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カルマの旋律3-2

 造影CTで肝臓と膵臓の損傷を確認した。肝左葉に二点の挫滅創があったが、出血は多くない。だが、血液や体液が腹腔内に漏れていたり、傷が壊死すると合併症を引き起こす可能性がある。骨折がひどいのは顔面だ。鼻骨骨折、頬骨は粉砕していて、下顎骨は見事に三分割されている。再建しても神経が損傷していれば後遺症が残るかもしれないし、正しい咬み合わせに戻すまでに更に長い時間がかかるだろう。

 秀一と事故に遭った相手が言うには、猛スピードでぶつかってきた秀一は飛ばされたあと、コンクリートの地面に叩きつけられたとのことだ。相手も気が動転していて記憶が定かでないようだが、ヘルメットは被っていたらしい。おそらく飛ばされた時に外れたのだろう。バイク事故で即死する人間も多い中で、この程度で生かされたということは、死より相応しい意味があるのかもしれなかった。
 神崎は総合病院内で最も腕のたつ外科医に肝臓と膵臓の治療を任せ、ある程度回復したら知らせて欲しいと願い出た。

「骨と皮膚の再建はわたしがしますので、彼の意識が戻ったらわたしの医院に転院させて下さい」

 秀一の意識が戻ったのは、五日後のことだった。

 ―――

「久々に呼ばれたと思ったら、あんまり喜ばしい案件じゃねぇなぁ」

「こういう時でしか話すことなどないでしょう」

「お前は本当に昔から冷たい奴だよ」

 およそ二年ぶりに幼馴染に会った。志摩勇作という、三つ上の男だ。志摩は歯科大学を出て、そのまま大学病院の口腔外科で勤務医をしている。自ら医師を希望した神崎と違って、志摩は父親のあとにならって口腔外科医になった。本人がなりたかったわけではなく、進路を決めるのが面倒だったから手っ取り早く親と同じ職業を目指しただけだ。出世願望を持たずに大学に居座り続けて、他の病院に出るつもりも開業するつもりもない彼からは、口腔外科医としての志の低さが窺える。ただ神崎は志摩が優秀だと知っている。一度だけ志摩の父が開業している医院で志摩の手術を見せてもらったことがある。顎骨の中にできた膿疱を除去するもので、その手際の良さと正確さに感動した。学会で発表すると言って書いた論文はいつも評価が高い。もし志摩が神崎と同じ形成外科医だったら嫉妬しただろう。畑違いの分野で尊敬できる同じ職業の人間だからこそ、歳を取っても親しくいられるのだ。

「親御さんの跡は継がないんですか」

「継がねぇな。俺は呑気な勤務医のままで退職したら海外にでも住むよ。たまに手伝ってるけどね」

 休診日の医院に志摩を呼んだ神崎は、カウンセリング室に通して秀一のレントゲン写真を並べて見せた。

「電話で話した患者のものです」

「こりゃキレーにぱっくり割れてんな」

 志摩はレントゲンを見ながら笑った。

「バイク事故だっけ? まあ、そのわりにたいした怪我じゃねぇな。この程度で済んで良かったじゃないの。患者はどこ?」

「今は眠っています」

 意識を取り戻した秀一は事故当時の記憶が曖昧で、身体が自由に動かないことに滅入っていた。肝臓と膵臓の手術を担当した外科医が、顔の骨折については専門の医院に転院すると告げると、秀一は放心状態で頷いたという。転院先は教えていない。神崎の指示だったからだ。医院に着いた時には秀一は再び眠っていた。今は病室で看護師に容体を診てもらっている。志摩は秀一の運転免許証のコピーと見比べる。

「いいツラしてんのに、可哀想に」

「アンタなら朝飯前でしょう」

「俺ぁ、矯正の面倒までは見ないぜ。お前がこの辺で信頼してる歯医者に頼みな。つーか、神崎なら全部自分でやれるだろうよ」

「口腔外科は専門外なんでね」

「よく言うぜ。バイパス手術したんだろ。お前ならマルチに治療できるだろ」

「大学病院で研修している時、心臓外科か形成かで悩んだ時期がありましてね。当時、良くしてくれた教授の計らいで一年間心臓の勉強させてもらったことがあるんですよ。だから外科全般はある程度の治療はできます。でも歯科学は別物ですから。骨の再建だけは出来ても咬合まではできない」

「特別扱いだったんだなぁ。俺はお前の才能が恐ろしいよ」

「そんなことはどうでもいいんです。それよりあいつが目を覚ましたら、勇作さんから説明お願いします」

「本当にやるのか」

「俺はオペが終わるまで名乗り出ないつもりですから」

「そうじゃなくて、オペをだよ」

「しなきゃ治らないでしょう」

「……じゃなくてよ。お前、分かっててはぐらかしてるだろ。お前の言う『オペ』を、本当に、やるのかって聞いてるんだよ」

 神崎はニタリと不敵な笑みを浮かべて頷いた。

 それからおよそ一時間後のことだ。秀一が目を覚ました。初めて見る天井に戸惑ったのか、眼球をきょろきょろさせた。顔は固定しているが、満足に首も回せないらしい。神崎は衝立の影に隠れて二人の様子を見ていた。秀一の顔を覗き込んだのは志摩である。

「目ぇ覚めましたかね」

「……こ、……は?」

「総合病院から転院して、形成外科医院にいます。あ、僕は口腔外科医の志摩と申します。あっちで説明を受けたと思いますがね、内臓と骨折とは担当する科が違うんですわ。どうですか、お腹のほうは」

 秀一はいまいち分からない、といった表情で僅かに首を傾げた。肝臓と膵臓を手術したのは知っているかと聞かれて頷いた。

「きみの顔ね、鼻と頬と顎の骨が割れてるの。まあ、鼻のほうはたいしたことないけど」

 志摩は自分の右側の頬を擦りながら説明した。

「右側ね。頬骨、粉砕骨折してるの。下顎は三つに割れてる。こいつらは手術で元に戻します。プレートを入れて固定するんだけど、最終目標は咬み合わせを正しい状態に戻すこと。咬み合わせができてないと、食事もまともにできない、一部の歯に負担がかかって顔のバランスも崩れる。そうなるといけないから、咬み合わせを元に戻してあげることが大事です」

 秀一はぼんやりした目付きではあるが、小声で「はい」と都度、返事をした。

「これは一度では治りません。きみの場合は顎にかなりの衝撃を受けてるから、これからどんどん歯も抜けてくると思う。面倒かもしれないけど、抜けたらその都度歯医者で治療します」

「……抜け……るんです、か」

「抜けたからって慌てないように。手術は口腔外科と形成外科が一緒にします」

「……形成、の、先生は」

 一瞬だけ志摩は神崎に目をやった。神崎は首を横に振る。

「今は急患に当たってるんだけど、腕は確かな先生だから安心して下さい。僕からついでに説明しておくと、まずは機能的な問題を治すために骨の整復をします。それが落ち着いたら、今度は見た目。ま、それはおいおいね。まずは体力を回復させて骨を治しましょう」

 秀一はうつろな目で小さく頷いた。内容は把握しているようだが、治療に前向きでもなさそうだった。
 手術はそれから三日後に行われた。粉砕骨折した頬骨を修復するのに想定外に時間はかかったが、終始順調に終わった。秀一は体力があるので術後の回復も早い。幸い麻痺も残らず、食事は当分、流動食しか食べられないが、食欲はあるようだった。
 志摩は毎日、医院を訪れて秀一の容体を診た。神崎を相手にする時は粗野な物言いをする志摩も、患者には優しい。親身に診てくれる志摩を、秀一はすっかり信頼していた。

「まだ腫れは残ってるけどね。痛みは?」

「口を動かすと痛いですね」

「そりゃそうだ。気長に治していこう。はい、これが僕の歯科医院の名刺だ。歯が抜けたら予約取ってから来て」

 志摩は父の歯科医院の名刺を渡しておいた。

「え? ここの先生じゃなかったんですか」

「まあね。僕はこれで失敬するけど、あとは形成の先生がきちんと診てくれる。じゃ、お大事に」

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