ? 気の毒とは思うけど、こういうのってタイミング大事だからさ。今回は合わなかったということで、ごめんなさいね」

 これまで順調だった仕事が上手くいかなくなった。長期間会社を休んだことで信頼をなくしてしまった。それもあるが、やはり見た目が大きく影響したのもあるだろう。話をしている最中、どこか上の空で傷ばかり見ている顧客の視線も嫌だった。いくら人間中身が大事だと言っても、第一印象は見た目で決められてしまう。どれだけ誠実に対応しても、勝手なイメージでやり取りがスムーズにいかないことが多くなった。 同じ営業部の社員に成績も抜かれ、いっそ馬鹿にしてくれたほうが奮い立つものを、変に慰められて余計に惨めになる。

「どんまい、そういう時もあるよ」

「相性が悪かったんだよ」

 そう声を掛けてくるのは、かつて自分より成績が劣っていたライバルたちだ。本当に秀一を気の毒に思っているはずがない。彼らはいつも、どこか優越感に浸りながら現実を見せつけるように見下すのである。

 ――俺には、誰もいないのかな。

 秀一には家族すらいなかった。正確に言うとアルコール中毒の父親がいるが、大学を卒業してから一度も連絡を取っていない。母は物心ついた時にはいなかった。離婚して、たったひとりの息子である秀一を置いて出て行ったと昔に聞いた。金を酒につぎ込んでは、日に日に荒れる父を見ていた。そんな父の姿を反面教師として、自分は必ず大学を出ていい会社に入り、堅実に金を貯めて裕福な大人になると決めたのだ。真面目に仕事を続けてきたはずなのに、地位も信頼も崩れる時はあっという間だ。適当な恋愛ごっこで誰かに執着したこともなく、そんな関係ばかり続けてきたせいで、いざという時に寄り添ってくれる人間がいない。 
鏡を見る度、醜い自分に悲鳴を上げたくなった。なかなか取れない瘡蓋、眉の上はケロイドのように盛り上がっている。寝ているあいだに痒くて引っ掻いてしまうので、新たな傷も絶えない。せめて好きなものを食べて発散できればいいのに、歯は容赦なく抜け落ち、食べる物も限られているので日に日に体重が落ちていった。

 ――会社、辞めようかな……。
    営業じゃない、人目につかない職とか……あるかな。
    外貌醜状って保険効くか聞いてみるかな。
    あーでも、めんどくせぇ。なんにもしたくない。
    めんどくさい。



スポンサーサイト



0 Comments

Leave a comment