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カルマの旋律3-3

 ―――

「くそ、結局俺が最後まで面倒見なきゃいけねぇじゃねぇか」

 志摩は煙草に火をつけながら舌打ちをする。

「そのつもりでアンタに頼んだんですよ」

「言っとくが、俺は『治療』をしただけだぜ。お前の考えは知らねぇからな。なんかあった時に俺の名前出すんじゃねぇぞ」

「分かってますよ。ありがとうございます。今後もよろしく頼みますよ」

 そのあと暫くは看護師にこまめにバイタルチェックをしてもらい、神崎は深夜に秀一が寝静まってから様子を見に行った。秀一はまだ自分の顔がどんな状態か知らない。鏡を見たいと看護師に訴えたこともあったが、「もうちょっと待ったほうがいい」などと適当に誤魔化して見せないようにしていた。事故から三週間が経ち、顔の腫れも引いて内臓もおおむね回復した頃だ。神崎はタイミングを見て姿を現すことにした。

「――はい、すみません、本当に。もう退院できると思うので。ありがとうございます」

 病室からは時々話し声が聞こえてくる。丁寧な言葉遣いで喋っていたり、くだけた口調で強がっていることもあった。勤め先や友人が容体を気にして掛けてくるのだろう。秀一はなるべく明るく努めているようで、「たいしたことはない」と繰り返していた。そして決まって「見舞いには絶対来ないでくれ」と付け足すのである。

 上司との会話を終えたようで、電話を切ったのを見計らって神崎は病室のドアをノックした。

「調子はいかがですか、佐久間さん」

「えっ、……あ、はい……!」

 事故後、神崎と秀一が顔を合わせるのはこれが初めてだ。ドア越しに声を掛けられた秀一はようやく形成外科の医師と話をすることに期待した声だった。だが、神崎がドアを開けた瞬間に秀一の表情は固まった。

「――無様だな」

「……っ、か、……神……崎、」

 秀一の眼はみるみる絶望の色に染まり、唖然とした唇は次第にわなわなと震えだした。

「ど、どうして……ま、まさか、お前っ」

「そうだ。お前を手術したのは俺だ」

「な、じゃ、あ……形成外科の医者って……、もしかして、ここ……!」

「俺の医院、神崎形成外科クリニックだよ」

「――……」

 この世の終わりといった顔つきに、神崎は口元が緩みそうになるのを堪えた。殺したいほど憎い相手が自分の前でおののく姿は実に清々しい。だが、これで終わりではない。

「どうだ、死に損なった気分は。生死を彷徨ってあの世の入り口で栄田に詫びのひとつでも伝えたか? 言っておくが、あいつはお前とは比べ物にならない激痛だったはずだ」

 一歩近寄ると秀一の肩がビクッと跳ねた。

「勿論、身体的な痛みのことじゃない。こっちの痛みだ」

 と言って、神崎は自分の胸に手を当てる。

「体の痛みはなかっただろう。そんなもの感じる間もなく即死したんだからな」

「……やめろ」

「――なんであいつは、お前のようなクズに惚れたのか俺は理解できない。純粋なあいつが、純粋なゆえに、クズを愛してクズのために命を捨てた。そしてお前はそれを見て見ぬふりをした。そんなお前がなんでのうのうと生きていられるんだおかしいだろ事故に遭ったのは当然の報いだッ!!」

 ダァン! とサイドテーブルに拳を打ち付けるとマグカップが落下して割れた。つい興奮して荒ぶってしまったが、神崎は小さく深呼吸をして、すぐに落ち着きを取り戻した。秀一はその一挙一動に固唾を飲んだ。

「……まあ、お前が死なずに俺の前に運ばれてきたのには何か意味があるのだろう。俺はそう思ってお前を助けた。助けてやったんだ」

「余計なことしやがって、いっそお前の手で殺せばよかっただろ。医者なんだから医療事故に見せかけるくらいワケないだろうが」

「俺はそんな単細胞な真似はしない」

「てめぇ」

「――ところで、治療費は払えるのか?」

 突然、現実的な問題を突きつけられて秀一は顔を強張らせた。二十代前半の頃はバイクを乗り回していたので自賠責保険と任意保険と両方に加入していたが、ここ数年ほど乗らなくなってから保険料を渋って一年前に任意保険を解約したばかりだった。事故相手がどんな保険に入っているか知らないが、これから治療と仕事をしながら保険会社とのやりとりなど、過程を考えると気が遠くなる。

「抜けた歯を戻すのは自費になるぞ」

「……金は時間をかけても必ず払ってやるよ」

「金はどうでもいい。俺の条件を聞くなら治療費は俺が出してやろう」

「――!?」

「聞くか?」

「ふざけんな、なんでお前の言うことを聞かなきゃなんねぇ上に、借りを作らなきゃなんないんだよ。聞かねぇに決まってるだろ」

「俺に救われた時点で借りがあるんだよ」

 秀一は膝の上で拳を握り締めた。こんな時ですら顎の痛みを気にして歯を食いしばれない。

「……まず、条件を言え。それから決める」

「お前の皮膚の再建は俺がする。勝手に病院を変えたりすることは許さない」

「……それで」

「それだけだ」

 思いのほか普通の条件だったので秀一は呆気に取られた。けれどもすぐに鼻で笑い、即答した。

「やだね」

「……」

「俺はここを出たら、他の病院に代わる。不具合が起きてもお前には頼らない。いくら治療費がかかっても、それくらいは払えるさ。馬鹿にすんのも大概にしろ」

「……稼げるのか?」

「てめ……!」

 神崎はおもむろに秀一に手鏡を差し出した。なぜこのタイミングで鏡なのか、と秀一は不気味に思いながら手に取った。そして初めて、事故に遭った自分の顔を見るのである。

「……っ」

 秀一は自分の顔を見て吐きそうになった。顔の右半分はただれて広範囲にわたって瘡蓋に覆われている。眉の上は裂けたのか、大きな一文字があり、生々しく縫われていた。眼球が無事なのが不思議なほどだった。

「日数はかかるが、治るだろう。だが傷が深いから痕は残る。いくら男でも営業職は見た目が大事だろう?」

「……」

「下手な医者にかかれば今より悪くなるかもしれない。だが、俺はそれを100%綺麗にする自信がある。俺を頼れば手術は成功して、治療費もかからない。面倒臭い手続きもない。どうする」

 秀一は言い切った。

「乗るわけねぇだろ、馬鹿野郎」

 手鏡を神崎に投げつけた。神崎を睨む眼は、つい先日までの死人のような眼とは別物だった。怒りと敵意で鋭く光っている。

「このくらいの傷、日にち薬だ。女じゃあるまいしガタガタ騒がねぇよ。さっさと退院させろ。あとは自分で考える。俺はアイツみたいに弱い人間じゃないんだよ。誰がお前なんかに頼るか」

 神崎は無表情のまま「そうか」と残してあっさり背を向けた。ドアを開けて傍で立っていた看護師に割れたマグカップを片付けるように指示する。そして去り際に、

「お前は必ず俺を頼る」

 と、残した。秀一は手元にあった枕を投げつけたが、枕は閉まったばかりのドアにぶつかって落下した。

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