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カルマの旋律2-3

 ***

 証券会社で営業の仕事をしている秀一は、朝から晩まで電話対応か外回りに追われている。昔から愛想は良く、口も上手いので営業力は高い。営業の仕事は嫌じゃなかった。よく意外だと言われるが、恋愛に関しては堕落していても仕事に対しては忍耐強くて真面目だ。入社して十年経ち、激務に耐えきれずに辞めていく同期が多い中、秀一は次々に資格を取得してキャリアを積んでいった。
 昼休憩に入った時だった。朝から仕事に追われて一度も見ていなかったスマートフォンを開いた。着信が何件も入っていて驚いた。相手は高校時代の友人だ。秀一は買ったばかりの缶コーヒーを飲みながら折り返した。ツーコールもしないうちに応答があった。

『秀! 何度もごめん!』

「おう、仕事中だよ。なんだよ」

『忙しいだろうとは思ったけど、連絡。高校ん時はそうでもなかったけど、同窓会で再会してから仲が良いって聞いたから……』

「なんの話?」

『栄田のことなんだけど』

 ギク、と唇の片端が痙攣した。

『昨日、亡くなったんだって』

「――……え?」

 俺も詳しくは知らないんだけどさ。ホテルの屋上から飛び降りたらしいよ。今、ビアガーデンやってる時期だから目撃者が多くて、とにかく大騒ぎだったみたい。俺の友達もちょうど飲んでたらしくて、誰が飛び降りたのか調べたんだって。ほら、あいつピアニストだろ? でも有名ってほどじゃないから、仕事なくて思い詰めて自殺したんじゃないかって噂になってる。俺もそれ聞いてびっくりしたよ。で、秀に電話したってわけ。お前、このあいだ会ったとき栄田と親しいって言ってなかった? 頻繁に会ってるって。なんか悩んでたりトラブルがあったりとか聞いてない? ……そうか。なんにせよ、明日が告別式だって。

 電話を切った秀一は外出すると告げて会社を飛び出した。ハルカが飛び降りたという現場に向かっていたのだ。走って行けるほど近い場所にある。後悔をしているとか、懺悔の気持ちがあるとか、そんなことではない。只々、信じられなかった。現場がハルカが演奏したことのあるホテルだというのがまた皮肉な話だ。

 あの日、ハルカにホテルでピアノを弾くから観に来て欲しいと言われて、一度断った。もともとクラシックやピアノには興味がないし、ハルカへの気持ちもだいぶ薄れていたからだ。けれども予定していた飲み会がなくなって急に暇ができたので、最後のデートのつもりで渋々行った。もう二度と来ることはないだろうと思ったホテルに、まさかこんな形で再び行くことになるとは。
 ハルカが落ちたのは大通り側ではなく、ホテルの裏側でひと気のない路地だった。そこには「立ち入り禁止」と大きく書かれた看板があり、ハルカが落ちたであろう場所には近付けなかった。遠目から生々しい大きなシミだけは見えた。血痕だろう。
ハルカは一体、どういう風に飛び降りたのか。なんの躊躇も恐怖もなかったのか。それほどショックだったのか。落ちた瞬間、どんな状態で死んだのか。

 ――まさか、俺が原因なのか……!? 
    俺が、振ったから……?
    ありえねぇだろ、ふざけんな!!

 ―――

「なんでだよ」

 三日後の夜、仕事を早めに切り上げて部屋で酒を浴びていた秀一を同級生の川村が訪ねた。秀一はハルカの葬儀には結局行かなかった。香典すら出していない。

「香典くらい出せよ、仲が良かったんだろ?」

「仲が良いってわけじゃなかった」

「なんで? 友達じゃなかったのか?」

「友達でもない。ただ……」

「ただ?」

 付き合っていた、なんて言えない。ハルカとのことは一時的な気の迷いに過ぎず、誰にも言うつもりはなかった。しかも散々振り回してひどく振っておいてフォローもせず、自殺の原因がおそらく自分だなんて口が裂けても言えない。缶ビールを両手でぎゅっと握りしめたまま、秀一は答えられなかった。アルミ缶がパキパキ、とへこむ。

「……大丈夫か?」

「……」

「ごめん、お前も混乱するよな。いつでも話聞くから、落ち着くまで休め。酒は飲みすぎるなよ」

 川村はありがたい勘違いをしてくれた。「気分が優れないからまたの機会にしてくれ」と頼むと、川村は「落ち着いたら線香くらいは上げてやれよ」と、残して去った。

 線香なんてとんでもない。ハルカはおそらく秀一を恨みながら死んだはずだ。そんな相手に手を合わせられてもあの世で怒り狂うに違いない。秀一もまた、ハルカの極端すぎる行動に苛立っていたのだ。


 ――たかがふられたくらいで死にやがって。だからメソメソした弱い奴は嫌いなんだ!


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